銭湯の絆(きずな)
いつまでも互いの身体を洗っていても始まらない。私たちは湯船に浸かった。こうやって一度、小春ちゃんと将来のこととか話してみたかったんだよねぇ。子どもの頃にはできなかった、成長した幼馴染同士が交わす、将来の話ってエモいと思うのだ。
「私は大学に行かないと思うけど、小春ちゃんは都内で進学するんだよね。やっぱり都内で就職するの? 私が銭湯を継いだら、ずっと一緒に過ごせるね」
「……そのつもりだけど。わからないわよ、先のこと過ぎて。貴女は貴女で、外国人の女性の裸に見とれてるし」
「いや、それ関係あるかな? 私が他の女性の裸に見とれてたら、将来が変わるの?」
「変わるわよ、問題大アリよ! 貴女と外国人女性が仲良くなって、海外で同性婚して現地で暮らしたら私はどうなるのよ! 私だけ日本に置き去りじゃない!」
なるほど、そういうことになるのか。頭が悪い私は、そこまで深く物事を考えてなかった。いつも小春ちゃんは私よりも先を見据えていて、感心させられるばかりだ。
「そうかぁ。私、小春ちゃんとは、ずっと一緒にいるんだって当たり前みたいに考えてたよ。でも、そうだね。ずっと一緒にいるためには、努力して私たちの絆を強化していかなきゃ。小春ちゃんが言いたかったのって、そういうことだよね」
私が小春ちゃんに笑いかける。そうすると彼女は、何故か目をそらして小声で話し出した。
「そ、そういう訳でもないんだけどな……。ただ貴女が、他の女性に見とれているのが嫌で。だから勢いで、私の裸をアピールして、少しでもライバルとの差を広げようと思いついただけなんだけど……」
良く聞き取れない声で、小春ちゃんが呟いている。顔が赤くなってて、そろそろ湯船を出るべきかもだ。
「小春ちゃん、そろそろお風呂から上がる?」
「え? あ、うん……。でも私、サウナにも入ってみたい。その分の料金も払ってるし、サウナって未経験だからさ」
「へー、私もサウナって入ったことないよ。じゃ、行ってみようか」
「貴女もサウナ未経験なの? 実家がサウナ付きの銭湯なのに?」
不思議そうに小春ちゃんが言う。そんなに珍しいかな、お風呂は好きなんだけど。子ども時代、私はスイミングスクールに通った時期があって、水泳が終わった後にスクール内のサウナみたいな所で身体を乾燥させられた記憶がある。正確には採暖室って言うらしいけど、あまり良い思い出はなかった。子どもが洗った野菜みたいに、一か所に集められて乾かされる、あの機械的なやり方が気に入らなかったんだと思う。
「うん。入ったことはないけど一応、サウナ利用の手順は知ってるから。じゃ、行こ行こ」
もちろん私は料金なんか払ってない。払うつもりもなくて、私は小春ちゃんとサウナ室へ向かった。
サウナ室の端はベンチ状になっていて、そこに私と小春ちゃんは座っている。二人とも裸ではなく、バスタオルを巻いた状態だ。それがサウナ室での作法であるらしい。ネットで見た情報なので、どこまで本当かは知らない。
「……暑いわね」、「暑いね……」
そのサウナ室で、私たちは小春ちゃんと、静かな人になっている。本当、暑いっていう感想しか思い浮かばない。室内には石臼みたいな容器があって、その中は焼けた石で一杯になっている。この石に、柄杓で水をかけると蒸気が出て体感温度が上がるのだけど、私はやらない。下手にやると、熱い蒸気で手をヤケドしかねないし。
「汗が出ちゃうわね……。初めてだけどサウナって、こういう利用方法でいいの? このまま、しばらく座っているだけ?」
「うん、これでいいはず……。こうやって十分、座り続けるの」
小春ちゃんにそう言う私も、知識だけなので、ちょっと自信がない。サウナ室は中に時計があって、これで時間を確認しながら利用するのだ。
十分が経って、私たちは室内の水風呂へと移動する。冷水で汗を流してから入るんだけど、どうしたって冷たくて叫んでしまう。私と小春ちゃんの悲鳴が響いて、貸し切り状態で良かったなぁと思った。
二人で水風呂に肩まで浸かる。後から気づいたんだけど、私たちは事前に水分補給をしておくべきだったかもしれない。このときは、そこまで頭が回らなかった。冷たい水に浸かって、ざっと十秒が経過する。「もういいや、出よ」と、私は小春ちゃんの手を引いて立ち上がった。
引き戸を開けて、休憩所へと出る。ここは家の敷地内なんだけど、裏庭みたいな位置で外と繋がっている。天井はなくて、周囲には塀があるので覗かれる心配はない。木でできた寝椅子の上で、私と小春ちゃんは晴れた青空を見上げた。
俗に『整う』とか言うけど、あれは本当なんだろうか。全身がジンジンしてて、暑いのか寒いのかさえ実感できない。しばらく待っていると、ふっと意識が飛んだ。
……あれ、雲が見える。雲はたぶん地上から千メートルくらいの所にあって、私の意識はその上にあった。地上から一万メートルくらいの所で、大気と宇宙の間みたいなポジションだ。
私の下には大気があって、気流が大気を波打たせた。空気には温度があって、その温度が関係して気流が生まれて、そこに地球の自転も加わる。高気圧と低気圧が生まれて、それぞれの地域で天候が発生する。環境破壊によって、これまでの自然メカニズムが狂って異常気象が起こるのは困ったものだった。
世界には問題があって、私が憧れていた外国の人たちも、祖国を追われて日本に来たのかもしれない。各国の経済があって為替があって、通貨の円は高くなったり安くなったりして、それが実家の銭湯に来てくれる外国人さんたちにも関係している。私にできるのは、お客さんを少しでも笑顔で帰してあげることだけだ。
経済の流れがあって、急な関税があってメカニズムが狂って対立が生まれる。その対立は、本当に避けられないものなのだろうか。お湯に浸かって考えを改めることはできないのか。風呂屋の娘としては、『いらっしゃい、お客さん』と、迎え入れてあげたいものだ。
私の周囲には平和があって、それは空気と同じで、すぐに気流で移動してしまうかもしれないくらい儚いもので。そんな平和な瞬間を小春ちゃんは、私と分かち合おうとしてくれる。それはとっても難しいかもしれなくて、だけど結局、私の平和な日常にも小春ちゃんは欠かせない存在で。だから幼馴染の私たちは、これからも互いの手を放さず生きていくのだ。
意識が遠のいていて、気が付くと私は、小春ちゃんに介抱されていた。介抱といっても、小春ちゃんの方もフラッフラで、寝椅子の上の私は傍らの彼女に頭を抱きかかえられていた。
「ほら、しっかりして。目を開けるのよ、美しい世界が見えるわ」
空が見えて、小春ちゃんが見える。むしろ小春ちゃんの方にしっかりしてほしいくらい、彼女の目は飛んでいたけれど、それでも言っていることはわかった。はっきりとは覚えてないけど、私も小春ちゃんと同じく、美しい世界は見えたのだ。
これまでずっと、一緒にいてくれた小春ちゃんの存在を再確認する。私に取っては当たり前すぎて、特別な存在と感じることさえなかったけど、今は彼女の全てが愛おしかった。なので想いを口にする。
「小春ちゃん……、愛してる」
「もう、今さら? 私も貴女を愛してるわ」
バスタオル姿で、私たちは愛を確かめ合う。それから脱衣所に戻って服を着て、お金を払って番台の近くにある自販機で、私たちはコーヒー牛乳など飲んで水分を補給したのだった。