6 angel's vision (2)
夕刻。ヒュキアは独り、神社の境内に居た。今後の対策について考えを巡らせる。
突破しなければならない強敵は四名。園部鵺。久留間崎。ラゾ・ギドニス。コーデリア・セオハウス。
そして狙うは一人。ジョン・ジークムント・スピーゲルマン。
彼らが日本滞在中に拠点としている宿泊施設の所在地は雛胤丹膳から聞いていた。スピーゲルマン博士はその宿泊施設に居るものとして計画を立てる。
博士のボディガードたちは、ヒュキアを足止めするための人員と博士の近辺を護衛する者との二手に分かれるだろう。それらを各個撃破しつつ、スピーゲルマン博士本人に接近する。
ヒュキアの接近を感知すれば、彼らも行動を起こすだろう。それが戦闘状況の開始だ。
問題が有るとすれば、コーデリアの感知能力がヒュキアよりも高いことである。こちらが博士の所在地を確認する前に、コーデリアに接近を悟られてしまう危険性が有る。
携帯電話に着信が有った。ボタンを押して通話する。
「向こうさんから決闘場所が指定されてきたよ。」
雛胤丹膳だった。
「対戦相手はラゾ・ギドニス。君が出て行かなければ、また街中で暴れることになるってさ。」
「場所はどこ?」
「鴻鶴園球場。野球スタジアムだ。あ、ベースボール競技場って言ったほうがいい?」
「ここからの方角と距離は?」
ヒュキアに渡された携帯電話にはGPS機能が付いていて、雛胤には常に位置情報が送信されているという話だった。正確な位置を聞いて通話を切る。
先手を打たれた。
街中でギドニスが暴れて何らかの被害が出た場合、困るのはヒュキアではなく彼らのほうだ。それなのにそんな脅しをかけてくる理由は、ヒュキアが対戦に応じなければギドニスを野に放ってヒュキアを襲撃させる可能性が有るのを匂わせるためだろう。
相手がギドニスということは、彼を鎮静させるための人員が周囲に待機しているということになる。そして、ギドニスを無力化する方法が有るということは、狙撃であれ催眠ガスの類であれ、ヒュキアを生け捕りにする方法が有るということでもある。
決して一対一の決闘などではない。綿密に張り巡らされた蜘蛛の巣の中に飛び込むようなものだ。
それでも、いずれにせよギドニスは対処しておかなければならない相手だった。
ならば向こうから襲ってくるのを待つよりは、位置が確定しているほうが都合がいいかもしれない。
ヒュキアは雛胤に教えられた座標に向かって走り出した。
同時にその方向に意識を集中させ、情報収集を始める。
ヒュキアの接近を感知している者は、まだ居ない。ヒュキア以上の知覚能力を有する者がこちらに注意を向けている可能性を除いては。
なるべく人通りの少ない道を選んではいるが、それでも擦れ違う者が何事かと目を丸くしているのが雑音として入ってくる。ヒュキア自身にとってノイズになるという問題よりも、通行人の反応が向こうに感知されてこちらの位置を把握されることが危ぶまれた。到着する前に攻撃されることが無ければ幸いである。
ギドニスとの対戦中に第三者から何らかの薬物等によって行動不能にされるのは避けたい。そのためには配備された人員をある程度は無力化しておく必要が有る。しかし、一人残らず排除してしまえば万一の場合にギドニスを止める者が不在になる。
いや、通信が途絶えれば新たに増員が送り込まれてくるだろう。周囲への警戒を続けつつギドニスと戦って、勝てる見込みが有るとは考えないほうがいい。ならば、スタジアム周辺の警備を無効化させてから、人員が補充されるより前にギドニスに深手を負わせて動けなくするべきだ。
ヒュキアは走りながら、スキーケースを握る手に力を込めた。
次第に前方の様相が把握できてきた。予想したほど配備人員は多くない。こちらに気付いてはいないようだ。ギドニスの気配も有るが、やはりヒュキアに気付いている様子は無い。ヒュキアからは位置が特定できているが、ギドニスはヒュキアがどの方角から接近しているのか知らないのだから当然だろう。
まずは球場の周囲のビルに分散して配置に就いている狙撃手三名を、一人ずつ昏倒させる。ヒュキアが背後から来るとは思ってもみなかったらしく、いずれも容易に倒すことができた。
野球スタジアムの方角でギドニスが暴れ始めた気配が有った。覚醒させられたらしい。
球場の外に通行人の姿は無かった。警察官が辺り一帯の区画を進入禁止にしているようだ。その隙間を縫うようにしてスタジアムの出入り口から中に入る。武器の銛はスキーケースに入れたままだ。狭い空間で催眠ガスを使おうとする者がいないかを慎重に探査しながら進み、感知して検出した相手を後ろから忍び寄って襲い、出くわした者を倒し、確実に不穏分子を減らしていく。
球場内の掃除が終わったのを確認して、ギドニスの居る地点に向かった。
盛大な破壊音が続いている。
開けた空間に出た。フィールドは既に破壊し尽くされて瓦礫の山のようになっていた。地面にひびが入り、剥き出しになったコンクリートが積み重なっている。それらが無駄に明るいライトに照らし出されていた。
ヒュキアは瓦礫を跳び越えて走り寄り、一定の距離を置いて立ち止まる。
緑色の髪の大男が地面に拳を打ち付けて打ち砕き、肩ごしに振り返った。遠目に判るほど大きな武器は所持していない。
“待っていたぞ.”
“私はできれば貴方と戦いたくないのだけれど.”
ヒュキアは研究施設での模擬戦闘を思い出した。
白くて四角い部屋の中で、ギドニスと二人きりで対峙したことが何度も有った。ギドニスとの対戦では、負けそうになるとヒュキアが怪我をする前に室内に睡眠ガスが充填されて意識を失うことになる。ギドニスを眠らせるのが目的なのだが、必然的にヒュキアも眠らされてしまうのだ。それが堪らなく嫌で、いつも何とかして勝とうと努力した。ヒュキアが勝てば、彼女だけが部屋から出してもらえる。その報酬のために、まるで実験用のマウスかラットのように、ヒュキアはギドニスに勝とうとしていた。
ギドニスと向かい合うと、否応なくそんな記憶を呼び覚まされる。
“俺は、誰とでもいいから戦いたくて仕方が無い.”
“それは薬物のせいよ.”
ヒュキアはスキーケースから銛を取り出した。
“二度と戦えない身体になってしまったほうが、貴方にとっては幸せかもしれない.”
“俺が幸せになる日は、永遠に来ない.”
両者は同時に走り出した。




