第5話 重複する標的
どれほど強固なシステムも、二つの異なる意志が同時に介入したとき、予測不能な「競合状態」に陥る。
水曜日の午後。
三谷恒一は管理室の端末から現場の状況を静かに観測していた。
ターゲットはDX推進本部長兼オペレーション統括、加瀬。
この男は、単なるコストカッターではない。
「安全」という聖域を逆手に取り、合法的に人を始末する「処刑人」だ。
加瀬が現場に課したのは、「ライン停止ゼロ」という絶対目標と、「安全マニュアルの厳守」という矛盾する二つのルールだった。
ラインを止めれば班全員の評価が下がる。
だがトラブルは起きる。
結果、作業員たちは監視カメラの死角で、稼働中の機械に手を入れて詰まりを直す「闇作業」を強いられることになる。
1年前、この物流センターを立ち上げから支えてきたベテラン作業員が、高速コンベアに巻き込まれて全身を砕かれ死亡した。加瀬はその死を悼むどころか、冷淡に笑ってこう切り捨てた。
『マニュアルを守れない旧世代の人間が、自ら淘汰されただけだ』
加瀬は事故を「本人の重大な過失」として処理し、遺族への補償を拒絶。
さらにそれを口実にベテラン全員を解雇し、安価な非正規雇用と自動化ラインへと切り替えたのだ。
三谷にとって、その醜悪で効率的な手口は、「新理論」による排除にこそ相応しい検体だった。
三谷は数日前、設備の脆弱性診断を装って社内ネットワークに侵入し、加瀬の正確な「視察ルート」とスケジュールを完全に掌握していた。
「水曜14時、3階点検通路からジャンクションエリアを視察」分刻みで管理されたその順路こそが、三谷が構築した殺害フローのメインルーチンだった。
さらに三谷は、加瀬の持病情報を入手し、彼が「パニック時の迷走神経反射」を起こしやすい体質であることを突き止めていた。
医学的に発作のタイミングを予測することは不可能だが、三谷は独自のアルゴリズムに掛け合わせ、「発症率92%」という回答を導き出していた。
(統計処理上、それは「確定」と見なしていい数値だ。人間はプログラム通りに動く)
三谷が仕込んだのは、搬送アルゴリズムの改竄による「反射転落」の設計だ。
現場はメインラインが立体交差するエリア。
ターゲットが通る通路の真下を、シュリンクラップを巻いたパレットが最高速度で通過するように設定を変更した。
三谷はモニター越しに、現場の空気が白く濁っていることに気づいていた。
「ライン停止ゼロ」を掲げる加瀬の方針により、清掃時間が削られ、紙粉が霧のように浮遊していたのだ。
だが三谷は手元の環境センサーの値を確認し、鼻で笑った。
「粉塵濃度、異常なし」コスト削減でメンテナンスされていないセンサーは、危険値を拾えていなかった。
しかし三谷にとって画面上の数値こそが世界の全てだ。
乾燥した空気の中、高速で流れる帯電したビニール。
それが金属製の手すりの直下を通過することで、強烈な静電誘導が発生し、手すり自体を巨大なコンデンサへと変える。
加瀬が手すりに触れた瞬間、その激痛が強制的なシャットダウン信号となる。
思考が飛び、身体がのけぞり、眼下の高速コンベアへ転落する――それが、自分の掌握した完璧な「仕様」だと、三谷は信じて疑わなかった。
***
同じ頃、天井のダクト内。織部悟は冷ややかな目で眼下を見下ろしていた。
彼が仕掛けたのは、物理法則を悪用した「構造的な処刑台」だ。
現場は高速自動仕分け機の分岐部をまたぐ点検通路。
そこには下のラインをまたぐ構造上、どうしても解消できなかった20センチの段差がある。
加瀬は右膝に古傷を抱えており、下りの段差では膝への衝撃を恐れ、必ず横の「転落防止用手すり」に全体重を預ける癖がある。
この手すりこそ、加瀬による「効率化」の象徴だった。
本来、振動の激しいエリアの防護柵は四点を強固に固定すべきだが、加瀬は部材コストと工期を極限まで削るよう厳命。
結果、このエリアの手すりは最低限の強度を保つだけの「二点ボルト固定」という、現場のベテランが見れば眉をひそめる脆弱な仕様で設置されていた。
織部は加瀬が到着するわずか数十分前、この手すりのベースプレートを固定するたった2本のボルトに「校正」を施した。
もともと激しい振動に晒される場所であり、ボルトにはわずかな緩みが生じていた。
織部はその自然な劣化を、人為的に加速させた。
まず1本目。
織部はそれを完全に抜き去った。
抜き取ったボルトは手すり側の部品の穴にだけ、まるで刺さっているかのように「置いて」おく。
そして2本目。
こちらはあと数ミリ、指で弾けば脱落するほど限界まで緩めた。
手すりはその重厚な自重によって、垂直方向には微塵も動かない。
見た目には堅牢な防護柵のままだ。
異常に気づく可能性があった唯一の人間――この手すりに全体重をかける加瀬自身は、その異常を自らの肌で感じた瞬間、奈落へと落ちることになる。
「……死人に口なし、か」
織部は短く呟いた。
警察の事故調査が始まれば、床に転がる2本のボルトが発見されるだろう。
鑑定結果は『長年の振動による緩み』。
加瀬は事故死として処理される。
加瀬自身が切り捨てた「安全コスト」と「仕様の簡略化」が、そのまま彼を葬るための唯一の物理的欠陥となったのだ。
織部は、その因果の流れが成就するのを待っていた。
***
「――今だ」
三谷が呟いた。次の瞬間、三谷の想定を遥かに超えた事態が起きた。
手すりの下を通過した荷物の静電気が放電し、その火花が空中に舞っていた高濃度の粉塵に引火したのだ。
それは、加瀬自身が無視し続け、三谷がデータ上のノイズとして軽視した「可燃性の霧」だった。
「うわっ!なんだ!?」
「爆発だ!」
三谷の浅はかな静電気のいたずらは、閉鎖空間での「粉塵爆発」という未制御の災害を引き起こした。
地獄絵図と化した現場。
三谷は戦慄した。
粉塵爆発など計画にはなかった。
爆風に煽られた加瀬は、よろめきながらも、染み付いた身体の防衛本能に従って例の手すりへ必死に手を伸ばした。
爆風に耐え、そして膝への衝撃を逃がすため、その「命綱」に全体重をかける。
「ガタッ……」
不吉な揺らぎが、加瀬の手のひらに伝わった。
爆風に煽られた加瀬の体重と、横方向から叩きつけられた衝撃。
それが、織部がギリギリの均衡で留めていた「最後の一線」を容易く崩した。
数ミリだけネジ山がかかっていた2本目のボルトが、抵抗を止めて音もなく土台から滑り抜ける。
同時に、最初から噛み合っていなかった1本目のボルトが、手すりの振動に弾かれてカラコロと乾いた音を立て床に転がった。
「――え?」
三谷の目が見開かれる。
感電の有無など関係なく、手すりは固定具を失ったただの鉄パイプと化していた。
加瀬が必死に縋りついた手すりは、支えの機能を失ったまま、彼の身体と共に眼下の高速仕分け機の開口部へと舞った。
加瀬は悲鳴を上げる暇もなく、高速回転する鋼鉄のローラーの隙間へと吸い込まれていく。
鈍い破壊音と共に、加瀬の肉体は一瞬で「不適合品」へと作り替えられた。
***
現場は不気味な静寂に包まれた。加瀬は死んだ。
結果だけを見れば三谷の目的は達成された。
だが三谷の全身は震えていた。
(今の……俺の仕掛けじゃない。……誰だ?)
自分の「改竄」が、もっと静かで、冷酷な「校正」に上書きされた。
三谷は天井を見上げた。
そこにはただ暗いダクトの口があるだけだったが、彼は確かに感じ取っていた。
本物の、死の編集者の気配を。
***
ダクトの奥へ消えながら、織部は一度だけ立ち止まり、背後を振り返った。
視線の先には、醜悪な惨状を作った管理端末の前の「素人」の姿があった。
「……ノイズが多い」
織部は短く呟いた。
無関係な人間を巻き込み、現場を汚し、仕様を暴力に変換するだけの未熟。
織部の声には、ただ深い失望だけがあった。
二人のマニュアルキラー。
その決定的な精度の差が、血塗られたコンベアの上で露呈した。
(第6話「校正と改竄の差」へ続く)
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【第1部の織部視点も必見です】
『マニュアルキラー:第1部』
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