第二話 ダイヤモンドの涙
〈目次〉
・第一節 夫の裏切り
・第二節 舅の気遣い
〜前回のあらすじ〜
山崎家に訪れた文枝(弘の母)とまゆみ(弘の妹)。結衣は、祖母と叔母が来たことを喜び、美佐子が、お茶や菓子の用意をしている間、結衣・弘・文枝・まゆみは、最近の出来事を、リビングで楽しく会話した。
お茶や菓子の用意が終わると、美佐子も嫌々ながら会話に参加した。まゆみは、美佐子が身につけているダイヤモンドの指輪に嫉妬して、彼女に嫌味を言い、文枝も同調した。恥ずかしい失敗談を暴露された美佐子は深く傷つき、リビングから飛び出してしまった。
〜登場人物〜
・山崎結衣
山崎弘・美佐子夫妻の長女。19歳の女子大生。美白な肌と綺麗な茶色のロングヘア、美脚、丸い小顔が特徴。普段は青いワンピースを着ている。少しだけ女優として活動している。弟の意義人とは喧嘩中だ。
・山崎意義人
山崎弘・美佐子夫妻の長男で、結衣の弟。17歳の男子高校生。結衣と比較すると地味な顔立ちだが、似ている部分もある。姉と喧嘩中。
・山崎弘
山崎義郎・文枝夫妻の長男で、結衣と意義人の父。年齢は45歳。容姿は、眼鏡をかけた地味な丸顔で、髪は少し薄く、小太りである。愛娘の結衣を溺愛している。
・山崎美佐子
田辺寛夫・優美子夫妻の長女で、結衣と意義人の母。年齢は42歳。顔は結衣と似ているが、結衣よりほんの少し面長。髪型は、若干ウェーブがかかった茶髪。優しい性格。
・山崎義郎
大地主の家系に生まれる。弘の父で、結衣と意義人の祖父。年齢は79歳。元衆議院議員。文枝やまゆみより比較的、長男嫁の美佐子には優しいが、文枝やまゆみを抑えることはできていない。新潟に別荘を所有している。
・山崎文枝
弘の母親で、結衣と意義人の祖母。年齢は69歳。内気な性格の女性。孫には優しいが、長男嫁の美佐子に対しては冷たい。
・まゆみ(旧姓は山崎)
山崎義郎・文枝夫妻の次女で、弘の妹。年齢は43歳。顔は弘と似ており、美人とはいえない。美佐子とは大学からの知り合いである。既婚者だが、子供がいないため、結衣のことを可愛がっている。親戚の集まりでは母文枝と一緒に美佐子に嫌味を言う。
第一節 夫の裏切り
まゆみは、目の前の現実を忘れようとするかのように、ひたすらポテチを口に含む。パリパリと響く音が、凍り付いた空気に不快に響く。結衣は、美佐子が飛び出していった廊下の方を呆然と見つめていた。
文枝は、祖母としてのプライドか、それとも、ただ事ではない状況に、ようやく事の重大さに気づいたのか。結衣の青いワンピースの裾から出る美脚を掴み、必死に謝る。
文枝「結衣ちゃん、ごめんね…おばあちゃん、ちょっと言い過ぎたわ。美佐子さんの気持ちも考えずに…本当にごめんなさい…。」
文枝の顔は、しわくちゃになり、その目には涙が浮かんでいる。結衣は、そんな祖母の姿を見て、どうしていいか分からなくなった。怒りよりも、悲しみがこみ上げてくる。
結衣「おばあちゃん…」
結衣は、文枝の震える手を、そっと自分の手で包み込んだ。母も、祖母も、叔母も、みんな何かを抱えている。家族なのに、どうしてこんなにもすれ違ってしまうのだろう。
その時、奥の部屋から弘の怒鳴り声が聞こえてきた。
弘「何てこと言うんだ!おふくろとまゆみだって俺の大事な家族だ!人の気持ちも考えずに、言いたいことばかり言って!」
おそらく美佐子は、義実家に対する不満をぼやいたのだろう。
弘の怒鳴り声に、結衣はビクリと肩を震わせた。普段、温厚な父親が、こんなにも感情的になっているなんて。その時、家族の中で何かが壊れ始めているような気がした。
まゆみは、弘の怒鳴り声に、ポテチを食べる手を止めた。その顔は、ようやく事の重大さに気づいたのか、青ざめている。
結衣は、文枝の手を離して、弘と美佐子のいる奥の部屋を見つめていた。自分と意義人の喧嘩も、このまま放っておいたら、どうなってしまうのだろうか。そう思うと、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
まゆみは、奥の部屋から聞こえる、夫婦喧嘩の声に怯え、何も言わずに文枝と共に帰っていった。
「夫が愛してくれるのが幸せだっただけなのに…」
「何故、私だけ責められなければならないのか」
「結局、赤の他人の女より身内の方が大切なのか」
美佐子は、おそらくそのようなことを思ったのだろう。美佐子の声はさらに激しくなり、その瞬間、奥の部屋から何かが床に勢いよくぶつかる甲高い音が聞こえてきた。結衣は、その音に思わず耳を塞いだ。
しばらくして、奥の部屋から物音がしなくなった。結衣は、恐る恐る立ち上がり、部屋のドアに耳を押し当てる。しかし、何の音も聞こえない。言い争いが終わったのか、それとも…想像するだけで、結衣の胸は張り裂けそうになる。
結衣は、ゆっくりと部屋のドアを開けた。部屋の中は、散乱していた。クッションは投げ飛ばされ、花瓶は倒れ、水が床に広がり、花が散らばっている。そして、美佐子はベッドの端に座り込み、顔を埋めて泣いていた。弘は、その隣に座り、ただ美佐子の背中をさすっている。二人の間に言葉はない。ただ、美佐子のすすり泣く声だけが、部屋に響いていた。
結衣がふと部屋の片隅に目をやると、そこにはダイヤモンドの指輪が転がっていた。キラキラと輝くダイヤは、今の家族の状態とはあまりにもかけ離れた、冷たい輝きを放っている。
結衣は、静かに部屋を出て、自分の部屋に戻った。ベッドに倒れ込み、天井を見つめる。家族とは何なのだろう。愛し合っているはずなのに、どうしてこんなにも傷つけ合ってしまうのだろう。
涙が、結衣の瞳から溢れ落ちた。家族の間に広がる、深く冷たい溝。自分は、その溝を埋めることができるのだろうか。それとも、このまま、誰もが傷つきながら、バラバラになってしまうのだろうか。
結衣の心は、重く沈んでいた。しかし、同時に、「このままではいけない」と強く感じていた。
第二節 舅の気遣い
美佐子は、義母と義妹とは元々折り合いが良くない。弘は美佐子のことを愛しているが、母や妹から守りきれていない。唯一、美佐子に優しかった明子(弘の姉)は、もう日本にはいない。山崎家は、今、暗雲に包まれている。
弘は許してもらえるよう、美佐子に何度も謝るが、美佐子から弘へ話しかけることはなく、顔も合わせてくれない。食卓でも、美佐子は弘と目を合わせようとせず、必要最低限の会話しかしない。リビングに漂う重苦しい空気に、結衣も意義人も胃が痛くなる思いだった。夫対妻、姉対弟…。山崎家は、あちこちで亀裂が生じている。
〜数日後〜
この日は平日だが、大学は休みなので、家は結衣一人だ。リビングで結衣がスマホをいじっていると、受話器が鳴った。結衣が受話器を手に取ると、義郎(弘の父)の声がした。
結衣「はい、山崎です。」
義郎「もしもし、結衣か?義郎だ。元気にしてるか?」
山崎家は、大地主の家系で、義郎は昔、国会議員を務めていた。義郎は、弘には厳しかったが、孫には優しい。
結衣「おじいちゃん!お久しぶり。うん、私は元気だよ。おじいちゃんも元気?」
義郎は電話越しで結衣に優しく話しかける。義郎は、先日妻と娘が美佐子を揶揄ったことを謝罪したいようだ。
義郎「ああ、わしも元気にしてるよ。それでな、結衣。この間は、文枝とまゆみが、美佐子さんに大変失礼なことをしてしまったと聞いた。本当に申し訳ない。あいつらが、美佐子さんを傷つけてしまったことを、わしからも謝らせてほしい。」
義郎の声は、いつもよりもずっと穏やかで、心からの謝罪の気持ちが伝わってくる。結衣は、そんな祖父の言葉に、少しだけ胸のつかえが取れるような気がした。
結衣「おじいちゃん…そんな、おじいちゃんが謝ることじゃないよ。でも、ありがとう。お母さん、少し元気がないけど…」
結衣は、美佐子の様子を義郎に伝えた。義郎が、電話の向こうで、深く息を吐く音が聞こえた。
義郎「そうか…。美佐子さんには、わしからも改めて謝罪の機会を設けてほしいと思っている。結衣、もし差し支えなければ、美佐子さんにそう伝えてくれないか?そして、もし美佐子さんが良ければ、今度、わしの別荘でゆっくり過ごしてもらえないだろうか。文枝とまゆみは行かせない。君も、一緒に行ってやってくれ。」
義郎の提案に、結衣は少し驚いた。祖父が、ここまで母のことを気遣ってくれるとは。
結衣「別荘…?うん、分かった。お母さんに伝えてみるよ。きっと、お母さんも喜ぶと思う。」
義郎「そうか。ありがとう、結衣。君は、本当に優しい子だ。山崎家のことも、美佐子さんのことも、頼んだぞ。」
義郎の言葉に、結衣の心は温かくなった。自分は一人ではない。そう思えた。そして、家族の絆を修復するために、自分にできることをしようと、改めて決意した。まずは、この提案を母に伝えてみよう。それが、第一歩になるはずだ。
〜午後五時半〜
「ただいま」
カチャリとドアの開く音がして、美佐子が帰宅した。いつもより少し疲れたような顔をしている。今日は、弘も同じぐらいの時間に帰ってくるはずだが、美佐子に会うのが気まずいためか、帰宅せず同僚と時間を潰しているのだろう。結衣は、そんな父の気持ちも察しつつ、母を優しく迎えた。
結衣「お母さん、おかえり。お疲れ様。」
美佐子は、結衣の優しい声に、少しだけ表情を緩めた。
美佐子「結衣、ただいま。一人で寂しかったでしょ?夕飯、何がいいかしら…」
そう言って美佐子は、いつものようにリビングのソファにカバンを置こうとする。結衣は、そんな母を呼び止めた。
結衣「お母さん、あのね、今日、おじいちゃんから電話があったの。」
結衣は、今日、義郎と電話で話した内容を母に報告した。美佐子の顔色が変わる。義父からの電話だと聞いて、嫌な予感がしたのかもしれない。しかし、結衣は、祖父の温かい提案を、一言一句丁寧に伝えた。
結衣「…それでね、おじいちゃんが、お母さんのことをすごく心配してて。今度、おじいちゃんの別荘で、お母さんと二人でゆっくりしてこないかって。おばあちゃんやまゆみ叔母さんは来ないから、って。」
結衣の言葉を聞き終えた美佐子は、一瞬、呆然とした表情で固まった。そして、ゆっくりと結衣の方に顔を向けた。その瞳は、少し潤んでいるように見える。
美佐子「お義父様が…私のために、そんなことを…?」
美佐子の声は、驚きと、かすかな感動が入り混じっていた。結衣は、美佐子の手をそっと握った。
結衣「うん。おじいちゃん、お母さんのこと、本当に大切に思ってるんだよ。だから、お母さんも、少しゆっくり休んでほしいな。私、一緒に行くから。」
結衣の言葉に、美佐子の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。美佐子は、結衣の手を握り返し、その温かさに顔を埋めるようにして泣き出した。
美佐子「結衣…ありがとう…」
美佐子の涙は、きっと、これまでの積もり積もった不満や、孤独感、そして、義父と娘の優しさに触れた安心感からくるものだろう。結衣は、そんな美佐子の背中を、優しくさすった。
『山崎結衣の憂鬱』第三話につづく




