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29 斬り捨てる、斬り結ぶ

 数人の男が、ベレタ村に向かって街道を北上している。傭兵団の偵察部隊だ。


 小癪にも騎士団は現地の有力者を味方につけ、手厚い防衛線を張っている。

 数は多くとも質に欠ける傭兵団は、一気に雪崩れ込むため、防御の手薄な場所を探さなければならなかった。


 一人が松明を掲げ、目を凝らす。

 とうとう民家のある領域まで踏み込んだようだ。


「お、あの家、扉が開けっぱなしだ」

「慌てて逃げ出したんだろう。すると、金目のものも多少は残ってるかもしれないぜ」

「へへ、不用心だねえ」


 男たちは下卑た笑みを浮かべ、役得を喜ぶ。

 傭兵の報酬は決して高くない。

 木っ端兵士でも美味しい思いをしたいなら、こういう機会を逃すべきではないのだ。


「さて、ちょっくら失敬、失敬……え?」


 巨影が男たちを覆い、小屋に入ろうとした男は間抜けな声をあげて倒れ込んだ。


「? どうした……ギャッ」


 真夜中に目が光る。

 重く濡れた羽が地面に擦れる音が、いつまでも続いていた。


***


 メルカードの街の活気の中にも、妙な緊張が漂い始めていた。

 シャオたちは気づいていないが、ストラスが見ただけでもあちこちで、赤蹄騎士団の騎士たちが不安げに何か話し合っている。


「……」


 そして、微かに聞こえる、祭りのものとは少し違う騒がしさ。

 ストラスはとうに気づいていたが、あえて何も言わなかった。


 首狩り。

 まあ、あの支配者であれば十分切り抜けられる程度の問題だ。

 そもそも、魔術協会の協定上、口出しはしたくともできないものなのだが。


 そこに、一人の騎士が、魔術協会の狩人を示す白い外套を見かけて駆け寄ってきた。


「助かった! (ガローテ)だ」

「何だい? 今は休暇(オフ)でね。泣きつかれても首狩りには介入できないよ」


 用意していた断りの文句を浮き浮きと告げるが、騎士は焦ったように首を振った。


「いや、いや、違うんだ、歪曲災害だよ。場所はベレタ村。危険度が高いが、戦闘の混乱で部隊の転換が間に合わん、助力を要請したい」


 その言葉は近くにいたシャオとジョスランにも聞こえてしまったらしく、二人が不安げに振り返る。


「ベレタ村で……?」

「……詳しく話を聞こうか」


***


 倒れた傭兵たちを踏みつけて、伸びをするように羽ばたく。

 血で編まれた赤い糸が、千切れてはらはらと散っていった。


 スヤンは羽毛に覆われた首を伸ばして、目を凝らすように細めた。

 目の前で雨垂れが泥に跳ねる。瞬きすると過去の魚が鉢を跳ねる。


 春の夜中の牧草地の風景が、反転、雪降る午後の書斎に入れ替わる。


 小さな手が透明な鉢を抱えている。いつの間にか巣に増えた、可愛い雛だ。

 スヤンは、幼子の懸命な主張に耳を傾けるため、羽を畳まなければならなかった。


「何の用だ」

「頭目のおへやが、いちばんあったかいってききました!」


 記憶の中のシャオは臆することなくスヤンの部屋に這入り込むと、彼の枕元に水の入った硝丸鉢を置いた。


「さむいと、かわいそうなので」


 千切れた水草が揺蕩う水中には、みすぼらしい小鮒(こぶな)が一匹、泳いでいた。


「金魚です。かいたいっていったらイェリンさまがくれました」

「そうか。黒い金魚もいるんだな」

「いるっていってました」


 シャオは魚の世話をするため、しばらくは足しげく部屋に通っていたが、そのうち頭目の部屋に入り浸るなと怒られたそうで、代わりに冬の間はスヤンが餌をやることになった。


 ある日、昼食に(なまず)の煮つけが出た。飴色に濡れた皮と背びれがあの金魚のものとそっくりで、どうにも食べる気になれず、スヤンは箸を持ったまま、魚の頭をじっと見ていた。


「どうした? 具合が悪いのか」


 副頭のイェリンが、隣に腰を下ろして顔を覗いてくる。

 スヤンは小さく首を振って、煮魚を頬張るシャオを横目に見た。


「あの小さいのは魚をよく食うな」

「ああ、シャオは煮魚も焼き魚も好きだからな」

「だがこの前、いつ金魚を食うのかと聞いたら、怒った」


 鯰は食べる。金魚は食べない。鮒は食べる。金魚という名の鮒は食べない。

 スヤンは心底不思議に思って、箸で煮魚の骨をつついて尋ねてみた。


「何故、同じ池に、食う魚と食わない魚がいるんだ?」

「それは、まあ、確かに、あー、……何でだろうな?」

「……食う気が失せた。寝る」


 制止するイェリンの声を無視して、布団に転がって考えた。


 学者を斬る。間違っているから。

 先生は斬らない。正しいから。

 剣士を斬る。敵だから。

 イェリンは斬らない。仲間だから。

 シャオは……斬らない。理由もない。


 食べる魚と食べない魚。違いは何だろう?

 スヤンは分からなかったから、先生のところに行って、聞いた。


「君は面白いことを気にするねえ」


 先生は笑って、文机に肘を預けて答えてくれた。


「それは金魚がおいしくないからだよ」

「成程、そうですか」


 立ち上がろうとするスヤンの肩に手を置き、先生は寂しそうに言った。


「……また痩せたね。この薬を飲みなさい。魚と同じくらい滋養があるからね」


 それからというもの、金魚を食べない理由は気にならなくなった。先生は凄いなとスヤンは思った。


***


「……やはり、スヤン君、なのだろうか」


 羽休めを終えたのか、再び動き出した歪みを見て、ルセロは帽子を深く被り直した。


「主君、あれは些か……今の我らには手に余る、というものではありますまいか」

「相当まずい感じになっちゃいましたね~……」


 騎士団側についた義勇軍と傭兵団右翼陣の交戦中のことだ。

 傭兵団の偵察部隊が逃げ帰ってきたと思った瞬間、突然、見たことのない歪みが現れ、敵味方の区別なく一掃してしまった。


 エピの知る歪みにも色々な形があるが、ああまでも狂乱した個体を見るのは久方ぶりだった。


 彼はただ、自身に絡みつく赤い糸を振りほどこうとして暴れているらしい。

 それくらいなら、多少殴ると落ち着いて我に返る、つまり人の姿に戻るケースがある。


 しかし、射手が矢を放てども怪鳥の周囲にだけ降り続ける血の雨が撃ち落とし、戦士が立ち向かえども花の翼に阻まれ近づけない。


 動ける義勇軍はメルカードに引き返し、騎士団に救援を要請しに行った。

 今はまだ一部残った傭兵たちが歪みを相手しているが、全滅するのも時間の問題だろう。

 岩場に身を隠しながら、ルセロとエピは援軍の到着を待っていた。


 身じろいだ拍子に、ぐにっと何かを踏みつける。

 エピが足元に目を凝らすと、それは人間の手のひらだった。


「あっ、すみません!」

「傭兵の連中か。無用に手を出し、返り討ちにあったと見えまするな」

「あれ? よく見ると……眠っているだけですね?」


 辺りには似たような状況の傭兵たちが何人も倒れていた。

 怪我をしていても声一つ上げないので、もう死んでいるのかと思ったが、どれもどうやら深い眠りに落ちているだけのようだ。


 何かを言おうとしたエピを遮って、しゃがれた威勢のいい声が飛び込んできた。


「おうおうおうおう!」


 ラディアンテスは大剣を担いだまま、息を切らして叫ぶ。


「ワシがあんだけ言うてもちっとも遊んでくれんかったんに、何やねんあのザマはあ!」


 その返り血を見るに、傭兵団の首魁を両断してきた興奮が消えていないらしい。

 熱に浮かされたような言葉には、怒りか、期待か、昂った感情を隠す素振りもない。


「なあ、こら、もう、ワシに何されてもいいっちゅうことやんなあ!?」


 歯を剥き、目を輝かせたラディアンテスは、我慢できないとばかりに大剣を振りかぶり────その後頭部に角材が振り下ろされる。


「良い訳ないでしょ!」

「はうっ」

「シャ、シャオさん! それに趾の人も……」


 昏倒した主人もさておき、エミリオが驚いたように声をあげた。


 趾にのみ使用が許可される、制限なしの転移魔術。

 ジョスランをレイユンと共に商館に預け、漆黒の鉤爪に掻き破られた狭間を通って、シャオとストラスはメルカードから戦場にやってきた。


「あんなの、ちょっと前が見えなくなってびっくりしただけですよ! 余計なもの引っぺがせば元に戻りますから!」


 シャオの言葉に各々が頷く。

 それから、エミリオが報告を受けてまとめた、攻撃の法則を教えてくれた。


「糸や雨自体の威力は低いですが、あの剣に斬られると昏睡してしまうようです。眠った状態で暴雨に巻き込まれないようにしてください!」


 雲もないのに、歪みの頭の傘はとめどなく雨に打たれている。

 傘から滴ってできた血だまりから糸が噴き出し、彼を絡めとろうとする。

 歪曲したスヤンはそれらを切り払い、引き千切り、羽を拡げて暴れ回る。


 その繰り返しで精密性も何もないが、その分まともに食らえば一撃重傷だ。


 そのとき、歪みが一際大きく羽ばたき、血飛沫が辺りを襲った。

 しかし、飛沫がシャオたちを貫く前に、惹かれるように地に落ちていく。


「ストラス!」

「悪いが、流れ弾を防ぐので手一杯だね。それでも多少の時間は稼げるだろう?」


 辺りにはまだ眠ったままの義勇軍や傭兵たちがいる。

 ストラスは彼らの保護を買って出た。


「死角は僕たちが援護します、シャオさんは前方に最大の集中を!」

「エピさん、ルセロさん、ありがとうございます!」


 真っ赤な水溜まりを踏み抜いて、シャオは歪みの前に立ちはだかった。

 花咲く鳥は新たな邪魔を打ち払おうとして、怪訝そうに翼を止めた。


誰何(だれだ)……?》

「…………」


 いつかの思い出が流れ込む。


────何だお前は?

────名前、ないの。だから、たいくつ。ちょっとだけ、ついていってもいい?

────……好きにしろ。


 シャオは目を閉じ、鯉口を切った。

 柳のように立ち、桜のように構える。

 一人では、きっとスヤンに敵わない。

 出会った皆から覚えたすべてを合わせなくては、自分もスヤンも助からない。


「睡花会、無銘。しかし情けを頂き、今はシャオと号す」


 鳥は首をもたげ、傾げたが、言葉の意味を理解しなかった。

 傘の奥で金色の眼光が揺らぎ、視線が空を仰いだ。


《……? まあ、誰でもいいか》


────後ろを歩くな。間違えて斬る。

────前もやめろ。蹴飛ばすだろう。

────そうだ。横を歩け。ついてくるなら、ずっと、そうしていろ。


 まだ、お傍を離れるときではあるまいに。

 シャオは笑い、新たな相棒の柄を握った。


「さては試し切りにて記憶まで斬り落としてしまわれたようで。ハッ、頭目の粗忽ぶりにはいよいよ目が離せませんね」


 また来年の花を待つなら、病んだ枝は払ってやるべきだ。

 それでは、スローライフを始めよう。


「さて、斬り(・・)結び(・・)ましょうか」

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