第二章 魔獣 〜其の肆〜
(えええええっ!? あの、ほっぺたが柔らかくて、私が寝かしつけていた、あの可愛かった陽炎が……。こんな、殺気を振りまく『死神』みたいな男になってるなんて!!)
戦闘の最中だというのに、ノヴァの頭の中は十五年前の記憶でパニックに陥っていた。
マスクで全体の顔は把握できないが、魔獣の邪気に当てられたせいではなく、純粋な「恥ずかしさ」で真っ赤に染まっている。
「……ノヴァさん、顔が赤いぜ。毒でも喰らったか?」
地龍の猛攻を紙一重でかわしながら、陽炎が不敵に笑って声をかける。
(…うるさいわね! 誰のせいでこんなに動揺してると思ってるのよ…)
(…あの時、私の指を握って離さなかった小さな手が……。今はこんなに頼もしく、私を守るために振るわれているのね……)
ノヴァの胸に、恥ずかしさを超えた「誇らしさ」が込み上げる。
しかし、再開に浸る時間は地龍が許さない。
――グガアアアアアアアアッ!!!
叩き伏せられていた地龍が怒りと共に咆哮する。
地龍の全身から、漆黒の泥のような魔力が溢れ出し、周囲の地面が生き物のように蠢き始めた。
「……ッ、くるぞ! 下がれ、陽炎!」
ノヴァが弓を構え直そうとする。だが、その腕を陽炎の言葉が射抜いた。
「言ったはずだ。そんな『ガラクタ』じゃ、その化け物の心臓には届かないぜ。あんたの魂が一番知ってるはずだ!あんたの居場所は、遠く離れた安全な場所じゃない。……血飛沫の舞う、最短距離だろ?」
陽炎の紅い瞳が、ノヴァのブルーの瞳を真っ向から見据える。
その眼差しは、彼女が隠し続けてきた「闘争への渇望」を容赦なく暴き立てた。
「……ふ。……ははは……」
ノヴァの口から、乾いた笑いが漏れる。
彼女は背負っていた業物の弓を、迷うことなく地面に投げ捨てた。
「……参ったわね。十三年ぶりに会った『息子』に、ここまで中身を見透かされるなんて。……ああ、そうよ。あんたの言う通りだわ」
ノヴァが腰の後ろ、甲冑の隙間に隠されていた「二本の短い柄」に手をかける。
彼女が強く握った瞬間、柄から白銀の光が伸び、鋭利な極薄の双剣が形成された。
「……忘れていたわ。風の音を聴くよりも、肉を断つ感触の方が、よっぽど私を昂らせるってことを!」
ノヴァの全身から、陽炎の黒紅とは対極にある、凍てつくような白銀の闘気が爆発する。
ノヴァの身体が、これまでの比ではない速度で加速する。
それは弓兵としての間合いではない。陽炎の言う通り、「血飛沫の舞う最短距離」へ踏み込むための、処刑執行官の踏み込み。
「――舞え!、【白銀閃光】!」
ノヴァが独楽のように回転しながら地龍の足元を滑り抜ける。
その一瞬で、地龍の硬質な鱗が、まるで紙細工のように数十箇所も切り裂かれ、白銀の光の尾を引いた。
「行くわよ、陽炎! 背中は任せたわ!」
「ああ……暴れようぜ、執行官サマ!」
木々が激しく揺れ大地が震えだす。
再起し、大地のエネルギーを角に集める地龍。
その目の前で、紅き狂戦士と白銀の処刑執行官が、同時に地を蹴った。
地龍ガイヤドラゴンの角に、大地のマナがどす黒く凝縮されていく。
周囲の石や砂が渦を巻き、巨大な重力波が二人を押し潰そうと襲いかかる。
「グルオオオオン!!」
地龍がその頭を振り下ろした瞬間、凝縮されたエネルギーが【地殻崩壊】となって放たれた。
「ノヴァさん、跳べッ!!」
「言われなくても!!」
陽炎が地面を殴りつけ、その衝撃で自身の体を空中に弾き飛ばす。
同時にノヴァは、重力波の僅かな隙間を縫うように、風そのものとなって地表を滑走した。
爆発が森を飲み込み、一面が白光に包まれる。
だが、その光の渦中から、二人の影が飛び出した。
【白銀閃光――第零旋!!】
ノヴァの双剣が、地龍の視界を塞ぐように無数の銀光を刻む。それは斬撃であると同時に、地龍の意識を逸らすための完璧な《囮》。
視界を奪われた地龍が、闇雲に爪を振り回す。
彼女は空中を舞い、自分を目掛けて振り下ろされた地龍の巨大な爪を、双剣で受け流しながら「足場」へと変えた。
「今よ、陽炎!!」
ノヴァが空中で手を差し伸べる。
「おうッ!!」
下から突き進んできた陽炎が、そのノヴァの手を掴み、彼女の遠心力を利用してさらなる超加速で地龍の頭上へと飛ぶ。
空中高く上がり急降下する陽炎。
その瞳の紅は、もはや発光しているかのように輝きを放つ。
「……これで、終わりだ」
陽炎が短剣を逆手に握り直し、全身の黒紅色のオーラを刃の一点に集中させる。
空気すらもその圧力で悲鳴を上げ、短剣が真っ赤に加熱されていく。
「――壊れろッ! 【紅蓮楔】!!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォォン!!
隕石が衝突したかのような衝撃。
陽炎の一撃は、地龍の眉間にある最も硬い「王の鱗」を粉砕し、その脳髄へと深々と突き刺さった。
「ガ……ア……ッ……」
地龍の巨体が、痙攣と共に硬直する。
やがて、その巨大な瞳から光が消え、山のような質量がゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちた。




