戦闘家政婦―ジュン 2-2
「困ったな……見繕っておくとは言ったものの……」
ぼんやりとカナの事を考え、同時にもう一人の大阪で知り合った女の子――加納恵と、彼女がお手伝いをしている家の小学生の女の子へのお返しも考えなくてはいけない。
特に恵からはジュンとマキタ宛へそれぞれもらっていて、義理だというアピールは解るにしてもマキタのほうは本命であることに間違いない。
なぜなら、ジュンに宛てられたものとマキタに宛てられたチョコは明らかにサイズが違っていたからだ。
「恵さんって……わかってやってるのかな? なんか、女心ってわからないや」珍しくジュンは独りごちたが、苦笑いを漏らしたのはそれだけが理由ではない。彼女は高校生でありながら日本DNSのCEO山吹大輔邸宅にて家政婦、そして次元転送社会治安部隊GODSの隊員。
「いや……恵さんは大変だな……マキタの事は僕が、何とかしてみせるから」
ここ数日凍るような日が続いていたが、今夜は打って変わって温かい。風もなく昼間の春の陽気がまだ停滞しているように感じる。目を瞑ると、どこからか流れてくる花の香りが鼻孔をくすぐる。穏やかで優しい気持ちになれる。
ところが、突然の轟音がそれらを全て消し去ってしまった。
旧型のディーゼルエンジンのトラックがもうもうと煙を上げてジュンの横を低速で走ってゆく。荷室になっているアルミパネルの横っ腹には、かつての運送会社のロゴと“人から人の手へ、私たちは真心をお届けします”といった文言が書かれている。
次元転送社会に反発し、頑なに従来通りの運送手段を手放さない一部運送業者がとった行動がこれである。
今となっては船便やトラックによる配送にメリットらしいものは一切ない。だが次元転送社会により急激にシェアを奪われた彼らの言い分としては、大切な荷物は人の手により人へと手渡されるべきだというシュプレヒコールを盾に、半ば社会活動団体の態を成しながらその文言に共感する者達の間で広がりを見せている。
無論、数十年前に定められた都下二十三区内でディーゼルトラックの運行禁止はもとより、内燃機関車両の乗り入れも新たに禁止されているため、これらの団体の活動領域はジュンやマキタの住まう八王子を含む首都圏周辺においてが活況である。
彼らの行いが法に触れる訳ではないが、マイアミ事件という中米の運送関係者が核となって組織されたカリブ共同戦線によるテロ事件に鑑みれば、日本での反次元転送社会団体の規模は小さいと目されているものの、公安がこれを危惧しないわけにはいかなかった。
これらが本家のカリブ共同戦線の性質より悪いのは、そこに新興宗教の『麒麟光浄真心会』という団体が少なからず関与していることである。
麒麟光浄真心会は十年前に法人格を取得した日本でもっとも新しい宗教法人で、通称麒麟会と呼ばれている。
教義は既存の宗教に寄らない一風変わった教団で、ともすれば次元転送社会の到来を予見したかのようなタイミングでの設立とも言えるほど、次元転送あるいは超次元理論ありきの教義となっている。
開祖は六角堂聖人という、まだ三十代と思しき若い男でその容姿にも一定以上の信者獲得効果があるほど、端正な顔立ちとスマートな言動、けして動じない沈着な振る舞いは老若男女問わず人々を魅了する。
既存の新興宗教といえばどこかしら怪しげな部分を秘めた、金のにおいがする組織と相場が決まっていたものだが、麒麟会は布施に該当する集金システムが何もなかった。
法人を運営してゆくにはある程度の財力が必要であり、その運営資金となるのは布施でしか賄えないのが宗教法人の宿命ともいえるのだが、彼らはそれをしなかった。
無論、“善意の寄付”は黙っていても入ってきたであろうことは想像に難くないが、あからさまな集金を行わない姿勢は行き場のない若者を中心に一種のコミュニティ的な位置づけで受け入れられている。
実際六角堂聖人はテレビメディアにも多く登場し、タレント並みの扱いを受けている。つい先日など写真集まで出し、売れに売れたのだというから公安筋も眉をひそめながらも苦笑いするしかない。
では、問題のその教義というものがどういったものなのかというと、運送関係者からも支持されるようにやはり第一義は “物質及び生体の分解の拒否”、“並行次元への不干渉”つまるところ “次元転送技術の不要性”を説く。
彼らにしてみれば次元転送技術は人間が本来手に入れるべきものではなかったという。
与えられた物質と与えられた時間、そしてこの空間。これらが持つ理を人間は捻じ曲げてはいけないというスタンスに立っている。
これに呼応する別の宗教法人も多いが、麒麟会が他と一線を画したのは“天上の月こそ人類が崇めるべき存在、生命を司る母である”という文言だった。
月に恭順せよ。
彼らはこう説く。
人類は月より生まれ月の支配下において地球文明を築き上げてきた。だが人類は争いを重ね幾度となく滅びの危機を経験してきた。この人類の愚かな行いの原因、それは見かけ上もっとも影響力のある恒星、太陽の理により運行してきたためだという。
古くは神の象徴として、いずれの古代宗教も太陽を神として据え置き、太陽神という崇高なる存在として崇め奉った。生物の生命線である食物を豊かに育てる太陽は豊穣の神としてあるべき姿に映ったであろう。
しかし太陽は人類にとって恵みばかりを与えたわけではない。容赦のない、果てしない熱と光、それすなわち地を焦がし、草木を枯らし、水を空へと吸い取ってしまう。それはやがて雨になり地上の湖沼、河川、海洋へと還元されはするがそれだけのことだ。太陽はただ淡々と機械的に自ら発する炎によって地球に影響を与える存在でしかない。
太陽の存在なくして生命活動はもとより、文明へと進化する生産活動も行われないと断じることはできるが、結果として人類は太陽の理に乗りかかり機械的に肥大する欲望を振りかざしてきた。
深く思慮することもなく。
太陽が象徴するもの、それは地を統べる強大な畏れに値する神などではなく、動植物を含む地球という惑星の機械的生命活動を行うための部品の一つに尽きる。
麒麟会は太陽単体でも生命は地球に根付いただろうとしている。だが月がなければ意識と知性を兼ね備えた生命体は発生しなかっただろうと説いている。
月には人間の生態と符合する不思議なリズムがある、とされているのは何も神秘主義者だけの主張ではない。
月の満ち欠けの周期で表されるように、女性の月経周期や細胞の生まれ変わりの周期は約二十八日とされている。
そして月の引力による潮の満ち引きがあるように、生体の約八十パーセントは水分で構成されている人体も、女性でなくとも多大な影響を受けるとされており、新月の夜に出産が多い事や、各種の衝動心理などが増幅され精神にも関与しているという。
また有名な故事では狼男伝説などがあるが、満月の夜には錯乱し狂暴化するライカンスロピィ(狼症候群)という症例が実際にある。
月の引力が人体に影響を及ぼすこれらは『バイオタイド理論』と称されており、一定の市民権を得ている。麒麟会の主張があながち荒唐無稽なロマンティシズムに形どられたものではないことを裏付けていると言える。
買い物を済ませたジュンは八王子の夜空の雲間にぼんやりと浮かぶ、おぼろげな月を見上げていた。




