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杏々のおさんぽグルメ  作者: わかめ


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17/17

15食目 お好み焼き


 天ぷら屋での一件から、数日が経っていた。


 その間も、杏々のスマートフォンには相変わらず協会からの通知が届いている。イベント案内、活動報告、公認店舗に関する連絡、協会からの確認事項。そして、その中には『公認店舗申請』という通知もあった。


「…………」


 杏々はソファに座ったまま、画面を見つめていた。通知の下には、見慣れた二つのボタンが並んでいる。


『承認』


『保留』


 杏々の指が、いつものように『承認』へ伸びる。しかし、押す直前でぴたりと止まった。


「確認してから」


 小さく呟き、それから『保留』を押す。


 杏々はスマートフォンを閉じると、テーブルの上に置いてあったお菓子へ手を伸ばした。


「…………♡」


 ぱく。


 その様子を少し離れたところから見ていた妹ちゃんは、何も言わずに笑った。


 ◇


 さらに数日後の休日。杏々の家のリビングには、すっかり見慣れ始めた女性の姿があった。


「杏々」


「ん?」


「少々、こちらへいらっしゃい」


「今?」


「今ですわ」


「お菓子食べてる」


「食べながらでも構いません!」


「そっか」


 杏々はお菓子の袋を持ったまま、テーブルの前へ移動した。ラーメンのお姉さんは杏々のスマートフォンを手にしており、その隣には妹ちゃんも座っている。


「こちらです」


 画面には、一件の公認店舗申請が表示されていた。


「…………お好み焼き」


「店名を――」


 ラーメンのお姉さんが言いかけたところで、杏々が先に続ける。


「豚玉」


「…………」


 ラーメンのお姉さんは、言葉を飲み込んだ。


「もう諦めましたわ」


「何が?」


「何でもありません」


 妹ちゃんが画面を覗き込む。


「あ、このお店」


「知ってる?」


「知ってるよ。前にお姉ちゃんと行った」


 杏々も頷いた。


「豚玉」


「やっぱりそこなんですね……」


「あと海鮮」


「うん」


「焼きそばも」


「うん」


「モダン焼きも」


 ラーメンのお姉さんが杏々を見る。


「料理の記憶だけは本当に完璧ですわね」


「美味しかったから」


「でしょうね」


 ラーメンのお姉さんは画面へ視線を戻した。


「それより、この申請ですわ」


「うん」


「まだ承認しておりませんわね」


「うん」


 ラーメンのお姉さんの目が、少し大きくなる。


「どうしました?」


 妹ちゃんが尋ねる。


「いえ……」


 ラーメンのお姉さんは、もう一度画面を確認した。


「本当に押しておりません」


「うん」


「数日前に届いておりますのよ?」


「うん」


「ずっと?」


「うん」


 ラーメンのお姉さんは杏々を見る。


「よく我慢できましたわ!」


「ふふん」


 杏々は少しだけ胸を張った。


 妹ちゃんも笑う。


「お姉ちゃん、毎回ちゃんと止まってたよ」


「毎回?」


「何回か通知を開いてたから」


「承認は?」


「押してない」


「…………」


 ラーメンのお姉さんは、しばらく黙って杏々を見つめた。


「成長しましたわね……!」


「うん」


「お姉ちゃん、えらい」


「ふふん」


 杏々はさらに胸を張る。


 その様子を見ていた妹ちゃんは、ふとラーメンのお姉さんへ視線を向けた。お姉ちゃんを褒めている。そのことが、なぜか少しだけ気になった。


「どうかしました?」


「別に」


「?」


 ◇


「では」


 ラーメンのお姉さんは姿勢を正した。


「今日は、この申請について実際に確認します」


「確認?」


「前回教えましたでしょう?」


「…………」


「杏々?」


「うん」


「何を確認するか、覚えております?」


 杏々は少し考えた。


「美味しいか」


「それだけではありませんわ!」


 妹ちゃんが横から助け舟を出す。


「営業状態」


「うん」


「衛生面」


「うん」


「一般のお客さんへの対応」


「うん」


「ファイターへの対応」


「うん」


「公認店になって問題がないか」


「うん」


 ラーメンのお姉さんが妹ちゃんを見る。


「完璧ですわね」


「この前聞いてたので」


「素晴らしいですわ」


「ありがとうございます」


 杏々は二人を見比べた。


「仲良くなった?」


「なってません」


「仕事ですわ」


「そっか」


 ラーメンのお姉さんは杏々へ向き直った。


「それを、今日はあなた自身で確認していただきます」


「私が?」


「そうですわ」


「妹ちゃんは?」


「いますけど」


「わたくしもおります」


「じゃあ大丈夫」


「あなたがやるんですの!」


 杏々が少し困ったような顔をすると、妹ちゃんが笑った。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。分からなかったら聞いて」


「うん」


 ラーメンのお姉さんは、そんな二人を見てため息をついた。


「……甘いですわね」


「妹なので」


「最近それを万能の言葉にしておりません?」


「してません」


「本当に?」


「はい」


 ラーメンのお姉さんは、まだ少し疑わしそうな顔をしていた。


 杏々はお菓子をぱくりと食べる。


「行く?」


「ええ」


「お好み焼き」


「仕事ですわ!」


「お好み焼きも」


「……まあ、それもですわ」


 ◇


 三人は昼前に家を出た。街を歩きながら、ラーメンのお姉さんは今日の確認事項をもう一度説明している。


「いいですこと? 今回は前回のような問題店舗への調査ではありません。通常の公認申請ですから、あなた自身で店の様子を見て、店主から話を聞き、最終的に承認するかを判断します」


「うん」


「聞いております?」


「聞いてる」


「では、何をしに行くんですの?」


「お好み焼き食べる」


「杏々!!」


 妹ちゃんが吹き出した。


「お姉ちゃん、それもするけど、その前に審査ね」


「食べながら?」


「……まあ、料理も確認事項ではあります」


 ラーメンのお姉さんが渋々認めると、杏々は少し嬉しそうに呟いた。


「協会いいところ」


「そこだけ覚えないでくださいませ!」


 ◇


 しばらく歩くと、商店街の一角に目的の店が見えてきた。赤い暖簾の向こうにはガラス越しに鉄板が見え、店の外まで焼けたソースの香りが漂っている。


「…………!」


 杏々の足が速くなった。


「杏々」


「うん」


「走らない」


「走ってない」


「歩幅が急に倍になっておりますわ!」


 妹ちゃんも杏々の横へ並ぶ。


「お姉ちゃん、逃げないよ」


「お好み焼き」


「分かってる」


 三人は店の前で立ち止まった。看板には『鉄板焼・お好み焼き』と書かれている。


「ここ」


 杏々が言う。


「ちゃんと覚えてるね」


 妹ちゃんが笑う。


「うん」


「店名は?」


 ラーメンのお姉さんが尋ねる。


「…………お好み焼き屋さん」


「やはりそこは覚えていませんのね!」


 ◇


「いらっしゃい!」


 店内へ入ると、鉄板の向こうにいた店主が三人へ声をかけた。杏々の姿を見つけると、顔を明るくする。


「おっ、杏々ちゃん!」


「久しぶり」


「久しぶりだな! また来てくれたのか!」


「うん」


「前はいっぱい食べてったよなあ」


「豚玉四枚」


「三枚じゃなかったか?」


「四」


 店主は少し考えたあと、手を打った。


「ああ! 最後にもう一枚追加したんだった!」


「うん」


 ラーメンのお姉さんが杏々を見る。


「そこは訂正するんですのね」


「大事」


「何が大事なんですの……」


 店主は妹ちゃんにも気づいた。


「妹ちゃんも久しぶり」


「こんにちは」


「今日は三人か」


「はい。今日は協会の用事もあって」


「ああ、申請の件か」


「そうですわ」


 ラーメンのお姉さんが一歩前へ出る。


「本日は公認店舗申請の確認に参りました」


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 杏々が鉄板へ視線を向ける。


「ご飯は?」


「お姉ちゃん」


「?」


「まず仕事。あとでちゃんと食べるから」


「分かった」


 ◇


 三人は鉄板のあるテーブル席へ案内された。ラーメンのお姉さんが資料を開く。


「まず、公認申請を出された経緯について伺っても?」


「もちろん」


 店主は頷いた。


「杏々ちゃんが前に来てくれただろ?」


「うん」


「そのあと、動画とかブログを見て来てくれる人が増えてね」


 妹ちゃんが少し嬉しそうに杏々を見る。


「お姉ちゃん効果だね」


「?」


「あなたの発信の影響ですわ」


「そうなの?」


「まだそこですの!?」


 店主が笑う。


「本当に増えたんだよ。ファイターの人も来るようになったし、普通のお客さんも増えた」


「よかった」


「ああ。最初は公認店なんて大げさかなと思ってたんだけどね。しばらく様子見して、それでもお客さんが来てくれるから、じゃあ申請してみようかって」


「なるほど」


 ラーメンのお姉さんが記録する。


「申請そのものは、ご自身で?」


「そうです」


「代行業者等は?」


 店主は少しだけ言葉を止めた。


「それなんだけど、申請する少し前に一回営業が来たんですよ」


「営業?」


「ファイター向けの店舗支援をしてるって会社」


 妹ちゃんも表情を変えた。


「会社名、分かります?」


「名刺取ってあります」


「見せてもらえますか?」


「もちろん」


 店主が奥へ向かう。


 杏々はラーメンのお姉さんを見る。


「杏々」


「うん」


「今の話、分かりました?」


「営業来た」


「その通りです」


「お姉ちゃん、ちゃんと聞いてた」


「成長ですわ!」


 妹ちゃんは、また褒めているラーメンのお姉さんを見た。


「…………」


 少しだけ、むっとする。


 ◇


 店主が一枚の名刺を持って戻ってきた。


「これ」


 妹ちゃんが受け取る。


『店舗サポート事業部』


『ファイター向け集客・公認申請支援』


 会社名、電話番号、メールアドレスが記載されている。ラーメンのお姉さんも横から確認した。


「何を提案されました?」


「公認申請の代行ですね」


「他には?」


「ファイター客を優先的に紹介できるとか、人気ファイターから推薦を受けやすくできるとか」


 ラーメンのお姉さんの眉が寄る。


「そんなことできるの?」


 杏々が尋ねる。


「通常はできませんわ」


「そっか」


「公認制度は、金銭を払って推薦を買うような仕組みではありません。特定ファイターの承認を確約することもできません」


「うん」


「杏々。そこは特に覚えてくださいませ」


「なんで?」


「あなたの名前が勝手に使われる可能性がありますので」


「私?」


「ええ」


 杏々は少し考えた。


「やだね」


「でしょう?」


「食べてない店、おいしいって言えないし」


 ラーメンのお姉さんは、少しだけ黙った。


「…………」


「?」


 やがて、ラーメンのお姉さんは小さく笑った。


「それで十分ですわ」


 妹ちゃんは、そんな二人を横から見た。


「…………」


 今、少しだけいい感じだった。


「妹ちゃん?」


「何?」


「近い」


「え?」


 気づけば、妹ちゃんは杏々へ少し寄っていた。


「別に」


「?」


 ◇


 妹ちゃんは名刺をスマートフォンで撮影した。


「この番号……」


「何か?」


 ラーメンのお姉さんが覗き込む。


「前回の募集アプリにあった連絡先とは違います」


「そうですわね」


「でも」


 妹ちゃんは画面を切り替えた。


「使われてたマーク、似てません?」


 ラーメンのお姉さんは名刺と画面を見比べる。


「確かに」


「完全に同じじゃないですけど」


「意匠が近いですわね」


「あと、文章」


 妹ちゃんが指差す。


『資格保持者向け優先支援』


 前回の募集画面には、『ファイター資格保持者優遇』と表示されていた。


「似てる?」


 杏々が聞く。


「ええ」


 ラーメンのお姉さんが答える。


「ただし、これだけでは同じところとは判断できません」


「そっか」


「偶然似ただけかもしれません」


 妹ちゃんも頷いた。


「でも、記録しておく価値はありそう」


「そうですわね」


「協会に照会かけます?」


「お願いします」


「分かりました」


 杏々は二人を見る。


「仲いい」


「仕事です」


「仕事ですわ!」


「やっぱり」


「何がですの!?」


 ◇


 店主が少し申し訳なさそうに笑った。


「うちは怪しいと思って断ったんですけどね」


「それで正解ですわ」


「あとで普通に自分で申請しました」


「ありがとうございます」


 ラーメンのお姉さんは資料へ書き込む。


「では、営業状態等も確認させていただきます」


「どうぞ」


 杏々が鉄板を見る。


「食べる?」


 ラーメンのお姉さんは杏々を見ると、少しだけ考えてから頷いた。


「はい」


「やった」


「料理も確認事項ですからね」


「うん」


「ただし、普通に食事を楽しむだけではなく、店舗確認であることも忘れないように」


「分かった」


「本当に?」


「うん」


 妹ちゃんがメニューを開く。


「何食べる?」


「豚玉」


「うん」


「海鮮」


「うん」


「餅チーズ」


「うん」


「ねぎ焼き」


「うん」


「焼きそば」


 妹ちゃんが顔を上げた。


「まだある?」


「モダン焼き」


「いっぱいだね」


「うん」


 ラーメンのお姉さんが杏々を見る。


「三人分ですわよね?」


「…………」


「杏々?」


「私の」


「全部!?」


「みんなも食べる?」


「そういう問題ではありませんわ!」


 店主が笑う。


「まあまあ。鉄板いっぱい使えばいけるよ」


「本当に全部頼むおつもりですの!?」


「うん」


「…………」


「審査だから」


「絶対それを便利な言葉として覚えましたわね!?」


 ◇


 まず運ばれてきたのは、豚玉の生地だった。大きなボウルの中には、たっぷりの刻みキャベツ、生地、卵、天かす、紅生姜が入り、その上に豚肉が乗っている。


「自分で焼く?」


 店主が尋ねる。


「焼く」


「お姉ちゃん、前も焼いたよね」


「うん」


「大丈夫ですの?」


「たぶん」


「その返事が不安ですわ!」


 杏々はボウルを混ぜ始めた。キャベツと生地が混ざるたび、ざくざくと音がする。


「混ぜすぎないでね」


 妹ちゃんが言う。


「空気を残した方がふわっとしますわ」


 ラーメンのお姉さんも続けた。


 杏々は二人を見る。


「何ですの?」


「何?」


「仲いい」


「違います!」


「違いますわ!」


 二人の声が重なった。


「ほら」


「お姉ちゃん!」


「杏々!」


 ◇


 熱した鉄板へ生地を落とすと、じゅうううう、と音が響いた。キャベツと生地の上で豚肉が焼け、香ばしい匂いが立ち上る。


「…………♡」


 杏々は鉄板をじっと見つめた。


「まだ?」


「まだ」


「まだですわ」


 二人の声がまた重なる。


「仲――」


「言わなくていいです!」


「言わなくて結構ですわ!」


「そっか」


 時間が経つにつれて生地の縁が少しずつ固まり、豚肉から脂が染み出して鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる。


「そろそろですわね」


「ひっくり返す」


 杏々はヘラを一つ持った。


「待って」


 妹ちゃんが声をかける。


「一個だと危ないよ」


「こちらも使いなさい」


 ラーメンのお姉さんも、もう一本のヘラを差し出した。


 杏々は二本のヘラを見比べる。


「こう?」


「もう少し奥ですわ」


 ラーメンのお姉さんが杏々の手元へ近づき、ヘラの位置を軽く直した。


「ここまで入れて」


 その様子を見ていた妹ちゃんが、すぐに反対側へ回る。


「お姉ちゃん、反対側、私やるね」


「うん」


「せーの」


「うん」


「いくよ」


 三人で力を合わせると、お好み焼きが鉄板の上でふわりと宙へ浮き、少し回ってから、べちゃりと落ちた。


「…………」


 三人で形を確認する。


「成功?」


 杏々が尋ねる。


「成功」


 妹ちゃんが答える。


「まあ」


 ラーメンのお姉さんは、少し崩れた形を見ながら頷いた。


「ギリギリですわね」


「できた」


「お姉ちゃん上手」


「今のは二人がかなり補助しておりましたわよ!?」


「でもお姉ちゃんがやったので」


「甘いですわ!」


 杏々は胸を張った。


「ふふん」


「そこは胸を張らない!」


 ◇


 焼き上がった豚玉へソースを塗ると、鉄板の熱でじゅっと音が鳴り、甘く濃い香りが立ち上った。マヨネーズを細くかけ、青海苔を振り、最後に鰹節を乗せる。


 鰹節は熱でふわふわと揺れた。


「動いてる」


「熱で動いてるだけだよ」


「生きておりませんわ」


 杏々は二人を見る。


「仲いい」


「もういいです!」


「もう結構ですわ!」


 妹ちゃんが笑い出し、ラーメンのお姉さんも額を押さえた。


 杏々は小さなヘラでお好み焼きを切り分ける。中から湯気が立ち上り、ふわりとした生地と甘く蒸されたキャベツが顔を出した。


「いただきます」


 ぱくりと口へ運んだ瞬間、杏々の表情が変わる。


「熱っ」


「気をつけて!」


「だから言おうとしましたのに!」


 杏々は口の中を冷ますようにはふはふと息を吐き、それでもすぐにもう一口食べた。


「…………♡」


「美味しい?」


 妹ちゃんが尋ねる。


「うん」


「生地は?」


 ラーメンのお姉さんが聞く。


「ふわふわ」


「キャベツは?」


「甘い」


「豚肉は?」


「かりかり」


 ラーメンのお姉さんは、少し満足そうに頷いた。


「ちゃんと見ておりますわね」


「食べてるだけだよ」


「そこは審査していると言いなさい!」


 ◇


 海鮮ミックスには海老、いか、帆立が入っていた。鉄板の上で焼ける海鮮の香りに、杏々はまた目を輝かせる。


「…………♡」


 海老を口へ運ぶ。


「ぷりぷり」


「それは見れば分かるよ」


「美味しい」


「そういう感想を報告へ書けばいいんですのよ」


 次に焼いた餅チーズは、切り分けると中からチーズが伸びた。


「…………!」


 杏々が持ち上げると、チーズはどこまでも伸びていく。


「妹ちゃん」


「ん?」


「切れない」


「もうちょっと下げて」


「うん」


 ラーメンのお姉さんもヘラを伸ばした。


「ここで切れば――」


「私やります」


 妹ちゃんがすっと手を出し、チーズを切り分ける。


「お姉ちゃん、はい」


「ありがとう」


 杏々は受け取った餅チーズを口へ運ぶ。


「…………♡」


 ラーメンのお姉さんは黙ってその様子を見ていた。妹ちゃんは、少しだけ満足そうだった。


 ◇


「そういえば」


 店主が鉄板の向こうから声をかけた。


「公認店になったら、ファイターの客を優先しなきゃいけないとかってあるんですか?」


「ありませんわ」


 ラーメンのお姉さんが即答する。


「一般のお客様とファイターで、店舗側の同意なく扱いを変えるよう強制する制度はありません」


「そうなんですね」


「はい」


「この前来た業者が、ファイター優先枠を作った方がいいって言ってたから」


 ラーメンのお姉さんの表情が、また少し変わった。


「契約すれば?」


「そうそう。契約してる店なら、人気ファイターが来やすくなるって」


 妹ちゃんが尋ねる。


「その資料、残ってます?」


「チラシならありますよ」


「お願いします」


「はい」


 杏々はねぎ焼きを食べながら、店主の話を聞いていた。


「ファイター優先」


「うん」


「ダメ?」


「お店が自分で決めて設けるのは別だよ」


 妹ちゃんが説明する。


「うん」


「でも、協会が強制してるって嘘をついて契約させるのはダメ」


「そっか」


 ラーメンのお姉さんも頷いた。


「そして、一般のお客様の権利を一方的に奪うような制度でもありません」


「うん」


「覚えております?」


「食べてる人のは取らない」


 ラーメンのお姉さんは少し笑った。


「ええ。それで結構ですわ」


 妹ちゃんが杏々を見る。


「お姉ちゃんらしい覚え方だね」


「うん」


 ◇


 焼きそばは太めの麺と豚肉、キャベツ、もやしを鉄板で炒め、濃いソースを絡めて仕上げられた。紅生姜が添えられたそれを、杏々は箸で持ち上げる。


「…………♡」


 ずるり。


「美味しい」


 ラーメンのお姉さんが呆れたように言う。


「お好み焼き屋でラーメンのようにすすらないでくださいませ」


「焼きそば」


「分かっております!」


 続いて運ばれてきたモダン焼きは、お好み焼きと焼きそばが一つになったような料理だった。


「いっぱい」


「あなた向けですわね」


「うん」


 妹ちゃんが笑う。


「お姉ちゃん、これ好きそう」


「好き」


「まだ食べる前ですわよ!?」


「見たら分かる」


 ラーメンのお姉さんは、とうとう諦めたように息を吐いた。


「もう召し上がりなさい」


「うん」


 杏々はモダン焼きを口へ運ぶ。


「…………♡」


「どう?」


「好き」


「でしょうね」


 ◇


 食事の間、妹ちゃんとラーメンのお姉さんは店内の清掃状態、食材の管理、申請情報、営業時間、ファイターへの対応、一般客への対応を確認した。特に問題はなく、店主も制度について分からない部分は素直に質問している。ファイターだけを無理に優遇するつもりもないようだった。


 料理については、杏々が最後のモダン焼きを食べ終えた時点で、十分すぎるほど確認できていた。


「…………♡」


 杏々は満足そうだった。


 ラーメンのお姉さんは資料を閉じる。


「では」


「?」


「杏々」


「うん」


「あなたが判断なさい」


「私?」


「そうですわ」


 杏々のスマートフォンに、公認店舗申請の画面が表示される。


『承認』


『却下』


『保留』


 いつもなら、ほとんど画面を見ずに承認を押していた。しかし今日は、杏々はすぐには指を動かさなかった。


 店を見る。


 鉄板を見る。


 店主を見る。


 普通に食事をしている客を見る。


 妹ちゃんは何も言わず、ラーメンのお姉さんも黙って待っている。


 杏々は少し考えた。


「美味しかった」


「うん」


 妹ちゃんが頷く。


「お店の人もいい人」


「うん」


「変なの来ても断ってた」


「うん」


 ラーメンのお姉さんが尋ねる。


「他には?」


 杏々はもう一度、店内を見回した。


「みんな普通に食べてる」


「…………」


「ファイターだけ特別じゃない」


 ラーメンのお姉さんの表情が柔らかくなる。


「ええ」


「だから」


 杏々は画面へ指を伸ばした。


「いいと思う」


 ぽち。


『承認しました』


 妹ちゃんが笑う。


「できたね」


「うん」


 ラーメンのお姉さんも小さく頷いた。


「ええ。今回は、ちゃんとあなた自身で承認しましたわね」


「前も私だよ?」


「意味が違いますの!」


「?」


「今回は、内容を確認して、自分で判断して押したでしょう?」


「うん」


「それが大事なのです」


「そっか」


「ええ」


 杏々は少しだけ嬉しそうに胸を張った。


「ふふん」


「調子に乗らない」


 妹ちゃんが笑う。


「でも、お姉ちゃんえらい」


「ふふん」


「あなたも甘やかさない!」


 ◇


 その直後、店主の端末が音を立てた。


「おっ!」


「?」


「来た!」


 画面には、『公認店舗申請が承認されました』と表示されている。


「公認になった!」


 店主は杏々を見る。


「ありがとう、杏々ちゃん!」


「うん」


「いやあ、嬉しいなあ」


 店主は笑顔で鉄板を見る。


「じゃあ今日は、お礼に全部――」


「全部はダメ」


「え?」


 店主が止まり、ラーメンのお姉さんも杏々を見る。


「お金払う」


「いや、でも」


「お店続けるから」


「…………」


「また食べたいし」


 妹ちゃんが笑った。


「お姉ちゃん、こういうところはちゃんとしてるんですよ」


 ラーメンのお姉さんは杏々を見て、柔らかく笑う。


「ええ。知っておりますわ」


「…………」


 妹ちゃんの表情が、ほんの少しだけ固まった。


「何ですの?」


「別に」


「?」


「知ってるんですね」


「ええ。前回も見ておりますし」


「そうですか」


「何ですの、その言い方は?」


「別に」


 杏々は二人の様子に気づかないまま、店主へ向き直った。


「でも」


「何だい?」


「一枚ならいい」


「何が?」


「サービス」


「そこは貰うんだ!」


「うん」


 ラーメンのお姉さんが呆れたように呟く。


「しっかりしておりますのか、しておりませんのか……」


 妹ちゃんが続けた。


「お姉ちゃんなので」


「またそれですの!?」


 ◇


 会計を終え、三人は店を出た。


「美味しかった」


 杏々は満足そうだった。


「かなり食べたね」


「うん」


「審査もできましたわね」


「うん」


 ラーメンのお姉さんは歩きながら杏々を見る。


「今日は、よくできましたわ」


「ほんと?」


「ええ。通知も勝手に承認しませんでしたし、店舗でも必要なことを確認できました。最後の判断も、自分でできました」


「うん」


「この調子でしたら、そのうち、わたくしが付き添わなくても――」


「それでいいと思います」


 妹ちゃんが即答した。


「…………」


 ラーメンのお姉さんは妹ちゃんを見る。


「随分と食い気味ですわね?」


「お姉ちゃん、もうできますから」


「まだ二回目ですわよ?」


「できます」


「先ほど確認項目の半分を忘れておりましたが?」


「次は覚えてます」


「あなたが決めることではありませんわ!」


「でも」


 妹ちゃんは杏々の腕を軽く取った。


「お姉ちゃん、ちゃんと成長してるので」


「それは認めますけれど」


「じゃあ大丈夫です」


「何がそんなに大丈夫なんですの?」


「全部」


「全然説明になっておりませんわ!」


 杏々は妹ちゃんを見る。


「妹ちゃん」


「ん?」


「寂しい?」


 妹ちゃんは一瞬、足を止めた。


「違うよ」


「そう?」


「うん」


 ラーメンのお姉さんは、そんな妹ちゃんを見て、何かに気づいたように小さく笑った。


「…………ふふ」


「何ですか?」


「いえ」


「今笑いましたよね?」


「別に」


「絶対何か分かってますよね?」


「何のことですの?」


 妹ちゃんは少しだけむっとした。


 杏々は二人を見比べる。


「仲いい」


「違います!」


「違いますわ!」


 二人の声が重なった。


「やっぱり」


「お姉ちゃん!」


「杏々!」


 三人の声が、また街に響いた。


 ◇


 少し後ろを歩きながら、ラーメンのお姉さんはスマートフォンに届いた通知を確認した。


『照会受付』


『店舗支援業者に関する情報を確認中』


 天ぷら屋の一件と、今回の営業。まだ同じものだとは決まっていない。ただ、どこか似ている。


「…………」


「ラーメンのお姉さん」


「はい?」


 杏々が振り返った。


「置いてくよ」


 ラーメンのお姉さんはスマートフォンを閉じた。


「今行きますわ」


 まだ調べることはある。けれど、それはそれとして、今は杏々たちに追いつく方が先だった。


「杏々」


「?」


「次回までに、今日の確認項目を復習しておきなさい」


「…………」


「返事は?」


「うん」


「今、絶対嫌そうな顔しましたわね?」


「してない」


「しました!」


 妹ちゃんが笑う。


「帰ったら一緒にやろうね」


「プリンある?」


「あるよ」


「やる」


「また食べ物ですの!?」


 杏々の協会教育は、ほんの少しずつではあるものの、ちゃんと進んでいるらしかった。

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