第五章 英雄祭
羊皮紙に差し示された対戦表の一角。
「…どんな奴なんだ?」
陽炎が問う。
「この世界の混乱と破壊を生業とする楽園が用意した、陽炎、お前への『当て馬』さ。……あるいは、お前の心をへし折るための最高のスパイスだな」
阿修羅は窓の外、月光に照らされた円形闘技場を見据えた。
「さあ、祭りの幕開けだ。陽炎、雫、そしてノヴァ。……この白亜の都が血に染まるか、新たな英雄の誕生に沸くか。すべては、あんたたちの腕次第だよ」
雫は不安そうな顔をして、陽炎の服の裾をそっと掴む。
彼女は知っている。明日、自分が「器」として言葉を取り戻せば、それは世界の終わりか、あるいは再生の始まりになることを。
(…………陽炎、負けないで)
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白亜の都マーベラスが、かつてない熱気と、忍び寄る「黒い濁り」に包まれていた。
三年に一度開催されるマーベラスの最大イベントであり、国を挙げて開催される英雄祭。そのメインである御前試合。数万人規模の民衆が闘技場の出場剣士たちの勇姿を観ようと我先に集ってきている。
「…すごい賑わいだな。俺は領主推薦枠での本戦出場だが、どれ程度の奴らと戦うんだ?ノヴァさん」
陽炎が剣士控え室でノヴァへ視線を移す。
「そうね。御前試合の出場条件は剣使い階級の武位から超位。陽炎は剣使いではないが、領主推薦枠は相応と認められた特別枠での出場よ。私も剣使いで《皇位》の階級ため除外って訳」
ふーんっと陽炎と雫も頷く。
ノヴァが周りに聞き取れない小声で二人に伝える。
「陽炎という名は十五年前の狂戦士事件で誰もが知っている。そうなれば大概の者は名前だけで恐怖し御前試合は成り立たなくなるわ。だから今日の貴方の名は『メイロウ』よ」
「メ、メイロウ!?な、なんだよ変な名前だな」
陽炎が嫌そうな顔をしたのを見て雫とノヴァは腹を抱えて笑う。
なんでもカゲロウのカゲは影とも考えられるから、その反対の明るいという意味の明。読みはメイとも読めることから単純に『メイロウ』になったらしい…本当に適当だ…
「メイロウ……明るくて朗らか、か。俺のどこがだよ」
陽炎は不満げに頬を掻きますが、ノヴァに「いいから、その名前で通しなさい」と一蹴され、観念したように自分の出番を待つ。
賑やかな歓声の裏側で、雫が掴む指先にギュッと力がこもるのを感じ、陽炎は彼女の手に視線をやりながら安心させるように笑う。
「大丈夫だ、雫。……『メイロウ』として、サクッと終わらせてくる」
ファンファーレが鳴り響き、巨大な石門がゆっくりと左右に開いた。
砂埃が舞う闘技場へ足を踏み出すと、視界を埋め尽くす数万人の観衆から、雷鳴のような歓声が降り注ぐ。
陽炎――いや、メイロウの目の前に広がるのは、白亜の壁に囲まれた逃げ場のない戦場。
その最上階、領主専用の特別席には、豪奢な衣装に身を包んだ阿修羅が不敵な笑みを浮かべて座っている。
「さあ、本日の注目株! 領主推薦、謎の剣士『メイロウ』の入場だー!」
実況の声に合わせて、対面の門からも対戦相手が現れた。
「続いては、重戦車の字名をもつガルビアン!」
現れたのは、マーベラスでも屈指の巨躯を誇る重装歩兵。しかし、陽炎はその男を見た瞬間、眉を潜める。
鎧の隙間から見える血管が、あの地下で見かけた暴徒と同じように黒く濁って浮き出している。
(……あいつ、もう『薬』を盛られてやがるな)
陽炎は腰の木刀――修行の成果を示すためにあえて選んだ武器である。
そして静かに柄に手をかけた。
「始めッ!!」
合図と共に、ガルビアンが咆哮を上げて突進してきます。
薬の副作用か、その巨体からは考えられないほどの速度。振り下ろされた巨大な戦斧が、闘技場の石畳を爆発したかのように粉砕する。
「おおおぉぉ!!」
狂乱する観衆。しかし、陽炎の耳にはそれらの雑音が一切届いていなかった。
(……余計なものを削ぎ落とせ。怒りも、力みも、すべて『内なる檻』に閉じ込めろ……)
陽炎の視界から、色が消えていく。
迫りくる戦斧の軌道、男の呼吸、そしてその根底にある「黒い濁り」。すべてがスローモーションのように動く。
陽炎は一歩も引かず、ただ、ただ静かに、一歩を踏み出す。
(――引き算だ)
戦斧が陽炎の頭上をかすめる瞬間、陽炎の木刀がガルビアンの鳩尾に吸い込まれた。
衝撃音すらしない、静かな接触。
しかし、その一撃が通った瞬間、ガルビアンの巨体からどす黒い霧が噴き出し、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
一瞬の静寂。
何が起きたのか理解できない観衆は、一拍遅れて「今の、見えたか!?」と騒ぎ始めます。
「……しょ、勝負あり! 勝者、メイロウ!!!」
陽炎は、倒れた男の目が本来の色に戻るのを確認すると、木刀を収めた。
研ぎ澄まされた集中力が薄れていくと共に周囲の歓声が聞こえてきた。
(ーー先ずは、一勝)
特別席の阿修羅は、満足げに盃を傾けた。
(……いい筋だ。だが、次の相手はこうも簡単にはいかないぞ、陽炎)
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一方、観客席の片隅。
白いフードを深く被った人物が、手元の羊皮紙を破り捨る。
この人物は以前、マーベラスの下層街にある薄暗い交易所でチェスを弄んでいた《九商の一人》。
「……期待通りのようだ。ならば、更に盛り上げないといけないな」
その人物が消えた後には、かすかな硝煙の匂いと、一輪の黒い薔薇が残されていた。




