誘惑
黒い。
初見の印象は、
纏う空気も含めて黒い。
黒い洋風なワンピースに、
着物? を羽織ったような感じ。
どれも凝った複雑なデザインだが、
それより黒さが際立つ。
首までありそうな長さの、
耳飾りを揺らしながら、
彼女は妖艶に笑う。
「お久しぶりですね」
最近会う人には、よくそれを言われる。
この人とは会ったことがあるはず、なのだが……。
目を逸らせば、また輪郭がぼやける。
「『上津絵里』さん、でしたか?」
「俺と会った時は何さん、でしたかね?」
「名刺も、お渡ししましたよ?」
どこにやったんだろう……。
「名前に、それほどの意味はありません」
「私は、私です」
「じゃあ絵里さん」
最初の質問に戻る。
「一体何の用です?」
「貴方は『ここ』がどんな所か」
「解ってますか?」
首を傾げる。
所作の全てが、妖艶だ。
「あの海に突き刺さった鳥居……」
と言って指差す先には、
砂浜の先に、
半ば海に沈んだ鳥居が見える。
あんなものあったのか……。
「もう役目は果たしてないのですが、」
「元々、表は海に向いています」
「こちらは鳥居の『内側』です」
なにを言いたいのだろう。
「ここから、何かが出ていってもらっては、」
「困るということです」
ああ、『龍穴の逆』とか言ってたな。
「琥穴……」
「知ってたんですね」
「私は」
「出したいと思ってます」
何を?
「この世の理は面白い」
「長く生きてきましたが、」
「これほど見事な『琥穴』を見たのは、」
「初めてです」
「俺はよくわかっていません」
「ここからは、」
「よくないものが溢れるという話しでした」
「何事も表裏一体」
「良いがあれば悪いがある」
「我々は悪いと言われる」
悲しげに目を伏せる……。
「俺の知ってる人は、」
「『共存』と言ってましたが……」
「滅ぼせませんからね」
「古の話……」
「干渉しないと、暗黙に決まったのです」
「お互いが、お互いの世界を守る」
思ってたことを口にする。
「人を食べる、と聞きました」
「共存と聞いて、」
「疑問にしか思いませんでした」
「貴方も、『食べる』でしょう?」
「なにを、嗜好するかの話です」
「私達が、生きることを、」
「貴方達も、止めないのです」
そうか。
俺が知らないだけで、
世界は、
そんな風に成り立ってたんだ。
なら、
「調査会社」は、
どんな意味を持って存在し、
人に仇なすか否かを、
何で測って、
処分しているのだろう……。
「程度、の問題でしょうね」
「天秤は、」
「釣り合っているのがいいんです」
「でも……」
「私は、崩したい」
頭の悪い俺でもわかる。
「崩したら、お互い消滅するのでは?」
「かもね」
「でも、面白そう」
悪く微笑む。
「気づいてます?」
その目やめてください。
「私、」
「ここから一歩も、貴方に近づけません」
「貴方の、後ろの『場所』にも入れません」
「貴方のせい、ですよ?」
そういう話だった。
入れない側から聞くと信憑性が増す。
「入れてくださいな」
聞いたことがある。
「吸血鬼」は、
招かれなければ入れないとか、なんとか……。
「貴方は……」
「人の世に、未練がありますか?」
唐突ですな。
「貴方は、人に交わらない」
「貴方は、他人に興味がない」
「興味のないことには、関わらない」
「世界に、関わりを持ちたくない」
いや、そこまででは……。
「貴方は、人で有りたいですか?」
目眩がする。
声が麗しい。
今にも折れそうな華奢な肢体も、
美しい。
でも……。
「俺、妻帯者なんです」
絵里さんがキョトンとした。
「いや、籍は入ってないんですが、」
「嫁はあいつと決めてるんです」
胸を張ってみた。
絵里さんは、
もっと悪く微笑んだ。
「貴方は、いいです」
「私と、生きませんか?」
「面白おかしく、暮らせますよ?」
「その力は、自分のために使うべきです」
使えません。
使ってる覚えもありません。
みんなして、なんだと言うんだ、もう……。
「すごいですね」
「ますます、滲んでいってますよ」
「貴方の姿が、見えない」
指を鳴らす。
「私を、惑わすなんて、」
「なんて、魅力的な人」
だから困りますってば。
「えーっとですね」
絵里さんが首を傾げる。
「ここ何日かで色んなことがあって……」
「よくわかっていません」
「解りたいと思ってないかもです」
「それが、貴方です」
「でもですね……」
「ここで母親が死にました」
自分でも、思ってはいなかったのだが……。
「その意味は知りたいです」
咄嗟に口に出た。
「貴方のお母さん、だったんですね」
「彼女も、強力でした」
「何をやっても、動きませんでした」
「命を絶っても、結界は破れませんでした」
え?……
「貴方が、護ってるだけじゃなく、」
「今も、彼女の残留思念を感じます」
そう言って、
絵里さんは足元を見て口を開く。
キーンという甲高い音を感じたと思ったら、
足元の石が爆ぜた。
「貴方を、」
「殺すことはできるでしょう」
「でも、それでは意味がない」
「何より、」
「貴方を、気に入ってます」
「いつか、入れてくれるのを、」
「願ってますよ」
そう言うと、
羽織っていた着物が、
蝙蝠の羽に変わった。
瞬間、
滲んで消えた。
理とはなんぞや?
今まで習ってきた、
物理はどこへ消えた。
既に驚かない自分も怖い。
もう一度、
更地の雑草畑に手を合わせ、
あれを見にいってみようと思った。
鳥居。
砂浜に出るには、
キャンプ場を抜けなければならないが、
私有地なので、
小川沿いに伝ってみることにした。
やっぱり風光明媚ではある。
波打ち際までは行けるが、
鳥居は思ったより遠い。
赤い塗装は剥げ、
地の木目が出て灰色になっている。
しめ縄は、誰かが替えているのだろうか?
鳥居ほど古いものではない。
よく朽ちてしまわずに立ってるものだ。
小川の向こうは漁港。
「番屋」も有ったところを見ると、
昔は漁村として賑わっていたのだろうか。
……………………
高速で電卓を弾く音だけが響いている。
所長と神楽さんしかいない。
所長は……席で寝ている。
「お疲れ様」
音が止む。
「おつかれ〜。何か収穫あった?」
「いや、特にないです。皆さんは?」
「開店休業よ」
「誰が何処で何やってるかは、知らな〜い」
俺の行動は把握してるくせに……。
「おお、いらっしゃい」
お目覚めですか。
「今日はどうした?」
「あそこに家を建てましょう」
「お?」
「ちゃんと『社』として、」
「機能するように設計してください」
「そちらで手配して、」
「お金払ってください」
「お、おう」
「俺がサインします」




