18 龍と呼ばれる存在と俺は殺し合った
「ガアアアアァァァァァァ!!!!」
天井のガラスを割る程の咆哮は、全ての生物を畏怖させんとする意思みたいなものが内包されていた。
通常の獣が敵に対して吠えたり唸ったりするのは、攻撃するためではなく敵を追い払うためのものだ。
出来るだけ戦闘を避けようとすることは、野生の基本である。
でも、食物連鎖の頂点に立つ存在は、この限りではない。
俺は割れた天井のガラスの向こうを見た。
己の存在を周囲に誇示せんと咆哮した存在。
それはドラゴンだった。
ああ、そいつは・・・
俺が見た中で最も美しく、そして他のどんな生物とも違っていた。
漆黒の鱗が全身を覆っている。
15メートルを超えた巨大な全身には、強靭さとしなやかさを兼ね備えているであろう筋肉が、所々に隆起していた。
背に生えた左右一対の翼は、破壊靱性に富んだ灰色の皮膜を悠々と広げていた。
頭部は2本の角を生やしたトカゲそのもの。
でも、トカゲは竜であり、龍じゃない。
竜は地を這うことでしか移動出来ない種だが、龍は翼を持っている。
そして何より龍は強者だった。
生命の目指すものは強さであり、きっとそれを体現した存在は美しいのだろう。
だって生命の使命に準じて生きているのだから。
「何で・・・ドラゴン?」
ハルカがぼそっと言った。
俺も同じ疑問を抱いている。
何故、こんな街中にドラゴンタイプの魔物が?
いや、時々町には魔物が出没するということは聞いている。
たまに空を見ると、普通の鳥を捕食するイーグルタイプの魔物を俺達も見ているから。
さほどそれは珍しいことじゃない。
けど、ドラゴンは人里に出没するような魔物ではない。
この星の汚染された辺境に生息しているからだ。
だからこのドラゴンは・・・”飼われている”のだと思った。
でも、なんでこんな巨大な魔物を施設に侵入する前に見つけられなかったのか?
全然分からない・・・!!
「クロロ・・・逃げなきゃ・・・」
ハルカがぼそっと言った。
そうだ。
逃げなければならなかった。
なのに、俺の体が痺れたように硬直してしまっていた。
「クロロ!!!」
「・・・っ!!」
ハッと我に返る。
ハルカの叫びで、やっと俺の足は動いた。
「逃げるぞ!!」
俺はサリアを背負って、来た道を戻ろうとする。
だがドラゴンは胴体を器用に捻らせ、尻尾を俺達の真上部分の天井に振り下ろした。
ゴガンと破壊音が発生し、岩で出来た天井の崩落が始まる。
大きな破片の塊が俺達めがけて落下してきた。
「こっの!!!」
俺は魔法を使い、降り注ぐ破片を片っ端から消していく。
1度魔法を使い、テンションを上げていれば再度魔法を唱えなくてもいい。
咄嗟の判断が生死を分けるこの状況では、この要素はかなりデカイ。
「クロロ、扉が!!!」
ハルカが指さす方向には、瓦礫で半分ほど埋まった扉が見えた。
あれじゃあ通れない!
「うおお!!!」
俺はまた魔法を行使して、瓦礫を消す。
瞬間、命がギリギリと苦しむように渦を巻いた気がした。
遅れて命の消費に伴う疲労が蓄積されていく。
少しだけ苦しいが、今はそうも言ってられない。
「ガアアアアァァァァァァ!!!!」
ドラゴンが天井全てを破壊し、この部屋を丸裸にした。
そして巨大な頭部を突っ込み、俺に向かって迫ってくる!!
俺達が扉の向こうに飛び込んだ直後、扉周辺の壁が凄まじい音と共にひび割れた。
建物全体がずんと揺れる程の衝撃。
地の利がたまたま命を拾った瞬間だった。
「やばいやばいやばい!!!」
ドラゴンはデカイ頭部が邪魔して、扉の向こうへ行けていない。
逃げるなら今だった。
「狙いはサリアですか!?」
「多分!きっとあれはこの施設の守護者だ!!」
ハルカの怒号のような声に、俺は応える。
ガーディアン・・・危険指定者を監視し、同時に守護する者。
ここの施設には、ドラゴンがあてがわれたのだろう。
サリアを侵入者から守るために!
白い部屋を抜けて、俺達は廊下へ。
走っていると、すれ違う複数の部屋から子供達の鳴き声が聞こえてきた。
あの衝撃なら、間違いなくこの施設に住む全員に聞こえただろう。
きっと、ノートムにも。
「ガアアアアァァァァァァ!!!!」
「うおわ!?」
俺達が走っていると、突如廊下の先がドラゴンの咆哮と同時に崩れ落ちた。
そして出来上がった大穴から、ドラゴンの頭部が廊下に侵入してきた。
「クソッ、逃がさない気か!」
「どうするんですか!?」
「非常口から出るぞ!」
俺達は咄嗟にターンして横の廊下へ。
天井がドラゴンの巨体で次々と崩壊している。
瓦礫が落ちてきて危ないが、全力で走ることをやめない。
遺伝子にこびりついた、捕食されることへの恐怖がそうさせた。
「走れ走れ走れぇぇぇっ!!!」
ハルカと自分に言い聞かせるように吼える。
危険信号が頭の中でわんわん響く。
ギリギリの精神状態でも、表面には絶対出さない。
ハルカとサリアを不安にさせたくなかったから。
ハルカは不安そうな顔だったが、パニックになることなく俺のすぐ後ろを必死に追っている。
サリアは俺の背に顔を埋めている。
何とか、このまま逃げ切れれば・・・
俺達の走る先に頑丈そうな扉があった。
きっと非常口だ。
そこから外に出て町中に逃げよう。
勢いよく非常口の扉を開け放ち、俺達は外に出た。
だが・・・
「・・・マジか」
扉の先にあるものを見て、思わず止まる。
俺達の目の前にいたのは、先回りしたドラゴンだった。
扉の先は、施設が保有している広い公園だった。
隅に遊具が設置されている以外は、何もない。
龍と呼ばれる強大な生物は、そんな場所で両の翼を広げる。
食物連鎖の頂点に立つ魔物。
その魔物の頂点に立つ王者が、俺達に立ち塞がる。
これは・・・戦うしかないかぁ。
「・・・ハルカ、サリアを背負って逃げろ」
俺はサリアを背から降ろして、俺は静かにそう言った。
「・・・クロロはどうするんですか」
「コイツを止めなきゃ、俺達逃げられないからな。ここで戦うよ」
「・・・」
彼女は悲痛な顔をした。
本当なら、こんな彼女は見たくなかった。
けれども、俺は言わなくてはいけない。
絶対にハルカは死なせたくないから。
サリアは多分、ドラゴンに殺されたりはしないだろう。
守護者のターゲットにはなっていないから。
「大丈夫。俺はゴキブリ並みにしぶといぜ?」
「・・・なんせ、ホームレスですものね」
「ああ、その通り」
「では、死亡フラグを建設しないうちに、私は逃げます」
「はは、死亡フラグっすか」
こんな時にも冗談を言える彼女が、何となく好ましかった。
「うん。それじゃあ、例の場所で落ち合おう」
「ええ」
視線の繋がりを断ち、俺はドラゴンの方を向く。
もうあっちは戦闘態勢に入っていた。
「行けぇぇぇぇっ!!!!」
俺が叫ぶと同時に、背後にいたハルカの駆ける音が聞こえた。
ドラゴンが反応し、ハルカを攻撃しようと走り出すが、俺が間に立つ形で遮った。
さあ、殺し合おう。
命を、懸けて。
そして、戦いが始まる。
ドラゴンが大股で接近してきた。
武器は、遠心力で巨大なハンマーにもなる巨大な尻尾と、ズラリと生えた凶悪な牙だ。
そのどちらもがちっぽけな俺の命を消し去る脅威となる。
俺は命を消し去られる前に、自分で命を削って生き延びなければならない。
必然、魔法を使用した。
ドラゴンの前に幅10メートルを超える巨大な穴が出現する。
俺の魔法で大穴の形に地面を消滅させたのだ。
ドラゴンが一時的に動作を停止させる。
よし!
この隙に俺は、再度魔法を発動してドラゴンの体を構成する水分を部分的に消滅させようとするが・・・
「なっ!?」
ドラゴンが俺の殺気に反応したのか、素早く跳躍した。
恐らく数トンにもなるだろうその巨体が宙に浮いたかと思うと、俺めがけて落下してきた!
殆ど反射的に横に馳せて、距離を取る。
遅れて俺がさっきまで立っていた場所を中心に、小規模の地震が一帯の地面を揺らした。
直後、ドラゴンは間髪入れずに俺へ突進を仕掛けてきた。
巨体とは思えない軽やかで、素早い動き。
その動作は人間の格闘技に通じるものを感じさせた。
「ぐっ・・・!!」
俺はそのまま横に走り、ベリーロールの要領で飛び込む。
運動エネルギーを殺さずゴロゴロと地面を転がると、鼻先を龍の牙が掠った。
何とか回避したようだ。
だが、本能的にまだ命を散らす脅威が迫っているのを微かに感じた。
俺はノールックでしゃがみこむ。
瞬間、俺の頭上を鈍器のような尻尾が風を斬る音を伴って通過した。
・・・油断して頭を上げていたら、首から上が消し飛んでいたところだ。
続けてドラゴンは足を上げ、俺を捕捉したと同時に体重をかけて振り下ろした。
俺は直接目視せず、目の端で攻撃の位置を確認しながら転がって回避する。
俺を潰そうと、強烈なストンッピングが連続で容赦なく繰り出されていく。
回避、回避、回避の連続。
一方的な暴力の嵐が、周辺の環境を変容させていく。
俺の魔法で反撃する隙がまるでない。
この龍は、人間と戦い慣れているのだろう。
人間の骨格から導き出される動作を、瞬間的に見切って攻撃を行っているように思える。
巨体に頼った戦い方をしていないのだ。
そう。
動作にまるでロスがない。
かなり精密に、それも無駄のない動きをしている。
それは俺の魔法を警戒していることを意味している。
だから俺は、一時として同じ場所にいてはいけない。
俺はストンピングの嵐からバックステップで距離を取る。
隙なくドラゴンは追尾しながら、巨大な顎で俺を噛み砕こうと迫る。
ドラゴンの歩行距離は、矮小な人間である俺の数倍である。
たった1歩で、俺とドラゴンの顎はゼロ距離に近い間隔まで縮まってしまった。
普通なら、ここでゲームオーバーだ。
食われておしまい。
そうだ。
1人の人間は決して龍に勝てない。
何故か?
遠い昔の時代、人間達は恐竜に勝てなかった。
まだ、竜を狩れるような種族ではなかったのだ。
だから人類が竜を狩ったという事実が一切存在しない。
竜に勝てないのなら、龍に勝てないのも道理だろう。
でも俺達は、そんな遺伝子の記憶と歴然たる事実を覆す程、進化と発展を実現させてきた。
ただの人間如きが、龍に勝てるような段階までのし上がってきたのだ。
それは決して闘争のためではなく、種が星を出て、悠久の旅を行うためのものだった。
生命の使命は強者であることだと俺はかつて言った。
けれど、そんな使命すらも俺達は飲み下し、宇宙と呼ばれる未知なる大海へ船を漕ぎ出そうとしている。
そこは、龍なんかがいて良い場所ではない。
知性ある種だけが臨める、過酷な道なのだから。
「うおおおおおおおお!!!!!」
至近まで迫る巨躯に対し、俺はコンマの差で魔法を発動した。
ようやく捕捉したドラゴンの頭部全域に、完全な真空を作り出す。
極限まで減圧された気圧。
そこで呼吸を行うとどうなるのか?
・・・肺胞が破裂し、死に至る。
ドラゴンの動きが急停止した。
俺の体から頭部が横に逸れて、ズシンと倒れる。
もがき苦しむ間もなく、ドラゴンは即死した。
口からは、血の混ざった唾液が泡を吹いている。
俺が、殺した。
・・・勝ったのだ。
殺し合いに。
「はぁ・・・はぁ・・・」
ドクドクと汗が噴き出てくる。
過ぎた緊張が全身の血流を加速させる。
命のやり取りを行った者にしか分からない、極度の興奮状態。
危ないところだった。
1つ間違えれば、死んでいた。
たった1回、足を躓けばそこで死んでいた。
コンマ1秒、攻撃をよそ見していたら死んでいた。
呼吸のタイミングがズレていたら、死んでいた。
けど、生き残った。
闘争に奇跡など存在しない。
そこには、ただ単純な必然だけが存在する。
俺が生き残ったのは、当然のこと。
全ての事象に偶然など存在しないのだから。
例えば。
患者の助かる可能性が0.00001パーセントの大手術。
奇跡的に患者は生き残った。
けど、それは奇跡的な偶然ではない。
必然だ。
0.00001パーセントの確率で、”必ず”助かる事象だっただけの話。
さっきの命懸けの戦闘だって同じだ。
起こるべくして起こったこと。
ただの結果論ではあるが、それは絶対的なものだった。
だって、結果は結果なのだから。
「・・・急がないと!」
俺は立ち上がる。
ここで呑気に休息なんか取っていられない。
ハルカが俺を待っている。
仲間への熱情が、俺の背を押した。
だから、走れた。
俺は死んだドラゴンを背に、夜の町へと駆け出した。




