001
行き場がなかった。
ついこの間まで騎士として国に仕えていた自分は、前国王の崩御にともなって跡を継いだ身勝手で、そのくせ変に頭のまわる王子によって城を追い出される羽目になった。城下も新国王の息がかかった者達が巡回し、少しでもおかしな動きをする者があれば刑罰を受ける徹底ぶりだった。一緒に働いていた者達がどうなったかは分からない。あれよあれよと言ううちに新入り達に周囲を固められ、顔を合わせる事すら出来ずに追い出されてしまった。もともと城下の出身ではなく、住み込みで働いていた自分に城下の細かい裏道など分かる筈もない。目立つ行動をしては怪しまれるし、たった一枚の地図だけ購入して、剣一本片手にひっそりと旅に出た。当てもない中目指したのは、近くに町も村も無い深い山の中。もしかすると他にもやりようはあったのかもしれなかったが、自分は逃げるように地図の空白地帯を目指した。そこらの獣に負けるほどやわではなかったし、国の中心に近いこの場所に凶悪なドラゴンのような怪物はいない。とにかく誰もいない安心できる場所が欲しかった自分は、そこで予想外の物を見た。
「村?」
子供向けの絵本にしか出てこないようなのどかな村。急に森が開けたのには眩しさすら覚えた。
「ようこそエリュシオンへ! 女王陛下がお待ちですよ!」
「えっ!? ちょっ、待っ!」
いきなり現れて小さな手でぐいぐいと腕を引っ張るのは白い光を帯びたカゲロウのような翅の妖精。妖精と言うのは初めて見るが、小さな体のどこにそんな力があるのかと言ったレベルで有無を言わさず連れて行こうとする。敵意は感じないが、説明は欲しい。力が緩んだ瞬間に手を振り払うと、そこは既に不思議な城の中だった。
何で出来ているのか分からない、柔らかな曲線で形作られた城内。いたる所に水が流れ、あちらこちらを水晶で出来た色とりどりの植物が水や柱を覆っていた。
「女王! 新たな住人を連れてまいりました!」
自分を連れてきた赤髪の妖精の目線の先を見れば、透き通るように白い肌の美少女が、植物に彩られた玉座に座っていた。長い癖のある銀の髪と新緑を落とし込んだような緑色の瞳。女王と言っても、自分のよく知る先代国王のような威厳は感じられない。しかし、新国王のような我儘な雰囲気も無く、変わった色合いである事を除けばごく普通の年相応の雰囲気を持っていた。
「ようこそお客人。私の名前はレウ。このエリュシオンを統べる者よ」
言葉使いこそらしいものの、口調や表情などは全くそれに追いついていない。容姿や舞台がなければ微笑ましい子供のお遊びのようだ。
「お初にお目にかかります。しかしながら、私も急にこのような場所に連れてこられて何が何やら理解が追い付いておりません」
「あら。それは失礼いたしました。では、この地について簡単に説明しましょう。まず、エリュシオンは特定の場所にあるのではないんですよ」
「え?」
いつ城を出たのかは覚えていない。けれど、気付けば最初に辿り着いた村まで戻ってきていて、その時は見られなかった数人の村人達とすれ違った。
ぼんやりと椅子に腰かけて窓の外を眺めていた。妖精の案内でこの一軒家はまるっと自分の物になったらしい。
「エリュシオンは本来人々が生きる世界から離れた所にある魔法の国のような物。エリュシオンに入る手段はただ一つ。元いた場所に一切の未練を持たず、ここではないどこかへ行きたいと心から願う事。生きる場所を失ったあなたを私達は歓迎します」
現実感がまるでない。
「確かに自分は全てを投げ出す気持ちでここに来たが……」
歓迎の証だと言っていくつかのパンと果物を貰った。籠に入れられたそれらを見ているうちにお腹が鳴り、そういえばここ最近はまともな食料にありつけていなかった事に思い当たった。
「……まずは腹ごしらえと休息かな」
現実離れした場所だったが、食べ物だけは不思議と素朴な味だった。
まだ空も暗くなりきらないうちに寝たはずだったが、目が覚めれば普通に朝だった。確かに疲れてはいたが、惰眠を貪るような性質でもなかったはず。しかし、よくもまあ慣れぬ場所でぐっすりと眠れたものだ。見かけこそ質素だが、その柔らかさはもしかすると王族の天蓋付きベッドにも引けを取らないかもしれない。
さて、落ち着いたところでこれからどうするか考えようとしたところ、玄関の方からチリンと音がする。起きたままの姿だが、昨日は疲れていたので上着だけ脱いでそのまま寝てしまった。さっと上着だけ着て出てみれば、狼が二つ足になったような獣人が釣り竿を二つ持って立っていた。
「よう、新入り。何をするか決めてねえなら俺と一緒に釣りでもしねえか」
獣人の言う通り、何も決まっていなかったので二つ返事でついて行く事にした。獣人の服装は着古されていて分かり辛いが、よく見れば随分上等な布で細工も凝らされているようだった。しかし、それは王族のような豪華な物でも、獣人のような野性的な物でもなく、強いて言えば森に暮らすエルフなどが着ているらしい服装に似ていた。
「よし、今日はこの辺で釣るかな」
村に流れる小川の上流側。少し森に入った、木々の向こうに村の家々が見える程度の場所。
「お前、釣りの経験は?」
「恥ずかしながらさっぱりで」
何となく針に餌をつけて垂らせばいいのだろうと言う事は分かっているが、それ以上の事はさっぱり分からない。初対面であるし、親睦程度の意味合いだろうと踏んできたが、やはりその事に気分を害する事も無く、獣人は手際よくこちらの竿の準備を始めていた。
「どうせ何か大物を狙ってるわけでもねえからな。適当に垂らして適当に逃げられても十分だろ」
「出来る事なら一匹ぐらいかかってくれると嬉しいのだけれどね」
適当に釣りの事や、出迎えの妖精や女王の話をする。話をしてみれば彼も自分と同じように外からここに来た存在で、その時からこの村は大して変わっていない事。更に言えば彼は自分の一つ前に来た住人で、だから新入りが来た時は真っ先に声をかけようと思っていたらしい。
「ところで、お前の種族は何だい」
「え? 見ての通り人間ですが……」
もしかして、人間を見た事が無いのだろうか。しかし、女王も色合いこそ独特であっても人間ではあったはず。不思議に思いながら答えてみれば、獣人は何がおかしいのか噴き出して笑いだした。
「くくっ。さてはお前、今朝起きてから一度も鏡を見てないな? 疑問に思うのなら自分の耳を触ってみるといい」
「耳?」
疑問に思いながら釣り竿を片手に持ち替えて耳に触れてみれば、確かに違和感があった。不自然に指が引っ掛かるのは、耳が少し尖った形に変わっていたからだった。