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侍ジュリエット  作者: 水陰詩雫
第六章 遠き異国の地
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8 花を散らすと見る夢は

 舞い散る花びらに見送られるかのように、ドーム内へ駆け込んだ鬼凛組はここまで苦楽を共にした愛馬たちとの別れを惜しんだ。

花梨やナディアは弟のように溺愛していたため、愛馬のシリウス、ウェインベルの名を何度も叫び無事を祈った。

何度も【安全な場所に逃げなさい】という合図の指笛に戸惑う素振りを見せた馬たちは、何度も振り返りながら去っていった。

それでも隊士たちは石に似た材質の曲がりくねった坂道を下っていく。

徐々にその通路の壁や床面の構成素材が変貌を見せてくる。

通路の両脇に金属パーツが使われるようになり、通路を囲む壁がツルツルと光沢を放つ灰褐色の壁へと移り変わっていく。

自然の造形物ではない明らかに何者かの意思と技術によって生み出されたものであると一目で分かる。

オルフィリスやリシュメア、神聖王国においても見ることはない材質や様式の異質な人工物。

壁の隙間からは青白い光が漏れ、薄暗いはずの通路は床と天井に設置された照明器具により照らされている。

横幅は10mほど、天井までも3m以上ある大型通路は石に似た通路を走る音から、金属板の上を駆ける甲高い音へと変わりつつあり壁に設置されたガラス板に表示される見たこともない文字列が放つ赤い光は隊士たちの焦りを掻きたてる。

四半時ほどであろうか、圧迫感のある通路にようやく扉らしき陰影が浮かび上がってくる。

スライド式の開閉扉でシュンという駆動音を放ちながら開いていく扉の異様さに一時目を奪われていたが、その先に広がる光景はさらに異質であった。

金属上の太い網にも似た格子上の床が一面に広がる円形状のホール。

天井に浮かぶ光る球体がその巨大なホールを煌々と照らしているものの、その壁にはあのドーム外壁にあったような傷口のように光る赤い文字が浮き出ていた。

そして・・・・・

ホール中央に座していたのは、全長10mを超える巨大なムカデ型の魔物であった。

赤黒い体色と鋭い足先、尾には棘だらけの尾角が生え鎌首をもたげたその頭部には無数の不揃いの目玉がある一点を見つめ、唸り声を上げている。

「キイイイイイイイイイシャアアアアアアアア!!!!!!!!」

口元に生えている牙は巨大で鋭く、一噛みで人など両断してしまうであろうほどの鋭利さを備えていることは一目瞭然であった。

その巨体を器用に蠢かせながら無数の足が金属の格子床を叩く音が耳に響く。

すーっとその鎌首が大地に接するあたりまで降りてくると隊士たちに守られたレインドを覗き込むように捉え・・・・一気に襲い掛かった。

寸でのところで一斉に避けたが、散回した隊士たちをギョロついた無数の目が蠢き、再びレインドを一斉に捉えるとその巨体に見合わぬ速度で猛然と噛み付いた。

レオニードが槍で顎下から突き上げるが、固い甲殻に阻まれ致命傷を与えるに至っていたない。

さらに凶悪な尾撃が周囲の隊士たちを巻き込み壁に叩き付けようと尾角を宙で威嚇するように揺さぶり・・・・・獲物であるレインドを食い殺そうとその殺意を撒き散らしながら次々と牙による攻撃を繰り出していく。

「お館様を守れ!!!」

リヨルドとヴァンがレインドの直衛についているが、巨大ムカデの圧倒的膂力と殺意の波動に士気が崩壊しかかっていた。

ここまで巨大な敵との戦闘は経験もなく、ここは敵のホームグラウンドでもあるのだ。

その尖った足で天井を這い回り、噛み殺そうと暴れまわるムカデに対し鬼凛組はその数の利を活かすことができずに追い詰められていく。

ここで回避に回っていた一団から飛び出し、ムカデに正面から対峙する男が1人。


「言い伝えでは俵藤太秀郷が山ほどの大きさもあるムカデを討ったという、さて俺はこの程度のムカデが丁度良いであろうな」

まるで士道館の講義に向かうような力の抜けた声色で真九郎はムカデの前でスラリと鬼凛丸を抜いた。


「キイイイイシャアアアアアアア!!!」


「たとえこのような魑魅魍魎の類が相手であろうと、基本は同じだと思え。地に足を付き頭部があり凶悪な尻尾があろうとやることは変わらん」

いったい何を言っているんだ!?と多くの隊士が思った中、竜胆だけは感動したようにその一言一句を忘れぬように書き留めて置きたい!という欲望と戦っていた。

「一見堅い甲羅に覆われ無敵に思えるかもしれん!」

ガッキーーン!!真九郎をその牙で噛み砕こうと真上から床を砕く勢いで襲い掛かったムカデの動きをあっさりと避け、がら空きになった腹部に向けて腰溜めにした一刀を放った。

青い体液を吹き出しながら両断されたムカデはその苦悶の叫びと苦痛でのた打ち回った。

真九郎はその動きさえひょいっと避けながら鬼凛丸についた青い血を懐紙でぬぐいつつ、言葉を続ける。


「堅い敵にも稼動部分は存在する、あの虫で言うならば甲羅と甲羅の繋ぎ目がそれにあたるだろう、これであの尾を封じたとなれば後は慎重に頭部を狙うのみだ」

青い体液を口から吐き出しながらムカデは怒り我を忘れて真九郎へ突進する。

だがその動きを完全に読みきった真九郎に攻撃が当たるはずもなく、逆に攻撃を引き付けたことにより生じた隙を見逃す隊士たちでもなかった。

ヴァンが義経が接合部を切り裂き、そしてレインドが頭部を切り落とし完全にムカデの息の根を止めることに成功していた。


「巨大な敵との戦闘に関しては鬼凛無法流秘伝書第六巻に記載してあるので帰ったら各自ちゃんと復習しておくように」

「「「は、はい!」」」


「きょ、局長すげええ!あの化け物でさえ実戦の教材扱いかよ!」

焔や竜胆は興奮を抑えられずメモを取り出しあの教えを書き留めていた。

ナディアと夕霧はムカデの気持ち悪さに部屋の隅で震えている始末だ。

だが、無傷かと思われた隊士たちにも壁や床への衝突時の破片による負傷者が少なからず出てしまっていた。

なんとか応急処置で事なきを得たが、負傷者を今後どう扱うのか・・・・辛い決断を強いられる機会がそう遠くない未来で訪れるであろう予感を皆が感じていた。

ムカデを倒し次の進路を探していた隊士たちをあざ笑うかのように、青白い光に覆われた一角が点滅しシュンという駆動音と共に静かに開き始めていく。

花梨が応急処置が完了したことを告げたことを合図に鬼凛組は再び進み始めた。

扉の先は緩やかな坂道がらせん状に続くことになり疲労が蓄積してきた隊士たちの膝を痛めつけていく。

適宜休憩を挟みつつなんとか辿り着いた先・・・・・新たな扉は赤紫の光と文字が流れた後、静かに開き始めていった。

暗闇が支配する部屋・・・・・何の光も光源もなく、床かから漏れる僅かな明かりさえない漆黒に包まれた部屋。

次々と不安の声をあげる隊士たち。

「ナディア、飛行型照明を出してくれ」

「局長!私でも光が見えません、真っ暗闇です!!ちょっと時間ください!!」

ナディアが魔法のバックから呪道具を取り出す時間がやけに長く感じられた。

まるで数秒が一時間にも及ぶのではないか・・・・そう思えるほどの長い時間を感じていた・・・・・・


・・・・・・・・・

はっと意識を取り戻した時、目に飛び込んだ光に思わず安堵し再び横になった。

「おい真九郎!いつまでへたっている?」

なんだやけに堅い床・・・・む?

見慣れた道着に裸足で床に倒れていたようだ。

起き上がり辺りを見回すと・・・・なんだここは!?

見た顔が・・・・一様に竹刀を振って素振りをしている・・・・

マゲを結い、ある者は月代を剃り師範代の榊原の指導で手直しをうけながら素振りを繰り返していた。

昔見た光景なのか・・・

「おい真九郎!!そんなんだから万年三番手なのだぞ?」

榊原の怒声ではっとなった真九郎はつい昔の癖で素振りを始めるが、混乱する頭に悩みつつも巴波藩に戻ってきたかもしれないと思うとどこか安堵している自分がいることに気付く。

何故俺は安堵してしまっているのだ?

なんでこう言われるままに素振りをしているんだ俺は・・・・

流されるままに、試合形式での稽古に移り始めるが相手は水原道場筆頭の栃村彦三郎。

「はぁ、お前のような万年三番手が相手では俺の修練にもならんのだがな」

栃村は巴波藩家老衆栃村弥七郎の長男であり、剣の腕は30年に1人の逸材と誉れ高く昌平坂学問所への留学も囁かれる程に学問も達者であった。

藩中きっての英傑として名高い栃村であったが性格は非常に難のある男として同世代の評判はすこぶる悪かった。

父親の権威を借りて威張り散らし、藩校での態度の悪さは藩の知ることとなり父親からひどくたしなめられたということで一応大人しくなったようにも見えたが、内実は違っていた。


いつも三番手として後を追うようにその席次をおびやかしていた真九郎を目の敵としていびることが増え始めていく。

「何をやっても努力しても追いつけないってのはどんな気分だ?教えてくれよ部屋住みになるしか道がないごくつぶしめ」

「彦三郎よ、お主は学問の才も剣の才もたしかに優れており敵わぬことに悔しい思いをしていることは事実だ認めよう。だが才能に溢れ将来有望なお主がそんな性分でどうする?民や殿の信頼をそれで得られようか?藩の将来を背負って立つ身なのだ、武士としてもっと誇り高くあってくれ」

このやりとりを耳にした藩校の講師が大したものだと口をすべらしたことから広まり藩校内や道場、そして藩の内部でも話題になった。

栃村彦三郎の才覚は十分に知れ渡っていたが、緋刈真九郎という常に三番手で目立たぬ男が藩の上役の関心を集めるきっかけともなった。

部屋住みにしておくには惜しい人柄と才覚であろうということが話題になったのだ。

幸運にもこの巴波藩では開墾政策と巴波川の治水工事が完成し米の収入が三割ほど増えたことと、江戸家老の鈴木忠之助の手腕により新たなお役目と石高の加増が見込まれたことで藩の財政が上向きになりつつある矢先であったのだ。

保守的な土地柄ということもあり経済的な余裕が出たことで先輩風をより吹かしたいと考えた上層部の風潮というものも後押しし、緋刈真九郎の伯父にあたる巻村政重からの援助と言う名目での江戸遊学を進めることになったのだ。

この差配についておもしろくなかったのが、栃村彦三郎である。

当初から藩の期待を一新に受けていた彼にとって、自分を諌めて期待という星を奪った真九郎は憎悪の対象でしかなかった。

だが彦三郎とその取り巻きたちのいびりや嫌がらせにも真九郎はへこたれることはなく、むしろ会うたび逆に説教されるため殴りつけたこともしばしばだった。

次第に取り巻きの川井源蔵や和田宗継までもが緋刈の言葉にも耳を傾けるべきだと進言してくる始末に彼は徐々に所構わず当り散らすようになっていく。

些細なことで無礼討ちしようと手を上げそうになるなど、ほころびが見え初めていたのかもしれない。

そんなことを気にしてか、気にもしなかったのか、真九郎は江戸遊学へと旅立ち巴波藩邸の庶務を手伝いその気の利く性格も評価され江戸家老の推薦してくれた私塾へ通い、鏡神明智流道場への紹介状をもらうに至ったのだ。

逆に栃村彦三郎は神道無念流道場へ意気揚々と入門を果たすものの、江戸の最先端剣技についていけるはずもなく落ちこぼれとしてその誇りをずたずたに引き裂かれ、昌平坂学問所に通う秀才たちの学問への熱意と努力の前には足元にも及ばずただ巴波藩の名を辱めるだけの所業に江戸家老もすぐさま巴波へ引き取らせる決断を強いられた。

失意に沈む彼の前に鏡神明智流道場で幼年部であろうと師範代として認められた緋刈真九郎に対する怒りは既に常軌を逸するまでに育ってしまっていた。

そんな闇討ちに追われた真九郎を匿い共に戦い撃退したのが、盟友 有本数馬だった。


懐かしい・・・・・

思えばそれほど悪い日々でもなかったのかもしれん・・・・・

なんだかんだで運にも恵まれていたのだろう。

このまま事がうまく運べば藩での出世も期待できたのであろうか?

そうだった今の俺は・・・・主君に仕える侍だったはずだ。

剣が存在せぬ地で刀を振るい、シカイビトを倒し・・・・・

『さぞ優越感に浸れただろう?』

「優越感だと?」

『剣技が存在しない地なのをいいことに、我が物顔で刀で人々を救うという名目を得て信望と名誉を勝ち取った気分はさぞ心地良いだろう?』

「・・・・・」

『江戸では目録もお情けでもらったようなものなのだろう?大した腕もないのになぁ・・・・あろうことか剣がない地で得意げにご満悦とは度し難いほどの身勝手さだな』

「身勝手・・・・」

『部屋住みになるしか道がなかったお前がこうして世界を救う大義名分を得て戦えるなど、最高に馬鹿馬鹿しい道化だな』

「世を救えるのであれば、どう思われようと構わん」

『そのご大層な正論を吐いていればちやほやしてもらえると思ったのか?そんな話を真に受けるのはお前の洗脳で死に行く哀れで無能な連中だけだよ』

「何が言いたい!お前は誰だ!?」

『本当のことを言われて怒るなよ、いいじゃないか大した剣の才能もないお前がこんなに師匠だ局長だの慕われる世界に迷い込めてよかったなぁ』

「・・・・・・」

『そうだそうだ、それにあのシルメリアって美人と出会えたんだ、将来性のないお前は嫁さえもらえなかったもんな、いやぁ幸運なことだうらやましいよまったく』

「・・・・・・」

『反論する気概さえないのか?呆れたねまったく・・・・何が侍だ、何が武士道だ偉そうに』

「たしかにお前の言う通りだ、うだつのあがらぬ身がこの地では希少な才覚として扱われるのだ・・・・たしかに優越感はあっただろう、かわいい部下や弟子たちの思いは素直にうれしかった」

『認めたか認めたな、ならばお前に生きている価値はない、さっさと死んでしまえ侍の面汚しめ!』

「言い訳はしない、そういった感情がなかったと言えば嘘になる。それでも我が身を律しようと務めてきた、出会った優しい人々を守りたいと思ったからこそだ、その思いもまた嘘ではない」

『そうだな、それも嘘じゃない』

「それも含めて緋刈真九郎という男だ」

『覚悟は出来たのか?』

「ああ、むしろこれ以上の死に場所はなかろう」

『そうだ、忘れるな!お前の本質は小利口に知性を振りかざし悦にいることじゃない!その反骨精神と理性の両立、そして荒れ狂う大海の如き苛烈で激しい気性だ』

「そう言語化されると気恥ずかしい思いだ」

『守ってやってくれ』

「違うだろ守るのは俺たちだ」







「起きなさい・・・・・起きなさい」

優しくも凛々しい声が気だるく覚醒しつつある脳髄に響き渡る。

眠りから徐々に覚めつつも、寝心地のよい羽毛とシルクのベッドに横たわりこのまま惰眠を貪りたい衝動との戦いに勝利した。

あいかわず輝くような美しさを少しもひけらかすことのないレシュティアの笑顔にはレインドへの愛情が満ちていた。

「姉さま、おはようございます」

「レインド、今日はマルファース兄上から大事なお話があるそうよ」

「マル兄様が?」

「忘れたの?いけない子ね、まったくアリアちゃんと仲良いのはいいことだけど婚約しているからって羽目を外しちゃだめよ?」

「アリア!?」

まったくもうと侍従に後を頼んだレシュティア姫が部屋から出て行くと、違和感を感じて飛び起きたレインドに侍従長が着替えを差し出した。

見慣れた、いつものある日常の一コマ。そこからまた素敵な一日が始まるためのなんのへんてつもない風景。

「レインド殿下、お着替えでございます」

「あ、ああ、いいよ自分でやるから」

「な、何をおっしゃいます!」

「・・・・あれ?ここはどこ??」

「殿下・・・?どうされたのでしょう?」

「い、いや・・・・・ここは、鬼凛の庄ではないのかい?」

「殿下、お戯れもほどほどになさいませ、ここはリシュメア王国リシュタール城でございますよ」

「・・・・・リシュタール城・・・・・」

広々とした寝室と控えるメイドたち・・・・そして贅沢な装飾のなされた調度品の数々・・・・・壁には幼少時に描かれたレインドの自画像が豪勢な額にはめられ飾られている。

懐かしさと悔しさ、様々な感情がない交ぜになった思いが混ざり合い煮えたぎっていた。

「デインに牛耳られた愚か者たちの城か・・・・」

「で、殿下は何をおっしゃっておられるのです!?」

「え?」

「デイン公爵はアリア様と殿下の御成婚の後には公爵位を返上し隠居なさるとのことでございますよ!?」

「あのデインがそんなはずは」

「殿下・・・・デイン公はアリア様と殿下の幸せを考えての決断だと仰せなのですよ」

「おかしい・・・・こんなはずはない、アリアは死んだはずだ」

侍従長は青い顔をしているメイドたちに後を任せると部屋から飛び出し姿を消してしまう。

「殿下・・・何やら悪い夢からまただ醒めておらぬほうでございますね・・・まずはせめてお着替えだけでも」

「いいんだ侍なら身支度ぐらい自分で出来なければいけないからね、自分でやるよ・・・・・あれ?なんだいこの服は」

「これはいつもの殿下のお召し物でございますよ」

白と金色の刺繍のされた良質の生地で縫われたシャツとズボンが用意されている。

「袴下と袴を・・・・・あれ?・・・・僕の刀はどこにおいてあるんだい?」

「え?今何とおっしゃいましたか?」

「あ、そうか認識できないのか・・・・僕がいつも腰に差している、そうソルダだ」

「そるだ?」

「いやもういい、自分で探すとするよ」

10分・・・・20分探しても刀どころか脇差さえ見つからない。

・・・・・

何かおかしいと気付きつつも、頭に霧がかかったような状態のまま着替えを済ませたレインドは腰に違和感を感じながらもマルファースの元へと向かった。

「レインドォー!なにやら朝か様子がおかしかったというから心配だったんだよ!!」

マルファースが人の良さそうな顔で頬ずりしながら抱きしめ頭を撫でてくれている。

「マル兄さま・・・・ひげがいたいよ」

「ご、ごめんよレインド!!それよりもだ、実は聞いて欲しいことがあるんだよ」

側にはジンとレシュティアが満面の笑みでレインドを見つめている。

「な、なんでしょう兄様」

「色々考えたんだけどね、やはり僕たちは王位をレインドに譲ろうと思うんだ」

「え!?」

「私とマル兄様はずっと前からこのことを考えていたのだ、それにレシュティアも賛成してくれているぞ」

「文句ないわ、もちろんマル兄様もジン兄様も尊敬しておりますが、やはり雷神の御子たるレインドが王に即位すれば他国が羨望の眼差しで見つめることでしょう!」

王の持つ魔法資質や魔法力が優れているほど、他国へ対しての牽制や国の権威が上がるという伝統は存在する。

このリシュメア王国でもその意向は強く、実質民の間ではレシュティア姫かレインド王子の即位を望む声が多いこともまた事実なのだ。

「そうだぞ、他の誰にも使えない雷神魔法の使い手・・・うーん素晴らしいじゃないか!!」

「マル兄よ、それだけではないぞ卓越した魔法力とその魔法資質は近衛のシルメリアでさえ一目置いているらしいじゃないか」

「え!?ちょっと待って兄様・・・・」

「どうしたんだレインド、突然の話で混乱したんだよな?な?」

皆の期待に満ちた笑顔が辛い・・・・・

どうしてだろう?前にも伝えたはずではないのか!?

「兄様・・・・・僕はもう魔法が使えないんですよ?」

「何を冗談を言っているんだまったく・・・・・どうしたんだジン?」

「レインドから魔法力を感じない・・・・・一切感じないぞどうなっているんだ!?」

「いやああああああ!!私のレインドを返してこの偽者め!」

レシュティアが近衛が、皆が一斉に杖を向けてくる。

「ま、待って僕は本物のレインドです!!病にかかって魔法力を失いましたが今では侍として!あっ刀が!?」

「何を言っているんだこの偽者め!!!こいつをひっ捕らえよ!!!ありとあらゆる拷問を許可する!!!」

あの優しかったマルファースが悪鬼のような形相でレインドを見つめていた。

ジンも・・・・あの優しかったレシュティアは般若のような憎悪に満ちた目でレインドに杖を向ける。

「まってティア姉さま!!!ぼくは本物の・・・!」

「黙れ偽者!!!!魔法力のないゴミなんかに生きてる価値ないのよ!!!」

「そうだこのゴミめ!!!」


ぼ、僕はいったい・・・・・

魔法力のない僕は生きている価値など・・・・・迷惑をかけるだけの存在・・・・・

いやだ!!いやだ!!!!!!

魔法力がああああ!!畜生おおおおおお!!

あの時魔法力を奪った奴らを殺してやりたい!!!

どうして僕だけがこんな目に・・・・・

魔法力を失わなければずっと兄様たちと穏やかに過ごせたのに!

普段ご機嫌取りに近づいてきた姑息な連中も、魔法力がなくなった途端我関せずと近寄ってこなくなった。

頭では分かっていたのに、トーマス伯爵家のウェイブとケイブ・・・・デネラ子爵の長女マリーと友人のシエラとリーン・・・・・

仲が良いと思っていたのは僕だけだったようだ、信じられるのはマル兄様とジン兄様、そしてティア姉さまに近衛や侍従長たちぐらいだ。

もう終わり、全て終わりだ・・・・何が要の儀だよふざけるな!

僕から奪ったくせに!

そして今・・・・・兄様たちでさえ・・・・


「殺せ!!!殺せ!!」

マルファース、ジン、レシュティア・・・・皆が一斉に杖を向けるがレインドはただ膝を付き絶望し無念の言葉を吐くだけしかできないでいた。

ズーンと何かに落ちていくような感覚と共に周囲が暗闇に覆われていく。


『情けねえ、そんな大将を守ったんじゃねえぞ?』

『そうだぜ、俺たちの大将はいつだって前を向いていた』

「だれ・・・・?」

『おいおい、俺たちのことまで忘れちまったのかい?』

『だめだね思い出すまで教えてやるかっての』

「くぅ・・・・頭が・・・・割れそうだ・・・・・くっ!!!」

『おい、本当に辛そうじゃないか?』

『きっと要の儀の御子だからな、負荷が他の人よりでかいんだろうよ』

「う・・・・何が・・・・」


レインドに怒声と罵声、怒りと絶望の呪詛を投げかけるマルファースやジン、レシュティアたち・・・・・

いつしかそんな言葉は耳に届かなくなり、レインドの真横で聞える妙な会話がクリアになっていく。


『どうするよ、俺たちだって格好良く助けてやろうと思ったのによ』

『まったくだ、・・・・らしくいいところで登場したかったのになぁ』

「魔法が・・・・くそう!」

『本当に魔法の力を取り戻したいのか?』

『もう一度、取り戻せるとしたらどうする?』

「・・・・・・」

誰なんだ・・・・まったく人が悩んでるところにずけずけと・・・

魔法を取り戻したいかだって!?

そんなの!!!

そんなの!!!!

右手に突如感じたひんやりとした感覚。

それは徐々に右腕を通り全身へと伝わっていく。

冷たくて・・・・気持ちが・・・・

水色の光・・・・・

これは水のエレメンタル・・・・・あっ!!!

胸に湧き上がる思い・・・・

愛しさで胸が爆発してしまいそうなほどの思い。

くっ!!

そうだ、僕はなんて馬鹿なんだ!!!

その水の冷たく清浄な力が右手の感覚を研ぎ澄まし・・・・ずしっとした重さがはっきりと伝わってくる。

手に馴染むあの感触と重さ・・・・

心地よくあれほど荒れ狂っていた思いが落ち着き、大切な人々の笑顔と子供たちが元気に遊びまわる姿。

領民たちに招かれてお茶やお菓子をついごちそうになってしまう穏やかな午後の時間。

夏の夕暮れ時・・・・月藍湖から吹きぬける涼しい風を目当てに夕涼みに訪れる住人たちと意気投合し、いつの間にか宴会が始まるような優しい時間。

アクアブルーの揺れる髪にドキっとしてしまうあの燃えるような思い・・・・

「レインド様、またほっぺにご飯粒ついてますよ。そうだ局長さんに聞いたんですけどほっぺにご飯粒つけることをお弁当つけるって言うんですって」

そうくすっと笑った君の笑顔に引き込まれてすぐにでも抱きしめてしまいたくなるほどの衝動を必死で抑えた。

そうだ・・・・局長・・・・師匠・・・・僕の命の恩人。師匠とシルメリア・・・・・二人がいなければ今頃野垂れ死んでいただろうな。

そう刀・・・・右手がしっかりと握る髭切りが吸い込まれそうなほどに美しく透明な輝きを放ち、無言の訴えをしているようだ。

魔法を失った僕が辿り着いたのは・・・・侍の道。武士道。

いや、魔法のあるなしなど関係ないんだ、刀が持てること、その力をどうやって使うのか、弱き人々を守るために自らが刃となって邪に立ち向かう。

愛しいシズクや守りたい人々・・・・・

僕がシズクちゃんを大好きなように、みんなにとってのシズクちゃんがいるんだ・・・・守りたい!!!

絶対に守るんだ!!!

元王子だからとなんて関係ない、僕が守りたい!

魔法の力なんていらない、今僕は心から信じられる友たちとその戦いをしているのだから!



「いいや、僕は侍。それで十分だよ」

『さすが俺たちの大将だ、出番なかったなベント』

『まったくだよ』

「マグナ!!!ベント!!!」

黒の閃風の決めポーズをしながら格好つけているつもりの二人は得意げだが、少しだけ恥ずかしそうにはにかみながら、よっと手をあげた。

『大将・・・・あいつらのことよろしく頼みます』

『ヴァンやリヨルドに死に急ぐなって伝えてください、爺婆になったあいつとサナちゃんを若い姿のままで迎えに行くのが楽しみなんだからさ』

「伝えておくよ・・・・・」

二人は肩を組みながら・・・・仲間たちをよろしくと、ヴァンの髪型を自分たちの代わりにからかっておいてくれと手を振っている。

徐々に遠ざかる二人の声と姿・・・・恨み言の一つも言わず自分を救いに来てくれた二人の思いに体が震えるほどに声を上げて泣いた。

「また・・・・また助けられちゃったよ・・・・・今度は僕が守るんだ、みんなを!」







 煮えたぎる溶岩の熱気に誘われて生じた上昇気流と荒れ狂うオルナの奔流とオーロラの饗宴。

天空は数秒ごとにその色を目まぐるしく変えており、帝都で混乱と暴動と略奪に明け暮れる人々もその様に争いを忘れ天の終わり、人の世の終わりが近いことを本能的に悟り始めていた。

それは魔法資質を持つ人間だからより鋭敏に感じられたのかもしれない。

オルナから漂う絶望と終末の感波。

皆一様に空を眺め、デュランシルト近郊で何かが起こっていることだけはわかる・・・・という状態であった。


上昇気流に触発されて振り出した雨は嵐となってデュランシルトへ降り注いだ。

溶岩が発する圧倒的熱量により生じた蒸気によってデュランシルトと神聖王国軍の前には溶岩の湖と蒸気の壁という二つの人の身では超えることのできない隔たりが生み出されていた。

そしてその雨は死闘を繰り広げる半兵衛たちにも降り注いでいる。

残存シカイビトが六体。

だが半兵衛は疲労と雨による僅かなミスによって水芭蕉を打ち落とされてしまっていた。

急ぎ脇差を背中から手繰り寄せたものの、棒状になった剣とも呼べぬ攻撃を受け流すには繊細すぎる作りである。

6体のシカイビトがじりじりと獲物を狙う飢えた屍鬼のごとく迫ってくるが、ヒルデとマルティナは負傷と疲労を耐えて先ほど一体を倒したところで力尽き倒れこんでいる。

ナデシコは地に倒れ、今空魔との激闘を繰り広げるのは小柄なシカイビトであるのだ。

まともに動けているのは半兵衛1人・・・・・だがその半兵衛も絶対絶命のピンチに追い込まれている。

半兵衛と水芭蕉の間に割り込んだシカイビトのせいでさらに追い込まれていくが、それは武士団を取り巻く運命の渦が二人を結ばせないように結託しているかのように思えなくもない。

そんなくそったれな現状に怒りがふつふつと湧き上がっていた半兵衛・・・・・

「・・・・・諦めてなるものか・・・・・・」

脇差を構え、衰えることなくさらに膨れ上がる闘志の炎。


何故この状況で彼はここまで戦えるのだろう・・・・

私だったら絶対に小便をもらして逃げ出しているに違いない。

今だって怖くて漏らしてしまっているのを雨が洗い流してくれてほっとしている有様なのだ。

恥ずかしい・・・・勇気のかけらもない自分が恥ずかしい!

どうして自分はこう臆病なのだろうか、情けないのだろうか。

貴族だ守ってみせるだのとあの女性に口だけ格好つけても所詮中身は醜く自分を良く見せることだけに力を注ぐ空虚な虫けらに等しい。

そのときだった。

ずっと手に持っていた何かが急に重くなったような錯覚に陥る。

そうだった・・・・何故私はこのような物を持ち出していたのだ。

パトリック男爵がくるまれていた布を解いて中身を取りだすとそれは・・・・鬼凛組が使うというあのソルダ・・・・であった。

何故私はこのような物を持ってきてしまったのだ!!!

見てみぬふりをしていれば、何にも関わらず逃げおおせていたのに!

ああ!!関わってしまった!!

この状況で関わるなど、決断しなくてはいけないではないか!!

「そ、そうだ・・・・こ、ここに捨ててしまえば誰にも気付かれ・・・・」

パトリックは思わず自身が発した言葉の醜悪さに絶望し、膝をついた。

この期に及んでなんという・・・・

消えてしまいたいほどの自身の醜悪さだ。

どう・・・・すればいい・・・・

私はいったいどうすれば。

恐らく、あの小柄なシカイビトに両断されたであろう上半身だけになったシカイビトが蛍光ピンクの血液で草原を染めながら、わずかに残る片手と触手を伴いパトリックを捕食しようと這いよってきていた。

「し、シシシシシ・・!!!シカイシビィトオオオオオ!!!うぎゃああああああああああああ!」

悲鳴をあげ、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらパトリックは泥まみれになって逃げた。

「ぎゃああああ!ぎゃああああ!!!!たす!たすけえええええ!てえええええ!」

もはや醜態もくそもなくただ、ただ生き延びたいがために逃げ出したパトリック。

だが仲間に踏み潰されて圧死した友軍兵の死体に蹴躓き持っていたあのソルダが宙を飛んだ。

「あっ!」

思わず声を上げたがそのソルダがくるくると宙を回転しながら雨に濡れる草原に落下・・・・・しなかった。

雨中を駆け抜けたそれはパトリックをかばうように前に立ちはだかる。

「おっさん!!!助かったぜ!!後は俺に任せて撤退してくれ!」

「あっ!・・・あっ!!!」

パトリックの口からはそのような声しか漏らすことしかできなかった。

泥の中でのたうつひしゃげたカエルのような自分と違い、彼は・・・・私を守ろうと立ち塞がる彼は美しかった。

まだ若いはずだ・・・・どうして彼はこのような絶望的な状況で戦うことができるのだろう。

その背中があまりに大きく、そして雄大に見えた。

「侍だからさ」

パトリックの思いに答えたのではなかろう。

きっと己の迷いや思いか、それか何かに立ち向かう覚悟が一人でに言葉として零れ出たのだろう。

だがそれがパトリックにはひどく、神聖な呪文のようにさえ思えていた。


すっと愛刀を腰に差し込むと、その位置と重さと感触を懐かしむかのように柄を一撫ですると半兵衛はなめからではあるが重く鋭い刃をするりと抜き放った。

「後はお前と暴れるだけ暴れるだけだな、眠り月!」

まるで半兵衛の思いに応じたその刃が雨粒を切り裂いたようにパトリックには見えた。


残り六体が刀を手にした半兵衛を警戒し一歩ずつ慎重に足を踏み出している様は妙な気分であった。

ご丁寧にも餌としか見ていなかった人間を脅威と感じているようにしか見えない。

人間がシカイビトに食われるだけの餌ではないことを認識させたのであれば自分の存在意義も捨てたものではないと、ついこの緊迫した状況においても思考してしまう自分がおかしかった。

慣れ親しんだ眠り月の柄糸が手にしっくりと馴染む。

半円状に包囲し始めた奴らに対し、半兵衛が選んだ戦術、それは。

「貴様ら一匹たりとも逃がさん!」

両の肩が振るえ、毛が逆立ち・・・・目の色が変わる。

爪が犬歯が瞬時に尖ったように見えたのも束の間、降りしきる雨を跳ね飛ばしつつ消えた半兵衛の動きをシカイビト共は視認することができなかった。

突如脳天から真っ向切り捨てられたのは中央の片手剣を握ったシカイビトだ。

そのまま急所である目玉を断ち割られ石化を始めている。

すぐさま中央を駆けぬけた半兵衛はようやく追い始める残りの五体に対峙した・・・・・



ナデシコは震える手と足でなんとか立ち上がろうと必死だった。

膝を立て上体を起こすことがようやく出来ても、空魔対シカイビトの戦いは止む事はなくさらに激しさを増していく。

空魔が残った右手の平に生じた穴から赤黒い熱線を放ち小柄なシカイビトを追い詰めていくが、それ以上の早さで肉薄し白い体液を巻き散らしていった。

マルティナがヒルデに肩を貸しながら、泥まみれになりつつもナデシコの側まで辿り着いた。

「ナデシコさん、あのシカイビトはいったい・・・・」

マルティナが太ももを紐できつく縛り上げ止血をしながら問いかけるが、ナデシコとヒルデはさきほど見せた小柄なシカイビトの放った剣技に動揺し唇がわなわなと震えだしていた。

「ヒルデさん!?」

「あ・・・ああああ!」

ぬかるむ大地に一瞬足を取られたシカイビトの頭に巻かれた布が鋭い爪で切り裂かれる。

水分を含んだ布が重い音を立てて地に投げ捨てられた。

「そうか・・・・なるほどただのなりそこないか、廃棄物にも成り切れない哀れな存在であるな」


「そんな・・・・ああああああ!」

「うそ・・・!」

ヒルデとマルティナが絶句する中、ナデシコだけは立ち上がり両手で何かを求める赤子のようにその小柄なシカイビトに手を伸ばした。


「サクラアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


ナデシコの絶叫が耳に飛び込んできた。

黒い体に走る赤いラインと傷口から流れた桃色の、いや桜色の血液。

身につけた二式鎧が肌と融合してしまい、黒化した肌は首元にまで迫ろうとしていた。

やはり手に持っていたのは粟田口と残月・・・・

「ナデシコ・・・・ごめんね」

そう小声で呟いたサクラは、再びナデシコたちと空魔との間にその身を置いた。


そうだった・・・・こうして私を守るようにして戦っていたのだ。

いつだってあの娘は私たちのために傷ついて、一生懸命がんばりすぎて・・・・

あんな体になってもサクラは私たちを・・・・

なんで気付かなかったんだ私はあああああああ!

己の浅はかさに絶望してしまいそうになるほどの愚かさだ。


「私が!!!」

空魔と対峙しながらサクラが叫ぶ。

「私が自分で選んだことだから!例えどんな姿になっても、私たちのお家と師匠たちが帰ってくる家を!ナデシコたちは絶対に守るからあああ!」

切りかかろうとしたサクラへ警戒する空魔の体に苦無が3本ほど突き刺さり僅かに動きを鈍らせた隙だけでも今のサクラには十分だった。

粟田口が腹部をわき腹をしたたかに切り裂き、白い体液と臓物らしきものがはみ出し思わず膝をついた空魔。


「ggggggggggvvvvvvvvvvvvvvvv!」


シカイビトに似た咆哮が襲い掛かるが今のサクラには微塵も感じられなかった。

だがそれがサクラにはひどく悲しい事実だと感じられた。

もうすぐ完全にあいつらみたいになっちゃうのかな・・・・

うん、そうだった。覚悟してナデシコに会いに来たんだよね。


そんな覚悟を決めるサクラに対し無機質な顔にわずかな歪みを生じさせながら空魔は切り落とされた左手の切断面から触手を放出した。

弾丸のような速度でサクラを捕えようとする触手を見切りさらに追撃をかけようとするが、胸部から新たに放出された触手の意図に気づき回避に専念することになってしまう。

一手一手に無駄がない・・・・

恐ろしく冷徹に相手の退路や攻撃角度を制限してくる・・・・・

いや、臆していたら負ける!みんながやられちゃう!!

だめだ!

向日葵が!!光輝が!!!

「あの子たちをやらせるものかああああああああああ!」

バッ!と地を蹴ったサクラの姿がその地上から掻き消えたようにしか見えなかった。

あの空魔でさえ動きを見失いキョロキョロと辺りを探し・・・・・ギィン!ズゥン!と奇妙な金属音が聞えたと思った時にはもう空魔な右手と右足が切り落とされていたところだった。

悲鳴を上げる暇もなくさらに頭部のこめかみを二寸ほど切り裂いたサクラの剣技は、あの真九郎ですら及ばぬほどの速度に到達していただろう。

雨で水が溜まり始めた草原に着地したサクラはすぐさま地を蹴って再び攻撃に移ろうとしていたが、冷徹な詰め将棋のように次の一手を打つ空魔が放ったのは一本の触手のみであった。

雨を切り裂き斜め後方から迫った触手に、僅かなタイミングで遅れたサクラの左腕に巻きついてしまった。

「ああああああ!!!」

思わず叫び転げまわったサクラの左腕はピアノ線のような鋭利で細い触手により輪切りにされ、その桜色の血液を迸らせている。

「くうう!!!!!ぐぅ!!」

脇差の下げ緒を素早く解いて傷口を結ぶも、失われた血液の量は足元に広がる桜の花びらの絨毯の大きさからも相当なものであることが分かった。


「サクラアアアアア!!!!!!!」

ナデシコの叫びが心に突き刺さった。

痛い・・・・腕の痛みなどよりもナデシコが辛い顔をしているほうがずっと痛かった。

左肘より先を失ったサクラは、自身の体重のバランスが崩れたことにより軽くよろめくが残った粟田口を構えるその瞳にはまだ強い光に満ちていた。





激しい豪雨がデュランシルトの大地母神神殿にも降り注いでいた。

屋根を叩く雨音の激しさは祈りの間で叫ぶ女性たちの声に掻き消されようとしている。

既に部屋から追い出されたシルフェたち男性陣。

中にはマユとソラ、そして女性神官数名とニーサが慌しく準備に走り回っている。

「ニーサさん!お湯はなんとかなりそう!?」

「大丈夫!それよりも清潔なタオルをたくさん用意しないと!」

「メリー!頼める!?」

「はい!」

若い女性神官が慌てて部屋から飛び出していくが、神殿の前で雨を避けつつ待つことしかできないシルフェやザインたちは半兵衛と雪の戦いの成り行きを見守ることしかできずにいた。

祈りの間に浮かんでいた光の玉の光度が徐々に下がり内部で丸くなっているシルメリアの姿が肉眼で確認できる状態にまで落ち着いてきているのだ。

そっと光の玉の下に高さを調節したベッドを置き、清潔な枕やタオルなどを皆が用意している。

追い出された男性陣はいったいどのような事態になっているのか検討も付かなかったが、今はここを死守する以外出来ることはないと覚悟を決めていた。

マユの祈りが続く中、メリーがタライいっぱいに用意したお湯と神殿内に保管されていた清潔なタオル類にほっと胸を撫で下ろすと光の玉がさらに薄く・・・・眠るように穏やかな表情をしたシルメリアの姿を確認し思わず涙が流れそうになっている自分に気づきこんなことではだめだと、自分の頬をパシッと叩き渇を入れる。

スーッとシルメリアが身につけていたローブ類が光の玉からするりと抜けるようにベッドに落ちる。

ニーサが素早く衣服を取り除くと一糸も纏わぬ姿のシルメリアがそっと母の手で寝かされるようにベッドにゆっくりとその身を沈ませていく。

ソラが全裸のシルメリアにそっと毛布をかけると、シルメリアのまぶたに微かな反応が見られたのだ。

「うっ・・・・・」

覚醒に入りつつあるシルメリアの面差しでさえ、美しいとソラは思った。

女性であっても嫉妬を通り越してしまうほどの美貌だが、どこかかわいげな愛嬌のある人を惹き付けて止まない魅力を持った女性だと改めて思った。

ニュクス族の血を引く運命の女性・・・・・

大地母神ニル・リーサ様との約定を結ばれた聖女・・・・・

そしてその彼女が約定によってその身に宿すのは・・・・・

あの稀代の英雄、緋刈真九郎との子・・・・


毛布をかけられたシルメリアのお腹にはっきりと膨らみがあり、無事真九郎との子を授かり育まれた命がもうすぐ誕生を迎えようとしていることが分かる。

神の神気を宿したその身からは清浄で荘厳なオルナが迸っているようにも思えてならない。

いつになったら目覚めるのかと思われたシルメリアに変化が訪れたのは、数分後のことであった。

「うっ!・・・・くっ!!」

毛布の端を掴むように呻く声を発し始めたシルメリアがその痛みをきっかけに覚醒を果たす。

「あっ・・・・私・・・・・」

「シルメリア!ここは大地母神神殿よ大丈夫安心して」

ソラが握る手を握り返す力が弱いことに不安を感じるが励まし続けた。

「がんばったわね、お腹の子は健康そのものよ・・・・愛しいあの人との赤ちゃんなんでしょ?」

「うん・・・・・真九郎との赤ちゃん・・・・ああ!!良かった!・・・・絶対ちゃんと産んであげるからね、待っててね」

言い終えたシルメリアの表情が苦痛にゆがみ始めていた。

陣痛が始まりその間隔が狭まっている・・・・それも急速に・・・・・

そしてシルメリアの体がらオルナが魔法力がほとんど感じられないことに、ソラは言い様のない不安を口にすることもできずにいた。

顔色が良くない・・・・・あきらかに衰弱している。

もしかしたら、あの噂は伝承は本当だったのかもしれない。


ニュクス族の女性は出産にあたり体内の魔法力のほぼ全てを我が子に分け与える・・・・そのため死亡率が非常に高いと。

だがそれこそがニュクス族の優れた魔法資質が伝承されてきた証であり、人とは異なる系譜を積み重ねてきた種族なのだ。


そしてシルメリアは・・・・意図せずとも我が子に全てを分け与えようと・・・・真九郎との愛の結晶に全てを注ごうと覚悟を決めていた。

ソラは気付いていた・・・・この子が無事に生まれなければ封印は掻き消え大悪魔が復活してしまうことを・・・・

だがシルメリアの状態を見れば出産までの時間はもうそこまで迫っていることが分かる。

光の玉に残された加護によりかろうじてその命を繋ぎとめているものの、このまま加護と恩寵が戻らなければ母子ともに命を失う危機にあることも・・・・


ソラの経験上ここまで母体が弱っている状況での出産であれば、子を諦めるという選択肢も十分にあり得た。

だがシルメリアにとってもこの世界にとってもその選択肢を選ぶことはできないのだ・・・・

ニュクスの血を引く彼女の出産に向けての準備は止まらない。

恐らくその覚悟を持って彼女はこの道を選んだのだろうから・・・・



「どこなのここは!?」

宙に浮かぶ大地に天空を覆わんばかりの大樹が伸びていた。

一枝一枝が放つ存在感ですら大地を守護する世界樹を思い起こさせる清浄な気を放っており咲き乱れる花々は星々の煌きを誇っていた。

その幹は太く大きく、そして荘厳であり人の住む世でないことだけは感覚的に理解できた。


『シルメリア・・・・シルメリア・・・・』

姿は見えないが声だけは聞える・・・・圧倒的な存在感に裏打ちされたすさまじいまでの霊圧であった。

「だ、誰?私をこんなところにどうして呼んだの!?真九郎やサクラちゃんに治癒術をまだまだかけないといけないのに!!」

『安心なさい・・・・あの二人は助かります・・・・そのために神殿にて我が恩寵を与えているのですから』

一言一言が発する霊圧に思わず失神してしまいそうなほどの迫力を感じつつ、シルメリアはその言葉の意味を噛み締めた。

「真九郎が助かるのね!!よかった!!でもあなたはいったい誰なの?」

『ふふふふ聡明なあなたでも気付かないことがあるのね?あなたが先ほどまでいたのはどこなのかしら?』

「え!?私がいたところって・・・・・大地母神神殿、そう地下にある大地母神の神殿にいたはずよ」

『そう・・・・そこの主は誰かしら?』

「え・・・・・うそ・・・・・そんなはずは・・・・」

『人間種では恐らく私の声を聞く前に魂が損傷してしまうかもしれないわね・・・・あなたがニュクスの血を引く末裔だからこそここに招くことができたのよ』

「ニル・・・・リーサ様!?」

『はい、そうですよ・・・・あなたをここに呼んだのは、ある事実を伝えなければいけないため』

「事実!?・・・・多分ですが良くない話なんですね・・・・」

「良くない・・・・うーんそうね良い話でもあるのよ、シルメリア・・・・・今あなたのお腹には命が宿っていることに気付いてるかしら?』

「え・・・ええええええええええええ!!!!!!」

『そう・・・・あなたが身も心も捧げるほどに愛しているあの緋刈真九郎との子を宿しているのよ』

「!!!うそ・・・・あああああ・・ああああああ!!!」

ポロポロと感激の涙をこぼすシルメリアを優しい風が包むように抱きしめてくれたくれた気がした。

『素晴らしいことよ・・・・・でもね、心してお聞きなさい』

「は、はい・・・」

『異なる世界からの来訪者である緋刈真九郎とニュクス族の末裔であるあなたとの間に宿った命は、ひどく不安定な状態にありこのままではこの世に定着する前に息絶えてしまう恐れが強い・・・いえ必ず命を落とすでしょう』

「そんな!!!いやあああああ!!!真九郎との子・・・・赤ちゃん!!絶対嫌!!!なんでなの赤ちゃんは何も悪くないのに!!」

『本来であれば神々が人の生死に必要以上の関与することは神が決めた理に反するでしょう・・・・でも我が身を賭して死界獣を討ったあの勇気に免じ・・・・二人の子を私がしばらく預かり出産が可能な段階まで育むことにしようと思います』

「あああああ!そんな・・・・!助かるのですね!!!赤ちゃんが!!」

『ええ、この子はこの世界にとっても希望となりえる存在・・・・だからこそ緋刈真九郎の勇気と清廉な魂を尊いと思うからこそ・・・・そしてシルメリア、あなたのこともずっと見守ってまいりましたよ、よくがんばってレインド王子を守ってくれました』

「あ、あああ・・ありがとうございます!!!ああ!真九郎との赤ちゃんが!!!そうだ、あのどれくらいで赤ちゃんは戻るのでしょう!?」

『人の時間の長さでは数年ほどと思ってちょうだい・・・その時期がきたら知らせます』

「数年・・・・そうですね、なんて素晴らしいことなんでしょう・・・・赤ちゃんが、真九郎は喜んでくれるかな・・・・子供好きみたいだからきっと」

『シルメリア・・・・神々との約定を交わしたことが今漏れると非常にまずいのです、その時が来るまであなたの記憶を・・・・・封じます』

「き、記憶を!!?なんで!??せっかく赤ちゃんが!!!」

『人との約定が結ばれたことを知れば大悪魔ヴァルシェマルンの手下共が必ずあなたを狙うでしょう・・・・そして死界人が記憶を奪うという可能性を知恵の神が指摘しているのです』

「ち、知恵の神・・・・」

『つまりこの記憶を封じることがあなたと真九郎たちを守ることだと理解してちょうだい・・・・聞かなくても無理やり記憶を封じる覚悟はありますが、せめてあなたには理解して欲しかったのです』

「・・・・・私にはこの御恩を素直に受けることしかありません・・・・だからお願いします、赤ちゃんを!私の身はどうなってもいいから赤ちゃんだけは絶対に助けてください!!」

『あなたも助けたいのよ、愛しい娘よ』

「ニル・リーサ様・・・・・」

『緋刈真九郎でよかった・・・・この地に来てくれたのが彼のような勇敢で慈悲深い心を持つ魂の持ち主でよかった・・・・そしてあなたを選んでくれて本当に良かった・・・・・』

「ニル・・・リーサ・・・・様・・・・・・」

『さあお眠りなさいシルメリア・・・・・また会いましょう・・・・・・』






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