4 angel's right (1)
黒いセダンは高速道路に乗った。
「どこに連れて行くつもりですか?」
僕の質問に、運転席の女は短く答えた。
「ボスのところに。」
ボスというのは、雛胤丹膳という男のことなのだろうか。
「そうよ。」
隣に座っているヒュキアが答えた。
運転席の女性が眉を顰めるのがバックミラーごしに見える。
「私の考えていることを読まないで下さい。」
「それは難しいわ。真菅と会話する許可が得られるのなら、まだしも。」
「許可いたします。好きなだけ話していて下さい。」
「だそうよ」
ヒュキアは僕を見た。
「君は、僕と喋っている間は他の人の思考を読みにくくなるの?」
「単に、注意……集中力の問題ね。貴方と話していれば、そちらに注意力が割かれて結果として他の人の思考が入り込みにくくなる。」
「分かった。で、さっきの奴は何だったんだ?」
「ラゾ・ギドニス。超能力者。スピーゲルマン博士のボディガード。」
「それは聞いた。」
「彼は普段は薬物で興奮状態を鎮静されていて、必要になったときだけ鎮静状態を解く薬物を与えられ戦闘を許可されるの。」
「つまり、あれが通常状態だっていうのか」
「彼の戦力が必要な時以外は、常に鎮静剤を投与されているわ。」
「戦闘民族もびっくりだな。」
二度と関わり合いになりたくない。
「ギドニスは研究所内でも怪物と呼ばれて恐れられていたの。」
何かのゲームにそういうモンスターが登場していたな。ラゾギドニスって恐竜の名前みたいだし。
「ギドニスが鎮静状態を解かれるのは、博士の身に余程の危険が迫ったときだけのはず。彼の思考を断片的に把握した限りでは、どうやら私をおびき出すための措置だったらしいわ。」
「あいつを止められるのはお前だけ、だからか。」
「厳密に言えば、複数人で接近して薬品を注射するとか、さっきみたいに麻酔銃などを使うという方法は有る。催眠ガスとかね。真正面から戦える相手は滅多にいないわ。私が周囲の人々に危害が及ぶのを止めるために駆け付けるのを、他の人間が待ち伏せしている気配が有った。手が付けられなくなったらギドニスを狙撃でもするつもりだったのでしょう。」
「完全に猛獣だな」
怪我人や、下手をすれば命を落とす人が出てもおかしくない状況だった。ヒュキアの父親の一派というのは何を考えているのだろう。
「ギドニスも最初からあんなふうだったというわけではないの。薬物と訓練によって能力を強化する際に、より好戦的な人格になるよう操作された結果だと言えるわ。」
「あいつの超能力っていうのも、お前と同じなのか?」
「共通点は有るけれど、全く同じではない。私の能力が『他者の思考を言語化すること』に特化しているのに対して、ギドニスはもっと素早く直感的に、『相手の次の行動を読むこと』に長けている。予知能力に近いものと言えるわね。戦闘に関しては、私よりも便利な能力。だからこそ戦意そのものをコントロールするための実験台にされてしまったのでしょう。」
「人体実験、か。」
「超能力研究の抱える倫理的な葛藤は、そこに有る。研究対象が生きた人間であるために、過度の干渉は人権の侵害につながる。だから私やギドニスのような戸籍も国籍も無い人間が研究材料としては都合がいいの。」
ヒュキアの口調からは、あの緑髪の大男に対してむしろ同情していることが窺い知れた。
「久留間崎とかいうナイフ使いはお前のことを最高戦力って言ってたけど、戦力としてはあの大男のほうが上に見えたぞ。」
「使い勝手という点では私のほうが応用が利くという意味ではないかしら。絶望と憎しみに任せて辺り構わず破壊してしまうギドニスよりは。……真菅。あまり私のことを彼らの道具のように言わないでもらえる?」
「ごめん。悪かった。」
確かにデリカシーが足りなかった。話題を変えよう。
「君も君で、敵が接近しているならもっと早く察知できなかったのか?」
「あそこまで人が多いと、さすがに難しいわ。条件は向こうも同じだと思って油断していた。まさかギドニスが現れるなんて……そうやって私の予想を上回ろうと画策しているのは、やはり彼女なのでしょうけれど。」
「彼女って?」
「園部先生よ。」
「昨日の君の話では随分とその先生に対して好意的な印象を持ったんだけど。」
昨日の友が今日の敵ということだろうか。
「園部先生の立場は複雑なの。彼女はスピーゲルマン博士の助手として働いている。研究所が無くなれば先生も立場を失う。彼女が博士に背くという選択肢は無い。敵に回さなければならないのは私としても心苦しいわ。でも仕方が無い。」
「君の言葉を聞いていると、洗脳教育を受けていたとは思えない節が有るな。その先生に関しては特に。」
「……研究所が設立されてから数年の間は、今ほど残酷な人体実験は行われていなかったの。私の教育に当たっていた先生たちも、自由な発想の持ち主が多かったわ。園部先生も、その一人。彼女は私の親友の指導も行っていたから、立場としては博士の味方であっても、心中は穏やかでないと信じたい。」
「一枚岩じゃないってことか」
まぁそれはどんな組織でも同じだろう。更に云えば、どんな人間だってある程度の複雑さは抱えて生きているものだ。それは園部という先生にしても、ヒュキアにしても同じなのだろう。
自動車は高速道路を降り、市街地を走り始めた。




