1-2 池袋の主
上空に定規を充てて描いたのだろうか。そう思えるほどに、葉の屋根で暗がりになったサンシャイニー通りには、直線で細い日光が射し込んでいた。その美しい光景は、普段の池袋に在る筈がない。風が葉っぱの屋根を撫でると、光も震えた。
神々しい池袋。
反面。暗がりの中で、魔物の眼玉は赤く睨みを利かせている。少し前の混乱が止みつつあり、悲鳴は息継ぎを経て響く。神々しい森林世界に食べられつつある現実世界は、響く悲鳴と魔物の存在によってギャップが産まれ、一層悪魔的な雰囲気である。
僅か一〇分の時間、ソラと夢夢は地獄絵図の中を飛び回ると、サンシャイニー通りの入り口、池袋駅東口正面出口を目視できる位置に戻ってきた。
何人助けたかは既に数えきれない。重点的に見回りを行った東口方面に、僅かな血痕は在っても遺体は見てとれない。
それでも少年の、包帯の下にある表情が浮かないことは、夢夢には容易に伝わっていた。
夢夢は、丸い腹の肉を寄せて三日月に乗っかかり、だらしなく飛びながらも、円らな瞳をめいっぱい輝かせた。
「ソラ様ぁ。結構助けてるじゃないですかぁ! やりますなぁ」
「うーん……いや、もし異世界化が前回と同じ半径1キロ範囲だったとして、僕が飛び回っていたのは東口方面だけだ。別方面ではもしかしたら……沢山の人が死んでるかも……」
夢夢は円らだった目を細め、輝きをすっぱりとしまい込む。
「おいソラ様野郎。魔王という人殺しに僕は救われている…………とかなんとか暗ぁぁああい感じだったから気を遣って明るく振舞ったのに台無しです。謝れです」
「様野郎って何!? いや被害状況の予測であって、ネガティブとかじゃないよ!?」
夢夢は三日月の上で、上半身だけを使い、前脚を振り乱し耳を尖らせる。
「っはー! 人間が多く死んでるなんて、んなこたぁ今更の今更なんですよ! 出した成果に喜びを見せたほうが士気も上がって、可愛げがあるってもんでしょうがぁ!」
「えー……」
「さぁ、これから僕は可愛くありたいと思いますにゃん、って謝って下さいです」
「にゃんって必要!? …………ぼ、ぼ、僕はこれから……」
「む。ソラ様!」
「聞けよぉぉお! そして何だよ!」
「何か五月蠅くないですか?」
「………………え?」
池袋駅東口正面出口から真っ直ぐ伸びる道路。その道路のずっと奥側。遠くから枝が折れる音が聞こえる。
バキバキバキバキバキバキバキバキ、と音が迫る。
そして。
────音はソラにぶつかった。
「ぃ……ったい!!」
ソラの両足が剣から離れ、木の根と土が乗り合っているコンクリート地面へ、肩から突っ込んだ。
ソラに当たったのは風。斬撃性を孕んだ突風。パーカーと一緒に、ソラの身体に切り傷が入った。焦りながら両手を顔に押し当てる。幸い包帯に異常はない。
「ソラ様ぁ! ご無事で…………超ウケますね!」
「言い直すなよ! それより何が起きたんだ!?」
再び音が迫る。葉が順番に鳴く。枝が順番に泣く。
ガサガサガサガサガサガサガサガサ。
バキバキバキバキバキバキバキバキ。
先刻喰った突風よりも、遥かに音量を上げてソラと夢夢へと迫る。音のする東口正面道路を真っ直ぐ奥へ行った道路を見ると、黒い影が豪速で迫ってきていた。
「……な……何だ……?」
そして。
黒い身体が羽先に掛けて赤くグラデーションしていく身体が少し遠くに見えた。散々倒した筈のイケミミズクだが、違和感があり、凄いスピードで近寄って来る。羽を枝に引っかけながら。木に触っても止まることはなく。痛そうな素振りも見せず。
ソラの近くまで寄って来た時、それが四メートルはあろうかという巨体だったことが、よくやく理解出来た。
巨大イケミミズクが嘴を先にして、ソラへと突進してくる。
「わ……わぁ……ぁああ……うわぁあああああ!!」
脱兎。無慈悲に、夢夢はソラよりも早く、三日月の乗り物を駅へ向けて逃げ始める。迫りくる巨体が縮める距離と比例して、ソラも悲鳴の音量を上げ、足元の剣のスピードを限界まで引き上げて、一目散に逃げる。
しかし。
駅方面へ飛び出し、背中に脅威を感じながら、ソラは夢夢に「助かった」と声を掛けた。
「ねぇ夢夢! アレきっと僕らが探してた……ボスでしょ!?」
「多分そうですぅ! めっちゃ甘い匂いがしますのでぇ!」
「じゃあ逃げてないで戦わないとだよね!?」
「いえ、一端駅へ逃げましょう!」
「な、何か作戦が!?」
「ふぁい! 駅前は青空を隠すほどの木はありませんでした! ソラ様により小型イケミミズクも多く倒されています! つまりは空中スペースが多く、万が一の事態が起きても逃げ場はあるです……そしてソラ様がボスを引き付ければ…………バクの安全が確保されます!」
「──この野郎ぉおおお!」
スピードは互角。差は離せないものの縮まらない。深く一つ息を飲みソラは覚悟を目に宿した。
池袋駅東口正面出口、ロータリー前。異世界化が始まって一〇分の時間が経っていた現在。人々は避難を終え、既に駅前は無人、無音。戦うにはうってつけの状態。
近距離に浮かせていた剣に意識を置くと、ソラは踵に重心を置き、二つの剣を低空に置き去りにして直角に翔け上がった。
回避と攻撃の同時行動。
真っ直ぐと飛ぶ巨大イケミミズクの先に、ソラの残した二つの剣が刃を寝かせて待ち構えている。
ソラは思わず「よしっ」と言葉を零したが、剣はボスの突進に弾かれ、ガイーン、と情けない音と共に、何度かの回転を経て地面に落ちていった。
「っげ」
「ソラ様ぁ!! ぜーんぜん効いてないっぽいですけどぉ!?」
離れた空中から夢夢が喝を上げた。包帯の隙間から覗くソラの目は死なない。
────これはもう、シューティングゲームじゃない。
決意新たに両手を左右へ伸ばしきり、再び二つの片手剣を呼び戻す。
「ソラ様ぁ!? どうするんですかぁ!?」
「これは……ハンティングアクションゲームだ!」
「なんですかそれー!」
日本が誇る世界的ヒットゲームメーカー株式会社CAPCOL。
多くのヒット作品の一つに、モンスターハンティングアクションゲームに分類される『MONSTER BASTARD』という作品が存在する。
多数の魔物を多く狩るゲーム性よりも、一匹の魔物との対峙に重点を置いていた。モンスターという凶悪性や迫力を、目の前に捉えた臨場感は画面を通して伝わり、此方が何度攻撃を与えようが相手はなかなか倒れない。
しかしプレイヤー側が攻撃を喰えばどうかといえば、難易度によっては三回の攻撃すら耐えられなかったりもする。切りつけ、回避し、弓を放ち、爆弾を仕掛け、罠に陥れ────いくつもの手段を仕掛けて一匹を追い詰めていく。集中力を切らすことはゲームオーバーを意味し、緊張感の継続は必至。
そのゲーム性が、巨大イケミミズクとの対峙している現状と近いとソラは捉えた。
────背後。背後にコントローラーを握った僕が居る。
ソラは意識を変化させる。そして、このゲームには、幾つかのコツが在った。
「ソラ様ぁ!? 何とかなるんですかぁ!?」
「モンスターバスターの基本、その一!! 相手の正面に立たない!」
「ぇえ!? なんですかぁ!?」
「夢夢はもっと離れてて! 万が一近寄って来たら相手の正面にいないようにして、回避に徹して!」
言いながらソラは、ボスから見て左斜めの位置へ浮遊する。ボスはふわっと羽を広げたかと思うと、勢いよく羽を後方へ折りたたみ、自分よりも上に浮いているソラへ嘴から突っ込む。
ソラは素早く横へと、ズレるように浮遊を行う。ボスがソラの横を通り過ぎる形となり、ソラはそのまま回り込むと、黒く巨大な背中へ着けた。
「モンスターバスター基本、其の二! 攻撃は、相手の攻撃の直後!」
叫びを上げて基本をおさらいし、自分に勇気を埋め込む。
────さっきの攻撃じゃあ、撫でたに等しい。攻撃が入らなかったのも納得だ。それならば“突く”という攻撃方法ならどうだ。しかも思い切り。強い意識を込めて。
ソラはボスの背中に向かって、二本の剣の切っ先を向けて浮かせた。
手先を広げて右腕を勢いよく突き出す。それは張り手のように。
────意識操作だから、そんなモーションを取る必要はないけれど。何か。その方が早く飛びそう。
そうやって。
巨大イケミミズクの背中に剣を突き立てた。
が。二本の剣は跳ね返り、またしても落下し、地面の上で情けなくカタカタと小刻みに震えて見せた。
「……うーわ……」
「ソラ様ぁ! 回避ぃ!!」
ボスは首から上だけを、ぐるんとソラへ向けるといった、いかにもミミズクらしい行動を見せた。紅い真ん丸を、更に大きい黒い丸が囲んでいる眼球が目の前にある。その紅い丸には血管も発見出来ない。
────なんて無機質……僕を殺したいのか、食べたいのか。僕に興味があるのか、ないのか。何もわからない。無感情が、怖い。
ソラは生を諦めた。
捻じ曲がっていた身体が、羽を広げて、ぐるんっと頭に着いて来るように回った。ソラの身体は羽先に巻き込まれていた。
旋回攻撃にぶっ叩かれたソラは、数多の枝を突き破りながら、東口正面にあるドラッグストアのビルに『薬』の文字が赤く大きく設置された出っ張りへ背中からぶつかって、そしてようやく止まった。
「ゴホっ!! ゲホっゲホっ!! あぁあああ……ガハッ……はぁ……はぁ……ぁぁぁ……ゲホっ!!」
叩かれる瞬間に防御した腕は痺れ、痛く、そして熱い。
それよりも背中が痛い。枝がクッションになっていなかったらと思うと背筋が凍る。
大量の葉がソラの姿を覆い隠し、多くの枝に絡み合うことでソラの身体を木の上で捕まえていた。
「空様ぁ!? 無事ですかぁ!?」
「うん、ゲホっ……基本その三……ゴホっ……攻撃後は直ぐに回避……ゲホっ……ヒットアンドアウェイを忘れてた……」
────早く。早く態勢を立て直さなければ。ボスが追撃してくる筈だ。
痺れが残る両手を無理やり動かし、身体に絡む蔦を剥ぎ取りにかかる。
────いや馬鹿か僕は。こういう時こそ魔法だろうよ。
小刻みに震えながら、半開きに手を広げ意識を集中させ魔法陣を出現させる。
取り出した片手剣が、独りでに踊っているかのように蔦を切り裂いていく。
────おかしい。ボスが追って来ない。
吹き飛ばしておいて、まさか見失ったのだろうか。
ソラは疑問を抱きつつも、突然手にした追撃されない幸運に甘えた。
────兎に角、一息つきたい。せめて腕の麻痺感覚が完全に取れるまでは。
「ソラ様ぁ……どうしましょぉ?」
「はぁ……ゲホっ……やっぱりゲームとは違うってことだねぇ……魔法って万能じゃないねぇ……」
葉を隠れ蓑にしながら、蔦がソラの身体を離そうというところまで来ると、木を両手で掴み、足を掛け、木登りを行った後のように木の上でそのまま立ち上がる。痺れが引くのを感じながら、どこかへいってしまった飛行用の片手剣を出現させる。
「ソラ様ぁ。異世界化圏内にいる魔物を自動感知し、自動追尾して全て滅すミサイル魔法とか手に入れればよかったのにぃ」
「んな無茶な……魔法を手に入れる前までは魔王の存在も知らなかったし……っていうか僕がビックリしてるよ。手に入れた魔法が……ゲホっ……こんなルール付きの魔法だなんてさ……あー……イテテテ……」
葉を掻き分けて現れたソラの帰還へ、夢夢は目を吊り上げ、「根暗が魔法に出てますよねぇ」と出迎えた。
「現・実・主・義・ね! 根暗は卒業したんだよ」
「お。一撃喰って心が折れてるかと思い、茶化そうとしたのですがお元気そうで」
「おかしいおかしい。心が折れてると思ったなら茶化して遊んだらいけません」
夢夢はきゃっきゃと前脚を叩く。
「ほいで、その現実的思考のソラ様は、何か勝てる算段でも立ちましたかぁ?」
「うーん……ゲーム的発想だけど、物理攻撃が入らないのかもしれない。もう少し魔法っぽいもの……炎とか使ってみよう」
「お。いいですね。逃げる計画でも立ててたらどうしようかと思いましたよぉ」
「モンスターバスターの基本、その四。何度か死ぬほどに上手くなる、だよ」
「…………死んだら駄目ですけどねぇ」
「…………た、確かに」
再び剣に乗り身体を浮かせ、葉から出る。
巨大イケミミズクの姿は、未だ東口前にある。目視できる。場所で言えば駅ビルとなっている東武百貨店が背景にある。ボスの巨体が、百貨店ビルの半分以上を塞いでいた。
しかしボスはソラを見ていない。ソラから見えるのは巨大なミミズクの魔物が、横を向いている横顔だった。
コソコソと乱立した木の影で浮きながら、奇襲をかける隙を伺う。
「夢夢……何でボスが追撃してこないか知ってる?」
「いんやぁ……バクは直ぐソラ様を追いかけてきましたのでぇ」
「まぁ何かしらの理由があるのかな。あり得ないなんてことはあり得ないもんね」
「ソラ様、最近それ口癖ですよねぇ。なんですかぁそれ」
「魔法を手に入れた時に思ったんだよ。あぁこの世界で説明がつかないことなんて、本当は一つもないのかもしれないなぁってさ」
夢夢はふぅむ、と納得の様子を見せる。
「まぁ確かに。魔王が現れて、本来人間世界に存在しない筈の生物であるバクに出会って、そりゃぁそんな考えにもなりますよねぇ」
────ピュルルルゥウウウ!!
と、ボスが喉を鳴らした。羽を広げ威嚇態勢を取り、それで発生した風が、辺りの葉をざわつかせた。それはソラへ向けた威嚇ではなく、何者かに向けて威嚇を放っている。
「何だ!?」
「ソラ様! ボスから少し離れたところ! 植木の影!」
池袋東口出口には、元より緑が全くないわけではない。植木や数本の木々は存在する。今は森林世界の一部に取り込まれてしまったような景色だが、その植木が影になっていて、ボスが何と対峙しているかがわからなかった。
ソラが高度を上げ、ボスの足元へと目を凝らす。
「──お、お、お、女の子ぉ!?」
「……何かするみたいですよぉ」
あり得ないなんてことは、あり得ない。
それはいわば、必然性のない出来事などないとさえ言ってしまえる。
どんな現象にも、理由、根拠がある。
そう考えるソラは、謎に直面すると即座に理由を探すのが癖づいていた。
しかし、今回はソラの脳のキャパシティを越えるほどに、謎が次々と溢れて来る。
処理が追いつかず言葉になって零れ出る。
「な、何であの人、髪ピンクなの!? 茶色から始まって毛先がピンク! 何であんな露出狂みたいな服なの!? 何あれコスプレ!? コスプレイヤーさん!? セクシーナースか何かのコスプレ!?」
夢夢は五月蠅そうに、耳をへたっとさせ閉じる。
「もうバクの知らない言語ばっかりで何を言ってるかもわかりませんけど……少しテンション上がってる感じは伝わりましたよ。ソラ様が思春期を刺激されてる盛り野郎だってことも理解できます」
「盛ってねぇわ! だがテンションが上がったのは否定できない!」
「…………あの人、本当に人間ですかぁ?」
「……え?」
距離を取り、宙に浮き、女性を見守っている。彼女は左脇に本を広げながら抱え、右手をボスへ向けて真っ直ぐと伸ばし、手先を広げている。
それはまるで、ソラが魔法を使う時のように。
そして彼女は叫ぶ。
「────閃光の矢!」
彼女の右手先が強烈に光り、その閃光は力強く集束し、巨大イケミミズクの黒い胴体中心へと勢いよく着弾した。
驚嘆。ソラは言葉を失った。着弾で発生した煙が、彼女とボスの姿を濁す間に考察する。
頭の天辺に、ちょこんっと乗った白い帽子。茶色から毛先に掛けてピンクへグラデーションしていく髪色。ボブカットで、毛先は緩やかにカールされ、身に纏う衣服は白くワンピース型。白いアームウォーマーと白いニーハイソックス。看護士さんと形容すると丁度いいが、それはコスプレ風といってしまったほうが適切。
薄い煙が視界を汚しても、彼女の姿は脳に焼き付いて離れない。
────避難が完了しつつある池袋駅は無人の筈が、何故彼女は一人でボスと対峙しているのか。
────あの格好は、僕と同じくサブカルチャーを嗜んでおられるのだろうか。
────いや、っていうか今の魔法?
────え、魔法を使える人間が僕以外にもいるの?
────おっぱい……大きかったな……。
────何でそんな卑猥な格好を……。
次々に上がる疑問が、遂にソラの脳内処理を爆発させ、「…………あり得ない」
ソラは呆けながら言葉を零した。