第五章 英雄祭 〜其の陸〜
「カハッ……」
ヘルメスの動きが、完全に止まった。
陽炎の放った『聖邪アゾット』は、ヘルメスの肉体を貫いてはいなかった。しかし、その刃はヘルメスの影——ヘルメスが操っていた空間歪曲の「核」を、根こそぎ断ち切っていた。
「あ、が……ッ!? わた、しの、価値が……暴落、して……」
ヘルメスの瞳から闇が抜け、彼女は力なく膝をついた。
それと同時に、闘技場を囲んでいた「黒い熱狂」が、潮が引くように収まっていく。
特別席で、阿修羅がゆっくりと立ち上がり、たった一人で拍手を送った。
「……見事だ、陽炎。空間という『足し算』に対し、存在を消す『引き算』で挑むとはな。……だが」
阿修羅の視線が、闘技場の天井を貫き、さらに上空へと向けられた。
ヘルメスが倒れた瞬間、複数の黒い影が空より降り立つ。
「ククク……。案内人が負けるとは、想定外のコスト増ですねぇ」
空を割るように響く、複数の重なり合った声。
ヘルメスが『主』と 呼んでいた者たちが、闘技場の瓦礫を足場に次々と姿を現す。
その姿は楽園の幹部たちーー
九人の『死の商人』が立ち並ぶ姿であった。
彼、彼女たちは戦士というよりは、冷徹な「査定人」の如き空気を纏っていた。タキシードを基本とした豪奢な外套、指に光る無数の指輪、そして何より、生命を「利益」としか見ていないその瞳。
「案内人の不手際を補填するのは、些か高くつきますよ……」
九人の中央、モノクルを光らせた容姿の紳士淑女風の女が、手袋を整えながら陽炎を見据る。
「……お初にお目にかかります、陽炎いや、今はメイロウさんだったかしら。我々は『楽園』の取締役——九人の【商人】です」
と、言うや否や陽炎が叫ぶ。
九人の面々を確認した陽炎が、その一人に鋭い視線を送ると共に叫ぶ。
「——ロキーッ!!貴様ぁ生きていやがったのか!…蒼波さんはどうなったんだ!!!」
ロキが目を見開き陽炎を見下ろす。
「ん?…あーそんな方いましたね〜…」
ロキは、嫌味っ垂らしくいきなり声を荒げて答える。
「美味しく、いただきましたあぁぁーー!!!」
「こ、このヤロー!!!」
陽炎の瞳が《赤》へ変わる。
同じく、ノヴァも双剣を手にし、今にも飛び出そうと構えていた。
「ー陽炎っ!」
ドォォォォン!!
特別席の手すりを踏み越え、阿修羅が真っ逆さまに舞台へと飛び降りた轟音だった。
陽炎の方へ阿修羅が手を置く。陽炎が振り払おうとしたが、微動だにしない。その置かれた手が熱く激っているのがわかった。
「…落ち着け。陽炎にノヴァ」
(賢明ですわ…流石は、世界最強を誇る大天位。隙など無いといったところですわ)
「では、取り直して続けます。今後もご縁があるか、今日でお別れか。…せっかくですので、ご挨拶させていただきます」
錬金術師のロキ
詐欺師のヤコブ
奇術師のヘパイトス
道化師のジョーカー
鑑定師のメラムプース
調律師のホメロス
影法師のアルケイデス
伝導師のマーキュリー
傀儡師のカーライル
「以後、お見知りおきを。フォッフォッ」
中央にいる女、メラムプースが紹介すると優雅に笑う。しかし目を細め値踏みする様に陽炎たちをみた後、考えるように目を閉じ、一秒程で目を開く。
彼女が指を鳴らすと、空に巨大な『帳簿』のような呪力の幕が現れ、陽炎、雫、そして阿修羅、ノヴァの姿が映し出される。その横には、刻一刻と変動する不気味な『数値』が並ぶ。
「現在の市場価格……白亜の都マーベラスの崩壊をセットにして、金貨一千万枚。おや、先ほどのメイロウさんの一撃で、さらに跳ね上がりましたわ」
鑑定師メラムプースが薄笑いを浮かべながら、空中に浮かぶ呪力の幕を指差します。そこには、都の各所で起きている暴動、薬による市民の汚染状況、そして陽炎たちの戦闘データが、まるで株式市場の指数の如くリアルタイムで更新されていた。
「……ふざけやがって」
陽炎は聖邪アゾットを握り直し、毒々しい空気の中で呼吸を整える。目の前の連中は、これまでの敵とは次元が違う。個々の力もさることながら、九人が成す『陣』が、この空間の理そのものを書き換えているのをひしひしと感じる。
陽炎は一歩前へ出た。
アゾットの刃が、九人の悪意に反応して黒く鋭い光を放つ。
「お前たちの『帳簿』がどうなってようが知らねぇが……。俺たちの命は、誰にも買わせねぇよ」
阿修羅が背負っていた巨大な太刀を引き抜くと、闘技場の石床がその重量感だけで砕け散る。
「九つの欲を並べ立てたところで、私の前ではただのゴミだ。……陽炎、雫、ノヴァ! 祭りの終わりだ。準備はいいかい!」
「あぁ、いつでもいける!」
ノヴァは双剣を手にし、雫を自分の後ろへ誘導する。
英雄祭の最終幕——それは、世界の理を壊す『商人』の襲来——
九人の商人たちは、それぞれが得意とする特殊能力で波状攻撃を仕掛けてくる。
ヘパイトスが指を振ると、闘技場の石畳が真っ赤に融解し、足元から溶岩の海が噴き出してきた。同時にロキがその熱気に毒素を混入させ、吸い込むだけで肺が焼けるような紫煙の霧が立ち込める。
逃げ惑う数千の観衆が、突如として動きを止まる?彼らの足元から伸びた影がアルケイデスによって実体化し、背後からはカーライルの「不可視の糸」が彼らの四肢を無理やり引きずる。
「あ、ああ……助けて……!」と泣き叫ぶ市民たちが、刃を手に陽炎たちへ襲いかかる肉の壁と化す。
耳を劈く不協和音がホメロスのハープから放たれ、陽炎が必死に保っていた『静寂』を乱そうとする。そこにヤコブの虚偽が重なり、敵の位置、距離、さらには自分の右手の感覚さえもが曖昧に書き換えられていく。




