一幕
「だから、なんで俺なんだよ」
シャロウの前に、黒い衣装が突き出された。
襟が妙に高い。胸元には赤い布まで縫いつけてある。
「女性陣だけじゃ格好がつかないだろ。男も一人くらい参加しろ!」
「他にいるだろ」
「みんな逃げた!」
「じゃあ俺も帰る」
衣装を押し戻し、シャロウは扉へ向かった。
待て、と叫ぶ声は、扉と一緒に閉じ込めた。
町には、すでに灯りがともり始めていた。
軒先に吊るされた飾りの下を、小さな魔女や怪物が駆けていく。 菓子をねだる声に、店先の大人たちが笑っていた。
ハロウィン。
古くは、人の世界と異界との境が薄くなる夜だったという。
今では仮装をして菓子を食べる祭りで、狩猟組合も今年は町の人々との関係を良くしようと催しを開いている。
しかし、そのためにあの襟を着ける気はない。
研究棟へ続く坂を上っていると、向こうから銀色の髪が近づいてきた。
「……有紗?」
黒い衣装に、小さな角。
背中には翼があり、歩くたびに細い尻尾が揺れている。
少女はシャロウの脇を通り過ぎた。
「おい、有紗」
呼んでも振り向かない。銀色の髪は、そのまま坂の下へ遠ざかっていった。
シャロウは足を止めた。
あいつが、一人で町へ?
研究棟を見上げ、もう一度少女の背中を見てから、坂を上った。
◇
「有紗様でしたら、お部屋でお休みになっています」
リネットは書類から顔を上げた。
「さっき外で見たんだけどな」
「有紗様を、ですか?」
「ああ。悪魔みてぇな仮装してた」
傍らのリュシアンも首を傾げた。
「今日は外出していないと思いますけど……」
「部屋、確認していいか」
リネットは書類を置いた。
「私もご一緒いたします」
二階へ上がり、リネットが扉を叩いた。返事はない。
そっと開かれた扉の向こうで、有紗は眠っていた。
枕に広がる銀色の髪。毛布の端から覗く頬。寝息に合わせて、胸元がゆっくり上下している。
「……いるな」
「こちらでお休みです」
シャロウは寝台の傍らまで行った。
顔を覗き込んでも、やはり有紗だった。
「……ちょっと、確認してくる」
廊下へ戻ると、リュシアンが待っていた。
「町へ戻るんですか?」
「ああ」
「それなら、仮装していった方が溶け込めるかもしれませんね」
「……は?」
「今日はハロウィンですから」
リネットが物置から持ってきたのは、黒いマントだった。
「こちらでしたら、お使いいただけるかと」
「なんで持ってんだよ」
「以前、催しで使った衣装です」
肩に掛けると、上等な黒い布が膝のあたりまで垂れた。
リュシアンが頷く。
「吸血鬼ですね。牙もあれば、もっと──」
「いらねぇ」
「似合うと思いますけど」
「いらねぇって」
マントだけを羽織って町へ戻ると、通りすがりの女性が振り返った。
「あら、素敵な吸血鬼さん!」
シャロウは軽く会釈を返した。
なるほど、周囲にも魔女や怪物がいる。
確かに、この中なら──。
その隣を、普段着の男が歩いていった。
店先にも、通りの向こうにも、仮装をしていない人間は大勢いる。
シャロウはマントを見下ろした。
「……騙された」
その頃、研究棟では、リネットが有紗の部屋の扉を開けていた。
夕食の支度は済んでいる。呼びに来たのは、これで二度目だった。
「有紗様。お食事はいかがなさいますか?」
枕元まで進み、もう一度声を掛ける。
有紗は目を閉じたままだった。
廊下にいたリュシアンも、寝台の傍らへ来た。
「まだ寝ているんですか?」
「はい。先ほども、お返事がなくて……」
リネットは肩にそっと触れた。
「有紗様?」
寝息は変わらない。
リュシアンは、覗き込んでいた顔を上げた。
「こんなに長く眠るのは珍しいですね」
「ええ。お疲れだとしてもさすがに……」
二人は顔を見合わせた。
リネットは肩から手を離し、そっと毛布を整えた。
◇
銀髪の少女は、菓子屋の前にいた。
角も、翼も、尻尾も、先ほど見たままだった。
「おい」
今度は振り向いた。
藤紫の瞳が、シャロウの襟元から顔へ上がる。
「……吸血鬼?」
「違ぇよ」
少女は鼻を動かした。
「血の匂いがする」
「は?」
「やっぱり吸血鬼!」
「だから──おい!」
少女が駆け出した。シャロウも後を追う。
その先に、見慣れた看板があった。
狩猟組合。
「……おまえ、そっちは」
少女が扉に手を掛けた時には、もう遅かった。
「シャロウ!」
「戻ってきたのか!」
「なんだ、仮装してんじゃねぇか!」
両肩を掴まれた。少女の方も、女性ハンターたちに囲まれている。
「悪魔の女の子まで連れてきたのか!」
「違う。俺はこいつに──」
「二人並べよう! ほら、こっちだ!」
背中を押され、シャロウは自分が閉じたはずの扉をくぐった。
◇
「はい、もう少し笑って!」
シャロウは笑わなかった。
隣の少女も笑わなかった。
「いいね、その不気味な感じ!」
閃光が弾けた。
「……おまえ、何者だ」
「悪魔よ」
「そういうのはいい」
「本物だと言っているでしょう」
顔も声も有紗なのに、少女は不満そうに顎を上げた。
「貴方こそ、なぜ吸血鬼だと認めないの?」
「人間だからだよ」
「牙を失ったのね」
「違ぇ」
「可哀想に」
「人の話聞けよ」
「次は少し近づいて!」
少女が寄ってきた。黒い翼がマントに触れる。
シャロウは声を落とした。
「なんで有紗の姿してんだ」
「この子の願いに呼ばれたのよ。悪魔になりたいって」
シャロウは隣の顔を見た。
「……有紗が?」
「ええ。願いを叶えた対価に、魂を貰うつもりだったの。ところが、食べようとしたら私の方が取り込まれてしまったわ」
「……有紗の魂を?」
「ええ。気づいたらこの姿よ。戻り方もわからないわ」
シャロウは少女を見た。
「有紗はどうなった」
「眠っているんでしょう?」
「起こせんのか」
「だから、戻り方がわからないと言っているじゃない」
少女はマントを指さした。
「協力しましょう。私は元の姿を取り戻す。貴方は失った牙を探す」
「失ってねぇよ」
「強がらなくてもいいわ」
「はい、こちらの方も一緒に!」
二人の間に子どもが入ってきた。
シャロウが口を開く前に、もう一度閃光が弾けた。
ようやく撮影が途切れたと思えば、今度は菓子の籠を渡された。
少女はさっそく包みを一つ開ける。
「配るやつだろ」
「一つくらい」
口に放り込み、ぴたりと止まった。
「……美味しい」
「そりゃよかったな。ほら、子ども来てんぞ」
「もう一つ」
「おい」
「トリック・オア・トリート!」
籠を引き寄せる少女の前に、小さな手が伸びた。
少女は手元の包みと子どもを見比べ、惜しそうに菓子を渡した。
◇
「助かった! 大盛況だったぞ!」
組合長が差し出したのは、小さな首飾りだった。
銀色の鎖の先に、十字架が下がっている。
少女が、シャロウの背後へ退いた。
「そ、それ……!」
「銀の十字架だ。記念品だよ」
シャロウは一つ受け取った。
「どうも」
「……貴方、平気なの?」
「あ?」
「銀の十字架よ?」
「見りゃわかる」
少女は、十字架を持つ手をまじまじと眺めた。
「……なんて強力な吸血鬼なの」
「だから人間だって」
◇
研究棟へ戻ると、食堂の卓に覆いを掛けた皿が残されていた。
傍らの紙には、有紗の夕食だと書かれている。
手をつけなかったのか。
シャロウは足を止めたが、すぐに階段へ向かった。
二階は静かだった。
有紗の部屋の前で扉を叩く。
「……入るぞ」
返事はない。
そっと開けた扉の向こうで、有紗は眠っていた。
シャロウは寝台へ歩み寄った。
「有紗。……おい、帰ったぞ」
肩に手を置き、軽く揺する。
何も返ってこなかった。
もう一度名前を呼んでも、瞼は動かない。
触れた肩は温かかった。寝息も聞こえている。
それなのに、声が届いている気がしなかった。
「……有紗」
いつもなら、なぁに、と顔を上げる。
すぐ近くで呼んでいるのに、今はそれすらない。
シャロウは肩に置いた手を離し、背後の少女を振り返った。
「どうすりゃ戻る」
「わからないわ。こんなこと初めてだもの」
シャロウは寝台へ目を戻した。
「……まさか、このまま起きねぇのか」
「……それも、わからないわ」
有紗の寝息だけが聞こえた。
「何か、方法ねぇのかよ」
少女は寝台の傍らに立ち、眠る有紗を眺めた。
「そうね。童話みたいに、王子様のキスで目覚めるかもしれないわ」
「……かもしれない?」
「保証はないけれど」
シャロウは有紗へ目を戻した。
枕に落ちた髪の間から、閉じた瞼が覗いている。
「……寝てるやつに、できねぇだろ」
少女が瞬きをした。
「貴方、本当に変わっているわね」
「他に方法は」
「……新たな契約なら」




