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神位の書  作者: KATSUMI


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第五章 英雄祭 〜其の伍〜


ヘルメスがツインテールをなびかせ、槍をひと振りすると、先端が空間を裂き、キィィィィィンという鼓膜を刺すような高音が響き渡る。


対する陽炎は、短剣(アゾット)を正眼に構えたまま微動だにしない。


陽炎の周囲だけは、数万人の罵声も、薬の毒気も、一切が遮断されたかのようななぎが広がっていた。

(……来る。空間を無視する、あの槍が)


特別席の阿修羅は、静かに陽炎とヘルメスの戦いを見守っている。

(陽炎、お前が掴んだ『引き算』。それは自分自身のノイズを消す技だ。……だが、世界のことわりそのものを捻じ曲げるあの槍に、どう対応する?)


「さあ……競り(オークション)を始めましょうか!」

ヘルメスが不気味な笑みを浮かべ宣言と同時に、姿がその場から消えた。


正確には、ヘルメスが踏み込んだ瞬間に、陽炎の間の「距離」が消失したのだ。


「一刺しです!」

十メートル以上あったはずの間合いがゼロになり、ヘルメスの槍先が陽炎の喉元へと吸い込まれる。


「——っ!」

陽炎は、目視ではなく、皮膚が感じる「空気の密度の変化」だけで反応する。

修行で培った、身体を重力から解き放つような最小限の転身。

短剣が槍の側面を撫でるように滑っていく。

シュュュ、と金属が削れる音が響き、陽炎の頬に一本の赤い線が走った。


「……避けますか。今のを」

ヘルメスは勢いを殺しながら数メートル先に着地し、驚いたように、けれど嬉しそうに不気味な目を細める。


「……お前の槍は速いんじゃない。お前と俺の間の空間を『消して』やがるんだ。なら、消える瞬間の『風の死に際』を読めばいいだけだ。一度見れば十分だ」

陽炎が再び構えを低くする。

その瞳は、相手を見るのではなく『空間(かぜ)の揺らぎ』を観ていた。


「ヒャッハ! 風の死に際! 素晴らしい感性だ! だったら、これはどうですか!?」

ヘルメスが常人を遥かに超えた速度で槍を突き出す。一撃、二撃——いや、空間の歪みによって、それは数百の刺突となって全方位から陽炎を襲う。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


控え室の裾で、雫は胸の前で手を組み、祈るように二人を見つめていた。

と、その時、彼女の首元の痣が、陽炎の『静寂』と呼応するように濃くなっていく。そして微かに青い光を脈打ち始めた。


「……あいつ、ヘルメスの攻撃の『周期』を読み取ろうとしてるわ」

ノヴァが、傷を負った紫苑を介抱しながら、舞台上の陽炎を鋭い目で見つめた。


(空間が歪む瞬間、必ず微かな呪力の『澱み』が出る。陽炎……貴方がその『一点』を突ければ、あの槍はただの鉄屑になるわ!)


阿修羅は、陽炎の成長に目を細めつつも、周囲の異変に警戒を強めていた。


「……薬の効能が限界を超えつつあるな。奴ら、この闘技場そのものを生贄の祭壇にする気か」

観客たちの瞳はもはや真っ黒に染まり、隣の人間に掴みかかり、暴動が連鎖的に広がり始めていた。


『死の商人』の狙いは、試合の決着ではなく、この「地獄絵図」そのものをオークションの商品として完成させること。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


数百の刺突が、逃げ場のない檻のように陽炎を囲い込む。

それはもはや「点」の攻撃ではなく、陽炎が立っている空間そのものを削り取る「面」の暴力。


「逃げ場はありませんよ、メイロウさん! 空間ごと、細切れに競り落としてあげましょう!」


絶体絶命の瞬間。

陽炎の視界に、不思議な変化が訪れる。

控え室の隅で祈る雫の、首元の痣から放たれた青い光。それが陽炎の『静寂』と共鳴し、闘技場に満ちるどす黒い熱狂——そしてヘルメスの槍が引き起こす『空間の歪み』を、陽炎の瞳に鮮やかな《色》として描き出した。


「!?」

陽炎が一瞬で《色》の意味を理解する。

(……見えた。黒く濁った、あの『一点』だ)


陽炎は、襲い来る数百の刺突に対し、あえて一歩も動かずにアゾットを抜き放った。


「——『引き算』。そして……食らえ」


陽炎が放ったのは、剣筋ですらなかった。

『聖邪アゾット』の刃が「邪」の気を帯びて黒く明滅した瞬間、ヘルメスが歪めた空間の「澱み」を、短剣そのものが貪り喰ったのだ。


バキバキバキっっ


まるで硬い何かを噛み砕く音が響き、陽炎を包囲していた数百の槍先が、実体を失って霧散した。


「なっ……!? 私の『距離』を……喰ったというのですか!?」

初めてヘルメスの顔から余裕の笑みが消え、驚愕に歪めた。


「お前の商売は、もう店仕舞いだ」

陽炎の瞳から、一切の感情が消えた。


彼は、阿修羅との修行で得た抑えていた力、「エネルギーの凝縮」をすべてアゾットの刃一点に集中させた。

今の陽炎は、数万人の暴動も、ヘルメスの存在すらも「ノイズ」として削ぎ落としていく。彼の世界に存在するのは、ただ《アゾットの先にある、敵の心臓》のみ。



「——消えろ」

陽炎の踏み込みは、もはや歩法ですらなかった。

地を蹴る音も、風を切る音もない。ただ、そこにあった影が、次の瞬間にはヘルメスの眼前に「存在」していた。


ヘルメスが初めて見せた、死の恐怖に染まった瞳。

陽炎はアゾットを逆手に、一切の慈悲を削ぎ落とした軌道を描く。


彼女は慌てて槍を構え、再び空間を歪めて逃げようとするが、アゾットが放つ『聖』の波動が、逃走経路となる空間の歪みを固定し、拒絶しする。




——。

音もなく、陽炎の姿がヘルメスの懐に入り一閃を放つ。




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