1919年
紀元1919年1月1日 旧ベルマ帝国 首都ベルン ドワレム研究所
「こんなことが許されていいはずがない!!」
ドンと机を叩く音と共に絶叫があがった。
声の主は全身毛深そうな赤毛のドワーフ、40才位の男性である。
ただ目にはモノクル、髪の毛はボサボサ、そしてよれよれの白衣と、マッドサイエンテスト定番の格好をしているのが彼の性格を示していた。
彼が絶叫はその手にした一枚の通達が原因である。
宛名には間違いなく彼、フェルデナンド・ドワレムの名前が書いてあった。
そこには戦勝国連盟によるゲイル帝国領内における蒸気機関の研究の禁止通達が太い黒字で記されていた。
彼はたたきつけた机の上にある大型ジューサーミキサーのような装置を愛おしそうに眺めた。
大きさとしてはA4サイズの高さ20cmの箱に高さ30cmほどの強化ガラスの円筒がくっついたような形だ。
ガラス筒の蓋にはパイプが張り巡らされ下の箱の側面には直径10cm幅5cm程の分厚い真鍮製の歯車が突き出している。
「ようやくここまで来たのに……なぜだ。」
目の前にあったのはアバロン連合王国で開発された蒸気原動機を彼がBWM社と共同で改良した新型であった。
BWM社で作り上げたスチームギアはダインソ社が開発したサイクロン式インシネレーターとアダマンタイト製熱交換パイプに改良を施すことで、吹き込んだ空気がガラス筒内部表面で層流剥離を促し、中央に竜巻状に集められた石炭微粒粉を燃やす際の伝熱による熱エネルギーのロスを30%以上改善できた。
アダマンタイトのパイプは管内内部鍍金を2種類の金属を複合して使うことで、局部電池による侵食をわざと行うことで、水の接触角をほぼ180度にすることが出来た。
このことで水の抵抗損失を考えることなく、細管化を進め直径1mm以下にすることで熱交換性を極端に上げると共に、管内圧力を400気圧を超えさせ、水がゴムのように圧力応答性を持つ物質(超臨界水)にすることも出来た。コンパクトながら出力は10kw(14馬力くらい)に及ぶ
これだけの性能を詰め込んでユニット本体は25kg(伝導用真鍮製ギア別)安定性も抜群だ。
いつまでも発熱量の変わらないダインソ製インシネを凌駕しているBWM社の新製品。
なのになぜこれを実用化できないのだ!!
国外への持ち出しは国家機密に触れるため自分の身に危険が及ぶ。
かといって、アダマンタイトは金以上に高価な金属だ。そもそも、国の関与なくしては入手自体が難しい。
?!この文章からすると禁止令はスチームギア研究分野だけか。
しかたない、蒸気原動機だけは他国から輸入して筐体を改良してどこまでいけるか……それも開発の一方向だろう。
この新製品も輸入スチームギアを材料に修理したことにして組み上げれば試すぐらいはできるだろうか?
そこまで考え付いた博士は陸軍への申請用紙を机から引っ張り出すとなにやら記入を始めた。
紀元1919年1月1日 旧ベルマ帝国 首都ベルン
今日から新年が始まる。
しかし首都は全体的に灰色の空気につつまれ、重く澱んだ空気に満ちていた。
人々が口を開けば景気の悪さ、先行きの見えなさが、まず話題に上る。
とはいえ西部戦線から失明して戻ってきた俺も、ようやく視力が戻ってきて働いている。
相変わらず軍人のままだ。
変な話ではあるが国家首脳がなくなっても社会生活に大きな変化はなかった。
たとえば軍人は給料をもらい軍務をこなし、公務員は書類に判子をついていた。
街の人々も今までと変わらず働いて賃金を稼ぎ、商品を店で買っていた。
流通しているのは以前と変わらず帝国マルクである。
帝国そのものはなくなってもその枠組みの中で庶民は生きていた。
若干は変わったこともある。
たとえば軍人は帝国所属ではなく軍人組合の所属になった。
それぞれ大隊から1名が代表になり、連絡会に出て軍務を受け取って大隊に通達する。
他の組合はどうやってるか知らないが軍人は上からの命令を伝えるだけなので、元伝令兵の勲章持ちということで俺が代表に選ばれていた。他の大隊も似たようなものらしい。
このレーテという仕組みは大スラブ帝国ではソビエトというらしい。
かの国もソビエト共産主義連邦と名前を変えてこの仕組みでやってるとか、戦勝国と敗戦国が同じく帝政から組合政に変わるとかなんの冗談だと思う。
とはいえレーテの会合に顔を出していると有力者に顔を覚えてもらえる。
今日、参謀本部のエルマン少佐から諜報部への移動を打診された。
大学で勉強も出来るし、給料も上がる。階級も伍長になるそうだ。
主たる任務は国内防諜とかで荒事からも遠そうではある。
前向きの返事をさせてもらおう。
紀元1919年1月11日、旧ベルマ帝国領ニール村付近
父さんが鍛冶屋をしながら軍の整備兵になることになった。
なんでもこの近くに展開した陸軍部隊から要請があって軍曹扱いの軍属ということで話がついたらしい。
父さんの仕事のおかげで家は比較的恵まれている。
パンや乳製品は農具の修繕の代わりに手に入るし、作った道具と衣類は交換してもらえる。
唯一の悩みだったのがくず鉄等の金属の入手だ。
金属は紙幣で手に入れるしかないがインフレのせいで半月もすると金属の値段が倍になっている。
今回の話は父さんにとっては願ったりかなったりだったらしい、軍は配給の面で恵まれている上に壊れた装備を溶解して原材料に出来る。
何とか軍の支給の石炭をやりくりして鋳鉄炉を動かすことも出来たらしい。
来年春にはアンドレア(僕)も初等学校で勉強できるといわれた。
ちゃんと勉強して手に職をつけておけば食うには困らないと父さんが言っていた。
目の前で実践するその姿を見せられると尊敬するしかない。
ボクもがんばって勉強して立派なニール村の鍛冶屋になろう。
1919年はベルン帝国にとって生殺しの始まる年として覚えられている。
ベルン帝国は解体されフリードリヒ共和国となり君主制から民主制に移行した。
ただ国会そのものはまだ関連法の制定中ということもあり、実際の業務は各職務組合を用いて施行され、辛うじて国家運営がなされているにすぎなかった。
このような中、共和国の治安が維持できたのは強大な軍部の指導と豊富な帰還兵による巡回が大きな部分を占めた。
戦勝国側としても賠償金として帝国国家予算の10年分を要求事項として纏めるなど、戦後体制の枠組みを決めることが出来た。
特に直接被害の大きかったフラン共和国が領地の割譲をアイル連合王国の仲介で取り下げるなど具体的な交渉の進捗が見られた。
ただし全体的には敗戦国、フリードリヒ共和国(元ベルン帝国)とウィーン帝国にとっては莫大な要求金額でありどのように支払っていくか財務担当は頭を抱えたという。




