第四章 阿修羅 〜其の肆〜
翌朝。
陽炎は阿修羅に連れられ、領主館の地下深くに広がる『神代の修練場』へと足を踏み入れた。
そこは地上とは打って変わり、窓ひとつない巨大な円形石室。壁面には見たこともない幾何学模様の回路が刻まれ、中央に立つだけで、身体が地面にめり込むような凄まじい《重圧》が全身を襲う。
「……っ、なんだこれ、身体が……重い……!」
「ここは、古代の重力回路が生きている場所さ。並の剣士なら立っているだけで気絶する。だが陽炎、お前の『狂戦士』の血を制御するには、まずその有り余る力を『内なる精神』に閉じ込める訓練が必要なんだ」
阿修羅は涼しい顔で、一本の木刀を陽炎に投げ渡した。
「いいかい。今日から英雄祭までの間、お前に許すのは『一振りの一撃』だけだ」
阿修羅の目が鋭くなる。
「課題を言うぞ。狂戦士の荒々しい気を一切漏らさず、ただの『風』として剣を振ること。少しでも赤い気が漏れれば、回路が反応して重力がさらに倍加するからね。これは内なる力、つまり狂戦士としての暴走のトリガーを、自らの意思で完全にロックできるようにすることが目的だ」
「さあ、始めよう!」
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雫は修練場の入り口で、扉の向こうから響く激しい衝撃音を静かに聞いていた。
雫は自分の掌を見つめる。
記憶が戻ったことで、彼女は知ってしまった。自分がかつて、どれほど多くの「死」の上に生かされていたのかを。
(陽炎……私を助けるために、あなたが怪物にならないで……)
彼女の祈りに呼応するように、首元の痣が微かに色濃くなった。
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ノヴァもまた、陽炎が地下で阿修羅との修行をおこない、雫が領主館で保護されている間、『商人』が何処に潜んでいるのかを突き止めるため、街の闇市や非合法な闘技場に潜入していた。
白亜の都マーベラス。その華やかな光の下には、網の目のように張り巡らされた巨大な地下貯水槽と、そこを根城にする無法者たちの「影の街」が存在していた。
ノヴァは、その湿った闇の中に身を置いていた。
地上では「幾何学剣技」の美しさが競われているが、ここ地下では、生身の人間が獣のように殺し合う非合法な闘技が繰り広げられている。
ノヴァはフードを深く被り、観客席の隅からリングを見下ろす。そこでは、痩せこけた小男が、自分の三倍はあろうかという巨漢を、素手で引き裂いている光景。
「……あり得ない。筋肉が内側から爆ぜかけている」
ノヴァの冷徹な観察眼は逃さない。小男の血管は黒く浮き上がり、瞳は理性を失った濁った色に染まっている。
男たちが使っているのは、巷で噂される謎の強化薬。
「絶望を買い、力を売る」という触れ込みで、死の商人が密かにバラ撒いている代物のようだ。
「この薬……狂戦士の因子を人工的に模倣しているのか? 使うたびに命を削り、その苦悶を燃料に変えている……。悪趣味極まりないな」
ノヴァは懐から、先ほど闇取引の現場を叩いて押収した小瓶を取り出した。
中には、心臓の鼓動に合わせて波打つような、不気味な赤紫色の液体が入っている。
「おっと。白銀の処刑執行官様のお出ましとは、この場にはいささか上品すぎますね」
背後の暗がりから、粘りつくような声が響いた。
ノヴァが瞬時に腰の双剣に手をかけると、そこには道化師のような派手な装束に、死装束のような白い布を纏った『案内人』が立っていた。
「……死の商人の使いか」
「いかにも。我が主は、来る英雄祭を楽しみにしておられますよ。特に、『最高のヴィンテージ』……。あの赤い目の少年が、いつ、どのように『壊れる』のか。その瞬間こそが、商売の締めくくりです、ヒャヒャヒャ」
案内人は、気味の悪い笑い声をすると、指先で自分の首を掻くジェスチャーをして、影の中へと消えていった。
ノヴァは追おうとしたが、周囲の観客たちが薬の副作用で暴徒化し始め、行く手を阻まれてしまった。
「……。エデンはすでに、この街の根幹にまで毒を回しているというわけね」
阿修羅が言っていた通り、死の商人の狙いは陽炎の「暴走」そのもの。
地下でこれほどの薬が出回っているのなら、英雄祭の当日、闘技場全体が「惨劇の檻」に作り替えられる危険性がある。
ノヴァは領主館に伝えるため、地下を後にした。
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阿修羅の過酷な修行が開始されていた。
陽炎は力を「出す」のではなく「抑える」という、狂戦士にとって最も困難な試練に挑んでいた。
「ぐ……あぁっ!」
陽炎の足元の石畳が、みしみしと音を立てて沈み込む。
木刀を一本振るおうとするたびに、内側から溢れ出す《破気》が赤い気の奔流となって漏れ出し、それが修練場の幾何学回路を刺激して、重力がさらに彼を圧し潰そうとする。




