8.Important memory/はじまりの恋
「翔くん。
お弁当忘れてますよ」
「えっ…?
…ほんとだ、ありがと」
いつも通りの日常、何一つ変わらない毎日。
涼がいる当たり前の日々。
「…っ!///」
涼から弁当を受け取った際に僕は彼女の手に触れてしまった。
触れただけなのに…僕は反射的に避けてしまった。
「どうかしましたか?」
「い…いや……なんでもないよ…。
いつもありがとうね」
苦笑いで誤魔化すも、涼は怪訝な表情を浮かべていた。
そりゃ、いきなり避けられたらどうかしたかと思うだろう。
でも……僕は……。
『あの合コン以来、涼のことを自然と意識してしまう。
まるで……涼子といた時と同じような気持ち……』
あの日、僕は確信した。
僕は涼に恋心を抱いている。
でも、それは果たして良いのだろうか。
人間がアンドロイドに恋をするなんてどうかしてる。
でも…あの時の涼は、まるで人間の女の子のように怒ってた。
恋をする女の子のように、震えて僕に抱きついていた。
「じゃ、じゃあ学校行ってくるね…」
「翔くん」
涼に呼びかけられ振り返ると、涼は僕のおでこと自分のおでこを合わせた。
「ッ?!!////」
涼の目が目の前に見える。
白くて綺麗な肌が眩しく見える。
今にも触れそうな位置に涼の唇が見えた。
「……熱は無さそうですね。
まだねぼすけさんでもしてたんですか?」
ニコッと浮かべる笑顔はそれだけで絵になる。
「だっ、大丈夫だから…!
学校行ってくるね!」
逃げるように僕は家を飛び出した。
『どうしたっていうんだ僕は……////』
悔しいことに、僕は自分のペースを乱されまくっていた。
大学の講義を終えて家に帰ろうとした時だった。
『そういえば最近、涼子の墓参りに行ってなかったな…。
そろそろ顔出さなきゃ』
そう思い僕は涼子の眠る墓地へと歩みを進めた。
墓地に着くと、涼子の墓石の花瓶に花が添えられていた。
『涼子のお父さんとお母さんが来てたのかな…』
来る途中、立ち寄ったスーパーで買ったお菓子を供え、同じく買ってきた線香とロウソクに火を灯した。
『ごめんね涼子…。
最近、顔を出す頻度が減っちゃったね…』
心の中で涼子に謝罪し、僕は手を合わせた。
その時だった。
「………あら、翔くん…?」
「ッ…!?」
突然の呼び掛けに振り返ると、そこには涼がいた。
『しまった…。
涼には涼子が死んだ事を隠してたんだ……』
アンドロイドには「死」という概念が伝わるか分からないと思った僕は、未だ涼には涼子が死んだことを一切伝えていなかった。
そんな僕の不安を他所に涼は買い物袋を持ちながら近寄ってきた。
『っ………』
少しの間、僕は涼の出方を見守った。
すると涼は何かを察したのか、墓石を見てから静かにしゃがみ、僕と同じように手を合わせた。
「………」
涼の行動に僕は少し驚いた。
アンドロイドと言えど、彼女は「死」という概念を理解していたのか。
やがて涼は顔を上げた。
「……翔くんの恋人さんですか?」
「…そうだよ」
涼はどこかもの悲しげに墓石を見上げていた。
するとおもむろに買い物袋から買ってきたリンゴを供えた。
「…ごめんなさい。
今これくらいしか供えられるものがないので……今度お菓子を持ってきますね」
涼なりの気遣いに思わず僕は目頭が熱くなった。
「大丈夫だよ。
涼子は果物も好きな人だったから。
きっと喜んでくれてるよ」
僕の言葉に涼はそっと微笑んだ。
「だといいんですけどね。
…いつも学校帰りに来てたんですか?」
「うん。
ここ最近はあまり来れてなかったけどね。
今日だって三週間ぶりぐらいだよ」
「そうだったんですね……」
供えられている花を見つめながら涼は続けた。
「…翔くん。
聞かせてくれませんか?
恋人さんのことを」
僕に振り返った涼は真剣な眼差しで見つめていた。
「………」
僕は応えるように彼女の目を見つめながら語り始めた。
僕と涼子の出会いは高校一年の秋に遡る。
本が好きな僕は、よく図書室に入り浸っていた。
授業終わり、昼休み、放課後……時間さえあれば何時でも通っていた。
そんなある日の放課後。
『これも面白そう…』
ちょっと特殊な楽しみ方だが、僕はあらゆる本に使われている言葉や表現を知るのが好きだった。
知らない言葉遣いや表現方法を知ることで新しい発見をできるのが好きだった。
そしてそれらをノートに書きまとめ、新たな知識として手元に残すのが僕の趣味だった。
その日も文書を読み漁っていた時のことだった。
『ガラガラ…』
入口のドアが開かれる音が聞こえた。
誰だろうと思いチラっと入り口を見た時だった。
『わっ、綺麗な子…』
入ってきたのは、栗毛色のロングヘアーに白い肌、端正な童顔の美少女だった。
すると僕と目が合った美少女は僕に近付いてきた。
「…っ!?」
慌てて本に視線を戻すも少女は足音も立てず僕の背後に立ち、ノートを覗き込んだ。
「ッ……」
「私語厳禁」というルールを自然に守っていた僕は思わず声を詰まらせた。
やがて少女は覗くのを止め、メモ書きらしき紙に何かを書き始めた。
『何を書いてるんだろう…?』
そう思っていると、少女は書き終えた文面を僕に見せてきた。
『何を書いてるんですか?』
確かに紙にはそう書かれていた。
まるで彼女も図書室ルールに従うように文面での会話を求めてきた。
『この人…図書室ルールに則ってそんな手間のかかることを…』
それに答えるために僕もノートを一枚切り取り、返事を書いた。
『色んな本に使われてる言葉や表現を書きまとめてるんだよ。
そういうのを知るのが好きなんだ』
文面を見せると少し驚いたように目を見開くも、すぐに柔らかく微笑んだ。
『面白そうですね。
良ければそのノート見せてくれませんか?』
「っ…!?」
今度は僕が彼女の返事に驚くも、向こうは楽しげに僕の返答を待っていた。
仕方なく(?)僕は彼女にノートを差し出した。
「……」
少女は静かにパラパラとページを捲りながら僕の書きまとめてきた単語集を流し見る。
時折、興味のある単語を見つけてか途中で捲るのを止めじっくり眺める節も混ぜながら食い入るように集中していた。
やがて最後のページを見終えるとそっと僕にノートを返し、再び文面会話を続けた。
『すごく面白かったです!
私も知らないことが沢山で真似してみたくなります!
他にも書き溜めたノートを持ってたりするんですか?』
『そうだね。
あと三冊はあるよ。
これと同じ薄いノートだけどね』
僕の文面に彼女は思わず声を出しそうになるも、グッと堪えて再び返事を書いた。
『是非とも見たいです!
宜しければまた明日、放課後にここで見せてくれませんか?』
「ッ……」
興味津々に目を輝かせながら彼女は僕を見つめていた。
『分かったよ。
とりあえず全部持ってくるから、明日貸してあげるよ』
「…!」
パァっと笑顔を浮かべ、少女は嬉しげに最後の文面を書いた。
『じゃあ明日の放課後、ここで待ってます。
楽しみにしてますね♪』
そう書き残し、彼女はクルッと回りスキップしながら図書室を出ていった。
『………心臓飛び出るかと思った………』
まるでずっと息を止めながら会話してたかのような脱力感に僕はようやく強ばっていた全身の緊張感から解放された。
『…明日……か……』
いつ頃ぶりか、僕は忘れかけていた他人との交友時間に胸を高鳴らせていた。
翌日の放課後。
僕は先んじて図書室に来ていた。
今日も図書室には僕一人。
たまに他の生徒も来るが、滅多に来ることは無い。
ただ一人、ドギマギしながら僕は彼女を待った。
『本当に来るよね…。
実はドッキリでしたーとかそういうオチじゃないよね…?』
気持ちを落ち着けようにもこの状況ではまともに本を読むことも出来ない。
『悪い子では無さそうだったし、僕の単語帳を面白いって言ってくれたのはきっとホントのはず…。
……でも実際はどうか分からないしな…』
悪いイメージばかりが交錯するのには理由がある。
それは僕の小学校時代に遡る。
僕が小学五年の頃のこと。
根っからの気弱な僕は何をするにも自信を持てなかった。
なんならその気弱さゆえ、女の子からいじめられていた程だ。
学校に行けば三日に一回は上履きを隠され、毎日机の中にゴミを詰められ、酷い時は上履きの中に画鋲を入れられたりなどそれはもう毎日が憂鬱だった。
何故僕なのか、僕が何をしたというのか、ちゃんと顔を合わせて話したかった。
だが顔の見えないいじめの相手は答えてなどくれない。
それでも僕は学校には行った。
そんな毎日が続く中で、僕は一人の女子生徒と知り合った。
それは隣のクラスの「光島幸子」だった。
光島幸子は日に日に弱る僕に気付いてか、ある日僕に声をかけてくれた。
『大丈夫?
顔色悪いけど、保健室行く?』
その一言がきっかけで彼女と知り合った。
光島幸子は僕の通ってた小学校では少し有名人だった。
成績もクラス内トップクラス、学年別でも十位以内に入るほどの優秀枠。
おまけに顔も良く、彼女に告白してフラれた男子も少なくないとか。
そんな有名人が突然、何の関係もない僕に向こうから声をかけてくれたのは本当に驚いた。
『だ、大丈夫だよ…!
心配してくれてありがとう』
世話を焼くのが好きなのか、僕が大丈夫と言っても彼女は簡単には引かなかった。
『本当に大丈夫?
何かあったら先生か私に言ってね』
それだけで十分だった。
彼女の優しさは傷付いた僕にはあまりに十分すぎる薬だった。
それから僕は彼女と仲良くなり、次第に彼女に惹かれていった。
そんなある日、僕は勇気をだして彼女に告白をした。
『好きですっ!
僕と付き合ってください!』
人生初めての告白だった。
たかが小学生の告白など重みも何もあったもんじゃない。
それでも、この気持ちは本気でちゃんと彼女に伝えたかった。
『…ちょっと考えさせてね』
そう言い残し、光島幸子は僕の元から去った。
彼女の姿を見たのはそれが最後だった。
その翌日、僕はクラスメイトの女子三人に校庭裏に呼び出された。
そして、とんでもないことを告げられた。
『お前、光島にコクったんだって?』
全身の血の気が引いた。
何故、彼女らがその事を知ってたかと言うと…。
『光島から昨日聞いたよ。
夜の八時に電話来て、そっちの陰キャにコクられたって。
メッチャ笑ってたよ(笑)』
その瞬間、僕は全てに絶望した。
感情が抜け落ちた人形のように、ただ立ち尽くした。
それからのことは……よく覚えてない。
それから僕は登校拒否を患った。
ずっと我慢してきたが、光島幸子の一件で完全に折れた。
何もかもが嫌になった。
全てがどうでも良くなった。
僕はやっぱりいらない子なんだ。
毎日自分を責め続け、日に日に憔悴していった。
そんな矢先のこと。
僕は家で見つけた一冊の本を何気に手に取り読んでみた。
その本は僕と同じ境遇を体験し、そこから這い上がってきたことを記した著者の自伝書だった。
描かれた著者の苦しみや夢は悲痛なまでに僕の心に響いた。
著者が叫ぶようなセリフに僕も涙ぐみ、静かに囁くような言葉に胸がズキズキと傷んだ。
この人の書く言葉は何もかもが僕と同じだ。
ただ共感しか出来なかった僕は、何よりも「漢字が読めない」ことが一番の苦痛だった。
文庫本や小説ならたくさんの漢字や言葉が出てくるのは当然だ。
だが、特に読み書きが好きでもなかった僕にはあまりに難しい言葉や漢字が多すぎた。
そこで僕は自分なりに言葉の意味や漢字を調べることにした。
家に常備してあるパソコンを使い、ひたすら調べた。
それもあり、気が付けば僕は知らない言葉や漢字を知ることが楽しいことを見出した。
お陰で僕は少しずつ自信を取り戻し、学業に復帰出来るまでに至った。
小学六年生の途中で且つ保健室登校ということもあり、かなり出席日数もギリギリだったがとりあえず小学校卒業には至れた。
程なくして中学に上がるも、僕はほとんど友達を作ることはなく毎日本を読み漁っていた。
だんだんと難しい言葉や漢字を覚えていくことで、国語や語学に通ずる英語はそこそこ成績も良かった。
その代わり数学などは少し弱かった。
それでも僕は変わらなかった。
…変えたくなかった。
『これこそが僕なんだ…』
ようやく手に入れた自信。
自分だけの楽しみ。
他人のことは信じられないけど、僕は寂しくなんかなかった。
それ以来、男子とは仲良く話す相手はいたものの、女子に対しては心を開いて話すことは出来なかった。
優しさは全部疑い、嘘だと思い込んだ。
もし純心で優しく接してくれてたなら申し訳ないと思いながらも、それでもこじらせていた僕は人と話す時は常に疑っていた。
だからこそ、秋篠涼子の接触は小学校時代の黒歴史を彷彿とさせるものでしか無かった。
『ガラガラ…』
「ッ…!!」
ここ最近で一番のプレッシャーを感じた。
引き戸が開けられる音だけで僕の心臓はギュッと握られたような圧迫感に全身の血の気が引いた。
「ッ………」
緊張と恐怖で身体が動かない。
振り返ればその分早く真実を知ってしまうことになる。
それが出来なかった僕はただ気付かないフリをして本を読み続けた。
とは言っても内容なんか頭に入ってくるわけがない。
足音が無くても誰かの気配がだんだん近付いてきてるのは分かった。
やがて僕の肩に誰かの手が触れた。
「ッ!!!!」
思わずビックリして身体が反射的に手をはねのけてしまった。
思わず謝りそうになった僕が振り返ると………。
「………」
そこには、跳ね除けられた右手を上げながら同じように驚いた表情で立ち尽くす秋篠涼子がいた。
『ッ……ほんとに来た……』
八割がた信じてなかったゆえ、秋篠涼子の姿がそこに居たのは信じられない光景だった。
僕が謝るよりも先に彼女は昨日と同じくメモ帳に何かを書いて僕に見せてきた。
『ごめんなさい。
ビックリさせちゃいましたね』
困り顔でメモ帳を誇示してくる彼女に僕も急ぎ切り取っていた紙に返事を書いた。
『いやいや、僕もボーッとしてたから大丈夫だよ!』
慌てて見せると、彼女は安心したかのように笑ってくれた。
『そうだ。
単語帳渡さないと…』
約束を思い出し、僕がカバンを漁っていると、その間に質問を書いていた涼子が僕の視界に紙を置いた。
『また何か新しい単語見つけましたか?』
「ッ………」
どう返せばいいか分からなかった。
その間にも彼女は現在進行形で書いていた単語帳を覗いていた。
『単語帳渡さないと………あれ…?』
カバンの中をもう一度探すも、持ってきてたと思っていた単語帳はそこにはなかった。
『おかしい…。
朝、確かに見つけて忘れないようにと思って今日、授業で使う教科書と………そうだ、一緒にしたつもりが使わない方に避けて載せちゃってたんだ…!』
思わぬハプニングに僕は泣きそうになっていた。
涼子はどうしたのだろうかと疑問形の表情を浮かべるも、僕はどう切り出そうか迷っていた。
『もしかして…忘れちゃいましたか?』
メモ帳に書かれた文面に血の気が引いた。
終わった……僕はまた仲良くなれると僅かに思えた希望を打ち砕かれた。
『ごめんなさい。
忘れちゃった…』
半泣きでノートに書くと、それを見た涼子は笑顔を浮かべて返答を書いた。
『じゃあ、また明日会えますね』
「………………」
何を言ってるのか理解できなかった。
涼子はニコニコと楽しそうに笑っていた。
彼女が何を考えてるのか分からない。
ただ……はっきり言えるのは、涼子は少なくとも「怒ってない 」。
『怒らないの?
僕は約束を守れなかったのに…』
僕の返答に涼子はすぐに返事を書く。
『間違いや失敗は誰だってあります。
そんな小さなことで自分を責めないで』
「ッ………」
文面から滲み出てくる彼女の優しさに僕は胸が苦しくなった。
『また明日忘れるかもしれないよ』
『そしたらまた明後日持ってきて欲しいです』
『明後日も忘れたら?』
『あなたが持ってきてくれるまで会いに来ますよ』
文面会話の連続にも涼子は嫌な顔ひとつせず返す。
先に折れたのは僕だった。
『どうしてそこまで僕にこだわるの?
僕は友達もいなくて異性ともまともに話せないし、どん臭くて運動もできないから怪我もしやすいのに』
自分でもめちゃくちゃなのは分かってた。
僕は昔から病みが酷くなるととにかく自分を底辺に下げる癖があった。
なのに涼子は何故か楽しそうに返事を書く。
『私があなたと友達になりたいから…ではダメですか?』
『ドォーン!』
負けた。
僕の脳内に爆発音に似た効果音が響いた気がした。
彼女の言葉はとにかく自分を下げようとする僕を文字だけで粛清した。
『でも、せっかくですからこのまま帰るのもあれなんで』
丁度よく文面を書き止め、僕に一度見せてから涼子は再び書き綴った。
『忘れた罰として、今参考にしてるその本の単語を書き終えるまで隣で見てますね』
「…ッ!?」
そう書き終えると涼子は僕の隣に座った。
『ッ……女の子の匂いッ……///』
ふわっと鼻に感じた柔らかな涼子の香りに僕は気が動転していた。
こんなんじゃ…………本当に罰ゲームだ……。
『どうしました?
私のことは居ないものと思って普段通りに書いてください』
僕の心中を察してか知らずか、涼子はニコニコと楽しげに紙を見せつける。
『この子…僕が集中出来ないとわかっててしてるのか…?
……でも、どうしてこんなに気分が高揚してるんだろう……』
さっきから緊張と焦りで平常心など保てる訳もなく……なのに、僕は不思議とこの状況を嫌と感じていなかった。
『あぁ。
きっと僕は…この状況を「楽しい」と思ってるんだ…』
いつからか忘れていた感情。
誰かといることがこんなに心地よいと思ったのはいつ以来だろうか。
『………でも、隣で見られながらはさすがに恥ずかしい……///』
その日、本当に本一冊の知らない単語を書きまとめるまで、涼子は僕の隣で僕の書き綴る姿を見守っていた。
翌日。
今日も放課後の図書室で待ち合わせていた僕は、ちゃんと約束の単語帳を持って待っていた。
『うぅ…。
ここに来ると、昨日の記憶が過ぎって仕方ない…』
結局、涼子は僕が図書室で見つけた文庫本の単語を抜粋しきるまで隣で見守り、書き終わってからようやく解放された。
『明日また忘れたら、また隣で見せてもらいますからね』
終始、楽しげにニコニコと笑う涼子だったが、僕は気が気でない上に全然単語帳に言葉は増えなかった。
『でも今日はちゃんと持ってきたし、昨日の件でだいぶ毒気も抜けたからきっと今日は大丈夫だ』
心の中でそう呟いていると、昨日と同じようにドアが開かれる音が聞こえた。
振り返ると、予想通り涼子の姿がそこにあった。
『こんにちは佐山くん。
今日はちゃんと持ってきましたか?』
前もって書いてたのか、彼女の持っていたリングノートにそう書かれていた。
『もちろんだよ。
秋篠さんに隣で書いてるのを見られるのはもう勘弁だからね…』
返事を見せると涼子はクスクスと愉快げに笑い、再びノートに何かを書いた。
『私は忘れてもらってよかったんですけどね。
隣で見てるのは楽しかったですからね』
「ッ…///」
イタズラ好きなお姉さんの様に口元をノートで隠しながら笑う涼子に僕は少し悔しい気分に苛まれた。
少し乱暴気味に持ってきた単語帳を差し出すと、涼子はそっと受け取り大事そうに両腕の中で抱きしめた。
『明後日、返しますね。
どんな事が書いてるのか楽しみです♪』
終始、笑顔を絶やさない彼女に僕はいつの間にか苛立っていた気持ちがスーッと引いていく気がした。
『それとですね…』
リングノートにササっと文字を書き、涼子は僕の耳元で囁いた。
「明後日、放課後に私とデートして欲しいです。
その後、単語帳はお返ししますね」
「ッッッ?!!!!////」
遅れて気づく頃には彼女は僕から離れてニコニコと笑っていた。
確かに、涼子は僕の耳元でそう囁いた。
『じゃあ明後日の放課後、学校の校門前で待ち合わせです!』
ピリッとリングノートから言葉を書いた紙を千切り置き、篠山涼子は嬉しそうに図書室を出ていった。
「………////」
僕はその後、しばらくの間先ほどの彼女の囁きボイスを脳内で反芻し、暗くなるまで図書室で一人呆けていた。
二日後の放課後、僕はHRが終わってからかなりぎこちない足取りで下足箱に向かっていた。
『大丈夫だよね…?
髪とか変じゃないよね?
こっそり授業中にガムも噛んでたから先生にもバレてないし息も大丈夫なはず。
服もホコリとか全然……』
まるで恋人に会う前の女の子のように僕は身だしなみにかなり不安げになりつつ下足箱に向かっていた。
自分の下足箱の扉を開けるにもガタガタと手がおぼつき上手く開けれずも何とか開けて外靴に履き替えた。
『きっと大丈夫…。
困ったことがあればノートで話せばいいから…。
………も、もしかしたら、僕はこないだまで騙されてたのかもしれない!
…じゃないと…………こんな陰キャがあんな綺麗な人と友達になれるわけ……』
また悪い癖が出た。
あれ程仲の良い友達みたいな文面会話をしても僕は彼女を未だ疑っていた。
もしかしたら、こないだまでのあの笑顔は僕を騙しからかうためのエサでしか無かったとか……。
『いや……そうだと決めつけるのはダメだ。
だって……秋篠さんは……僕の単語帳を面白いって言ってくれたんだから…』
そんな微かな希望を胸に僕は外靴を履き生徒玄関を出た。
辺りを見渡すも、チラホラとたむろして雑談してる生徒、部活動の道具を持っていく先生などばかりで彼女の姿は見えなかった。
ならば校門前かと警戒しつつ僕は校門に向かった。
『ッ………』
そっと校門前を覗くも、そこに人影はなかった。
てっきり塀の影にでもいるかと思ったがそんなことはなかった。
とりあえず僕は塀の隣の花壇に座って待つことにした。
「………」
楽しげに雑談しながら帰る男子、死角に座って彼女を待つ僕の姿に驚く女子、何をしてるのだろうと好奇の目を向けるおじいさんおばあさん……多種多様な人が僕の前を歩き去るも、一向に涼子の姿は現れなかった。
『……やっぱり………騙されてたんだ……』
完全に僕は諦めた。
昨日までの彼女は僕が夢見ていた幻想だったんだ。
僕はやっぱり遊び相手でしか無かった。
様々な言葉が僕の精神を殴打する。
僅かに抱いた希望が涙となって流れた。
『もう………帰ろう……』
きっと彼女は来ない。
秋篠涼子も僕を上手いこと騙して遊んでいただけ。
僕は結局、ただ臆病で自信が持てなくて男のくせに女々しい奴でしかない───
「わっっ!!!!」
「ッッ?!!!!」
突然の声に立ち上がろうとしてた僕は思わず頭上から叩き落とされるように腰を落とした。
「あはははっ♪
ごめんなさい、そんなにびっくりすると思わなかった」
そこには、紛れもなく本物の秋篠涼子がいた。
砕かれそうになっていた希望から暖かな光を放った気がした。
「……あっ、ごめんね!
そんなに泣くほどびっくりするなんて思ってなかったから…」
「え……?
……あ……これは……違くて………」
ごしごしと乱雑に涙を拭うと、涼子はそっと手を差し伸べてくれた。
「でも、驚かせちゃったのは私も悪かったです。
どんな反応するのかなってついイタズラ心が疼いちゃったから」
「……」
楽しそうに笑う彼女はこないだ図書室で会ってた時とはまるで別人のような雰囲気に感じた。
僕は思わず見とれていた。
「……ほら。
周りの目が気になっちゃうから、早く立って」
「え………あ…うん……」
差し出してくれていた手を掴むと、僕の身体は体重を無くしたような浮遊感を感じながら立ち上がれた。
「それじゃ、行こっか」
「う………うん……」
こうして、僕と秋篠涼子の少し歪な初めてのデート(?)が始まっ………たでいいのかな…?
デート…とは言われたものの、実際はただ家までの帰路を一緒に歩くだけだった。
それでも、涼子は楽しそうに後ろ手を組みながら僕の隣を歩いていた。
「あ……あの………秋篠…さん……」
「涼子でいいよ」
「えっ!?」
僕の行く先を塞ぐように涼子は僕の前に立って顔を覗き込んできた。
「私、さん付けとかあまり好きじゃないんだ。
なんか…距離感を感じるからさ」
「ッ……」
突然、神妙な顔つきで表情をなくす彼女に気圧され、僕は躊躇いつつも合わせることにした。
「り…………涼……子……」
「はいっ!♪」
ようやく涼子は再び笑顔を振りまいた。
僕は真反対に自分のペースを無くして情緒不安定になっていた。
「あの………楽しく…ない……かな…?」
「え…?」
急に涼子はしおらしくなってしまった。
「佐山くん……なんかずっとつまんなそうだし……さっきも脅かしちゃったからそれで怒ってるのかなって…」
「い……いやいやっ、怒るだなんてとんでもないよ!
…僕は………人と話すのが苦手な方なんだ…」
「人見知りとか…ですか?」
「……そうかも」
思わず過去のトラウマのことを言いそうになったが、僕は喉奥で堪えた。
「でも……佐山くんっておしゃべりだよね」
「え…?
どういう事…?」
理由を聞こうとして涼子に目を向けると、彼女の手に貸していた単語帳が握られていた。
「私、佐山くんの単語帳を読んで感じたんです。
単語帳の中の佐山くんの書いた字は楽しそうに跳ねていたり、しっかり残ろうとするように少しカクカクとしていたり……まるで歌ったり踊ったりしていたように見えたんです」
「ッ………」
驚いた。
涼子の語り口は思いつきでは絶対に言えない饒舌さがあった。
『そこまで僕の単語帳にそんな魅力を感じてくれてたなんて……』
思わず感動的な意味で泣きそうになった。
でも僕はグッと堪えて会話を続けた。
「……涼子は……本が好きなの?
そんな抽象表現、思いつきで語れないよ」
「んーーー……好きと言うか……静かなところが好きですね」
「あ…静かな……」
「なんと言うか…無になれる環境が好きと言いますか………お風呂とか、温かくて自分が動いた分しか水も音を出さないし、学校の図書室や図書館とかも人はおれどみんな静かな環境を守ってるじゃないですか。
そんな中にいると、自分という存在がまるでその空気に溶け込める気がして……」
「…素敵な表現だね」
涼子の語る彼女のイメージをしたら、不思議と僕も同じ気持ちになれた気がした。
「ありがと。
佐山くんも思ってたより低い声なんだね」
「えっ…///
……そっ……それは初めて言われた…。
…変って思った……?」
「ううん。
むしろかっこいいなって。
図書室で会話してる時は、おどおどしてるし小柄だからてっきり声も高いのかなって」
「そ…そっか…」
「……」
会話を途切れさせてしまった。
何か話そうにも話題が全然浮かばなかった。
『あ、もうここまで来たのか…』
気が付けば、家の近所の公園前まで歩いていた。
「あはは、たのしーよおとーしゃん!」
「こら知子っ!
怪我するからもうちょい勢い落とせ!」
公園のブランコで仲の良さげな親子が楽しんでいた。
『いーなぁ。
やっぱ家族っていいよなぁ……。
…僕は………』
親子の微笑ましい光景を眺めていると、それに気付いた涼子が公園を覗いた。
「…佐山くんは子供好きなんですか?」
「えっ!?
えっと………僕は……」
言葉が出てこなかった。
というか、喉がつっかえて言葉を発せなかった。
「それとも……公園で遊ぶのが好きなんですか?」
「えっ!?
そ、そんなわけないよ!///」
顔を真っ赤にして憤慨する僕に涼子は笑う。
悔しい気持ちに苛まれた僕は早歩きで公園から離れた。
ある程度歩く先にある十字路で僕たちは立ち止まった。
「僕はここ左に曲がった方が家なんだけど、涼子は?」
「私は反対側です。
じゃあ今日はここでお別れですね」
「そ…そうだね……。
…………り……涼子…!!」
「……?」
涼子が少し距離を開けて後ろ手を組みながら僕に振り返る。
「………「翔太」……でいいよ……」
「え…?」
初めて涼子が僕に聞き返した。
僕は顔を真っ赤にしつつももう一度答えた。
「だから……僕のこと………「翔太」って呼んでいいよ…」
「…えっと……どうして…ですか…?」
「っ……。
僕だけ名前呼びで涼子は苗字呼びって……変…でしょ……」
「………クスクス…」
「ッ!?///」
何かを理解したかのようにそれまで考慮していた涼子が突然笑った。
「んもぅ、しょうがないですね……。
じゃあ、私も名前で呼んじゃいますね……「翔ちゃん」」
「ッ!?
なっ、なんでちゃん付け…?」
「だって「佐山くん」から「翔太くん」でも良かったけど……なんか、佐山くんってどちらかというとかわいい系の方が似合うかなと思って……だから「翔ちゃん」かなって思ったんです」
「…///」
何も言えなかった。
ただ、涼子に合わせることしか出来なかった。
何も言えずいると、涼子は少し遠くに走ってからこちらに振り返った。
「じゃあね「翔ちゃん」!
また明日学校で!」
「う…うん。
また明日………」
尻尾を振る子犬のように涼子は遠くから勢いよく手を振った。
それに答えるように僕も小さく手を振り返した。
やがて涼子はスキップをしながら帰った。
『また明日……か……』
いつからか、僕の中に霞んでいたトラウマのモヤは晴れ去っていた。
「また明日」という何気ないセリフに僕は久しぶりに嬉しくなっていた。
それからというもの、涼子との関係は変わらず続いた。
大概は放課後の図書室で以前と同じくノートでの文面会話、時々一緒に家路まで歩いたり。
そんなどことなく不思議な友達関係が続いた矢先のことだった。
過去のトラウマのことをすっかり忘れ、いつからか僕は涼子に好意を抱いていた。
何を思ったのか、僕は自分の中に溜め込んでしまっていた気持ちをぶつけてしまった。
「僕と………付き合って欲しいです!」
ある日の放課後。
誰もいない図書室でいつものルールを破るように僕は涼子に叫んだ。
「ぁ…………えっと………」
しまったと思うにはあまりに遅すぎた。
涼子は突然の告白に目を丸くしていた。
「ッ……!!!?
いやっ……い、今のは……そのっ……////」
取り繕うにもこのタイミングでの上手い言葉が出てこなかった。
やがて涼子はうつむいてしまった。
『どうしよう…。
きっと涼子は、今の関係が良かったのかもしれないのに……僕はなんてことを……』
かつてのトラウマが隠れていたと言わんばかりに吹き出してきた。
きっとこの後は……。
「……ちょっと………考えさせてください…」
僕から逃げるように涼子はうつむいたまま図書室から出ていってしまった。
「ッ…………」
残された僕はただ一人、言ってしまった告白に後悔の念を抱くことしか出来なかった。
『終わった…。
また………小学校の時と同じことを繰り返すんだ…。
明日か明後日、早ければ今日の夜でも、きっと涼子の友達やクラスメイトに僕の告白を広められるんだ………』
真っ黒なモヤが再び僕の心を包み込む。
抱いてしまった希望の告白。
でも、それが間違いだと僕はいつから忘れてたのだろうか。
その日から、僕は昼休みも放課後も図書室に行かなくなった。
あれから一週間が経った。
涼子と連絡先は交換していたが、お互いにメールも電話もしなかった。
唯一、過去のトラウマのように誰かから告白のことを聞かれることはなかったが、当の涼子は僕の前に姿を見せなかった。
僕は気が気でなくなってる故、好きだった単語集めも出来ずただ憔悴していた。
『全部終わったんだ…。
告白なんてしなきゃ、きっと涼子とは今でも仲の良い友達でいられたはずなのに…』
毎日、自責と後悔の連続と繰り返しと往復に苛まれ、僕は自然と学校に行くことが辛くなっていた。
『明日……学校休もうかな………』
そんな事を考えていた放課後の教室の片隅に一人でうずくまっていたときのこと。
「……翔ちゃんッッ!!!!」
突然の呼びかけに肩を震わせながら顔を上げると、そこには一週間前とは打って変わって剣幕な顔つきの涼子が居た。
「涼……子…」
スタスタと歩み寄ってくる彼女に恐怖を感じ、僕は思わず逃げ出しそうになった。
「翔ちゃん!!」
強めの呼びかけに思わず身動きが取れなくなった。
気付いた頃には、涼子は僕の制服越しに腕を掴んでいた。
「翔ちゃん…。
私、少し考えさせてって言ったよね。
どうしてあれから図書室に来なくなったの?」
声に少し和らぎが出るも涼子の目は変わらず僕を縫い止めていた。
「それは……………」
言えるわけがなかった。
自分で告白したことに怖気付いて逃げたなんて。
「…もしかして、自分で告白したこと後悔してないよね?」
完全にドツボだった。
涼子には完全に読まれていた。
「ッ………」
突然、涼子は僕の腕を引っ張りながら歩き出した。
「ちょ…涼子…!?」
涼子は僕の声にも反応せずただ歩く。
学校を出て連れてこられたのは、十字路近くの公園だった。
「……お願い翔ちゃん。
ちゃんと私の話を聞いて…」
神妙な面持ちで涼子は僕と隣同士にベンチに座った。
「あのね、私…翔ちゃんの告白の返事をする前に、あなたに伝えておきたいことがあるの」
「……」
先ほどまでとは打って変わって涼子はしおらしく静かになった。
「すごく大事なことなの。
翔ちゃんだから聞いて欲しいの」
「……」
無言で頷くと、長いこと躊躇いながらもようやく涼子は重い口を開いた。
「私………「ガン」なんだって…。
…病院の先生に言われちゃった…」
「……は?」
自分でも間抜けと思う声が出てしまった。
でも、そう返すことしか出来なかった。
「今………なんて………」
脳の理解が追いつかなかった。
ただ聞き返すので精一杯だった。
「…………」
涼子は黙り込んでしまった。
こういう時、どんな言葉をかけてやれば良いのか分からない僕はただ時間に流されることしか出来なかった。
それを打ち破ったのは涼子だった。
「私ね…………翔ちゃんの気持ち、嬉しかったよ」
「え……?」
ようやく重い空気を壊した涼子は人が変わったように語り始めた。
「私ね、小さい頃から気が付けば誰かがそばに居たんだ。
友達やお父さんとお母さん、近所のおじさん…。
寂しくなんてなかった。
けど……足りないものがある気がして…」
「足りないものっていうのは…?」
間を挟むように涼子は一呼吸置いて自分の髪に触れた。
「……みんなね、自分で言うのもなんだけど……私が可愛かったからだと思うの。
両親からは可愛い服や美容品。
友達からは流行りのアクセサリーや化粧品。
近所のおじさんからは畑で収穫したリンゴ。
悪いわけじゃないし、嬉しいとは思うんだけど……なんだか、私のことを見てくれてない気がして…」
「それはどうして?」
「私だって、本当は何かお礼やお返しがしたかったの。
もらってばかりじゃ悪いし、せめてその気持ちに向き合いたかった…。
なのに「無理しなくてもいいよ」とか「お返しだなんて、涼子ちゃんが喜んでくれればそれでいいよ」って…私の気持ちを受け取ってくれる人はいなかった…」
「……つまり、涼子は見た目だけじゃなくて中身も見て欲しかったってこと?」
「……そうだね」
涼子は僕から目をそらす。
上品に添え合わせる自分の手をもの悲しげに見つめていた。
「みんなね「涼ちゃんは可愛いから大丈夫だよ」とか「涼子はモデルでも食べていけそう」とか「涼子ちゃんは今日も可愛いね」とか………嬉しいけど、もっと別の私も見て欲しかったというか……わがままだよね」
「……」
「…翔ちゃんだけだよ。
一度も私の外見のことで褒めなかったの。
「涼子はいじわるだ」とか「涼子は料理が好きなんだね」とか「もっと涼子に知って欲しい」とか……自分のことも交えつつも、翔ちゃんだけは私の外見には一切、頓着しなかったよね」
ようやく涼子は僕に目線を合わせた。
その目は、怯える子供のように震えていた。
だがすぐに涼子は僕から視線を外した。
「…中学の時、私いじめられてたの。
前日に友達からもらったリップクリームがカバンから無くなってたり、ノートに「死ねブス」とか書かれたり……ひどい時なんて、机に入れてた教科書類全部が灯油でびちゃびちゃになってたりもした……」
「ッ?!!!」
その時を思い出してか、涼子は自分の肩を抱えて震えていた。
「私は何もしてない。
何もさせてもらえてない。
なのに………私はただ「普通の幸せ」が欲しかっただけなのに……!」
「涼子……」
涼子は泣き出してしまった。
その胸に秘めた恐怖は計り知れないものだろう。
「そんなに私の顔が欲しいならあげたかった。
そんなに私の顔が憎いなら捨てても良かった。
私はただ……みんなと仲良くして、ただ純粋に学校生活を送りたかっただけなのに………そのことを機に、仲の良かった友達でさえ私から距離をとるようになって………」
「涼子………」
いつからか僕もつられるように泣いていた。
いつもニコニコと笑って幸せそうな涼子に、そんな深い闇があったとは…。
「いつからか、私は人がいる場所自体が苦痛で仕方なくなった。
周りで話してる人たちの声が私を蔑む会話に聞こえた。
だから私は音がほとんどない図書室やお風呂場が好きになってた…。
必要な人しか、最低限の音しかない図書室や図書館が一番安心出来た。
なのに……いつからか、気付いたら私の視界に翔ちゃんが映っていた」
「僕が…?」
コクッと涼子はうなずく。
「授業の合間の休み時間、お昼後の休憩時間、誰も来ない放課後……とにかく一人になりたいと思って行くたびに、あなたの姿が必ずあった…」
「………」
「一生懸命、何かを書き写して勉強でもしてるんだろうなと思った。
真面目で頭も良いんだろうなって……ある時、書いてる内容が気になった私は通り際にあなたのノートを一瞬見たことがあった。
…たくさんのノートいっぱいに書かれた言葉は一瞬通り過ぎるくらいじゃまるで何なのか理解できなかった。
不思議とどうしても内容が知りたかった私は、勇気を出してあなたに声をかけたのがきっかけ。
正確には、メモ書きでのやり取りだったけどね」
「そう……だったんだ……」
ようやく、何故彼女が僕に近付いたのか理解出来た。
くすぐったいけど………どこか嬉しく思う自分もいた。
「だから……翔ちゃんのこと、ずっと待ってたんだよ。
待ってって行った次の日から、いつ図書室に来てくれるかなって毎日通って、暗くなるまで待って……」
「ッ………」
健気に図書室で僕を待ち続ける涼子の姿に僕は涙が止まらなくなった。
僕は………なんて罪を犯したんだ。
「涼子………」
僕は初めて彼女の手に触れた。
白く細くて体温も低く、僕の力でも壊せそうなほど華奢だった。
「……改めて言わせて。
涼子………僕は…………君が好きだ…」
僕の言葉に涼子は再び泣き出した。
泣きながら僕を見つめる。
「私……ガンなんだよ…?
多分もう学校にも行けないし、いつまで生きれるかも分からない…。
それでも………好きだと言ってくれるの…?」
僕の中で何かが吹っ切れ、言葉を詰まらせることなく僕は彼女に伝える。
「そんなの関係ない。
涼子は僕のトラウマを綺麗な思い出に書き換えてくれた恩人なんだ。
好きという気持ちも本物だし、僕には涼子しかいないんだ!!!!」
「ッ……翔…ちゃん……」
僕の手を離し、涼子は僕に抱きついた。
「翔ちゃん…。
私も、翔ちゃんがいいです。
一番、私のことをちゃんと見てくれる翔ちゃんが好きっ……大好き……ずっと好き……!!!!」
お互いに泣きながら抱き合う。
誰かに見られるかもしれないという羞恥心もなく、僕たちはようやく結び合えた想いを離さんと言わんばかりに抱き合った。
「…こんな鈍臭い僕でも良ければ……ずっと好きでいさせてほしい……」
「……はい。
こんなわたしで良ければ……!」
「それから程なくして、涼子は病床に伏せったんだ。
だからこそ僕は涼子の彼氏として、とにかく彼女に尽くしたかった。
女の子とまともに話すこともできなかった僕を涼子は変えてくれた。
何にも引っ込み思案で自信なんか持てなかった僕に勇気をくれた。
だから……今度は僕が涼子を守るんだって決めたんだ」
そう区切りをつけるまでの間、涼は真剣な眼差しで僕の話をずっと聞いていた。
「……でしたら…」
おもむろに涼は立ち上がった。
「尚更、翔くんからもらったこの名前は大事にしないとですね。
私、これまで以上にこの名前が誇らしく、好きになれる気がします」
涼が立ち上がると同時に吹き抜ける風は涼の白銀の髪をなびかせた。
「どうして?」
見上げる僕に涼は誇らしげに笑った。
「だって………涼子さんが大好きな、私にとって大事な人からもらった名前ですから。
私にとっても、すごく大事なものですよ」
「涼……」
後ろ手を組みながら微笑む姿はまるで生前の涼子そのものだった。
「翔くん」
涼は僕の手を取り立ち上がらせた。
「私、涼子さんの分まで頑張ります!
涼子さんが出来なかったこと、やりたかったこと……私は知らないですけど、きっと何かしらあったはずなんです。
だからこそ、翔くんを取るつもりはないですけども、涼子さんの代わりに私が翔くんを守りますから!」
「涼……」
こうして見てると、やはり涼と涼子は違う。
涼子は大人しくて静かな雰囲気が好きで、見守るお母さんのような母性の強い女性だった。
涼は普段は大人しくも、興味あることや僕に関係することに関しては感情的になる。
…それでも、やはり二人はどこか似ている。
外見と雰囲気だけじゃない。
……上手いことは言えないけど、なんだかそんな気がする。
「…涼子さん。
翔くんからもらったあなたの名前と、あなたが大好きな翔くんは必ず私が守りますから……涼子さんはどうか私たちを見守っててください」
先ほどと打って変わって、涼はしおらしく墓石に語りかける。
「涼子。
僕は君に出会って変われたんだ。
君には感謝してるし、僕も涼子が大好きだよ。
だから……涼子の代わりとかじゃないけど、今度は僕が涼を守ってみせるから…どうか見守ってて欲しい」
「翔くん……」
おもむろに僕は涼の手を握った。
涼子の墓石の前で少し不謹慎かもしれないが、それでも僕はやめなかった。
涼もまた、少しだけ僕の手を握り返す。
「…帰ろっか」
「はい!」
僕が先導する形で涼の手を引く。
するとすぐに涼は歩みを止めた。
「…また、挨拶に来ますね………涼子さん…」
振り返ると、涼は寂しげな顔つきで墓石に語りかけていた。
「…今度は、ちゃんと二人で来るから待ってて……涼子…」
涼に続いて僕も語りかけると、涼は気が済んだのか再び歩き始めた。
「…翔くん。
涼子さんが好きな食べ物とか知ってますか?」
「好きな食べ物?
……甘いだし巻き玉子だったかな」
「でしたら、次お墓参りする時は甘いだし巻き玉子作っていきますね!」
「うん。
きっと涼子も喜ぶよ」
家までの帰路を歩きながら僕たちは自然と手を繋ぐ。
傍から見れば紛うことなき恋人にしか見えないだろう。
それでも、優しい温もりのある涼の手を離すなんて僕にはできなかった。




