騙ましうち
大会の対戦に負ける5日目まで充実した毎日だった。
自分かアレクのどちらかに対局がなく空いている時間は、ずっとアレクの部屋に入り浸りだったからだ。
もちろんアレクとはチェスの対戦かその日の対局の検討ばかりだったけれど、その合間に時々は何度かえっちをしたりもした。
2度目はやっぱりちょっと痛かったけど最初に比べれば痛くはなかったし、少しずつ「気持ちいい」ということがわかってきたので結構えっちが好きになれた。
たくさんの兄弟に囲まれて育ってきたせいか、男性視点での情報は豊富だ。
男性がしたいと思った場合、するのを我慢するのが辛いことも知っている。
相手はアレクだ。
抵抗感はない。
逆にアレクが喜んでくれるなら嬉しい。
ベットの上で裸で寝転びながらアレクとチェスをして、くだらない話で笑ったり昔の事でケンカしたりもしたけれど、アレクと一緒にいられる時間は楽しくって幸せな時間だ。
アレクはけして冷たいわけでもない。
確かに感情表現が豊かな方ではないが、リラックスした表情で自然に笑ってくれたのが嬉しかった。
ずっと大人の世界にいたからだろうか、アレクは感情を隠すのが上手い。
本人は認めたがらないだろうけどそれはただ隠すのが上手いだけで、結構、感情の波があったりもする。
アレクは結構懐が広くとても大人だ。
何だかんだと揉めてもアレクの方が折れることが多い。
時々、何となく2人の間に壁を感じることもあった。
そんな時はまるで自分の世界を壊されたくなくて、アレクはその壁を必死に守っているみたいに感じた。
男の人ってあんまり密着されるのが苦手な人が多いみたいだし、兄貴達もこっちが嫌がってもしつこいぐらいかまうくせに、自分の感情が不安定な時は絶対に私の側には来ない。
それってたぶん男の人の大切な世界の1つなんだよね。
だからそんな時は出来るだけさりげなく、理由を作って自分の部屋に戻ったりしたりしてちょっと距離を置いてあげるようにする。
そのタイミングってすごく大切に思うから、なるべくアレクの様子を気をつけて見ていたからだろうか、一緒にいても結構いい関係でいられたのだ。
『チェックメイト』
『ああ~っ! またかよー』
『先読みが甘いな』
冷静な一言がズボッと脳天をつき刺す。
アレクに勝つにはもっと読みを鋭くしないと、まだまだ勝てなさそうだな……。
そう考えて、つい頭を抱える。
『えっと……、これで34連敗? ……だっけ?』
『36連敗』
『あ~う~……』
さすがにアレクは記憶力がいい。
『さてと、もうそろそろ帰国する準備に部屋に戻るかぁ~。アレクはまだ明日対戦があるんだよね。やっぱアレクが優勝かぁ~』
『当然だ。オリンピックともなれば国の威信がかかっている、普段の公式戦より身が引き締まるものだろう?』
『うー、まーね』
『今日負けたのは惜しかったが、日本代表でここまで残っていたのはヒカリぐらいだったんだ。それに素晴らしい成績だった』
チェスを片付けながら慰めているらしい言葉に、ちらりとアレクに向かって視線を流す。
アレクって本当に繊細。
落ち込んでなんていないような素振りを、一生懸命振る舞っていたというのにこうしてわかってくれる。
それでちゃんと慰めてくれるんだから優しいよね。
『日本は他の国ほどチェスが盛んじゃないからな。TVなんかで取り上げられない分気楽に帰国出来るけどさ。やっぱ負けるのはどんな時でも悔しい』
『……ああ、そうだな』
公式では負け知らずのアレクでも負けたことはある。
だからこそ負ける悔しさをアレクはわかってくれるのだ。
私は軽くアレクの唇にキスを落とし立ち上がった。
『今は負けてもいいさ。次は負けるつもりはないもん』
とりあえずアレクとはメアドとか住所の交換とかはしたし、ネット対戦する約束も取り付けた。
ただ……次はいつ会えるのかはわからない。
正直に言えばもっと一緒にいたかった。
でも2人とも住む国が違う。
そして環境も生活も立場すら違いすぎる……。
世の中には諦めなければならないことだらけだ。
『じゃ、またな!』
『……』
会えない時間を考えて少し寂しかったけれど、今まで会えなかった時間に比べたらたいしたことはない。
だから何でもないようないつもの調子で部屋にでも戻るように軽く手を上げ、アレクに挨拶をして部屋を出る。
本当はわかっていた。
私が想うほどアレクが私を想っていなくて、私を愛してはいないことを……。
でも、まだ2人は再会したばかりだ。
これから絆を深めていけばいい。
私の恋はまだ始まったばかりなのだから……。
そう思って帰国して数日後、いきなり自分ンちの玄関にアレクが立っていた。
『ヒカリ?』
「……な、なんでここにいんの?」
日本語がわからなかったアレクは私の言葉に訝しげな表情をする。
『あ、ごめん。どうして日本にいるのかって聞いたの』
『JCA(日本チェス協会)に頼まれて交換大使になったんだ』
『アレクが交換大使ぃ~?』
数年に1度、外国のプロ同士を交換留学みたいなことをする制度がある。
でもそれに選ばれるのはアレクよりずっと下のレイティングを持つ者だ。
アレクじゃ日本に来ても勉強にならないだろう。
だからアレクが選ばれるはずがないのだ。
「ありえねぇ嘘言うな!」
わざと日本語で返す。
『日本語は判らないんだ。いつものようにロシア語で話してくれないか?』
「わざと日本語で話してんだよ。馬鹿」
そうつぶやくといきなりアレクが反応した。
『いくら僕でも、今の、バカって言葉は知っているぞ!』
『へ~、他には?』
『挨拶程度の会話なら何とか話せる』
『どうせ言えるってだけで話せるわけじゃないんだろ?』
『……』
そのものズバリだったようでアレクは無言で私を睨んだ。
『……とにかく、それはおいおい覚えていくつもりだ。とにかく入れてくれ』
『は?』
なぜアレクを部屋に入れなければならないのか判らない。
どう見てもアレクはまだホテルにも行っていないようで、大きな旅行トランクを横に抱えているのだ。
『君が僕の通訳だ。僕が日本滞在中、君の空いた部屋に置いてもらえるって話になっているんだ。2ヶ月よろしく頼むよ』
『はい?』
にこりと作り笑顔で私に微笑むが、私には悪魔の微笑みにしか見えない。
つまりアレクは交換大使の滞在場所を勝手に私の部屋にしたってわけ?
しかもさらに通訳としてコキ使う気なのか?
ちょ、ちょ、ちょっと待て!
こんな狭いところに一緒に住むってか?
通訳するのはかまわないけど、うちワンルームマンションで空いた部屋なんてものはないんだぞ!
『勝手に決めてるな! 俺はそんな話聞いてねぇ!』
『ああ、急に来て驚かせようと思ったんだ』
ぜったいにそんな可愛い理由でここに来たとは思えないアレクの表情にカチンときてしまう。
「見え透いた嘘言うなぁーーーーー!!」
虚しい叫びだけがマンション中に響いた……。
※交換大使って制度はありません。
お話上の捏造です。