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 身体が、物凄くだるい。気分悪く目が覚めて、腕の関節が酷く痛んだ。

 荒く息継ぎをしてジタバタする。僕は赤いスーツのままなのに、電柱を一撫でするだけで破壊できるはずなのに、この手首に複雑に括り付けられたロープは千切れない。

 後ろを向くと、ひんやりと鋭い印象を与える、銀色に光沢している円柱状の金属に、僕はロープを介して繋がれているのが分かった。上方を見上げると、天井はかなり高く、周りは防音効果の音楽室のように、黒い点々の穴を無数につけた構造をしている。

 両腕を伝って、何か振動が感覚された。後ろだ。この金属の太い円柱を伝わってきたのだ。まるで暴れているような……

「くそぉ!!」

 これは、すばるの声だ! ……すばるも僕と同じように、捕らえられてしまったのだ。

 東堂……彼が僕たちをここへ飛ばしてきたのではなかったのか。ここは、おそらく『黒いイナヅマ団』の根拠地だ。瞬間移動、テレポートのような力を使って、僕らをここにやったのではなかったのか。それとも、これから何か作戦があるのだろうか。何にしろ、ポジティブな考えを浮かべていないと気が狂い出しそうだ。

 ギィ、と音がした。出入口はここから見えない。反対側の、すばるの方にあるのかもしれない。

 カツカツという足音がその方から聞こえて、僕はその予測の正しいことを理解した。

「その目つきは、縛られてさえいなくて、変身すれば何とかなる、とでも言いたげな顔ですね。……いいでしょう。試してみますか?」

 聞き覚えのある声に、僕は悪寒を覚えた。

 パチン、と切れる音がした。きっと縄だ。すばるの縄が切断されたのだ。

 タタタンと慌ただしく距離をとる音が聞こえる。

「ああ、西山ガイ、あなたのも解きましょうか」

 姿を現したのは、あの男ーー僕は目を一杯に見開いて、反射的に小刻みな身震いをした。

 冷酷な笑顔と、内では凍りついているはずの感情、その所業が思い出されるのを僕は必死に抑えようと、目を背けた。

「恥じることはないですよ、西山ガイ。卑怯な真似をしたのは私たちの方ですから。正々堂々、勝負をしましょう」

 僕はスーツを纏っているから、奴から表情を気取られることはない。

「おや、震えていますね。怖いのですか」

 至近距離で目が合ってしまった。飛び上がってしまうほどに驚き、全身の毛が逆立った。

 解放されると僕は素早く円柱を回り込んで、すばるの背後に着いた。ちょうど光が満ち溢れて、その中から『ブルー』が現れるところだった。

『ブルー』は僕を認識すると、少し固まった。驚いた風だったが、素顔が隠れていてそれ以上はよく分からない。

「さあ、どこからでもどうぞ」

 冷酷非人間的なこの男、名前は確か……二堂、であったか。両腕を広げ、僕らを懐に迎え入れるかのような姿勢をとると、並びのいい歯を見せつけて笑った。

 残虐であるから歯まで肉食獣のそれのように尖っているとか、顔つきが怪物のようであるとか、そんなことはない。ただただ、見れば見るほど——髪色とその長さはミュージシャンか何かと疑うくらいに浮いてはいるが——ともかく普通の人間である。それがかえって、彼への恐怖を増幅させる要因となっていた。

 僕らはじりじりと、地面を足でこすって、時折足幅を調節するくらいしかできずに、時が流れた。

 気の張り詰めている中で、たまにそれの緩む瞬間が、ごく僅かだが、定期的にある。そのひと時に、すばるは勝負を仕掛けた。

 僕はゴクリと息を呑む。

 ……ポフッと、力のない、綿入りクッションが当たるような音がした。

「さあ、私の番ですよ」

 僕の側を猛スピードで通り過ぎていったのは、『ブルー』の身体であった。

 僕は後ずさりした。チラと後ろを見やる。そこに壁に激突した後、力なく倒れている、すばるの生身がいた。あまりの衝撃に変身が解けてしまったらしい。

 それにしても何だ、おかしいじゃないか。スーツは全く効力を発揮していないように見える。僕は一歩も動かずに微笑を浮かべる二堂にも無論注意を払いながら、この部屋を改めて見回した。

 もしやこの部屋の構造が、何らかの妨害の役割を果たしているのだろうか。もうそうだとすれば、一体どのように対処すればいいやら、見当つかない。

 僕は、動揺して余分な動きをたくさんしているのに気がつき、できるだけ鋭く、二堂を見据えるようにした。が、むしろ体が震えているのが、それではっきりと認識された。

 ギィと側の扉が開いた。僕ら、そちらに目をやった。そこから遠慮がちに入場してきたのは、あの、東堂だった……!

 僕は喉元に溢れてくる恨み言やら安堵を吐き出そうかと思ったが、唇と唇とをきつく結んでとどめておいた。

 しかし、そうすると、事態は意外な展開を見せる。というより、何かおかしいのだ。それは、期待を裏切る方の見込み違いであった。

 東堂の表情は青ざめている。今の今までの僕みたいに、おののき震え、両腕を抱えている。寒さでも感じているのだろうか? ……そうでないなら何だ? まさか、二堂に恐怖しているわけじゃ……

「うう……でも、そうだ……責任が……」

「フフフ。さすがの神の使いも、イナヅマ神の御力の前にはひれ伏すのみですか。まあ、当然でしょうね。あなたはただの『使い』に過ぎないのだから」

 二堂の満足げな表情を確認するとすぐに、東堂は僕に目線を移した。

「西山ガイ……心配は、ありません。あなたは、護られる」

「フフッ、虚言は聞き捨てなりませんね、天使。この部屋ではあなたの主の贈与する力は全て無効化される」

 僕は二堂の言葉を聞き、ハッとした。やはりそうなのだ。

 そして、東堂の姿が二堂に視認されているようなのも、そのことが関係しているのだろうか。結局、東堂が来ても、大ピンチの状況は覆らないということだ。

 僕はまた、大量に発汗し始めた。緊張で、身体の心底からの動揺を感じる。

「天使、あなたが今頃ここに来たということは、分かっているはずですねぇ……」

「にどぉ……」

 どすのきいた剣呑な声が響いた。その鬼のような男は全く予想外の場所から現れた。そこには部屋への入口のようなものは何もない。ただの空間だ。そこからさっきまで何もなかったものが、出現したのだ。

 鬼のようなと述べたが、それはまさに漆黒の悪鬼であった。まず面が角の立派な真っ黒な鬼であるし、全身が人らしい肌色を残していない。それでも、やはり元は人間なのであろうことは直感された。

「そこから先は、オレがやる……」

 二堂は悪鬼に軽く一礼すると、東堂との距離を詰め、東堂はそれに為す術なく、肩を落としたまま軽い拘束を受けた。

「てんしぃ……このガキを殺されたくなきゃあ、黙って手を引くんだなあ」

 悪鬼の話す傍ら、二堂は東堂と顔と顔で接近し、何やら呟いた。

「きさまが選べるのは、二つに一つだぁ。こいつらの命と引き換えに俺たちとこれ以上関わらねぇか、きさまらの責任でふたつ、尊い……ブフッ、尊い命が……ガハッ、奪われるかだ」

 悪鬼の面の表情に変化はないが、明らかに失笑を交えながら話した。

 東堂はあいも変わらず情けなく震えながら、しかし、そこだけは譲らず「彼らは……護られます」と。

「ううん? ……まだ理解できないみてえだなぁ、てんしぃ……」

 悪鬼は僕の方に向かった。明確に、僕に向かった。こっちを睨みつけている。きっとそうだ。今度は表情が見えなくても、確信した。

「と……うどう……。騙されるな。俺たちはどうせ、命を助けられてもこいつらに洗脳されるだけだ……」

 途切れ途切れの苦痛に喘ぐ声は、背後から聞こえた。その主は、やっぱりすばるだ。

「紅葉……すばる……それは一体……」

「めんどうだぁ、どちらにしろ一緒だ。おまえらはもう俺たちに手出しできない」

 悪鬼は残酷に微笑んだ、気がした。そして、どす黒い右手を振り上げた。

「仕方ありませんねぇ」

 今までにない声の調子だ。いや、いつも通りというべきか。たしかに、この発言者は二堂ではなかった。その方を見やると、二堂は驚きの目でもって、東堂を見つめている。

「状況は最悪のシュミレーションを辿っているようです。ただ、最も興味深い道筋ではある」

 こんなときに何を言っているのだ? この男。僕らは今、殺されかけているというのに……。

「いいでしょう。もとより、あなたたちがこのナマステという男に命を奪われることはありませんが、ひとつ結末の分からぬ劇を興じてみることにしましょうか」

「きさまぁ、だまれぃ!!」

 悪鬼が叫んだのと同時に二堂は飛んだ。東堂にどす黒いエネルギーがぶつかる。その後ろの扉が東堂の輪郭に沿って、跡形もなく吹き飛んだが、東堂は平然としている。

「ちぃ……だが、こやつらの命の芽を摘み取るのは依然たやすいわ……」

 再び、奴の殺気が僕らに向かった。

「何度も説明するのは面倒ですから……これを最後にしましょう。西山ガイ、紅葉すばる、あなた方は主に護られている」

「ほざけぇ!」

 いよいよそのおぞましい攻撃が僕らに照射されようとしたその時、東堂がその直前の刹那にいささかの差で、悪鬼に何か別のエネルギーをぶつけた。すると、暗黒の気は徐々に奴の手の中におさまっていった。

「……っ、……そうかぁ……てんしぃ……教えて欲しいようだなぁ……何故俺が、人類を滅ぼそうとするのか……」

「!!」

 人類を……滅ぼす? やはりこの悪鬼が……。

「くだらねぇ、世の中だぁ。お前たちもそう思わないか?ヒーローもどきぃ」

 僕らはこの悪鬼に語りかけられているようだ。いや、次第に彼は悪鬼ではなくなっていくようだ。

「俺は……私は、もう終わらせたい。無駄だ。人間の生きる限り辛苦、欲望、嫉妬、恨み、疑心、全部人の心に潜む闇だ、これは在り続ける。そして、人は何か、見えない大きな圧力に屈しながら、生きる苦しみを味わい尽くしながら、一生を終える。……そう、私が楽にしてやるのだ! もうこれ以上は! 永遠に、人が死への恐怖を克服し、もう全て命などというくだらぬ枷は外してしまうのだ!」

「そんな……」

 すばるの声がした。

「そんなの、自分勝手だろ! お前は死ぬのがよくても俺たちは生きたい!」

 すばるは精一杯の声で叫んだのだろう。言い終わるとすぐにしんどそうに咳き込んだ。

「ふん……そう言っていられるのも今のうちだ。人はどれだけ幸福を与えられようが、さらに上の幸福を望む。それが満たされることはない、故、人はついに死にたくなるのだ……くだらん。みんな懸命に生きているだ? 助け合って生きるだ? 綺麗事にすがって本音から目を背けるのはもう終わりにしようじゃあないか。生きること、それ自体が苦しみであるならば、みんな死ねばーーそれで解決だ。もう悩み暮らすものなど、この先一人も出ることはない」

「お前は……人間が嫌いなのか?」

「バカなことを……私が憎むのは……強いていうのであれば、命だ……! 命が憎い! 命さえなければ! 鼻がひん曲がるほど劣悪で、跡形もなく握りつぶしてしまいたいほど、果てしなく醜くぐじゃぐじゃなその命が……!」

 もう、すばるも黙ってしまった。

 この場には四人がいるけれど、この男の呼吸音と、僕らの生きている音だけしか、聞こえなくなっていた。

 ……そして僕は、十分に息を吸い込んでのち、言葉を発した。

「お前が憎いのは、命じゃないだろう」

「……はあ?」

「お前が憎いのは『感情』だよ。分かるよ、お前の言うこと」

 面の取れた男の顔は変になった。が、構わず僕は続ける。

「分からないわけじゃないよ。だって、『感情』ってさ、時に無かったらいいのにって思うこと、あるよ。でも、僕はさ、気付いちゃったんだ。どうでもいいことに落ち込んで、何でもいいから気晴らししたくなって、校舎に誰もいなくなった頃を見計らって、中庭に出てみた。そこで何となく、花を見つけて、その名前って、理科の授業で習ったから知ってたんだけど……なーんだ、シロツメクサにだって『感情』ってものはあるんじゃないかって」

 話すほど、緊張に高鳴っていた鼓動は鎮まっていく。

 僕はもう、ここに誰も居ないように感じ始めた。誰に語るでもなく、僕はただ、言葉を続ける。

「人は一人ぼっちじゃない……僕がいくら悩んでたって、いなくなってしまいたいと思っていたって、シロツメクサはいつも変わらない表情でいたよ? 『今日も暑いね』ってね」

「……くそが」

「僕ら、きっとバカなんだよ。必死に生きるって、どうするのさ? だっていつも言うよ? シロツメクサは、『今日も暇だね』って、言うよ? 『そういえば、昨日嬉しいことがあったんだぁ』って、言うよ? 『昨日、踏まれて痛かったんだよ』って、言うんだよ。枯れちゃった時、『またいつか逢おうね』とも」

 僕は笑顔で語っていた。満面の笑顔だった。自分でもそうわかった。

「君みたいに思い悩んだ人は、今までにもいっぱいいたかもしれない。でも、ほとんどの人はきっと最期に思ったと思うんだ。『もっと生きたかったなあ』って。だから命って、凄く大切なものだよ」

「うるせぇ……うるせぇよ。やっぱり人間ってのは生きてちゃいけねぇ。こういう能天気なバカが、現れ続けてしまうからな!」

 男は悪鬼に戻っていた。——でも僕は、もう変なスーツを纏っていたりはしなかった。

「ムッ、ここまでのようですね。……西山ガイ、さあ、存分にね」

 僕は拳を振り上げた。

「うおらああああああああああ」

 気持ちよかった。大声をあげて、僕は思いきり、迷いなく拳を振るった。

 真っ黒な拳とそれとを突き合わせて、更に力一杯、全身の力を使って、闘った。

「ぬうううううううううう」

「うおおおおおおおおおお」

 来た! 会心の一撃!

「らああ!!!」

 清々しい叫び声とともに、奴が舞っていく。面が割れた音がして、それで見上げてみると、屋内に居たはずなのに、青空が顔を出していた。

「よく頑張りましたね、西山ガイ、紅葉すばる。あなたたちは主よりの使命を果たしました」

 よく見回してみると、部屋は一瞬の煌めきと共に無に帰していって、瓦礫一つ残さずに、『黒いイナヅマ団』のアジトは消失した。

 あちこちに辺りを見回す人がいる。彼らはしばらくすると、思い出したようにどこかへ散らばっていった。

 そこはちょっとした丘のような場所。目の前には、人間たちの暮らす街が、昼下がりの晴れの空のもとに広がっていた。

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