第37話 『逃げた代償』
そっくりなんてレベルではない、そっくりそのままの俺自身がそこに立っていた。
「誰だお前。変装でもしてんのか?」
「変装でもなんでもない。俺は福井武夫だ。ただしこの世界の創造主が作り出した世界での福井武夫だがな」
「この世界の創造主? ソラのことか?」
尋ねると夢の俺はなぜか眉間にしわを寄せて答えた。
「ああ。数日前、我らが創造主はお眠りになると同時にこの世界を創られたんだ。創造主の理想に限りなく近いこの世界を」
「ソラの理想に限りなく近い……?」
「つまりあらゆる人、物が創造主の望むままに動くようになっているということだ」
夢の俺は続ける。
「それはここで起こるすべてのことが創造主の意思であると言い換えることもできる。そして今のこの状況も創造主が望まれたことだということ」
どういうことだ?
こいつが言うことを信じれば、俺と夢の俺が面と向かって話しているこの状況がソラの意思らしい。
なんでそんな意味の分からない状況をソラが望む?
「申し訳ないがさっきからお前が言っていることの意味がさっぱり分からない。もう少し詳しく頼む」
「ここまで言っても分からないか。まさかそっちの世界の俺がこんなにも能無しだとは……自分で自分が情けない」
「何せあまり勉強していないもんで。そんな俺にも分かるように説明してくださいませんかね」
あえてへりくだった言い方をすると夢の俺はため息をついて言う。
「いいだろう……つまりはこういうことだ!」
その瞬間、夢の俺が俺に向かって走ってきて俺の顔を殴りかかってきた。
幸い直接顔を殴られることはなかったが、顔を覆っていた腕がジンと痛む。
「……っ! 何しやがる!」
「そこまでされてもまだ分からないのか? 俺がここにいる理由、それはお前を殺して一秒でも早くこの世界から追放することだ!」
そう言うと夢の俺は近くに立てかけてあった屋台の鉄パイプのうちの一本を手にして俺に再び殴りかかってきた。
さすがに鉄パイプはヤバいだろ!
ブン! という鈍い音とともに鉄パイプが空を切る。
「お前、殺す気か!?」
「さっさと死ね」
しかしここで殺されたらソラと話すこともできず、夢の中とはいえ痛みにもだえ苦しむことになるだろうし、現実世界でもソラを起こすことができなかったせいでオロチが暴れまわるという最悪の結末を迎えてしまうだろうから何とかしなければならない。
打開策を探っているとちょうど夢の中の俺が鉄パイプを大きく振りかぶって空振ったので、その隙を狙って俺も鉄パイプを手に取り構える。
「なんでお前はそんなことをする? なんでソラはこんなことを望む? 別に俺はソラに乱暴しようっていうんじゃない。ソラと話がしたい。それだけだ」
それを聞いた夢の俺は心底驚いたような目をして尋ねてきた。
「本当に分かっていないようだな。お前は」
「何をだよ」
「改めて聞こう。お前はこの世界に来たんだ? 創造主に何の用があって来た」
「は? さっきも言っただろ。ソラと話がしたいって」
「何の話だ」
「なんでお前なんかに言わなきゃならん」
「いいから言え」
夢の俺に言う義理なんて微塵もないわけであるが、こいつの様子を見るに言わなければ死んでもここを通してはくれないだろう。
俺は正直に言うことにした。
「あっちの世界でオロチが暴れまわってるから、ソラにオロチを倒す手助けをしてもらうために――」
「ふざけんな!!!」
しかし俺が話し終える前にその言葉を聞いた途端、夢の俺は鉄パイプを投げつけ、せきが切れたように大声で叫んだ。
「お前、あっちの世界で最後に創造主に何をしたのか忘れたわけじゃないだろうな。お前が創造主に向き合わなかったせいで彼女があの後どんな思いをしたのか分かってて言ってんのか!?」
「……は?」
「分からねえなら教えてやる。なんで俺がお前を殺そうとしているのか。なんで創造主がお前に会いたくないか。それはお前が創造主と真剣に向き合わなかったからだ。創造主から話は聞いた。お前、最後にあっちの世界で創造主と会ったとき他の女と話してたらしいな。それだけでも救いようもないクズなのに今、なんて言った? 謝りもせずに自分の都合で助けてくれだと? ふざけるのも大概にしろ!」
俺は言葉を返すことができない。
夢の俺はさらに続ける。
「忘れもしない。俺がこの世界に生まれ落ち、初めて創造主とお会いした時に彼女がどんな顔をしていたか、お前には分かるか?」
「…………」
「ひきつった笑顔だった。そしてその笑顔の奥に俺に対する、いや正確にはお前に対する失望と悲しみが滲んでいた。その笑顔を見た瞬間、俺は自分の為すべきことがはっきりと分かった。俺はあっちの世界で悲しい思いをした彼女に対して精一杯寄り添い続けなければならない、向き合ってあげなければいけないとな。そしてやっと時間をかけて彼女は立ち直り、お前にもう一度向き合おうとしていたのに……今のお前はどうだ? 彼女と向き合おうとしていたか?」
夢の俺は声を荒げて俺を責め続けた。
「どうして彼女との時間をないがしろにした! どうして彼女に向き合ってあげなかった!? どうして彼女だけを見てあげなかった!?」
「それは……」
夢の中の俺はいい淀む俺の服の襟首をガッと掴んで罵声を浴びせ続ける。
「ふざけるなよ! 彼女がどれだけ苦しんだか、悲しんだかお前は分かってるのか!? しかもこの期に及んで曖昧な返事しやがって……こんなクソの相手してる彼女が可愛そうだ! なあ、お前はなんであんなことをした? 言ってみろよ」
沈黙を貫くが夢の俺は話し続ける。
「舐めるのもいい加減にしろよ。言い訳のひとつも言わねえなんて……終わってるな、お前」
「言えるわけないだろ……夢の俺でもお前が俺なら分かるんじゃないのか!? 察してくれよ!」
「言わなきゃ分からねえんだよ!」
「クソっ……ああ、もう! なんでなんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!」
夢の俺は堪忍袋の緒が切れたのか、もう一度俺の顔面をぶん殴ると倒れこんだ俺に馬乗りになって一方的に俺を殴り続けてきた。
俺は必死に攻撃を防いだがそれにも限界があり顔と手に段々と強い痛みが走り出す。
三発ほど殴られた時、ぽとりと滴が一滴俺の頬に落ちてきた。
雨ではない。
見上げると夢の俺が目に涙を浮かべていた。
「彼女は! 本当にお前のことを……お前のことを思っていたのに、どうして……どうしてなんだよ!!!」
「お前……」
「クソッ……クソッ!!!」
こいつのゆがんだ泣き顔を見て俺はようやく理解することができた。
ああ、そうか。
俺はソラと向き合っていなかったのだ、と。
こいつは自分のためではなくソラのことだけを考えて、ソラのために泣いている。
しかし俺はどうだ?
ソラと出かけていたはずなのに他の女子と話して浮かれてしまっていた。
ソラがそこまで傷ついていることなんていざ知らず連休中も心のどこかでなんとかなるだろうと思ってずっと問題を放置していた。
しかもソラの気持ちも考えずにただ自分の都合であいつに助けてもらおうとして。
再び鉄の味が口中に広がりだす。
痛い。つらい。苦しい。
だがあいつはこれよりももっと苦しい痛みに耐えていたのだろう。
それなのに俺はずっとほったらかしにして、逃げて、考えることもせず。
俺はなんてことを……。
夢の俺がこんなに怒るのも当然だ。
俺は、それだけのことをしてしまったのだから。
俺は夢の俺にぽつりと言った。
「……お前の言うとおりだ。俺にはソラに会う資格も、ここにいる資格もない。だから……俺を殺してくれ」
夢の俺は頼まれてくれるだろうか。
攻撃から顔を守るために手で顔を覆っているため夢の俺がどんな表情なのかは分からない。
しばらく間を置いて返事が返ってきた。
「……分かった。お前自身がそう望むならそうしてやる。でも殺す前に一つだけ言っておく」
夢の俺は俺から離れ、何かを取りに向かった。
鉄パイプを引きずる音が聞こえる。
俺、死ぬんだな。
今回はソラはいないからな、というかソラがいないんじゃなくて俺がソラがいないようにしてしまっただけなんだけどな。
完全に自業自得だ。
あの三人にはなんて言おうか。
ダメだった、で済む話なのだろうか。
町が今にも化け物に潰されようとしているのに。
そもそもなんで俺がこんなことをって考えるのも疲れた。
もうどうなってもいいか。
夢の俺は鉄パイプを振り上げる。
そして最後に一言こう言ってきた。
「また逃げるんだな、お前」
その言葉を聞いた瞬間、口が勝手に動いてしまった。
「待ってくれ!」
鉄パイプが顔のすんでのところで止まった。
「最後に一つ言っておくことがある。あの時ソラにあんなことをしてしまった理由だ」
俺は一度あいつから逃げてしまった。
ここまで来て、こんなことになってもまた逃げてしまうのか。
もう手遅れなのは変わりない。
けど、ここでも逃げてしまったらそれこそ本当に最後までソラと向き合わなかったことになるだろう。
それだけは、本当に嫌だ。
ならせめて、最後にこれだけは言っておこうと思う。
「恥ずかしくなったんだよ。ソラみたいな美人と一緒にいるのが。ソラとのことを噂されるのが。それまではなんとも思わなかったのに、あの時だけ急に……。だから奈良と話した。噂されないように、恥ずかしさを紛らわせるために。それだけだ」
今更言っても言い訳のように聞こえただろう。
しかしこれが嘘偽りのない本当の理由だ。
もう言い残すことは何もない。
俺は覚悟を決めて目を閉じ、その時をじっと待つ。
しかしそれは訪れることはなかった。
「そうか……なら俺がお前を殺す理由はないな」
そう言って夢の俺は鉄パイプを地面に置く。
その言葉に思わず俺は耳を疑ってしまった。
「え? なんで……」
「理由は簡単だ。お前がそれを認めた。それで俺の目的は達成された」
「え? それってなんだ。どういう――」
「俺がここにいても邪魔なだけだ。じゃあな現実世界の俺。彼女とうまくやれよ」
そう言い残すと夢の俺は瞬き一つする間に目の前から消えてしまっていた。
一人残された俺の耳には微かにイベント会場のざわめきが届くのみだった。




