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序章ⅴ



「お前を、婿に貰いに来たっ!!」



「……………は」



 私の大声が広間に響き渡る。反響する叫び声は余韻を引き連れて波紋のように隅々まで伝わっていく。


 その叫びを確実に耳にした彼は、何か言葉を出そうと口を開き、そのまま動きを停止していた。

 自慢の愛剣が、反響する音にまた音を添えるように、哀れなほどに軽い音を立て、床に転がり、そのまま私の手元を離れていった。


 磨かれた床に横たえられた剣は虚しくその姿を晒していたが、意に関さない。

 少々振り切るときに力を入れすぎたため、切っ先が掠った床が破壊されていたりするが、それにも意識は向かなかった。

 抉れた自尊心とかもどうでもいい。胸は痛覚を燃料にただ燃え続ける魂を思わせて、私をただ行動に移させる。人としての存在価値も、常人としての矜持も何もかもかなぐり捨てたかった。ただ、今は詰め込まれ過ぎて、胸に満杯になった気持ちを吐き出すのに必死だった。


 魔王はしばらく開口させたまま呆然としていたかと思うと、突然目を見開き、さきほどまでの無表情はどこへいったのか、忌々しそうにこちらを睨み付け、歯軋りさえ聞き取れそうなほど歯を食い縛ったのが分かった。

 気分を害したことは明白だったが、残念ながら私はそれさえも留意できないほどに理性が吹っ飛んでいた。


「貴様、なんのつもりだ。名を、名を名乗れ男!」

「男じゃない、女だ!」

「なっ……」


 威勢を取り戻したはずの魔王が再び唖然とする。

 我ながらこれは酷い。しかし紛れもない事実だ。

 私は本来ならば女だ。今はアヴァロンのキャラクターとしてのシオンであり、男であるが、元来の身体は女のものだ。思考だってそうだ。


 魔王がこちらの勢いに圧倒されているのを確認して、今しかないと足を踏み出す。

 痛む胸を押さえながら、彼に近づいていく。

 高級そうなカーペットは血や脂肪で汚れた靴裏によって穢されてゆき、ゾンビのような足跡を付けてゆく。その足取りはまさにゾンビのように遅々としているが、どうしたことか足を進ませるにつれ段々と速度は上がっていく。

 直ぐに触れられる距離に魔王がいた。


 首筋に剣を添えられるが、そんなことさえ恐ろしくなかった。


「魔王」

「なんだ、貴様は。何しにここに来た!」


 本当にね。そう笑ってしまうより先に、口から言葉が出た。


「お前に会いに」


 ガッ、やにわに彼の空手を掴んだ。

 身長は同等ほどだったので、そのまま凝視する。

 思いっきり引いている(ようにしかみえない)魔王に抑え切れない感情を続けて言葉という媒介を通してたたみ掛ける。


「好きだ。ずっと、昔(3年前)からお前のことを想っていた。お前を始めて見たとき(ゲーム開始に重要キャラクターとして説明に出てくるとき)から、心を奪われていた。

私の全て(就寝時間、勉強時間、情熱、その他)を注ぎ込みお前を打ち倒すという名目で、会おうともがいていた。

だが、こうして話し合えるようになったのならば(何故か仮想現実からこちらが本当の現実となったので)話は別だ。

 魔王――愛している。私と共に生涯を歩んでくれないか?」


「なっ…!?」


 語っているうちに、血が通っていなさそうだったのに握り締めた魔王の手が鬱血してくるのも見えずに、ただその瞳を見つめながら愛の言葉を送る。


 全て憧憬だけではなかった。

 ストーリーが語られる中で、一瞬だけ出てくる魔王の存在――その存在に、私は魅入られていたのだ。

 確かに、こうして直視してみても、あの数瞬の光景を思い出してみても、何もかもが私の中でドストレートだった。

 長い光沢のあるうねった髪に、端整な西洋風な顔立ち、カリスマ性溢れるその姿。

 恋というものを一度もしたことがなかった私にとって、きっとそれは始めての恋だったのだ。後から擦り付けた意味合いだとしても、今の私にとってその頃の記憶さえ恋する乙女に変換される。


「魔王、私を受け入れてくれるならば、私は生涯お前を愛し続けることを誓おう。だから―――」

「―――離れろ」


 首の下を通る重い音が聞こえた。

 その瞬間に魔王の目の前の地面が抉れ、数メートルにわたり衝撃波のように亀裂が走る。

 私の告白は遮られ、容赦のない攻撃に殺伐とした空気で空間が凍る。


 え?私?勿論逃げた。だって死んでしまう。

 魔王の手にかかって死ぬのならいろんな意味で本望だが、まだ私の愛の言葉の返事を聞いていない。

 あの魔王の攻撃が照れ隠しで、それで私が死んでしまったら情けなさ過ぎる。あの侮蔑の表情からして照れ隠しなんてありえないが。ポジティブに考えよう。

 憧れの人から向けられた刃に軽く傷ついていると、美しかった大理石のような床――今では散々に砕かれたそこに深々と刺さった剣を引き抜く魔王がいた。


 鋭い切っ先は私に向けられ、その鋭い眼光は言いようもない殺意に染められている。

 それを受け流し、私も警戒しつつ自分で投げ出した剣の元へ素早く後退する。人間にはない身体能力で爪先に力を込め、弾丸のように兎跳びの要領で吹っ飛び、素早く愛剣を再び手にする。

 魔王からの警戒心を少しでも薄めるために放り出しておいたのに、まさか使うことになるとは。


 最愛の人に向ける自らの刃。それは銀色の、しかし白くも見える剣で、魔王と対峙しモノクロの対比を生み出していた。

 邪道なことを言えば、もっと優れた武器もあった。が、綺麗な対比を予想して装備してきたわけだった。やはり、見事な対比である。私の目に狂いはなかった。


 放たれる殺気に剣を握り締める力を強め、その後に訪れる展開を思って鎮痛に問う。


「どうしても、戦うのか」

「そのためにお前は来たのだろう――!」



 魔王の双眸が強烈な光を発し、マントが揺れる。

 その瞬間に戦闘は始まっていた。


 一瞬の後、目の前から魔王が姿を消す。

 それはそれほど(捉えられないほど)の速さで移動したことを意味していた。だが、何も完全に捕捉できないわけではない。

 鍛え上げられたシオンの洞察力で見えた一瞬の黒に向かって刃を滑らせる。


 金属の弾きあう音が響きあい、余韻が耳に残る。

 顔を歪め、悪役そのままの表情の魔王が目の前にいた。そのまま拮抗状態になった二つの切先は、しかし即座に離れ、再び振るいあう。

 一合、二合、三合。打ちつけ会うたびに威力は増大し、響きあう音も弾ける二つの剣の間の火花も苛烈さを増してゆく。


 その中で精神を集中させ、彼の剣に神経を持ってゆく。

 打ち合い漸く視認することが出来た魔王の剣。当初は壮麗さを醸し出していたそれだったが、どうしたことか本格的な戦闘になったとたんに黒い霧のようなものがあふれ出し、周囲を汚染するがごとく軌跡を残していた。只事ではない雰囲気を発しているそれは異様な威圧感を持って、闇に接触した剣越しの腕を侵食していくがごとく黒い霧を撒き散らしている。


 おそらく、きちんと判断は出来ていないが、彼が持っている剣は魔剣の一種だろう。

 身体を切らせたら最後、どのような付随効果があるかは知らないが、とりあえず身を滅ぼすことになるのは確かだった。それはシオンの所有スキルの〈直感〉が教えてくれた。背筋を凍えさせる凄まじい悪寒を感じ取っている。


 ボス戦とはいえ、攻撃当たったら一発ゲームオーバーとか何それと思いながら、彼の攻撃を受け流すため剣を振るう。


 この魔城の中で戦ってきて、おそらく彼が一番の強敵というのは間違いなかった。

 魔王に到達するまでにも傷は負わされてきたものの、それは数に押されただけであり、一対多数での怪我に過ぎなかった。

 対策としてカンスト、さらに極上の装備――既にガラクタと化しているが――をしてきたかいがあったというものだが、目の前の敵はそういう次元ではない。

 まず一対一でやりあうのが間違いな部類の強敵だ。

 一人を囮として置き、遠くからの魔法攻撃、捨て身の攻撃を繰り返し精々三人いて漸く倒せるレベルだ。

 そう、今まで一緒に歩んできた仲間がいてこそ倒せる敵。


 しかも――打ち合う中で、自分の身体が悲鳴を上げてくるのが分かる。

 魔王に会った喜びで明後日の方向へ吹っ飛んでいたが、自分の身体はポーションで回復し切れなかったダメージは残っているし、しかも毒も回っていて、ある意味魔王が手を下さずとも死ぬような重症体なのだ。


 それを魔王は見知していて戦っているのか、知らずに戦っているのか、それとも私の突然の告白で判断が出来なかったのか、戦うことが魔王の義務なのか、やはり当初言ったように僅かな時間でも生かしておくこともないと思ったのか。

 とりあえず分かることは、私がまだ魔王と話し合える時間があるということだけだ。


「っ、魔王!」

「まだ喋れる余裕があるか……!」

「私は戦う気などない!ただお前と話したいだけだ!」

「戯言を……! 信じるわけがなかろう!」


 鬩ぎ合う中で、どうにか思いを伝えようと言葉を出す。言葉を出すと内臓が捩れるような感覚を覚えて剣が鈍りそうになるが、どうにか力強さを持って彼の剣を受ける。

 しかし魔王は攻撃の手を休めるどころか、さらにその過激さを増した。荒げた声に伴わず息は未だ整っている。私は既に口を開くことも厳しいというのに。


 だが……信じられないって―――! どうして! 自分でも随分と魔王相手に馬鹿なことをやったという自覚はあるのに!

 それが逆に警戒心を逆撫でしまったのだろうか、思わず気持ちを我慢できなかったばっかりに、くそ。


 過去の自分の行動を悔やみながらも魔王の剣を弾き距離を取る。

 ここまでくると既に、毒が全身に回り、確実にHP(体力)が少量になっていることが明白だった。

 胸苦しい身体、うまく力の入らない腕、これではあと何分も戦闘を続けていられないと唇を噛む。


 剣を交えた後、お互いに視線が絡み合った瞬間に必殺が交差する。純粋な筋力さに敗北し、そのまま数メートル弾き飛ばされる。床に膝を追って着地し、それでも後ろへ反る身体をどうにか床に踵を引き摺らせて停止させる。

 身体に走る衝撃に、歯を食い縛り耐え、必死で言葉を吐き出した。


「信じてくれ!私はただお前が恋しいだけだ!」

「馬鹿げたことを…!その口、永劫塞いでやろう!」


 そう魔王が告げた瞬間に、彼の身体がふわりと地面から浮き出す。

 天上の高い部屋で仰がなければ視界から外れるほどに魔術も無しに浮き上がった魔王に、顔を歪める。


 一定以上のレベルや特定の魔物、そうして一部の〈デミヒューマン〉につく特技としてのスキルである〈浮遊〉。私の〈直感〉と違い魔力を消費する部類の中でも元から所持していないものにとっては貴重なスキルだった。

 それは羽を使ったものであったり、自身の意思であったりするが、対峙する側にとっては酷く厄介な代物だ。

 まず飛ばれると、同じ飛行の術を持っていないと攻撃できないし降りてくるまでが時間が掛かる。

 ゲームの設定上、何秒間飛ぶと一旦着地。というものが決まっているが、それはそうでもしないと地上にいるものが手も足も出ないからだ。そうして今は“現実”だ。そんな都合のいいルールなど決まっていないだろう。


 勿論矢や銃など、遠距離型の武器や魔法、スキルを使えるのならば対処の仕方はいくらでもあるが、今の私は魔法やスキルを使う魔力(MP)は尽きているし、矢や銃のような扱いに長けていない武器はポシェットと共に置いてきた。そもそもこの場面で取り出そうとしていたとしても、それが決定的な隙となって仕留められるだろう。

 結果、どうしようもない。


 そうして浮かび上がった魔王は、剣を握っていないほうの手の平に黒い魔弾のようなものを浮かび上がらせる。

 音唱は無い。きっと彼が音唱を必要とするものは、大魔法レベルのものなのだろう。高位になっていくと、音唱が短縮していき、彼ほどならば口を開くまでもないはず。ただの一瞬だ。


 片手に歪な空気を噴出させる漆黒の長剣と、邪悪なほどに魔力が密集する塊を携え、殺気を露にし、マントをたなびかせる魔王。

 挑戦してきた者達を滅し、頂点に君臨するに相応しいその姿。


 思考するうちに、彼はその手の平を(こちら)に向けていた。


「散れ」

「(やばっ……!)」


 声が引き金となって一撃でも当たれば身体が抉れるだろうことが容易に想定できる黒い魔弾が投射される。

 矢のような速さで迫るそれに、思考に埋もれていた身体を躍動させ、床を駆ける。

 駆けても駆けても追随し、ほんの僅かな差で床に直撃し、砕け散らせ、それでも飽き足らずにどんどんと着弾する魔弾に、身体を止めさせることは叶わない。

 床が魔弾によって砕け散ってゆく中で、砂埃にかき消されてゆく魔王を見た。



 魔王が縦横無尽に魔弾を連発し、密閉状態とそう変わらない部屋が砂埃に埋め尽くされ、視界が不明瞭になったころ。私は漸く足を止めることが出来た。

 さすがに視界がはっきりしない中で攻撃をしても意味がないと悟ったのだろう、動きを見せない私に彼は何もしてこない。

 魔弾で砕かれ壁になった瓦礫に背をつけ、一息つく。と同時に駆け巡る痛みに顔を歪めた。

 耐えてきたものの、脂汗が落ち、剣を握る手が震える。鼻につく血の臭いに吐き気がする。


 魔王の攻撃を避け続けるために動き続け、どうやら毒が更に進行したようだ。

 確実に迫る死へのカウントダウン。それを改めて身に染みて実感すると、現実世界ではなく、ゲームだった世界で死をこうも身近に感じるとはと、今更ながらなんだか笑えた。


 砂埃は、時間の経過と共に晴れてゆく。

 魔王ならば、魔法によっての爆風でもなんでもこの煙を払う方法があっただろうにと疑問に思いつつも、再び剣を握り締める。

 ココまで来たのは虚勢だ。体力(HP)も尽き、魔力(MP)も尽きた私が出来た最後の足掻き。

 ゲームならば死ぬまで好き勝手引きずりまわせるこの身体も、今でも痛みに耐えかね動きたくないと行動を拒否している。



 目を閉じ、意識を埋没させる。

 なんだか、本当はこれが夢でした。とか、そんな予感はしていないけど、戻るならこれが最後のチャンスだと思ったのだ。

 しかし、目を開いても変わらぬ風景に苦笑しつつ、覚悟を決めた。


 想いが伝わらないのなら、実力行使だ。



 砂埃の中――僅かに薄い煙の場所で、見て取れた魔王の姿。

 その姿は今だ宙に浮いている。その現実味のない光景に、やはり仮想空間のようにルールに縛られていないことを確信した。

 そう、彼の行動もゲームではなかった。彼はその端正な顔を無表情に形作りながら、何をするわけでもなくただどこかを見つめていたのだ。敵を目の前にしてするような表情ではないと私という印象をもった。真剣な顔をして何かを考えている――そんな表情。ってあれ、思考中?どうしたの魔王。

 傍からみれば隙だらけの彼に、一物の不安と疑問を抱えながらそれでも私はそれを絶好のチャンスと見た。

 きっと、今しかない。

 そうして、話を聞いてもらえるチャンスも。


 隠れていた床の破片である突き刺さった壁から踏み込んで、一気に駆ける。

 それに気付いたのか、思考を中断した魔王が私を視界に納め、手に先ほどと同じような物体を作り上げようとする。


「させるか!」

「!?」


 声を出して、その瞬間に、全神経を足に集中して、縮みこみ、バネのように床を蹴り上げる!

 バコンッと床が砕け散る音を背後に聞きつつも、私は宙に舞った。


 小賢しいといわんばかりに歪む顔が、距離をあげるに連れてどんどんと近づいてゆく。

 だがその顔は直ぐに驚きに支配された。

 それもそうだ。今の私には、相手を傷つけるための武器がない。

 完全に逸れた注意に、ニヤリと笑う。


 そうして一秒にも満たないその最中、胸元から一つの秘密兵器を取り出した。

 一度きりの使い捨て、槍夜が教えてくれた期限限定の厄介なクエストを成功させ、漸く手にした特注品。

 急所――所謂心の臓と呼ばれる臓器を貫けば、どれほどに厄介で、頭を飛ばしても死なないような強敵さえも一撃で仕留められる。

 そんな夢のような武器だ。

 魔王の武器が数ミクロンでも肌に掠れば死ぬような武器であるならば、これぐらいの武器もあっていいはずだ。

 見た目はボロボロの木で出来たような一度使えば壊れるようなそれ――それを相棒の剣を捨てた右手で握り締め、迫る魔王に振りかざす。


 この武器には心臓を貫けば必ず相手を殺す。という効果が付けられているが、その強力な作用によりその攻撃判定は厳しい。

 心臓を確実に貫いていなければならないし、貫く以前に甲冑などで短剣の方が壊れてしまえば元も子もない。

 だからこそ、今に相応しい。

 魔王は見た目を重視したデザインになっているのか、その服装は王族めいた気品の溢れるもので甲冑などで身体を防御していない。

 そうしてヒトと同じ姿形をした彼は、きっとその胸にある臓物も、私と同じ位置に配置してあることだろう。


 魔王の顔が、よく見えた。

 どう見ても好みのど真ん中で、こんな状況でも、死に体でも、これから彼を殺そうとしていても、やはり会えて良かったと思う。

 だからこそ、魔弾を完成させ憎しみさえ灯った瞳で睨む彼に言葉を告げた。


「愛してる」


 彼の目が見開かれた。それは確実な隙で、私は迷わずに振り絞った腕を引き離した。

 愚直なまでに心臓を狙った短剣は、なんの抵抗もなく服を貫き、そうして心臓を貫く。


 そうして、ここに『短剣で心臓を貫いた』事実に基づき『魔王が死んだ』ことが確定される。

 それは今までずっと目標にし続けてきた者を殺したわけであって、いうなれば意味も分からずやってきたこの世界でたった一つの支えを失ったことと同じだった。


 使いきりのその短剣は、パキリという乾いた音と共に砕け散る。

 それと同時に浮かんでいた魔王の身体がぐらりと傾き、重力に従い、羽を落とされた鳥のように落ちてゆく。

 それは、既に自ら殺した最愛の人の骸だった。

 形は今だ人としてのなりを留めているだけの、残骸。意志がなければ、ただ腐り落ちて土に還るのみ。

 きっと、このまま床に打ち付けたとて、完璧なまでのヒトの形が少々崩れるだけだろう。


 そう思って、落ちてゆく彼だった物を見て――今だ手の届く範囲にあったその身体を抱きしめた。

 くるりと軽い身体で彼の後ろに回りこみ――彼ごとそのまま地面に衝突する衝撃を受け入れた。

 鈍器で打たれたような痛みと強烈な臓器への圧迫感で、色々なところが砕け押しつぶされた感覚がする。なんとなく察することができる。私のヒトとしての形が少々崩れたらしい。

 それに大きく顔を歪ませつつ――頭を振り、私は胸に入ったアイテムを探し始めた。


 横目でチラリと表情を窺えば、目を見開いたまま何処か分からぬ場所へ瞳を向けていた。いや、そこに何も写ってはいない。ただ、直前の表情がそこに固まっていた。もはや命のない身体は弛緩しきっており、力なく垂れ下がっている腕が重かった。

 それでも、手放さないでいた。

 『死んだ』ばかりの彼は、まだ温かく、私が抱きとめたせいで体の形は今だ崩れてはいない。

 先ほど骸と言ったその身体だが、壊れなくてよかった、と安堵した。


 そうして、胸ポケットに入れていた、小さな木の実のようなものを出す。

 しかしそれは白色に光っており、ただの木の実ではないことを示していた。


 もしも、の時のために持ってきていた自分自身には使えない、魔法の実。



「ぅ、ぐ…なんの、つもりだ」

「!! 魔王、なんで…」



 目を疑う光景が眼前にあった。長い髪が僅かな振動に沿うように動き、開眼されていた瞼は落ち、細まった瞳がこちらを流し見たのだ。だが憎憎しげに発せられた言葉はたどたどしく、身体の動きも十分ではない。


 死んだはずの死者が喋り、動きだしていた。

 可笑しい、手に持っている実もまだ食べさせていないのに。

 取り出した実を片手に動き出した死体をみて愕然としていると、胸を押さえ、呻きながら魔王は私の上から苦しそうに退く。

 そのお陰で打ち付けられた腰辺りが確認できたのだが、見なかったことにしておこう。簡単に言えば魔王意外と体重重い? ということだった。後は――身体が元の姿に戻るという希望は皆無ということぐらいだ。

 そのグロデスクな人体を見た魔王が眉をひそめたが、それ以前の胸の痛みに更に顔を顰めてしまった。


 それに不安を感じて、手に持った発光する実を彼の口へ伸ばす。

 死んでいないのは不思議で仕方がないが――もしかしたらあの武器が最終ボスである魔王に効かないものだったのかもしれない――それでも多少の攻撃力はあっただろうと、苦しむ彼を見て検討をつける。


 私の差し出した手を見た魔王はその手を振り払う。痛みはあれど、既に行動は十分に可能らしい、跳ね除けられた手は、なかなかに強い力で弾き飛ばされ、骨が軋む。どうにか実だけは落とさないように掴んだ。


 あ。殺される、と他人事のように思った。

 魔王を倒したものと安堵して、自らクッション代わりになってみたら、実は死んでいなかった。きっと、私はこんな無残な格好のまま、最後に命を奪われるのだろう。

 喜劇のような内容だ。最後の逆転劇がただの茶番に終わろうとは。

 それでも、実だけは食べてもらいたかった。

 床に打ち付けられた腕を、どうにか引き寄せる。

 魔王は私をただ見ていた。魔弾を浴びせるわけでもない、剣で首を刎ねるでもない。ただ無機質な、何を写しているのか分からない赤い双眸でこちらを眺めていた。

 まだ、説得の余地はあるだろうか。私が口を開きかける。と、彼の手がこちらに伸びた。それに反応できる力は既にない。観念して、瞼を閉じようかとも思ったが、もったいないと思ってしまったので、目の前の光景をただ見ていた。

 そうして、ただ緩慢な動作で近づく手をただ甘受していた。

 その腕は私の肩を掴んだ。ミシリという音が体内を伝わって耳に入ってくるが、痛みはあまり感じなかった。痛覚も既にやられたのだろうか。

 そのまま身体が浮き上がる感覚がする。もう片方の肩も、彼が引っ張りあげていた。

 何をしているのかと首を傾げると――何故か既に上半身以外動かせない私の身体を抱き起こしていた。

 

 突然の行動に目が白黒する。

 とりあえず引っ張り上げる魔王の力が強すぎて上と下が完全に別々になりそうなのを不安に思いつつ、大人しくその腕の中に納まった。

 この位置を考えると完全に下半身は――考えないことにした。ただ、今の状態に困惑する。彼の腕は確かに私を抱え込んでいて、彼の顔が近距離にあった。

 って、こ、これままさか噂の膝枕ではないだろうか――どうしよう。こんな状況なのに嬉しい。死にそう。


 だが、嬉しさに浸っている場合ではない。困惑している場合でもない。死んでいる場合でもない。私には確認しなければならないことがある。

 先ほど突き刺した短剣――あれは確かに必殺という性能を発揮したはずだ。ラスボスには効かないといってしまえばそれまでだが、そう仮定したとすれば、彼に痛みがあるのは可笑しい。どんな効果が付随されたのか、まったく検討が付かなかった。


「魔王…どうして死なない?」

「ハッ、仮にも我は魔王だ、死にさえしてもそうそうに力尽きはせん。

 意味の分からん戯言は、このための布石だったか」


 それに、ああそういえばと想起する。

 確かに、そういう魔物もいた。確実に身体を真っ二つにして退治判定も出たというのに動いてくる魔物。スキル〈仮不死〉、にしても魔王がそんなスキル持っているとか、ゲーム的に難易度高すぎるだろう。

 まぁ、そういう相手は一定時間経つと消えるから、体力を使わないために逃げ回るのが得策なのだが――こう、知能がある者がやると、本当に生きているように見えて、なんだか悲しくなった。

 まったく、笑えてしまった。槍夜がやった過ちを、自分自身が繰り返すとは。

 しかも、こんな胸糞悪い展開で。槍夜さんのこと、もうからかえなくなってしまった。


 あぁ、本当に魔王が生きてさえ居れば――そんな攻撃をしなくなった彼を見て、妄想するが、それを振り払って反論した。


「違う。しょうがないだろう。お前が私の話を聞いてくれるには、こうするしかなかった。

 それに、死んで欲しくなんか ないよ。口だけなんて 言わせない」


 おかしい。ヒュウヒュウと喉が変な音を立てる。

 そういえば、毒が回ってたな。なんて、戦いの最中に忘れてしまっていた事実を思い出したり、そういえばなんで身体がこんなことになっているのにまだ喋れるのだろうと至極常識的な疑問を持ったりした。

 だって私は胴体が二つに泣き別れているのだ。肺はどうやって動いているのだろう。血液はどうなっているのか。まったくもって、理解できない。

 でも――本当に、私は死ぬのだと実感できた。


 歪な音を立てる身体に鞭を売って、ほら。と手に持った実を彼の口に押し当てる。また腕を払いのけようとするだけで口を開こうとしない彼に、変な物じゃない。と言って無理やり口内に突っ込んでみた。

 こっちだって焦っているのだ。もうそろそろ、私は死ぬのだし食べてみてくれたっていいじゃないか。そう言ったら軽く不愉快げな顔をされたが、不思議なほど素直に飲み込んでくれた。催促したこちらが思案するのもなんだが、そんなに素直でいいのかと心配になった。

 いや、心残りがなくなって良かったと言えばよかったのだが。

 随分と素直な魔王の心境の変化に首を傾げるしかないが、それよりも彼がそれを飲み込んだことに安堵した。

 ごくり、とその実が喉を通ってゆく。



 この世界では、死んだ者は生き返らない。

 確かに敵に殺されたプレイヤーは教会で目覚め、ペナルティと共に金をふんだくられるという昔ながらの仕様となっているが、ギルド仲間と共にグループを組んでボス戦などで戦ったときは、仲間が殺されてしまっても蘇生させる方法はないとされている。

 回復魔法は勿論のことあるが、それが間に合わないとやはり死ぬ。

 だが、この実だけは、そんな仲間を蘇生させられる唯一のものなはずだ。私も一度その実に助けられている。だから効果は確かなはずだった。


 しかし、不安は拭えない。この実をプレイヤー以外に試すのは実は初めてなのだ。敵を蘇らせるなどアヴァロン内では絶対に不可能だ。倒した敵は電子となって散ってゆくだけだし、身体が残るのはプレイヤーだけだった。そもそも、これは天界から授かったもの。魔王という“魔”の生物に実が効くのか分からない。


 でも、それが彼の死を覆させると信じるしかなかった。

 じゃないと、きっと後悔するから。


 

 嚥下した直ぐ後、彼は驚きの表情を露にし、寄せていた眉を解した。その痛みが表情から拭いさられてゆく様を見て、心の底から安堵した。

 だって嫌だもの。愛した人を自ら殺すって。何処のサスペンスだ。

 やった。よかったと喜びながら、口を開いた。


「ほら、言ったとおり。私は、愛する人に嘘は つかないよ」

「…ああ、嘘ではなかったな」


 なんだろうか、含みのある言葉を、痛みはなくなっただろうに、影のある表情で返した魔王は、私を見つめた。美しい双眸は見つめられるだけで見惚れるもので、最期にこれを見ながら死ねるのは、なんというかお徳な気がした。

 頑丈な身体は、命のともし火が消えるもの遅いらしい。残れた時間は僅かだが、その僅かな時間が私には存在していた。


「何故我を生かした。貴様は一体、何なのだ」

「……後悔しないように しただけだ。私は、ただのヒトだよ。

 初めてか? こんな 馬鹿な奴」 


 何、と問われると対応に困る。気の利いた的確な返答は出来ない。なにせ、自分でも良く分かっていないのだ。鈴木詩穂という人間だろうか。ただの女の子だろうか。それともシオンという歴戦の戦士だろうか。

 ただ、最後の会話になるかもしれない貴重な時間を、ただ曖昧に消費するものいただけない。息が詰まるが、どうにか笑みを形作ってみた。

 それを確認して、ああ。と生真面目に答える魔王に、今度は純粋に笑った。ただそれでも引き攣った造形にしかならなかったが。

 ずっと私を眺めている彼が、それを見て表情を変えた。とは言っても、また眉を顰めただけだったのだが。

 でも、それがただ敵対しているときのあの蔑んでいるような目付きではなかったのが印象に残った。そうして同時に、疎外感を覚えた。


 それはそう――どこか悔やんでいるかのようにも見えた。きっと、たちの悪いただの思い違いだったのだろう。だが、なぜかその直感は、私に確かな確信を持たせていた。

 なんだろう、痛みも何も感じなくなった私は、変わりに随分とお気楽な思考も手に入れたようだった。


 それでも、始まりの喜びも憎しみもないようだった相貌をここまで変化させることが出来た自分を、なんだか褒めてやりたくなった。

 悔やむような色など、似合わないといってしまったら最後なのだが、こういう表情もいいと思う。でも、いつまでもそういうような顔つきをされていると、ちょっと心苦しい。


 そうして、痛みは消えただろうに、眉間の皺を取り除かないまま、苦しそうな顔をして彼は私に問いかける。


「何故、我を愛しているなどといえる」

「好きだから。だから、愛している。ただ、それ だけだ」


 後悔ではなく、不理解のためだろうか。

 愛している。高々十数年しか人生を歩んでいない若造がよく恥ずかしげもなく口に出せたものだ。

 でも、もう言葉を吐き出すことも出来なくなるというのなら、言って損はないだろう。

 好きだった。それがいつ愛などというものになったのだろうか。きっと、死を覚悟してからだ。覚悟がなかったら、恋心をここまで真剣に考えていなかった。

 ゲームクリアまで、長い道のりだった。

 道中、何度も挫けそうになった。その中で、何度も屈せずに前へ進むたびに、想いは強くなっていった。そうして、今は死まで覚悟してここまできた。

 迷いなく断言できる。私は彼を愛してる。


 簡単に言うと一目惚れなのだが、この場でそれをいうのは野暮というものだろう。

 だって何だって私は彼が好きで、今も昔も、きっと未来までも愛しているのだから問題ない。


「……貴様に、借りが出来た」

「借りだって? 魔王に 貸し か。そりゃ 面白い」


 苦しい。痛覚は消えたはずなのに、何故か喉が苦しかった。息をするのが苦しい。空気が肺に入るたびに、膨らんだ肺がそのまま張り裂けそうになり、萎めばそのまま押し潰されそうになる。心臓が動く音が五月蠅い。

 本格的に、終わりが近づいてきていた。目に見える終焉にどんどんと身体が引きづられていく。


 今、私はどんな顔をしているだろう。自らの血と、魔物の血で真っ赤で、上半身だけで、毒が回った目が充血して気持ち悪い事になっているかもしれない。だって、もう目が見えないんだもの。


「……何が欲しい。真界による世界の主権か、天界の理想郷か――新たなる身体か」

「じゃあ 私の婿に なって下さい」

「この期に及んで……俺は愛など、知らん」

「そう か。じゃあ 私 愛す から、私と 同じ すれば いい」


 ブツブツと自分の声が切れる。魔王の声はよく聞こえるのに、私の声は聞こえない。

視界が赤黒く、しかしそれでも彼の姿は認識できるような気がした。

 無表情を、少しだけ歪ませてこちらを見つめていた。置いてかれる子供のような、そんな顔をしていた。先ほどまで自分が殺そうとしていた相手が死に掛けていて、そんな顔をしている。

 情けないと思った。魔王に似合わないどころではない。威厳はどこへいったのか。

 ああ、でも。そんな顔をすると、彼ほどの人物でも随分と幼く見えるもので、ふと可愛らしいという感想が浮かんでしまった。


 魔王は私の乞いに答えた。


「貴様のような、頭の可笑しな真界人は始めてだ。いいや、お前のような生き物は。

 ああ。『そう』してやろう。だから、死ぬな。貴様には、まだ聞きたいことがある」

「……そ か」


 本当に生真面目だな。『そう』するって、具体的にどうするんだろう。

 でも、死なせたくないというのは伝わった。なんだろう、聞きたいことって。

 まぁ、そんなことより、どうしよう、泣きそうに嬉しい。


 真面目な魔王を尻目に、赤黒い視界が潤んで涙が溢れた。

 視界が不明瞭で、泣いている感覚だけが感じた。


 そうしたら、頬に何か落ちて、跳ねる感触がした。温かいそれが数滴頬や瞳に降ってきた。

 ふと、“そう”するの意味が分かった。

 私と同じことをすればいい。確かに私はそう説明した。そうして彼はそれを忠実に実行していた。つまり、落涙していた。

 どんな顔をしているのか、残念ながらさすがにもう判断が付かなかった。


 これは夢なのだろうか。いつから意識を埋没させていたのだろう。百合花に誕生日を祝われたときからか。それともアヴァロンが発売されたときからだろうか。それか、VRMMOが開発されたときからか。

 にしても、なんて幸福な夢なんだろう。

 

 一人きりになって、目標を達成して、ありえないはずの会話が成立していて、こんなにも満足している。

 痛みもない、苦しみもない、幸せな死に際。


 最後の力を振り絞って、無理をいって、落涙してくれた彼に言葉を託す。


「わたし は、逝く  いつか また 」


 魂は巡るという話を聞いたことがある。

 死んでも、その魂は潰えることはなく、また新たな魂となって世界を巡る。

 それを人は転生という。信仰心のない人間だった私は御伽噺の範囲の知識でそれを理解しているだけだったが、死ぬとなるとそれを信じてみたくなった。


 何年もかけて魔城までやってきて、知らぬうちにこの世界に入り込んで、本当に存在する命を殺して、生死を彷徨って、存在しなかったはずの人に告白してなんとなく報われて、そうして今死のうとしている。

 こんなありえないことの連続なのだから、そんな奇跡に憧れてみたっていいじゃないのかなぁ。



 そんな未来なんて来ないことは分かってる。

 でも、そう思うことで救いがあればと思って。



 頬を濡らす涙と、潰えて行く自らの命を感じながら――私は、この奇想天外な生涯()を閉じたのだった。



「涙が止まらん。こういうときは、どうすればいい」

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