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それなら南棟三階どんつきの部屋  作者: 神空うたう


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31話 ヒーロー来たらず



 美人は三日で飽きる。――かはともかく、重篤な問題を引き起こさない事象であっても、それが急激でなければ茹だっていく蛙と同じで、美醜その他関係なく慣れてしまうものだ。


 春の頃は美人が大量投入されたなどと他の研究室から羨望と憎しみを受けていた千両研究室だが、湿度と気温に悩まされ始める頃にもなれば、さほど気にもとめられなくなる。それよりも、新人なのにすこぶる有能揃いで羨ましいとの歯噛みが目立ち始める。

 千両玲斎が個別にスカウトしてきた形の新人なので、有能なのは当然だ。それでも新人研究者としての体裁が整いつつあるのは、研究室の先輩研究員として厳しい指導を重ねた賜物だと宵宮は考えていた。……そのあたりは双方の意見が食い違いそうだが。


  ※   ※


「望月。……望月?」


 今日は、新人研究員を連れて、近隣の研究会に出席した帰りだった。

 分野的に、研究所からは千両研究室が参加するのが適当と判断された。しかし、千両玲斎は国内どころか海外も飛び回る忙しい売れっ子博士である。言ってはなんだがこの規模の研究会に参加させるのはもったいない。千両は自分の興味が第一なので、気が向けば町内会のふれあい実験ショーみたいな理科の実験めいた催しにも参加するが、今回は食指が動かなかったらしい。


 そういう時は、当然研究室の副室長である宵宮が参加する。

 千両研究室は中間層の研究者がごっそりいないため、研究会などに若い宵宮が参加すると、たいそう浮く。宵宮は最近新人達を交代でその種の研究会などに同席させるが、場違い感を緩和する道連れにというわけではない。単純に周囲に顔を売らせるためだ。宵宮も千両博士に引き摺りまわされて、あちこちの研究会や講演に参加させられたものだった。

 新人達も研究員として数か月を乗り越え、これなら多少の事では辞めまい。と、仲間の一人として頭数に入れられるようになった事、なにより、新人にしてはまずまずと、宵宮のお墨付きとなった事になる。

 宵宮としては情報収集や意見交換などである程度外部の研究者と接する機会が必要とは考えているが、社交は好きではないし、致命的に苦手である。千両が宵宮に丸投げしているように、いずれはちょっとした研究会程度の出席は新人に任せられるようにしたいと画策している。




 ――そう思って、今日は望月を同行させていた。

 ただ席に座って話を聞くだけでさほど面白いものとは感じなかった。しかし望月は、研究所の空気感にそろそろ慣れ始めたところに外部の研究者と、研究所外で接する機会を得て気を引き締めたように見えた。これはこれで意義がある。

 宵宮でさえ浮いて目立つ程度なので、望月と同期のような研究者の参加はなく、居心地は悪そうだった。その分、『可愛らしい新人さん』としてやや年配の研究者達からはあたたかく迎え入れられていた。なにより、可愛気の欠片もない宵宮と並べば、たいてい素直で可愛らしく映るものだ。


 そんな帰り。望月とはぐれた。


 会場は研究所から数駅の距離なので、別に放って帰っても問題はない。

 しかし、望月を連れて外部に出たのは今回が初めてだ。初回で放置は流石に冷酷すぎるかもしれない。現地解散でよかったのだから、『あとは気を付けて帰れ』と先に一言告げるだけですんだのにと、宵宮は舌打ちをした。


 携帯電話を取り出す。

 研究室内のメッセージグループ経由で呼び出しでもかけるか。面倒をかけおってと思いながら画面をスライドさせかけたところで、聞き覚えのある声に気づいた。


「け……結構ですから」


 望月の声だった。ふと見ると、駅の片隅で男性に声をかけられている。

 ナンパだ。

 昨今見かけないお手本のようなナンパに引っかかっていた。


 そういえば、望月は『美少女』という触れ込みだった事を宵宮は思い出した。兄の新月とあわせて魅惑の美人兄妹などと研究所で噂されるほどの逸材だった。こうして客観的に見れば、人通りの多い駅前においても、単純に行き交う人々の中でも望月はとりわけ神の寵愛を受けたような丁寧な造形がなされていると感じられる。

 小顔で、その分目が大きく感じられ、とろんと優しい目つきは甘やか。むしろ肉付きをよくする方が健康にはいいのではないのかと思うようなほっそりとした体つき。今日は外部の研究会に参加するという事で着なれないスーツ姿で若干のアンバランス感があるが、それがかえっておぼつかなさや油断を誘う。


 ……で、その結果、ナンパされているようだ。

 困っているのは一目でわかるが、その手には、駅に併設されているパン屋の紙袋があった。

 はぐれたと思ったら、一言も何もなしに、勝手にパン屋に入って買い物をしていたらしい。そんな事をしているからナンパに付きまとわれるんだ、自業自得だと宵宮は苛立った。




「もう就活?そんな感じに見えないけど」

「そういうのでもありませんから」


 望月の年代なら仕方ないのかもしれないが、安価で容易に手に入るものとなるといかにもなリクルートスーツになる。着慣れていない感じも、いかにもそれらしい。面接か何かが終わって気が抜けたところを。などと、そのあたりも含めてカモにされているのだろう。

 望月はわかりやすく迷惑そうな顔と態度で抵抗している。だが、向こうもそのようにあしらわれる事に慣れているようだった。いや、慣れていないのか?反応が芳しくなければさっさと引き下がるのが礼儀――というか、処世術のはずだ。だが、望月は、このあたりではおいそれとお目にかかれない美少女である。さらには『押せばどうにかいけそう』に見える絶妙な感じが、ナンパ男を粘らせているようだった。


「結構ですから。今日は一緒の人がいるんです」

「またまたー!」


 冗談めかした口ぶりで、ナンパ男はまだ粘っているようだった。


 そうとも、今日、貴様は俺の連れだ。鞄持ちだ。なのにのんきにパンか何かを買ってふらふらしているからそんな面倒極まりない事になっているんだと、宵宮は冷めた目でやり取りを見ていた。

 位置的に望月の死角になっているので、しっかり観察できる。浅はかな行動の結果を思い知れと、宵宮はくさくさした心持ちになっていた。それに、望月がどうあしらうのか、興味もある。望月はあの容貌だ。あの種のナンパには今まで何度も遭っていそうだった。ならば慣れたものと上手くあしらいそうなものだ。

 ……しかし、望月は誠実というかなんというか。実に真面目にナンパ男と相対していた。

 必要ない。不愉快である、不快である旨を、婉曲に、直接にと伝え続けている。

 社会においての対話であればそれは有用かもしれないが、下心満載のナンパ相手にそこまで気を使う必要はまったくない。


「ですから……」

「だから……」

「……なので」


 望月はへとへとになって拒否し続けている。あれではキャッチセールスでも苦労しそうだ。気味がいいと宵宮は思った。




 だがそこで、ナンパ男の元にもう一人男が加わった。

 やや話が変わってくる。思わず踏み出しかけた足を止め、宵宮が眉間に深い皺を寄せて注視する。


「あ、いいところに。なあ、この子可愛いだろ。お前もさあ――」


 男二人がかりとなると、その威圧感は格段に上がる。当人たちは軽いからかいのつもりでも、それに直面する側は、恐怖も不安も何もかも、一人相手でも十分なのに、倍以上に跳ね上がる。 しかし、合流してきた男は、望月を見てその可愛らしさに目を瞠ったが、すぐに興味を打ち消した。


「それはいいけど、ライブの時間もうすぐだって」

「は?お前遅れて俺を待たせといてなんだよ。もういいだろ、ライブなんて」

「いいわきゃねえだろ」


 どうやら、遅れて来た男の優先順位は、ナンパ男とは違うらしい。


「こんな可愛い子がお前なんか相手にするわきゃねえだろ。無理筋のナンパなんて諦めて、行くぞ。……ごめんねー?」


 遅れて来た男はさらっと望月に詫びを入れると、ナンパ男の回収にかかった。結構な時間ナンパに遭っていた望月からすれば、軽くごめんねで流されていいものでもない。それでも解放されるならばと安堵の表情を見せた。

 二人がかりでナンパとなれば、より面倒な事になるところだった。どこかに行ってくれるならばそれに越した事はない。

 それは宵宮も同様だった。

 それに合わせてあらためて『何をしている、望月』と声をかけながら望月の元に向かう。ナンパ男と遅れて来た男は、こちらにやってくる『スーツ姿の長身の男』にギョッとした。『素人とは思えない人相をした、スーツ姿の長身の男』に。

 さらにはその男、宵宮がひと睨みすれば、結構な陽気で日中の照り返しで熱さを感じていたはずの二人の背筋が途端に凍る。何か口を開き恫喝されなくとも、その睨みつけだけで十分だった。

 そそくさと二人は望月から距離を取ると、『わー、やべえー!』とか『止めてくれてよかった』とこそこそ話しながらライブ会場にでも向かうようだった。


 何がどうヤバいのか。

 宵宮は文句を言いたかったが、愚昧な人間とは、わずかたりと関わりあいたいものではなかった。容赦してやる。

 説教をするなら、あの二人の輩よりも望月の方だ。そう向き直ると、望月は唇を尖らせていた。


「……タイミングが良すぎます。わかっていて、放置していましたね?」

「俺をほっぽり出してふらふらしていたのは、貴様だろうが」


 ぐむむと望月が悔しそうな顔をする。


「だって、ネットで紹介されていた新作パンが、並ばなくても買えそうだったんです……」

「座って話を聞くだけだったのに、どれだけ食い意地が張っているんだ」

「座って話を聞くだけでしたが、頭はいっぱい働かせていました!脳が栄養を求めていたんです!」


 鳥のエサみたいなものしか食べそうもないほっそりとした体つきの割に、望月はしっかり飲み食いをする。健康的でよろしいが、まだギリギリ業務時間中でする事ではない。その結果、ナンパに巻き込まれているのだし。


「私があの人達に絡まれていたのを見ていたんでしょう?助けてくれないなんて、酷すぎます」

「危険が及ぶならば止めるつもりはあった。不用意な行動の結果、我が身で招いた後始末ぐらい自分でつけろ。そこまで俺が監督せねばならない道理はない」


 宵宮が当然のように口にすると、望月は悔しそうに眉をひそめた。


「宵宮さんの分も、新作パン、買ってきたのに……」

「貴様の勝手を俺に押し付けるな。頼んでもいない。――おい待て。こんなところで紙袋を開けるな。俺にパンを持って電車に乗れというのか?」


 いくつかパンを買い込んでいるようで、紙袋の中には個別に薄いビニール袋に包まれたパンが入っているようだった。子どもではないのだ。大人がほぼむき出しのようなパンを持って、そろそろ帰宅者で混雑してくる電車に乗れるわけがない。


「……向こうの駅に着いてから渡します」

「いや。だから、いらんからな?」

「ナンパから救って貰えなかったのに、パンだけせしめて帰るとか、宵宮さんは業突く張りです……!」

「おい、貴様」

「……意地汚いです」

「表現を変えろという意味ではない」


 まったく、と、宵宮がため息を吐く。現地解散を告げるが、二人ともそれぞれ研究所の単身用と世帯用の寮に住んでいるため、結局研究所の最寄り駅に帰るだけだ。帰路は同じになる。せっかくなので寄り道しようと思うほどの遠出でもない。望月はパンを持ってうろうろするわけにもいかない。


「……ああいう時、ドラマとかなら『俺のカノ――俺の妹に何か用でも?』とか、スマートに助け舟を出してくれるところだったと思います」


 ギリギリ座席に座れた望月がぶつぶつ言っている。つり革を持つ宵宮は呆れていたが、位置的にその愚痴を聞くしかなかった。


「スマート?それが?ドラマの見過ぎだ」


 現実にそんな助け舟の出され方をされても『何様?』あるいは『気持ち悪い』ぐらいのもので、それならナンパ男とそう変わりがない厄介さではないかと宵宮は考えている。もちろんそれは正しい。ちょっと知っている程度の人間が、助けるためとはいえそのような方法を採る事は正しいとは思えない。……ちょっと知っている程度の人間なら。だ。結構知っている人間でも、嫌だろう。ただ、望月にとって、それが宵宮であるのなら――


「そうやって助けてくれたら、新作パン、二つあげてもよかったのに」

「……新月に持って帰ってやれ」


 呆れてため息をつきたいのはこっちだ。二人はそれぞれにため息をついた。




※ 毎週【火曜日】【金曜日】に一話ずつ更新中。

  各話独立、続き物ではないので登場人物さえ覚えれば、多少読み飛ばしても大丈夫!


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