最終話 サヨナラするのは辛いけど、長々と書いてきたのでここらへんで一旦終わりでいいかなと
試用期間が終わりました。
■気がつけば
気がつけば365日はあっとういう間に過ぎ去って、僕の無職生活の日々も終わりを告げた。
退職金が330万ほどあったけど、自堕落な日々と職業訓練校に通う中で使い切り、全財産は10万を切っていた。
ブラック企業で長年働いてきたので、新しい勤め先で契約を交わすときに雇用契約書なるものを見せられて、熟読した上で判を付いたのだけど、雇用契約書なるものを見たのは初めてだったのである。
確かに前の職場でも噂で存在することは聞いていたが、古参出会った僕は履歴書も出さずに就職したので、きちっと読んだことはないのである。
そもそもその雇用契約書も、会社が倒産する晩年の数年前から採用されたものであるらしく、そう言えば仕事中に社長に呼ばれ、
「ここにハンコを押して」
などと言われて中身も読ませて貰えないままにハンコを付いていた書類があったなと思ったり。
大手大企業から倒産する一年前に転職してきた17歳年下の小松君が入社の時に、雇用契約書とそのコピーを要求したというのを聞いた時には、最近の若い人は違うなあなどと思ったものである。
そして当然のごとくその雇用契約書の中に書かれていたことは始めての給料が振り込まれたときに守られていないことに気がつくのであった。
「すまんな小松君。給料の希望h始めての22万だったけど、そんなにあげられないわw」
抗議した小松君に社長が凄みのある笑顔で答えたと言う。
そんなこんなで、当然のように潰れたわけだけど、前の会社とは違って今回はきっちりとしていた。
勤務時間は七時間。
残業は20時間までしかつかないが、そもそもシフト制なので残業自体が少ない。
早番、日勤、遅番、夜勤。
夜勤は月に五回ほどだが夜勤手当が付く。
残業代も休日出勤代も夜勤手当もなかった前職に比べれば好待遇である。
そして月に休みは9日。
それに夜勤明けの公休があるので、カレンダー通りの週休一日だった前職とは一番の変化であった。
それでも早番が7時出勤なのにはなかなか慣れない。
遅れないように、家を出る二時間前には起きるので、午前4時に起床する。
もちろん、勤務時間は16時までなので、帰宅時間は早いのだけど、普通に生活してしまうと睡眠時間の調整に失敗してしまう。
だから帰宅して数時間ほど仮眠をとってから夕食にしたりして調整するわけなのだが、これは未婚独身、実家住まいだから為せる技で在り、同僚である既婚女性陣の方々は大変であるように思う。
そう言えば、前の会社は社員の99%が男であったが、今回は90%が女性の職場である。
自分の所属する部署だけで見れば、97%を女性が占める。
そんな状況だからこそ、男手が求められる介護の現場であった。
■離職
職業訓練校で一緒になり、歳が近く前職も同じ業種だったということで、話が合い仲良くしていた高円寺さんと言う人がいた。
僕と同じ様に、職業訓練校卒業間近で地元の介護施設に就職が決まって卒業とともに働いていたのだが、2ヶ月後には辞めていた。
正直言えば、空気が読めなかったり気の短い所が在り、あまり介護という職種は向いていないのでは無いかと思っていたのだけれど、その予測は当たったようだった。
その事は、自ら職業訓練校在学中に感じていたようで、内定を蹴ろうかどうか悩んでいたのは知っていたのだけれど、そもそも職業訓練という税金を投入された教育機関を卒業しながら、就職しないというのは最低ラインで許されるわけもなく、せめて就職先を見つけなければならないのだけれど、それも手がかりがない状態であったため、そのまま内定先に就職し、唯一合わなかった指導役の上司と対立して辞めたのだった。
話を聞く限りではあるが、確かにその上司はパワハラ、モラハラな上司で在り、勤務先もその事は把握しているらしかったが、なんせかんせこのコロナ下であってさえ人手不足の業界である。
役職が付くほどのベテランを多少人格に問題があろうとも強く言えないようであった。
基本的に介護職の有効求人倍率は3.8倍であると最近兄かで読んだ。
在宅介護のヘルパーさんはなんと14.3倍である。
その人手不足の深刻さがわかる話である。
そしてこの人手不足は、今後さらに悪化して行くのが問題となっている。
そりゃそうだろう。
自分の地元じゃ、給料の相場が有資格者で17万くらいである。
総支給で。
お金がなければ生活できないのは当然で在り、高円寺さんのモチベーションが上がらなかったのもここである。
介護職の求人票を見て、顔が青くなっていたのを思い出すが、それくらい調べてから職業訓練校に申し込めばよかったのにとは思う。
給料面さえ考えなければ、人に感謝される職業ではある。
「ありがとう」
とこれだけ言われる仕事もそう多くはないだろうとは思う。
噛みつかれたり、目潰しをされたり、お腹をグーパンチされることもあるけれど、それすら利用者さんの訴えであると言う教育さえ受けていれば、何の腹も立つ事はない。
むしろ気が付かなくてごめんなさいと声に出してしまうレベルである。
そこがこの業種を続けていけるかどうかの分かれ目の一つであると思う。
もう一つは尿や便の見た目と匂いが大丈夫であるかどうか。
これはもう個人の相性ではあると思う。
受け付けない人は、見ただけでダメという人がいるだろうし、ここがクリアできるのならば、やっていけると思えるのかもしれない。
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■気づいてはいるのだけれど今更な
「これはこれは杉岡さんじゃ無いですか。お亡くなりになったと聞いていたのですが、まだ現世に未練でもあるんですか?」
「田所さん、五年ぶりだと言うのに悲しいくらい飛ばしてくるね。お亡くなりになったのは、共に青春を磨り潰す様に働いていた会社の方で、糖尿を発症したくらいの僕はとても元気だよ」
人生は冒険だ、みたいな事を誰が言ったのかは知りません。別に知りたいとも思いません。
私はただ穏やかに、波風のない幸せな家庭で生きてきたいと思っていました。
ですが現実というものは、意外とすんなり思ったように行かないもので、気づいた時には取り返しの付かない事になっているものだと思って生きてきました。
それが真実だと。
しかし、最近気がついたのですが全くそんな事はなく、それなりに生きてくれば、それなりの人生を生きていく事ができるようです。
いま現在、僕が高卒の四七歳で、無職独身、お付き合いしている女性もいなければ、当然のように男性もおらず、高血圧で服薬中、糖尿病は経過観察。全て自業自得であるという事を教えてくれたのは彼女でした。
田所さんと初めて会ったのは彼女がまだ二十歳の頃です。
実際のところはまだ専門学校に通っている学生さんだったが、就職活動で僕の勤め先に何を血迷ったのか面接に来て、翌日から働き始めていた。
高卒で現場上がりの僕とは全く別の生き物であると言って良く、パソコンを使った作業ではさすがに専門学校を出ているだけあって、即戦力として期待の星でした。
元々、女性社員がほぼいない職場でしたので、負け戦の戦場に一輪の華が咲いたと言っていいでしょう。
そしてその華は鬼百合だったのです。
そんな可憐に咲いた一輪の華であった田所さんと、五年ぶりに再会したのは職業訓練校帰りの地下鉄のきっぷ売り場でした。
五年という歳月を感じさせない言葉が、僕の心に綺麗に突き刺さります。
「私はずっと言ってましたよね?甘い缶コーヒーを一日五本も六本も飲んでいて、糖尿にならないはずがないと。さらには塩分過多に脂肪過多。喫煙は一日に二十本上でしたよね?生きているのが罪悪です」
「男には戦わなくちゃいけない時があるんだよ。そこで勝とうが負けようが、結果はそんなに重要じゃないんだ。重要なのは戦ったと言う真実なんだから」
「……などと負け犬が吠えまくり。良いですか?勝負というのは勝たねばなりません。負けたところで得られるものがあるなんて言うのは、いま現在負け続けている人間か、そういう人間を煽って金儲けする連中くらいです」
「……なんか胸が痛くなってきた。田所さんの言葉に、胸がキュッキュッキューって変な脈を打ったよ。ちょっとAEDを持ってきて」
「モッタイナイ」
「確かに商業施設や駅などに設置されてる、倒れた人が出た時に、止まった心臓へ電気ショックを与えるAEDは使い捨てで、再使用ができないから買い替えらしいけど、モッタイナイはひどくないだろうか?」
「ツバでもつけとけばいいでしょう?杉岡さんならそれで十分です」
そう言って指をさして笑う田所さんは、五年前と何も変わらないのでした。
一年前に勤めていた会社が倒産して無職になった僕は、二十年分の退職金が振り込まれたのを良いことに遊び歩いていました。
どうせ無かったような、降って湧いた泡銭である三百万。再就職するのはそのお金が心許なくなってからでも良いだろうと思っていたのです。
しかし、兎にも角にも四十七歳です。いかに心は十四歳であると自負している僕ですが、打ち寄せる歳には勝てるわけがありません。
ハローワークで求人を検索した時には絶望感しかありませんでした。
月100時間を超えた残業時間や、残業代に休日出勤代も出ない手取り二十二万の前職でしたが、四十七歳の何の資格も取り柄も無い高卒の僕が再就職をしようと思ったら、手取りの相場は十五万なのです。
気がついてはいたのですが、あまりに人生の積みっぷりに、心病むのは理解できるかと思います。
パチンコで一月に50万負けたりしたのも仕方ありません。
気がつけば体重もパンパンに増えて、血圧も服薬しているのに鰻登りでした。
かかりつけのお医者様に痩せるように言われた時には、血糖値も上昇していたのです。
「ふくしのがっこうにかよっています」
「向いてそうだとはおもいますけど、その言い方はなんですか?」
「なぜか分からないけれど、みんなに向いているって言われるんだよね。僕の何がわかるのさ‼︎って言いたいところだけれど、年齢的な事や、未経験でも働けるって事で色々考えたら、介護の仕事を探すしかないかと思ったんだよ。それで職業訓練もあるっていうから申し込んだんだ。選考試験と面接があったんだけど、落ちたと思っていたら受かってね」
「見る目ないですよね。学校も。杉岡さんが試験に受かるとか、問題は五十音の書き取りとかだったんですか?」
「ひどいな‼︎ 問題は中学卒業程度の国語と数学だよ。分数の計算なんて覚えてないから、小学校六年間分の算数の参考書買って試験前に勉強したよ。国語は割と出来たと思うけど、数学は問題を見た瞬間に時間がかかると思ったから、国語の問題からやったよ。数学は捨てに行った」
「わたしも分数の計算を今やれと言ったら自信ないですね。試験中にゲロを吐きそうです」
「酷い拒絶反応だな。でも大丈夫。介護の学校だから講師の先生の中には看護師の資格を持っている先生がいるから、緊急時も安心。しかも介護職を目指そうっていう人ばかりだから、吐瀉物も片付けてくれるよ。僕の受けてる職業訓練は介護福祉士実務者研修課程なんだけれど、半年間で訓練を終了させるんだ。その過程で、介護福祉士初任者研修、全身性ガイドヘルパー(車椅子)、同行援護(視覚障害)、ケアコミニュケーション検定の資格も取ったんだよね。給料にはぜんぜん影響しないんだけれど」
「わたしの知ってる杉岡さんじゃないみたいです。杉岡さんと云えば親子関係、姉弟関係もガタガタで、ギャンブル依存の借金持ちなメタボリックシンドローム。自己肯定感も低くて、不器用、不健康な素人童貞じゃなければいけないのです」
「否定はしないけれども、そのイメージはいま通っている職業訓練校では無いからね?どちらかというと優等生寄りの生真面目キャラだから」
「詐欺じゃ無いですか⁉︎」
「人がどう思うかは、僕にどうこうできるものじゃないじゃないか。誤解しているというならば、誤解しておいてもらう。僕は嘘をついていいていないのだよ。皆が勝手にそう思っているだけなのだから。それよりも田所さんはいま何をしているの」
「デザイナーですよ。年収七百万程度です。たった五年で年収七百万を稼ぐようになる人材を、四年間も手取り十四万で働かせていた会社が潰れるのは当然ですよね。舐め腐ってます」
「……もう次の就職さきが内定しているんだけれど、手取り十二万だよ。夜勤ができるようになれば手取り十七万くらいになるんだけれど」
「バイトした方が収入よく無いですか?」
「実務経験三年してないと介護福祉士の国家試験を受けられないんだよね。資格が取れれば+一万くらいになるんだけれどね。ダブルワークをしていいところなら掛け持ちでもっと稼げるかもしれないけれど」
「まぁ、独身だし、どうにでもななるんじゃないですか?知らんけど。でもよかったじゃないですか。無職から立ち直れて」
「そういえば、無職をしていて思ったんだけれども、働いていた頃よりも充実して有意義な日々を、お金に困ることなく過ごしていたんだよね。もちろんそれは三百万の退職金があったからなのだけれども、働いているのに豊かな生活が送れなかった会社が潰れて本当に良かったよ。だって潰れて困った人なんてほとんどいなかったからね」
「取引先とかに迷惑かけたでしょうし、社員も途方にくれたんじゃないんですか?」
「いいや、社員のほとんどは同じ業種に転職して前よりも時間に余裕はあるし、給料は多少下がってもボーナスがきちんと出るとか、社員で困っている人はいないよ。元社員で全く働いていないのは僕だけだし。潰した張本人である社長でさえ、元幹部が作った、たった三人の会社で社員として働いているからね。もう社長はやりたくないっていってたけれど。取引先には債権が回収できないところがあったかもしれないけれど、そもそもそこが社長を騙して買わせた設備投資の失敗で潰れたんだから知ったこっちゃないよね」
会社が潰れた方が、みんなそれぞれに幸せな日々を送れるようになるという綺麗な倒産でした。
「なんだ、この先に不幸になるのは杉岡さんだけじゃないですか。選択肢があるとして、バッドエンディングに向かって迷わず向かっていて、いろんな意味でカッコイイです。滅びの美学ですね。関わりたくはありませんが」
「お嬢さん、山男には惚れるなよ? 触ったら低温火傷するぜ」
「大丈夫です。わたしはごく普通のしあわせな一般家庭で生まれ育ちましたから、自ら進んで泥沼に足を突っ込むような真似はしませんよ。幸せな一生を送るのです」
田所さんは素敵な笑顔でそういいました。
僕は田所さんが言うような、普通の幸せな一般家庭に生まれなかったのでしょう。だからそんな家庭を作ることもできませんでした。僕はとても抗議したい。僕が僕として生きられる家に生まれたかったと。
「それじゃ、そろそろ行きますね。わたしはそれなりに忙しいのです」
「そうだね。じゃあ、元気でね。僕みたいになっちゃいけないよ。僕みたいになっちゃいけないよ。僕みたいになっちゃいけいないよ。大事なことだから三回言ったからね?」
田所さんは笑いながら渋い顔をして、呪いの言葉みたいですねと言って人混みの中に消えていきました。
終
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■「二度ある事は三度ある」
「二度ある事は三度ある」
そう親父が言ったのは、何度目かの家出で警察に補導されて、家に帰ってきた姉が泣きながら自分の非を詫びていた時の事であった。
親父の言葉は見事的中し、姉はその後のさ40年近くの間に、何度も何度も失敗と過ちを繰り返し、結局は産んだ息子を残して失踪してしまう訳である。
だから僕は自分の事であったとしても、二度同じ事があったときは頭の中に親父の声で
「二度ある事は三度ある」
と響くようになったのであった。
高校を卒業して初めて勤めた会社が倒産した時は僕は26歳であった。
次に勤めた会社が倒産したのは46歳の時。
当然の様に頭の中に親父の声が響く。
「二度ある事は三度ある」
今回はなかなか倒産しずらい業種を選んだと思ったが、人手不足で事業を継続できなくなるところがあると聞く。
親父の声が頭に響く。
また親父に
「倒産したよ」
という日が来る事がない様に。
2度ある事は3度ある




