戦闘家政婦―ジュン 2-1
ある日ジュンが見舞いに来た時に、マキタは言った。
「もしお前が乗りたければ俺のバイクはお前にやる」と。
そのことをマキタの叔父幸三に伝えると「あいつがそう言っているならそれでいいんじゃねぇか? どうせ持っていたって乗れねぇんだ。だったら一番近くの奴に乗ってもらいたいって気持ちも解らんわけじゃないだろ?」と。
確かにそうだった。だが荷が重いとも思った。高価なバイクだからではない。彼の父から引き継いだ、いわば形見の品を自分などが転がしていいものかと考えたのだ。
「あいつも不憫だよ。両親を失って挙句は腕まで失った。神がいるなら恨み言の一つでも二つでも、いや――いくら言っても言い足りないぜ」
幸三は顔を伏せ鼻から重く湿った息を吐いた。
「あの、マキタは言いたがらなかったから今まで訊いたことはなかったんですけど、飛行機の事故……」
ジュンは訊きながらもこの幸三とてマキタの父の弟なのだ、という事に改めて気づき言葉を濁した。
「かまわねぇよ。気を遣うな。それにもう吹っ切れてる」幸三は顔を上げて拳でジュンの二の腕を小突いた。DFSのコンソールの肘掛椅子に座り、傍らに置いた煙草の箱を取り上げるとポンポンと指先で弾いて、煙草を取り出し口にくわえた。
「ハイジャックだよ。自殺志願者のな」
「自殺……」
「いまから十二年前、二〇三〇年に何があった?」幸三はうつむき、手をかざして煙草に火をつける。
「次元、物理委員会が設立……」
「ははっ、ジュンらしい答えだ。そうだ世の中に驚くべき技術、この次元物理科学を応用した次元転送装置が発表された年だ。無論民間普及するなんざその時点では夢のまた夢の段階だったんだがな」幸三が吐いた煙は、その夢のような装置のコンソールの画面を文字通り煙に巻いた。
次元物理科学の公式な歴史では次元転送元年とされるこの年、紆余曲折を経てサイアス・ミラー博士により超次元理論とともに、次元転送技術が世界に向けて発表された。
ミラー博士はこの功績を元に、国際次元物理科学委員会『デフィ』を立ち上げ、神速のごとき勢いで物理学会の頂点に駆け登った。
そして、山吹大輔が率いる日本DNS株式会社もこれに続いて起業した。
これより先は多くの研究者が従来の物理学を見切り、次元物理科学へと転向していった。そのためほんの数年で次元物理科学は、当時の最先端技術の粋であった宇宙開発事業にも参画するまでになった。
実質地球上の科学はこの一年間だけで換骨奪胎の大変革を行ったと言ってもよく、あらゆる社会変化が起きることを予見するには十分すぎた。ましてや旅客機を操縦するパイロットなど、自らの職を失うのではないかという不安に駆られるのも無理はなかった。
「それで、自棄を起こして飛行機を墜落させた……?」
「まあ、そんなところだ。まだ当時は情報も錯綜していたからな。人体が転送できないなんてことも知らされてはいなかったし、生体転送を禁止する法律も出来ていなかった。ま、かといってやったことは許されるべきことではないが……自棄になる気持ちはわからんでもない」
幸三がそういうように、次元転送の普及はあらゆる職業をこの地上から駆逐したと言ってもいいだろう。営んでいた運送会社もやがて数年後には成り立たなくなった経験を経ているからこそ、幸三がこのようにテロリストまがいの自殺志願者を擁護するような言い方をするのも一定以上は理解できた。
「だが、機体が堕ちたのは幸い東京の沖合だ。着水の衝撃だけでも無事とは言えんが、地上に堕ちるよりははるかにましだった。捜索と発見までに丸一日を要したが生存者も多かった。陸地も遠くはなかったからな、重傷者の多くは病院へと搬送された。あいつの両親、兄貴と義姉さんが陸で息を引き取れたのも幸いだった」
「そうだったんですか……」
「ま、今際の際に会えたのも幸いだがな。だがな、兄貴の最後の言葉が“ハーレーは息子に譲る”だ。死に際に言う言葉がそれだぜ? 他に言うことないのかよって、さすがに笑っちまったよ、涙も出ねぇ……」
幸三は嗤い、二本目の煙草に火を着けて、長い煙を吐いて顔を逸らした。
「すこし、考えさせてください」
「ああ、別にかまわねぇ。乗る気になったらいつでも取りに来い。いつでもエンジンはかかるようにしておいてやる」
ジュンは幸三に礼を言い、MAKITA転送を後にした。
家に戻る途中、遠回りをして夜間も営業している近所のショッピングモールへと立ち寄った。そこここで何度となく同じ年頃の女子から視線を浴びた。ジュンにとってはいつものことで、ハーフという顔立ち故に目立つだけでなく、そのもちまえの容姿の端麗さは人々の視線を惹きつけた。
ジュンは今まで異性と付き合ったことはなかった。正確に言えばジュンには異性と付き合うという事がどういうものかわからなかったし、言い寄ってくる異性も居なかった。
だが先日、夏に出会って冬の大阪で再会した野宮香苗という彼女から、バレンタインデーのチョコと共に告白を受けた。香苗は地元ではカナと呼ばれておりジュンもそれに倣って“カナちゃん”と呼んでいた。
カナは律儀にも二月十四日にリニアに乗ってジュンに会うために東京まで来て、チョコを渡し愛の告白をした。さすがにそこまでする彼女の行動力に驚いたジュンだったが、人生で初めて異性から好意を伝えられたことには喜びを感じた。
子供の頃から感情に乏しいと陰で思われていたことは知っていたし、それが普通ではないのだという認識もあった。特に十歳までいたはずの京都の日本海の漁村での出来事は日焼けした記憶のようにフォルムがはっきりとしていない。ただ、あの時以来海に入ることが怖くなり、池やプールなどの大量の水たまりを避けるようになった。
あの境目にもなった八月。ジュンの父がアメリカでの災害取材途中で亡くなった。
毎年のように海外に出張していた父から誕生日には海外から珍しいお菓子やおもちゃが送られてきていた。思い返せば物心ついたころから家族三人で誕生日を祝われたことなどなかった。いつも、母と祖母とジュンでケーキを囲んでいた。
記憶が曖昧なせいもあるが、父との思い出はほとんどない。一緒に映っている写真すら数える程しかない。
当時ジュンの父親がいたフロリダ州のマイアミ市街は史上最悪のサイクロン被害に遭い、その中でジュンの父ジャック・マレーはフリージャーナリストとして冠水した災害の現場にいたそうだ。だが、そこで何者かの手によって命を落としていた。
地元警察の話によると、サイクロンの真っただ中を歩き回るような人種は消防や警察の他にマスコミと、そして犯罪者しかいない。おおかた御仁は災害の混乱に乗じた火事場泥棒と出くわし、もみ合いになったのではないかと告げられた。
ジュンの母スミレはジャックを荼毘に付し、研究室のある東京に戻った。それと同時に母と息子のジュンを呼び寄せたのだ。
ジュンにはっきりと連続性のある記憶を有しているのは東京に来てからの事だ。それ以前はまるで自分が自分でないような感覚ですらある。なぜ自分が水を怖がるようになったのかもわからないままだ。
ジュンはこのことを人に訊かれると決まって「子供の頃に海で溺れたから」だと説明していた。自分でも友達が溺れた姿を見て恐怖心に苛まれているなどというのは格好が悪いと感じていたのもあるし、実際はあの時そう思って恐ろしくなったのではなく、何か自分とは違う意識が体に入ってきた感じがした、という説明不能な状況にあったからだった。
もっともそれを客観的に観測することも出来ないのだから、思い込みと言ってしまえばそういうものだといえるし、長く幼少期を過ごした土地から離れたことによる、心理的変化がもたらした錯覚かもしれない。




