49話 嘘つきの悪魔
昼間にも関わらず、灰色の空に向かって派手に花火が打ち上げられる。
間もなくスタートするオスカルとのレースバトルは、一般客にも広く告知されていたようで、イベント会場の観覧席は満員の状態だった。
ステージの奥には巨大モニターが設置され、レースの行方をリアルタイムで中継するらしい。
これも敏腕プロデューサーの仕業なのか。
「お嬢様ー、ハリーさーん! 楓はここで応援してますからねー!」
観覧席の最前列から大きく手を振る楓に、片手を挙げて応える。
その背後には、弾けるような笑顔の楓に熱い視線を送る悪魔達が、紳士的な距離を保って人垣を作っていた。
どうにもコロシアムの一件でファンが出来てしまったらしい。
この世界の悪魔達は、緩いというより残念な奴が多いように思う。
「そういえば楓を私の従者にした時も、あんな風に悪魔だかりが出来てたわね」
「悪魔だかり……」
呟くアピィに、ついオウム返しをしてしまう。
正しい表現なのだろうが、些か語呂が悪い。
「あなたと違って死者の魂ではあったけど、楓の存在は一時ちょっとした話題になったのよ。中身が人間のままの悪魔って、結構珍しくてね。普通は肉体の変化に引きずられるものだから」
ああ、なるほど。
筋肉が無いせいでいじめられていた内気な主人公が、アメフトはじめて筋肉を手に入れたら自信に満ち溢れたチームの柱になるあの展開か。分かる分かる。
「そうだな、普通はそうなるよな」
「……あなた、本当に分かってる?」
物凄く不審な目つきでアピィに睨まれた。何故だ。
「まぁ、ともかく。おかげで変なのもやってきたりしたんだけどね。さすがに目に余ったから、ちょっと懲らしめてやったのを覚えてるわ」
「君に懲らしめられるとか、相手もさぞ理不尽を感じただろうな」
「ちょっと、それどういう意味――」
アピィが抗議の声をあげかけた時だった。
「いや、まったくでさァ。レッドガーデンの散歩する災害、アペルチャイルド。あんたに比べりゃ、アタシのやろうとしたなんて子供の悪戯じゃねェですかい」
いつの間に後ろに立っていたのか。
ひょろ長い中年顔の男性悪魔が、肩口から顔を覗かせていた。
背後に居る今この瞬間も、不自然なことに気配を感じない。それがなんとも不気味だった。
「……アピィ、知り合いか?」
そんな動揺を表に出さず、アピィに尋ねる。
「知ってはいるけど、決して知り合いではないわね」
これは手厳しい、とおどけると、悪魔は大仰に一礼してみせた。
「お初にお目にかかります、ミスター。アタシは悪魔ルカノール。この隣獄で小さな新聞屋を営んでおります。以後、お見知りおきを」
新聞屋――まさか。
ルカノールと名乗った悪魔は、首をすくめた独特な姿勢に戻ると、胡散臭い眼差しをアピィに向けた。
「そしてお久しぶりでさァ、アペルチャイルド。昨日あんたをコロシアムで見かけたもんでね。また祭りごとの場に現れるんじゃないかと、お待ちしておりました」
「待っていた? 嘘おっしゃい。どうせコロシアムからずっと、こっちを見張ってたんでしょ?」
「なんだと」
アピィはさらりと言ってのけたが、今度ばかりは動揺を隠せない。
尾行に気付かないなど、専門の訓練を受けた兵士としてあるまじき失態だ。それとも、気配を消すような特殊能力でも持っているのか。
「ハリー、こいつが余計なことを言う前に先に伝えておくわ。この悪魔の吐く言葉は、99パーセント嘘だと思いなさい」
珍しく、アピィが厳しい口調だった。
その表情には、これまで見たことのない不快の色が見て取れる。
「ひどいねェ。アタシは嘘を言うんじゃない、誤解されやすいだけでさァ。賢いあんたと違って、どうにも口下手なもんでね」
「物は言いようね。ついでに言葉足らずとも言うつもりでしょう? その集大成が、デマだらけのゴシップ紙『四季報りんごく』。過去にあなたが特集で組もうとした楓の記事も、酷いものだったわね。私の側にいつも控えてるあの子が、取っ替え引っ替え男に手出しできるわけないじゃない」
こいつ……悪魔に成りたてで右も左も分からない楓相手に、そんな記事を。
悪魔相手に倫理を問う気はないが、本質的に自分とは相容れないタイプだ。
静かな怒気をはらんだアピィの言葉に、ルカノールは軽薄な笑みを浮かべた。
「あァ、あの記事――あんたのお陰で潰されちまいましたがねェ。ですが、ありゃエンターテイメントですよ。悪魔達は皆、面白いことを好むもんでしょう? まさかアペルチャイルド、あんたがそれを否定するんですかい?」
「ええ、するわよ。だってあなたの新聞には品が無いんだもの。ありもしない嘘ばかりを並べ立てるあなたの新聞は、薄汚れた裏路地の落書き以下だわ」
「……そうですかい。ま、批判も感想の一つとして受け止めさせてもらいますよ。何と言われようが、アタシは存外真面目にやらせてもらってるつもりなんでね」
あっさり引き下がり、ルカノールは背中を向ける。
その間際、一瞬だったが。
昏く淀んだ怨念の眼差しがアピィに向けられたのを、俺は見逃さなかった。
「ああ、そうそう。これを言いに来たんだった」
背を向けたまま、悪魔が嬉しそうに囀る。
「このレース、あんたも参加するんでしょう? あのアペルチャイルドが万が一にも負けるこたァないと思いますが……もし負けたらどうなるか、よーく考えておくことです。今度は嘘の記事じゃなくなるんですからね」
そう告げて、ルカノールは飄々とした足取りで去っていった。
その背中が人混みに紛れて消えたところで、アピィが憎々しげに舌を出した。
「……お互い、敵意丸出しだったな。君達も緩いばかりじゃないんだと思い知ったよ」
「あいつの場合、嫌いというより好きになれないという方が正しいわ。人間も悪魔も、美学を持たない子は美しくない。ルカノールのやり口は、私の美学とは相反するわ」
むすっとした態度ではあるが、意外とさっぱりとした理由だった。
てっきり楓を理由に怒っているのかと思ったが、そうではないらしい。
「参考までに聞いておきたいんだが……君の美学とは何だ?」
アピィに尋ねる。
悪魔が語る美学とやらに、単純に興味があったのだ。
返ってきた言葉は、実にアピィらしいものだった。
「些細なものよ。ばれない嘘はつかないこと。ただそれだけよ」
なるほど。天の邪鬼な美学だが、嫌いではない。
嘘はつかないなんて不可能な答えよりも、よほど現実味がある。
離れた場所で歓声があがった。どうやら役者も揃ったらしい。
行くわよ、と呟いて、アピィが歩き出す。
その頼りになる小さな背中に、もう一つの疑問を投げかけてみた。
「そういえば、ルカノールに何をしたんだ? あれだけ恨まれてるんだ。手酷くやり返したんだろう?」
「別に。その時発行された新聞紙を、全部植物に戻してやっただけよ」
なんて器用な真似を。魔法とは何でもありなのか。
しかし、アピィにしては思ったよりもスマートな逆襲だ。
もしかしたら、ルカノールの逆恨みも混じっているのではないか――。
「あと、あいつの事務所にバッドキング・メタセコイアを生やしたぐらいね」
「絶対そっちが原因だろ」
一瞬でも感心した俺が馬鹿だった。
どうやら敵は、オスカルに加えてもう一人増えたらしい。
マスコミは古来より敵に回すと厄介な存在だ。
魔女達に与する立場にある以上、彼女達の醜聞を流出させるわけにはいかない。
求められるのは、余計な口を挟む余地も無い、完璧な勝利ということだ。




