20 サリアは俺達と一緒に旅立った
命のやりとり。
それは戦いにおいて、生きるか死ぬかということである。
けど、魔法を使った戦闘の場合、命を削り注ぐというもう1つの意味が加わる。
命を削り、相手の命を奪うこと。
お互いに命を懸けるという峻嶮な境地。
極限的環境。
自身の遺伝子に刻み込まれた賦質を限界まで引き出し、形質的な変化を及ぼすまでに自己を変革するということ。
それこそが、魔法。
それこそが、強者への道。
歴史さえも霞む、遥かな過去から存在した強者達は、俺を構成する細胞の1つ1つに教えてくれる。
遺伝子という二重螺旋の情報から、閃くように。
ただ、戦えと。
数多の強者達に見習って。
身に余る激情が、俺の身体を叱咤した。
「うおおおおおおおお!!!!」
俺はノートムに向けて、魔法を発動した。
彼の細胞以外の全てを消滅させんと、周辺の空間が一瞬歪む。
それと同時にノートムは動き出した。
彼は目にも止まらぬ速度で、歪んだ空間から翼をはためかせて飛翔した。
天使や悪魔の身体能力は元々驚異的だ。
悪魔のパダシリのように、魔法などなくても生身で魔物と殺し合える。
加えて強力な魔法を扱えるのだから、手が付けられない。
魔法を使っても攻撃圏内からすぐに逃れてしまう。
相手を手負いにするか、隙を突かない限り。
でも・・・やれる。
どんなに一個体が強力であっても、全てこの世から消してやる。
お前がサリアの壁になりたいってんなら全力で消してやる。
俺達の旅を邪魔する奴らも消してやる。
上等だ。
処刑人だろうが世界で1番偉い奴だろうが・・・
例え全世界が敵だろうが・・・俺が全部消してやるよっ!!!!
周囲に血の雨が降り始める。
血の風がふき、海が荒れ始める。
遠方では血の水蒸気が赤い雲を作り、雷も鳴り始める。
血の嵐。
朱色の世界。
そんな環境を作り出した主は、降り注ぐ血の雨全てを血の針に変化させた。
血液の硬質化。
一瞬の内に行われる凝固作用。
それは1秒も経過しない短い時の中で完了し、空中にプカプカと大量に浮遊する。
約10兆本の血の針は、全て俺に矛先を向けて、襲い掛かった。
俺はその全てに迎え撃った。
「あああああああああああっっ!!!!!」
叫ぶ。
そうすれば力が出る。
命を削り、大切な者を守れる。
ほんの少しの勇気が、俺を後押しする。
俺に迫る血を全て消す。
消す消す消す。
命がじりじりと失われていくのが分かる。
人が1ヶ月を経て消費する命を、わずか数秒で失ってしまう。
でも、その代わり数秒生きていられる。
激しく燃えるように減っていく俺の寿命。
それでも構わなかった。
必死に戦ったその先に、大切なものがあると分かっていたから。
「あああああああああ!!!!!!!」
迫る血に、押し返す俺の魔法。
発生と消失の現象が幾多も繰り返される。
生と死のループ。
繁栄と衰退の歴史。
それと似たものが、俺の周囲で苛烈に闘争を行っていた。
俺の魔法の展開に隙があったのか、数本の針が俺の上半身に突き刺さる。
激痛が神経を通して、俺の脳に伝わる。
だが、無視した。
・・・どうでもいい。
痛みを無視して、より感覚を鋭敏に。
攻撃を感知し、消滅させるだけの行為を、もっと効率的に。
俺はそんな強さを求めた。
そう。
俺が強者になるための道筋。
そんなものは、遥か昔の強者達が既に通った道だ。
だから、先駆者を見習わなければ。
強さの模索は続く。
強さを求めるなら、時間という代償が必要だ。
でも、魔法はそんなルール一切を強制的に破棄する。
命を代償にして。
原始的な闘争本能を動機にして。
争いの中で、効率的な殺害方法を阻害する手順を俺は捨てる。
もっと強くなって生き残るために、どんな無駄も許されないから。
戦いの中の淘汰によって、それは獲得される。
魔法の洗練された使い方を。
さあ、戦え。
俺の中の命が見せる、履歴の中の祖先達がそう叫んだ。
「ぐああうぅ!?」
突然、苦しむ声が血の空に響いた。
声の主は血の世界の主だった。
同時に血の針の猛攻が止まる。
そうか・・・周囲の環境を一変させるような魔法を行使したのだ。
魔法の負担は絶大だろう。
悲鳴を上げても不思議じゃない。
彼が空からゆっくりと落下していく。
だが、それは俺も同じだった。
魔法を乱用しすぎている。
肉体が痛みに泣いていた。
それを根性と呼ばれる理性の極致でカバーして、俺はノートムへ突っ込んだ。
俺の手には黒い剣が握られていた。
魔法で創られた剣だ。
命以外の全てを消滅させる俺の魔法を、最大限に圧縮した結果だった。
極限状態の中で、新たに発現させた魔法の形。
それがどんな効果を持っているのかは分からない。
でも、これを彼にぶつける以外のことを考えられない。
思考が停止したわけじゃない。
ただ、力を施行することに愉悦した自分がいただけだった。
「クロロオオォォォ!!!!!」
ノートムは絶叫しながら、自身の手の中に俺と同サイズの血で作られた剣を握った。
痛みに耐えながら、彼も俺の方へ走ってくる。
血の雨の中で、修羅の如く。
「うおおおおおおおおおお!!!!!!」
剣がぶつかった。
そのまま鍔迫り合いになるはずだった。
が、そうはならなかった。
俺の黒い剣が血の剣を抵抗もなく、豆腐を斬るように両断されたからだ。
まるで黒い剣の刃の部分に触れた箇所だけが、消滅したかのように。
必然、俺の黒い剣は止まることなく、ノートムの胸を斬り裂いた。
血の雨に混じって、彼自身の血が飛び散る。
心臓から噴き出した血だった。
途端、彼の持っていた折れた血の剣が液体状に変化し、地面に落ちた。
赤い雨も、赤い雲も、全てが地面へ落ちて広がる。
・・・終わったのだ。
「はぁっ・・・はぁっ・・・!!」
息を必死に吸う。
今、生きていることを実感するように。
ノートムは仰向けで倒れていた。
息はある。
けど、長くはない。
胸から湧き水の如く、血が流れていたからだ。
「どうして・・・」
俺は膝をつく。
勝負に勝ったのに、酷く悲しい。
頬に熱いものが流れた。
涙だった。
空から降る血に混じって、涙が赤く染まる。
それは今の俺の心を表しているようで・・・
「・・・クロロさんの、勝ちですね」
「ああ・・・勝ったよ。勝っちまったよ、ちくしょう・・・」
「・・・泣いているんですね。私を倒したのに」
「当たり前だっ!!何でお前を殺さなくちゃいけない?俺は・・・本当なら俺は、お前も一緒に旅をすれば良かった・・・そう思ってたのにっ!!!」
そうだ。
そうすれば、サリアの傍にいられたじゃないか。
サリアが悲しむようなことなんか、何もないじゃないか。
それなのに、何でこんなことになってるんだよ!!!
こんなの・・・納得出来ないじゃないか。
「私はね、サリアに・・・罪悪感を抱いていたんですよ」
「・・・」
「部屋に閉じ込められているサリアを、ずっと見てる毎日・・・もし私が、クロロさん・・・貴方みたいに、サリアを連れて逃げたらどうなるかって、考えてたこともあったんですよ?」
「なら、なんで・・・!!!」
「はは、そうですよね。怒りますよね。でも、出来なかったんです。サリアを思う気持ちよりも、自分の立場が失われることが怖かった。もし、サリアを助けることで、私が責めらた末に死んだら?そう思うと、怖くて何も出来なかった・・・サリアを傍で見守っていることぐらいしか・・・出来なかった」
ノートムは口から血を流す。
溢れ出る血が彼を咳き込ませた。
命が・・・流れ出ていく。
もう、時間がない。
そんな残酷な事実が、俺に平静を取り戻させる。
「私は、ずっと苦しかった!サリアを見る度に、胸が締め付けられて、死にそうだった。いっそ楽になれるように、自分を殺したいと思った時もあった・・・!!けど・・・結局、手が震えて出来なかった」
「・・・」
「私は、狂ってしまったんだ」
「あんたは狂ってなんかいないよ」
「なら、私は・・・どうしてこんなに苦しんでいるのだろう?」
「それは・・・それはな、俺達が生き物だからだよ」
命は、完全じゃない。
どこか必ず欠損がある。
不出来な部分が。
そんな欠けた場所を補完するために、俺達は人生の中で足掻く。
だから、こんなにも・・・苦しいのだ。
「・・・そうか。私は・・・」
そう呟いて、彼の視線が横に逸れる。
その視線を追うと・・・サリアが立っていた。
すぐ傍だ。
ああ、何ということだろう。
悲劇だった。
どうしようもなく悲劇だった。
サリアは泣いていた。
きっと、彼がもう長くないことを知っている。
それを悟れるくらいに、彼女は賢い。
「・・・ノートム先生」
「サリア・・・かい?」
「うん」
「ごめんな、サリア。こんな私で、ごめんな。今まで助けてあげられなくて・・・ごめんなぁ」
血を吐きながら、懺悔する。
後悔を残したくないから。
「先生は弱いからこうなっちゃったけどな、クロロさんは違うぞ。とっても強い人だ。きっと、サリアを守ってくれる・・・ずっとだ」
「違うよ・・・先生。サリアは・・・先生がサリアのせいで辛い思いをしてるなら・・・サリアが出ていけばって思っただけなの。でも・・・でも、こんなことになるなんて・・・いやだよぉ」
彼女の感情が荒ぶって、悲哀の感情が声に乗る。
でも、それを見る彼の姿は穏やかだった。
それは、優しい笑顔で・・・
「なんで、なんで先生はそうやって1人で勝手に悩んじゃうの!?私、先生がずっと元気でいてほしかっただけなのにぃ・・・なんでよぉ・・・」
「・・・泣かないでくれよ、サリア。私まで悲しくなっちゃうから・・・サリアは本当は元気な子だから、笑っていてほしいんだ」
「むりだよぉ・・・先生がこんなになってるのに・・・」
「無理じゃないよ。サリアは強い子だ。だから、笑える」
彼の目が濁っていく。
焦点が合っていないのだ。
あと、もう少しで・・・
「ほら、笑って。ね?」
サリアは・・・自分の腕で涙を拭いた。
でも、ポロポロとまた溢れてくる。
何度も何度も拭きなおした。
そして・・・
「・・・うん」
それは、とびっきりの笑顔だった。
涙がたくさんこぼれているけど、確かにそれは・・・笑っていた。
「サリア・・・もっと、顔を近くに・・・目が・・・見えないんだ」
「・・・うん」
ノートムが彼女の顔を手で引き寄せる。
そして・・・
「ありがとう」
そこで、ノートムの動きが止まった。
ノートムの中にあった、大切な何かが消えた。
感謝の言葉と共に。
「・・・」
ああ、そうか。
彼は・・・
「・・・先生?」
サリアがゆさゆさとノートムだったものを揺らす。
けど・・・けど。
「・・・」
サリアが黙って、唇を噛む。
泣きたいのを必死で堪える、小さな声が聞こえた。
ノートムが、死んだ。
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ノートムの遺体は、おっちゃんの意見でそのまま放置ということになった。
俺達は船に乗って、次の目的地まで行くことになっている。
施設に忍び込む前に、そういう話をおっちゃんとしたからだ。
だから、次の町の漁港までは体を休めることが出来る。
・・・これから俺達は、追われながらの旅をしなくてはいけない。
過酷な旅だ。
だから、余計な雑念はここに置いて行けとおっちゃんに言われた。
でも、そう簡単に割り切れるものじゃない。
俺は殺人を犯したのだ。
あらゆる心の犠牲を払って。
ショックだった。
覚悟したつもりだった。
でも、足りなかった。
憎んではいなかった。
むしろ、彼の告白を聞いた時から友達になれるかもと思った。
悲しかった。
それでも明日はやってくる。
無慈悲な世界は、俺達を追い立てる。
だから、迷ってなんかいられない。
先に進まなくてはいけない。
ハルカや、サリアのために。
けど、今日だけは無理だった。
後になって俺はたくさん泣いた。
傍でハルカが一緒に寄り添ってくれた。
彼女も泣きながら。
そうやって、船の上で夜が明けるまで過ごしたのだった。
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「・・・おはよう、サリア」
「うん、クロロお兄ちゃん。おはよう」
翌朝。
俺が甲板で朝日を見ようと部屋から出ると、そこにはサリアがいた。
彼女はずっと、眩しいくらいに光る朝日を眺めていた。
声をかけようか、正直迷った。
けど、そこでノートムの顔が思い浮かんだ。
だから、話しかけた。
「・・・大丈夫か?」
「昨日のこと?」
「ああ」
隠しはしない。
悲しみを押し殺したところで、心の傷になるだけだ。
泣くなら泣いてもいい。
俺みたいに。
でも、大丈夫。
俺が守るから。
そんな気持ちで聞いたのだが・・・
「うん、大丈夫」
彼女はニコッと俺に笑いかけた。
無理をしている感じではない。
「・・・サリアね、ノートム先生の言葉を大事にしようと思うの」
「言葉?」
「うん。先生がサリアに笑っていろって言ってたでしょ?」
「・・・言ってたな」
「あの言葉ね、大切だなって思ったの」
「そっか。そうだよな」
「サリアね、先生を死んだ後も困らせたくないの。だから、笑ってる。先生がずっと安心出来るように」
ああ、ノートムの言った通り、本当に強い子だ。
彼女の笑う顔には、涙を流した痕が残っていた。
それは痛みだ。
けど、痛みを乗り越えて俺達は強くなる。
そうやって、命は悠久の旅を続けていくんだ。
「俺、お前をずっと守るよ」
「・・・それって家族になるってこと?」
「そういうことに・・・なるのかな?」
「・・・ありがとう」
サリアはノートムの最後の言葉を口にする。
それは生の終わりに発する言葉ではなくて、新しい旅立ちを予感させる希望の言葉だった。
「・・・話は終わりましたか?」
「おわ!?」
俺は後ろの声に驚いて、振り返る。
いつの間にかハルカが背後に立っていた。
「驚かせるなよな、ハルカ」
「勝手に貴方が驚いただけでしょう?ビビリークロロさん」
「変な称号を俺につけるな!」
「なら、The chickenはどうです?」
「英語に直したら、何でもかっこよく見えると思ったら大間違いだ!」
「では、ザ・チキンで」
「だからって訳すなあぁぁ!!!」
凝り固まった雰囲気が、彼女によって軟化していく。
柔らかく心がほぐれていく。
それだけで、ハルカにお礼を言いたいくらいだった。
「ふふ、やっぱりお兄ちゃん達っておもしろいね!」
俺とハルカが言い争いをしている時に、確かに俺の耳にそんな優しい言葉が届いた。
決意の、朝に。




