52話 手綱さばき
宵宮は、その性格で研究所の研究員のことごとくと仲をこじらせている。
大人の集まりなので今さら仲良しこよしもないが、そのうえで目も当てられない事になっている。そのため、多人数での研究作業への参加に対して、研究所からほぼ参加不許可を喰らっていた。
宵宮本人にとっても研究所や他研究員にとっても実際には喜ばしい事ではない。しかし、双方のためでもある。無駄に神経をすり減らすのも、上策ではない。
ただ、宵宮は若手研究員の中では残念ながら実力が飛び抜けていた。背に腹は代えられぬと宵宮が参加する事もある。別室参加の事が多いが、それでも定例的に進捗確認や各種討議の検討会に出ねばならない時がある。宵宮の出席が許可されるぐらいなので、よほど重要な会議なのだろう。
……そこで大人しく会議を終えてくればいいのに、そこでもひと悶着起こして帰ってくるのが、宵宮だった。
「ほらな?」
茜の言葉に、帰ってきた宵宮がひと睨みした。それで怯えずおお怖い、などとからかったうえでピュウと口笛を吹いている。宵宮は口を開きかけた。怒鳴るつもりだったのだろう。
しかし、顔を顰めてそれを止めた。おそらく検討会ですでにそれをやらかし、研究所のかなり上役から叱責されてきたとみえる。それで反省して大人しくなったわけではない。『煩わしい思いをした』という嫌な記憶があまりに直近過ぎるために黙った、と思われる。
「別にさ、会議室に直接行く事ないのにね?馬鹿なのかな、うちの偉い人達」
朱夕があまりに無慈悲な事を机が近い透に囁く。透は『聞こえるって!』と慌てているが、明らかに聞かせるために言っているのだろう。当然、宵宮の眉はまたつり上がっていた。
とはいえ、朱夕の発言はあまりに的確だった。研究所側に、あまりに学びがない。
毎回こんな感じだというのに、『今度こそは』と、宵宮に無駄な期待や希望をかけている。更生を信じる事は悪くはないが、それが望めない者もいる。たとえばばここに。
「じゃあどうしてもらうの?ネット会議?所内で?」
出張が必要な会議ならともかく、大会議室などの諸々がある本館は、この南棟からだと透なら一息で辿りつけそうな距離だ。
「それに、ネット会議にしたら、柊さんの怒鳴り声がここで響く事になるでしょ?そっちの方がやだよ。僕らの関係無いところで揉めててほしい」
相手が目の前にいようといなかろうと、それで宵宮が大人しくするわけがないという事はよくわかっている。宵宮が参加を求められるような研究に参加する――つまり、同等の研究員では駄目なのだ。文句なく捻じ伏せられるだけの研究実績のある人間相手でなければ、宵宮は黙らない。
逆に言えば、それだけの実績があれば、宵宮は白のものでも黒であると答える。
歯噛みをしても服従する。
そのあたりを上手く扱えているのが、この千両研究室の責任者である室長の、千両玲斎だ。
だが、その千両博士は、週に一度も研究室に出てくればいい方で、もっぱらテレビやメディアのお仕事に引っ張りだこである。
研究所内の検討会、それも宵宮の手綱取りのために呼ぶような人物でもない。
……ともかく、宵宮は取り扱いが難儀な男だった。
さっさと放逐すればいいのに、これだけ問題を起こしながら、その判断ができないほどの優秀さを持っているのが、何より難儀だった。
「今回は何で揉めてきたんだよ。進捗が遅いとか、そういうやつか?」
「それもあるが」
「どんだけ揉めてきたんだよ」
これで宵宮なりに色々我慢しているらしい。そして、我慢に我慢を重ねてそれが限界に達すると、それまで我慢していた事まで持ち出して怒る。
……面倒な彼女だろうか。
茜は思ったが、それについては黙っておいた。けれど余計な事を口にする。
「千両博士の代わりに夜羽音を柊のお守りにつけときゃ、多少はマシになるんじゃねえのか?」
望月は、研究実績においては千両博士に匹敵どころか宵宮にすら、当然遠く及ばない。
だが、研究室内の席が宵宮に一番近いという席決めくじ引きでの不幸から始まり、なんだかんだで宵宮の手伝いを押し付けられてきた関係で、望月は弟子――でもないが、新人四人の中では一番宵宮とコミュニケーションが取れている。
この研究所では、宵宮とのコミュニケーションスキルという面だけなら、千両玲斎の次席に座れる。望月が喜ぶかどうかは怪しいが。
……喜ぶかもしれない。望月はちょっと変わったところがある。
茜も最初の頃は宵宮に潰されやしないかと望月を庇う盾として割り込んだりもしていた。案外大丈夫そうと判断してからは、面倒事である宵宮を望月に任せる事も多い。
「……どうしてそこで望月が出る」
「どうしてって」
一番アンタを上手く乗りこなしているじゃないか。
――素直にそう言って、笑って返してくれるならそうも言うが、にこやかに冗談に乗って笑う宵宮なんて想像できない。
先ほどの透ではないが、この部屋で怒鳴り声を響かせてもらったって、何も楽しい事はない。
宵宮が望月の席に目を向けた。今、望月は不在だった。
「何か誤解があるようだな。望月の扱いに関しては、貴様ら四人の中で、望月が一番物覚えがいいし、従順――従順……?まあ、従順に見せかける気概は見せている。奴が一番話が通るだけの事だ」
……宵宮も、流石に望月が一癖もふた癖もある事は理解しているようだ。ただの可愛らしい美少女ではない。
「残る三人が不甲斐ないばかりに。あれしか使いどころがない。それを何も知らん者どもが、ありもしない事で今日も揶揄をしてきて……」
「へえ?」
好きの嫌いのとからかわれて腹を立てるとは。まるで子どものようだと茜は思った。
――しかし、自分がもし宵宮との仲を勝手に勘繰られてありもしない事でからかわれれば、確かに腹が立つ。茜ならば、手が出ていたかもしれない。
しかし、それは相手が宵宮だからだ。こんな人間との仲を勘ぐられて楽しい気分になるわけがない。
だが、宵宮の場合は話が違うだろう。
相手が望月ならば、むしろ悪い気はしないのではないだろうか。
もちろん、相手が研究所内で噂になるほどの美人兄妹の妹の方でも、好みでなければさして嬉しくもないのはわかる。宵宮だって、癖が強いが、取りようによってはハンサムの部類に捻じ込める。しかし、中を邪推されるなんて願い下げだ。見た目なりなんなりが良くても、それで何でも喜べるものでもない。
それでも、相手として持ち上がるのが望月ならば。
可愛いし、真面目だし、ちょっととぼけたところはあるが、そこがキュートだ。きっと茜が男だったら、噂にされて絶対悪い気はしないし、多分それを機会に付き合いたいと思ったはずだ。それが叶うか、また、叶ったとして長続きできるかというところまで考えるのは無駄にしても。
宵宮も子どもではないのだから、それを上手くかわすぐらいいくらでもできそうなものだが。
……もしや、かなりデリケートな話題なのだろうか。
これは、面白くなってきたかもしれない。
茜は、荒い喋り方をするし、望月のようにハートマークや可愛らしいぬいぐるみが好き――といった『いかにも女の子らしい』事はやや気恥ずかしい。だが、惚れた腫れたの話は大好きだった。別に茜に限らない。朱夕と、透までもが目を輝かせていた。恋バナは大好物であると。
まして宵宮が!
この宵宮が!
――と、茜がおおいに乗り気になって、宵宮の机の方に椅子を滑らせようとしかけたところで、宵宮が憎々しげに口を開いた。
「俺に関して、『望月を持ち出せば俺に手痛いダメージを与えられる』という浅はかな考えを持つ、その愚かしさが、俺はどうしても許せん。そんな愚劣極まる人間が、この研究所に籍を置いているとは。そして、そんな人間がかかわる研究に、俺が加わらねばならないなど、これは汚点だ!」
「……」
あれ。なんか……
なんか、ちょっと方向性が、違うなあ。
気恥ずかしさを誤魔化すために起こっているのではなく、純粋に事実無根の話を浅はかな判断で吐いた相手を嫌悪していた。
「汚点だって言うなら、共同研究者の一覧から、名前外してもらったらー?」
望む方向に話が広がりそうにないと早々に見切りをつけたらしい朱夕が、口を挟んできた。
「ここまで俺がかかわっているのに、今さら名前を外されてもたまるか!」
まあ、それもそうだろう。
誰だって、研究者としての意地がある。それぞれに貢献しているのだから、功績の横取りと言われたり思われたりするのも癪だ。まして、研究とは関係のない口喧嘩で揉めている場合でもない。
宵宮は、『研究所の方がどうしてもと泣きついてきたから、参加してやっているのに……!』などとブツブツ言っている。
怒鳴りはしていないが、扱いを損ねれば、いつ火山が噴火するかわかったものではない。
「――おい。そういえばその望月はどこに行っている」
よその研究室へのお使いや呼び出しなどで、誰かしら席をあけている事は多い。
望月がいれば、より面白い――ややこしい――まあ、面倒な事にはなっていただろう。
「柊さんと入れ替わりぐらいで、本館から呼ばれて行きましたよ?途中ですれ違ってないんですか?」
「知らんな」
本館から南棟の千両研究室へ至るルートはいくつもある。会わなくても不思議ではない。
「……しかし、本館?望月が、何を呼び出される事があるんだ」
本館は研究所の中枢部だ。棟が増築されるにつれ各研究室が散っていったため、古くからあったものがそのまま残されているだけとも言える。だが、それだけ研究所運営に関しての根幹をなしているものばかりだ。
常駐しているのは事務系の職員や、研究所の役員ばかり。役職のない研究員が呼び出される事はない。まして、研修でもないのに新人が。
なお、宵宮も結構頻繁に呼び出される。行く先はほぼ一つ。お互い懇親を深めたいわけでもないハラスメント委員会の元だ。
――この種の連想ゲームについて、宵宮も似たように終着点に辿り着いたらしい。
「……望月め。ここまで育ててやった恩を忘れて、俺を売る気か」
「別に、アンタを嵌めようとしなくても、日常を報告するだけで十分訓告材料にはなると思うけどね」
望月は間違いないが、茜達に対する普段の言動だって、十分不適切だ。……まあ、最近はそれもお互い様な感はあるが。
「ただいま帰りましたー」
そう思っていたところで、望月が帰ってきた。のんきな声だった。
どうやら本当にハラスメント委員会に呼び出されていたらしい。こんな方がいらして――と望月が説明している。良く世話になる他の研究室の研究員や博士はともかく、本館の人間はまだ望月のような新人にはなじみが薄い。
「……まて、そいつはハラスメント委員会の人間ではない」
宵宮の表情がやや硬くなった。委員会の統括部所の役員だった。
何ものをも恐れぬ宵宮だが、自分の手足をもがれる面倒さは理解しているらしい。また研修で何時間も無為に過ごしたくないようだ。更生や改善のための研修を無為などと――いや、無為だから相変わらず宵宮はこうなのだろう。
「望月、お前何をぶちまけてきた。いいか、お前の不用意な発言によっては、俺が――」
「なにをって、普段の事を。皆さんが、宵宮さんをどうやったら私みたいに巧く懐柔できるのか教えてほしいっておっしゃるので」
すう……と、宵宮が大きく息を蓄える呼吸音がはっきり聞こえた。
茜、朱夕、透は自分の両手で己の耳をすぐさま塞いだ。
「――懐柔!?俺が!?望月に!?」
望月が真正面で宵宮の大声を喰らった。一瞬硬直したようだった。
「べ……別にそんな事ありませんって言ったんですけど、『あの猛獣を上手く飼いならしている秘訣が知りたい』って、立派な大人の皆さんが、藁にもすがるような顔をして……」
「不確かどころか嘘八百の噂を、奴ら信じているのか、不甲斐ない!愚かしいにも、ほどがある!」
宵宮が研究室を駆け出していった。
もちろん、検討会の開かれた第三会議室に忘れ物を取りに行った、なんて訳はない。目的地が本館である事は確かだったが。
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