エピローグorサイドストーリー
添島剛少年がテーブルに突っ伏したのを確認して、私は長い息を吐いた。これで私の役目は終わりだ。
カップに残ったコーヒーを飲み干す。それは私の心境を表すかのごとくほろ苦いものだった。
「いやー流石、うちの看板役者は違うね。見事な演技だよ」
奥のテーブルから現れた男、同僚の木龍暎二が乾いた拍手を私に送った。
「ところで、このウエイター君にサインしてくれないか? 君に一目ぼれしたらしくってさ」
「やめてくだい! 何言ってるんですか!」
後ろから現れたウエイターが、赤い顔をして木龍に抗議する。
「まあまあ、手伝ってもらう訳だし、お礼ぐらいさせてもらわないと」
「手伝ってもらう?」
私は訝しげに木龍を見つめる。
「いやさ。このウエイター君物分りのいい子でさ。僕たちの事情話したら手伝ってくれるって言ってくれて……ほら中学二年生とはいえタケルくん思った以上にでかいじゃん? 僕一人で車まで運ぶのは大変かなーって思ってさ」
「運ぶのを手伝ってもらうと」
「そゆこと」
木龍はそう言いながら、自分のカバンから色紙とサインペンを取り出す。どうやら私と行動をともにするときは常備しているらしい。
私は溜息混じりにいつものサインを書いた。この男は私のサインをずいぶんと都合よく使ってくれるものだ。
「はいどうぞ、ウエイター君」
私のサインを木龍は得意げな顔でウエイターに渡す。
「あ、ありがとうございます! ……あの裏に持って行ってもいいですか、その後手伝いますから!」
「うんうん、いいよ、全然」
ウエイターはなんとも嬉しそうな顔をして、厨房の方に消えて行った。
「あのウエイター君、まだ高校生らしいよ? 少年たちを誑かすとは罪な女だねぇ」
「……いつも不思議なんだけど。私のサインなんてもらってなんで嬉しいのかしら。大して有名でもないのに……」
「〝まだ〟だろ? 君がどれほど有力株かってこと僕が熱弁しておいたから大丈夫だって」
「そんな有名になる保証なんて……」
「いやいや君は僕たちの劇団を辞めて飛び立って行くんだから、大丈夫だって」
私は木龍の発言に体を硬直させ、目を見開いた。
「……どうして……」
「あれ、僕が知ってるのがそんなに不思議かい? 有名プロダクションに誘われてるんだろ? いやー君をテレビで見る日もそう遠くないって訳だ」
私はしばし絶句した。
「実はプロダクションの方に友達がいてね、その子から聞いたんだよ」
「……友達ね。ずいぶんと友好関係の広いことで。変人のくせに、あなたのコミュニケーション能力には舌を巻くわ」
「変人は余計だな」
木龍は愉快そうに笑う。
「で、あのウエイター君にはなんて事情を説明したの?」
「もちろん、ありのままだよ」
「そう……」
この男のことだ、良いように嘘を並べた立てたのだろう。
「それよりさ、タケルくんといろいろ話したんだろ。どんな話が聞けた?」
「……あなたには教えないわ」
木龍はあからさまに不満げな顔をすると、添島剛の隣に座る。
「ケチなやつだな。僕だってタケルくんには興味あるのに」
そんなことを言いながら、木龍は突如として添島剛のズボンのポケットを弄り始めた。
「何やってるの! 起きたらどうするのよ!」
私は思わず、小声で木龍のことを注意した。
「大丈夫だよ、睡眠薬で眠った人間が、そうそう起きることはないんだから……よしあった」
そう言って木龍の取り出したのは今時流行のスマートフォンだった。
木龍は躊躇いなく、いくつかのボタンを押すと、照明に画面を翳した。
「何がしたいのよ」
「いや、一人前にロックなんてかけてるからさ、画面の指紋見て、暗証番号を推測しているところ」
「だから、スマホ開いて何がしたいのよ!」
「この子のお母さんの連絡先調べとこうと思って」
「えっ」
「丁度いいところで連絡しようと思ってさ」
「丁度いいところって……電話なんかしたら長田監督にバレわよ」
「誰が電話するって言ったんだよ、メールだよ。め・い・る」
「メールでも内容訊かれたらどうするの?」
「彼女に送ってるとでも言うさ」
私は木龍のふてぶてしさに嘆息を吐く。
「どうしてそんなことするの?」
「……先輩はさ、やっと息子に会う勇気が持てた。それはきっと進展なんだと思う。だけどさ、ちゃんとこの子の母親にも会っとかないと意味がないと思うんだ。逃げっぱなしじゃだめなんだよ」
おっロック開いた。ラッキー
そんな木龍の呟きを私はどこか遠くで聞いていた。
木龍は長田監督が、添島家の一員になることを望んでいるのだ。あるいはタケル君の母親に許されることを……
私は……
木龍は自分のスマホにタケル君の母親のメールアドレスを記録する。
「なあなあ、それより聞いてくれよ。先輩さ。息子に渡す誕生日プレゼントに何買ったと思う? 僕には全然理解できなかったんだけど……」
「お待たせしました!」
またしゃべりだしたところで、丁度あのウエイター君がやってきた。
「おっと。話が途中になっちゃたけど、ウエイター君も来たし、そろそろ行かなきゃかな」
そう言うと、木龍はタケル君の脇を持ち、ウエイター君には両足を持つよう指示を出す。
「……うまくいくといいわね」
「ああ、そうだな」
木龍はそこで無邪気な顔で笑う。
「お前はそれを望んでいないんだろうけどな」
「じゃあな」
木龍は最後にそう言い残して、タケル君も持ち上げるとこの小さなカフェを去って行った。
「相変わらずね」
一人ぼっちのカフェの席で、私は小さく苦笑いを零す。
「何もかもお見通しってわけか」
〝君はありのままの君を出せばいいんだ〟
長田監督と出会ったのは、私が初めて出演した映画での事である。
その頃の長田監督はまだ監督ではなく、その映画では演技指導を担当していた。
私の役はヒロインの友人役。脇役中の脇役で、セリフも台本の一ページにも満たない量しかないものだった。
『あなたは悪くないわ』
『元気をだして』
『きっと大丈夫よ!』
彼氏に冷たくされ、悩むヒロインを励ます言葉。
劇団でも言ったことのある、よくあるセリフだった。
けれど……
「君は映画をなめてるのか?」
私の演技を見て、そのときの監督の第一声はそれだった。
「セリフはただ言えばいいってものじゃないんだ。君はそんなことも教わっていないのかい?」
溜息混じりに告げられる鋭い言葉、収録を長引かせる私に浴びせられる共演者からの冷たい視線。
「もういい! このシーンはまた今度だ!」
監督は最後にはそう吐き捨てていた。
監督の言葉通りに、消えていくスタッフと共演者たち。
セットに取り残された私は、呼吸することさえ忘れてしまいそうだった。
涙が溢れ出て、声を殺し、歯を食いしばって泣いた。
これで私の役者生命は終わったのだと、そう思った。
『そろそろ宿舎に戻らないかい?』
両肩にそっと手を置かれ、囁かれた声に私は驚いて顔上げた。
「あ、いやさ、女の子が泣くところをずっと見てるような趣味ないんだよ。ただこういうときは思いっきり泣いた方が気も晴れるかと思って」
背後から覗いた、気弱そうな……しかし妙に整った顔を見て、私は不覚にもドキっとさせられた。
―こんなイケメンの俳優さんいたっけ?―
―ナンパかな…… あれ、でもヤバイ。この人の名前が思い出せないよ。名前忘れましたなんて言ったらまた怒られるかな……―
若かった私はそんなことを考えながら、上目遣いに、私より背の高い彼を見つめていた。
彼こそが、長田監督だった。
「あれ、もしかして僕のこと分からない? 一応撮影前に自己紹介したんだけどな。
演技指導の長田修一郎です。よろしく」
長田監督はそう言って微笑んだ。私はその屈託ない笑みに思わず頬を染めていた。
その顔で優しいなんてずるい。
「演技指導って……私よりもっと大事な役柄の人に演技を指導する人ってことですよね」
私はエキストラみたいなものだ。撮影前に監督からちょっとイメージを言われる程度で、特別に演技指導なんかされる立場じゃない。
「いやいやホントは君たちみたいな……ちょっと言い方は悪いけど、ちょい役の人も僕がちゃんと指導しなきゃいけないんだけど……別の役のこと考えていたら手が回らなくて、ごめんね」
その口ぶりから、エキストラへの指導は義務ではないのだろうと思った。
「お説教ですよね」
私は、そう言って口を引き結ぶ。演技指導の人がわざわざ声をかけに来たのだ。怒られるに決まっている。
「なんでだい?」
長田監督は、その時本当に不思議そうな顔をした。
「だって、私。こんなに共演者の方々に迷惑をかけて……演技、下手くそで……」
「いいや! 何言ってるんだ! 君の演技は素晴らしかったよ」
「えっ」
「僕は君の演技を観て感動したんだ! いや新たな発見をさせてもらったと言ってもいい。僕は今まで、あんな演技の仕方を知らなかったよ」
私は怒りが込み上げてきて拳を握りしめる。
「私のことバカにしに来たんですか? あんな演技……監督の言う通りセリフに全然気持ちがこもっていません!」
「全てのセリフに気持ちを込める必要なんかあるのかい?」
長田監督は、またあの微笑みを浮かべる。
「彼氏との恋路で悩むヒロインに友人である君がヒロインを励まそうとするセリフ。ヒロインは果たして、真面目に友人の言葉を聞いているだろうか? 友達に相談して、励まされることなんてヒロインにとっては言ってしまえば当然じゃないかい? ヒロインは当然の言葉を聞いて心地よい気持ちなりたいだけだった。そんなヒロインにとっては友人の励ましの言葉に気持ちが入っていようがなかろうが関係ないだろう。むしろ、心の奥底では〝お前にこの気持ちが分かるわけない〟くらいに思っているかもしれない。友人の方にも心から気持ちを込められない事情があった。きっとこの友人には彼氏がいないんだろう。ヒロインのことを心から同情することなんかできなかったんだ。妬ましくもあったのかもしれない」
長田監督が歩きながら捲し立てた解釈に、私は惚けてしまった。
「ちょっと嫌な女だけど、こっちの方が案外リアルだよ。君の演技を観て僕はそう思った」
「私、別にそんなこと考えてやったわけじゃ……」
「考えて演技することは確かに大切なことだ。でも考えてばかりの演技も良くないと僕は思っている。この演技はきっと君の内側から、経験から出てきたものだと思うんだ。だからさ。
君はありのままの君を出せばいいんだ」
俯いて狭くなった視界が、すっと広くなったような気がした。
気付くと私はまた泣いていた。
声を上げるでもなく、ただ目からポロポロと涙が落ちていった。
「あれ。また泣かせるつもりじゃなかったんだけどな」
長田監督は所在なさげに頬を掻く。
「と、取り敢えずそこに自販機あるからコーラでも飲む? おいしいよ。あれほど素敵な飲料はないね。僕なんて毎日飲んでも飽きないから」
長田監督の励ましの言葉は、どこかズレていて可笑しかった。
次の日、私はどうにかして監督のOKをもらい、撮影を終えた。
帰り際、お礼を言おうと探したが、長田監督はどこにもいなかった。
その訳を知ったのは、それから一か月も後だ。
「長田修一郎と話してたんだ」
私の初映画での顛末を聞いて、木龍はそう呟いた。
木龍もその映画にはエキストラとして出ていたが、この話はまだしていなかったのだ。
「先輩も相変わらずキザなことするねーー」
「先輩?」
劇団の控室で、私はお菓子を食べる手を止める。
「そうそう大学の演劇部の先輩なんだ。昔からそんなかんじだったよ。天然たらしで……まあ、あの頃はしっかりした彼女さんがいたから、女子と豪遊してた訳じゃないけど」
「豪遊って」
「……もちろん、女子に遊ばれてなかったっていう意味ね」
ひどい言いようだな……
「じゃあ、先輩が演技指導下ろされたのは、お前が原因だったんだな」
「えっ、それってどういう意味!?」
驚く私をよそに木龍はお菓子に手を伸ばす。
「先輩、二日目であの映画下ろされたんだ。多分監督にお前のこと直談判しにいったんだと思う。〝あの演技は完璧だ〟とか言ってさ。先輩も頑固だから、監督と揉めたんだろ」
「そんな……」
―まさかそこまでしてくれていたなんて……。ていうか、このままじゃ私が長田さんの演出家生命を終わらせたことになるんじゃ―
木龍は私の不安そうな表情を見て、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「先輩はさ。良いと思ったことは何でも素直に取り入れられる人なんだ。それが映画界の重鎮だろうが、演技初心者だろうがね。ああいう柔軟な人はきっと大成するんだろうね」
「どうしよう! 私のせいでそんな人が演出家やめることになってたら」
私は今にも泣き出しそうな顔で立ち上がった。……いてもたってもいられなくなったのだ。
「確かに今は干されちゃってるかもね。あの監督、知る人ぞ知る有名人だから」
木龍はそう言いながら、のんびりとお菓子を口に咥える。
「だったら……どうにかしないと……」
あんなにお世話になったんだ。それに……なんとなくだけど……あの人は、映画界に必要な人だと思うから……。
「お前に何ができるんだよ」
当然のように木龍は言う。
「でも!……」
「まあ落ち着け。……ここで一つクイズを出すとしよう。僕たちの劇団は今ちょっとした危機に陥っている。さて、それはなぜでしょう?」
「……来月いっぱいで演出家の方が辞めるからでしょ。この劇団を立ち上げてくださった……」
最近の劇団内の話題は専ら、今後の劇団の運営をどうするか、ではないか。……若輩者の私たちは蚊帳の外だけど……
「もう一問、僕は先輩の連絡先を知っているでしょうか?」
「えっ」
私は木龍のいわんとすることが分かり、目を見張る。
「……善は急げとも言うし、団長にこのこと話してくるよ」
木龍は徐に立ち上がると、控室の出口に向かう。
「そんなに、うまくいくの?」
「……こういうの得意だから」
木龍は出口に背を向け振り返る。
「大丈夫。僕も、先輩のことは好きだからさ」
木龍はその時、いつも通りあのいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「あっ。えっと今日からお世話になります。演出家の長田修一郎です。劇の演出はド素人ですが、一生懸命がんばらせてもらいます」
前で頼りなさげにペコペコ頭を下げる長田監督に、私は他の劇団員同様、拍手を送る。
―一体どうやって団長を説き伏せたんだろう……―
私は横目で木龍のことを見た。長田監督はもちろんこの頃さほど有名な人物ではなかった。普通、後任の演出家は団長や、劇団の古株の知り合いから選ばれる。
木龍はそれをねじ伏せてみせたのだ。
私が横目で見た木龍は、いつも通り笑顔だった。
私はその頃まで木龍のことを、お調子者の変人で、人より少し周りが見えているくらいにしか思っていなかった。
―不気味だな―
―木龍暎二の本質は、私の思っていたのとはもっと違うところにあるのかもしれない―
「あれ。君ってもしかしてあの時の?」
その声で前を向いて、私はドキッとさせられた。……長田監督の顔が目の前にまで接近していたのだ。ドキドキして頬が赤くなる。
「ああ、ごめん。今日コンタクトも眼鏡も忘れちゃってさ」
そう言って長田監督は頭を掻いて少し遠ざかった。
「あの。あの時は本当にありがとうございました」
「監督からOKもらえたんだってね。本当によかったよ」
「……きっと長田さんが説得してくださったおかげだと思います。私のせいで辞めさせられて……申し訳ないです」
「いやいや僕が説得した訳じゃないよ。あの映画下ろされたのも別の理由だし。君が気にする必要なんかないよ」
長田監督はそう言って優しく微笑む。
若い私にでも、これは嘘だと分かった。長田監督はあまり嘘がうまくないのだ。
居たたまれなくてなって俯く私の頬に、冷たい物が触れる。
「これコーラなんだけど、実は嫌いだったりするのかな?」
また見上げると、長田監督は困ったように笑っていた。
「……好きですよ」
私は、長田監督の手とコーラの缶を同時にぎゅっと握りしめる。
あの映画撮影のあった夜から。
私は、あなたのことが忘れられなくて……
「相変わらずのコーラですか? 僕丁度喉が渇いてたんです。気が利きますね。先輩」
躊躇いなく私と長田監督の間に割って入った木龍は、事もなげにコーラの缶をかすめ取る。
「暎二。お前な……」
長田監督は木龍を見て、呆れたように溜息をつく。
「お前、今度は何を企んでるんだ?」
「何も企んじゃいませんよ。先輩と一緒に仕事がしたいだけです。人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「……まったく」
長田監督はそこでまた溜息をついて、肩を落とす。
「……じゃあ二人とも、また後で、稽古のときに」
そう言って長田監督は控室に去って行った。
「好きになっちゃだめだぜ」
隣でプルタブを開ける音がする。
「好きなんかじゃ……」
「あの人、結構だめ男だから。……前、彼女の話しただろ? その人に子供ができてさ。先輩はその人のこと捨てた」
私は信じられない思いで木龍のことを見た。
「先輩は、そのことからまだ逃げてるんだ」
その時の木龍の眼差しは―気のせいだったかもしれないけれど―どこか愁いを帯びたものに見えた。
〝息子に誕生日プレゼントを渡したいんだ……。あいつにばれないようにするから、犯罪スレスレのことをすることになる。……それでも協力してくれるんだったら……手伝ってくれないか?〟
長田監督から、おずおずとこの「息子誘拐計画」を切り出されたとき、私は二つ返事で承諾した。
木龍に長田監督が孕ませた彼女を捨てたことを初めて聞いたときは、木龍の性質の悪い冗談なのだろうと思っていた。
あんな気弱そうな長田監督が、そんなひどいことできるようにはとても思えなかったからだ。
〝長田さんに告白したら断られちゃった〟
〝えっ〟
役者仲間の世間話に、私は露骨に驚く。私たちは鏡越しに目が合った。彼女はこの劇団の中でも一、二を争う美人だ。
〝なんでも今は、映画製作に集中したいらしいわ。劇の演出もやっているから彼女を作る時間なんてないんですって〟
〝へぇ。そうなんだ……〟
〝成功しないと顔向けできない人がいるんですって。自分はひどいことをしてしまったから。ちゃんと成功して謝りたいって〟
女がいた方がいい映画も撮れると思うんだけどね、と彼女は不満気に舞台用の化粧を続けた。
その後も美貌の演出家は幾人もの女に交際を申し込まれたが、誰の申し入れも聞き入れることはなかった。
もしかすると木龍が言ったことは……いや、きっと真実なのだろうと、その時気付いた。そして長田監督は……
私は知りたかった。
長田監督の息子さんがどんな子なのか。
そして、そのお母さんがどんな人なのか。
直接会って確かめてみたかった。
カフェを出ると、空は真っ暗で動物園は閉館間際だった。
風が吹いて身震いする。
―まったく、日の出見るからって海に行ったら寒いだろうに、相変わらず私たちの監督は演出にこだわり過ぎる―
私はトレンチコートのポケットに手を突っ込む。
〝ねぇ、お母さんは他にどんな映画に連れて行ってくれたの?〟
タケル少年が最初に見せられた映画が「戦争映画」だと言ったとき、私は一つの可能性を考えた。
それは私が観た映画と同じなんじゃないかと。
そう。その後にタケル少年が答えたラブストーリーも時代劇もSF作品も全部、確実に私は観たことがあった。
だってその作品は全部、長田修一郎作品だったから。
私の一番好きな監督の作品だったから―――
「あーあ。十三年間相思相愛じゃ。敵いっこないよ」
夜の動物園を歩きながら、私は溜息を落とす。
「好きだったのになー」
あの初映画の夜から、ずっと……
動物たちはもう寝静まってしまったのか、夜の動物園はすでに静寂で包まれている。
私はどうやらこの物語でヒロインにはなれなかったらしい。
長田監督とタケルくんのお母さんは、うまくやっていくのだろう。
すぐには無理でも……きっと。
『きっと大丈夫だよ。監督』
そう思わず呟いたセリフに果たして私の気持ちは入っているのか。自分でも分からなかった。
これは脇役の物語。
スクリーンに収まりきらなかったエピローグ。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!