異世界の地べた寝は、最新式テントでどこまで快適になるのか?
「……あの、サエグサ。そろそろ夜も深まってきたけれど、どうやって眠るつもり?」
食後のコーヒーを飲み干したエミリが、不安げに周囲の暗闇を見渡した。
この世界の野宿といえば、せいぜい火の傍らで丸まり、魔獣に怯えながら浅い眠りにつくものだ。あるいは、法外な金を払って『結界の魔導士』を雇い、見えない壁の中で眠るか。
「ああ、寝床なら今から作るよ。五分待ってて」
サエグサがバックパックをまさぐっている間、エミリは慣れた手つきで焚き火のそばの地面から、鋭い石を足でどかし始めた。
「……? 何してるの」
「寝る準備よ。少しでも平らな場所を確保しておかないと、背中が痛くて眠れないでしょう? 私、闇魔法使いだから体温維持が苦手なの。サエグサも、こっちに来なさいよ。火の熱があるうちに寝てしまわないと」
そう言って、エミリは当たり前のように冷たい地面に横たわろうとした。
硬い土、湿った草。それが彼女にとっての「野宿」の常識なのだ。
「ストップ。待って。そこで寝るつもり?」
「……? 他にどこで寝ろっていうの。木の上にでも登れと?」
「いや、地べたはダメだよ。体温が吸われるし、何より体が休まらない。……これを使って」
サエグサはラグビーボールほどの大きさにパッキングされた緑色の塊を取り出した。
「な、なにそれ。……まさか、それが寝床? 冗談でしょう?」
サエグサがテントのパーツを取り出すと、エミリは眉をひそめてそれを凝視した。
「そんな、紙みたいに薄い布と、細い棒きれで何ができるっていうの。魔導士様が使う『結界の宝珠』は、もっと重厚で黄金に輝いているわ。あなたのそれは……なんだか、とても安っぽく見えるけれど」
エミリにとって、身を守る場所とは「魔力の密度」や「見た目の堅牢さ」で決まるものだ。サエグサが広げたリップストップナイロンの生地は、彼女の目には頼りない「ただの布切れ」にしか映らなかった。
「まあ、見た目は地味だよね。でも、これでも一応最新モデルなんだ。見てて」
サエグサは慣れた手つきでポールを伸ばし、インナーテントを立ち上げていく。パチパチと節が繋がる小気味よい音が響き、あっという間に一人が悠々と横になれる空間が出現した。
「……できた。今夜の宿、完成。エミリさんはこっちを使って。僕は外のコット(簡易ベッド)で寝るから」
「……本気なの? こんな、風が吹けば飛んでいきそうな布の中で眠れというの? 私、これでも闇の魔導士よ。こんな貧相な場所で……」
文句を言いながらも、エミリはサエグサに促されるまま、テントのジッパーを開けて中へと這い入った。
その瞬間、彼女の言葉が止まった。
「……っ!? なに、これ……」
一歩足を踏み入れた瞬間、外の湿った冷気が遮断され、サエグサが事前に敷いておいたエアーマットの柔らかな感触が膝を包み込んだ。
「ふわふわ……。地面のゴツゴツが、全く感じられないわ。……それに、外よりずっと暖かい。……なにより、この袋は何なの!? 雲を、いいえ、温かい獣の産毛をそのまま形にしたみたい……っ!」
エミリはおずおずとダウンシュラフの中に身を滑り込ませた。
見た目の薄っぺらさからは想像もできない、圧倒的な「拒絶されない包容力」。魔導士の結界は外敵を防ぐが、内側の居住性は石造りの床のように冷たい。だが、このテントの中は、世界から切り離された自分だけの「完璧な避難所」だった。
「……信じられない。あんなに安っぽく見えたのに。……魔法の暖炉を抱きしめているみたいに温かいわ。サエグサ、これ、本当に布なの? 魔法を込めた聖布か何かなんじゃないの?」
「ただのナイフでも切れるナイロンだよ。でも、人間が快適に眠るための知恵が詰まってるんだ」
シュラフの中から顔だけを出したエミリの瞳から、険が完全に消え去っていた。
地べたに寝るのが当然だと思っていた彼女にとって、この「紙のような布」一枚の壁は、人生で初めての、泥のような深い安らぎを与えていた。
「サエグサ、あなたって本当に……。……くやしいけど、もうここから出たくないわ……」
「はは、気に入ってくれたなら良かった」
サエグサはランタンの光量を落とし、レンズに向かって小声で語りかける。
「皆さん、見えますか。エミリさん、完全に陥落しました。異世界の厳しい夜も、適切なギア選びで『最高のリラックスタイム』に変わります。これがキャンプの醍醐味ですよね」
エミリの規則正しい寝息が、すぐにテントの中から漏れてきた。
二つの月が照らす異世界の夜。その静寂をハックしたのは、高価な魔法ではなく、一人のYouTuberが持ち込んだ「物理的な知恵」だった。
「……さて、明日の朝飯は何にするかな」
サエグサも焚き火の爆ぜる音を子守唄に、深い眠りへと落ちていった。




