異世界転移しても、キャンプは成立するのか?
「……はい、皆さんこんばんは。サエグサです。今日は標高千二百メートル、人跡未踏のガチ秘境からお届けしています。今回のメインは、この熟成A5ランクの――」
三枝悠真は、最新の4Kカメラのフォーカスを慎重に合わせた。
登録者数25万人。爆発的なバズりはないが、玄人好みのギア選びと圧倒的な映像美で「ガチ勢の兄貴」と慕われる中堅YouTuber。それが彼の立ち位置だ。
だが、その夜の「ゲスト」は、あいにく視聴者ではなかった。
背後の藪を裂いて現れたのは、月光を浴びて黒光りする巨体――ヒグマ。
(……あ、これ死んだわ)
反射的にナタを握ったが、熊の剛腕が空を裂く方が早い。
視界が真っ白な光に包まれ、強烈な浮遊感に襲われた。
――数秒後。
サエグサが目を開けると、そこは日本の杉林ではなかった。
「……ロケ地変更、なんてレベルじゃないな、これ」
頭上には紫色の月が二つ。空気は驚くほど澄んでいる。
手元には、奇跡的に無傷なフル装備のバックパックと、録画が回ったままのカメラ。
状況を飲み込む前に、川べりでうずくまる人影を見つけた。
泥に汚れた豪華なローブを纏った少女だ。
彼女は、折れた木の杖を抱え、絶望に染まった瞳で空を仰いでいた。
「……もう、終わりね。次の街までまだ距離があるのに。火も、浄化された水も、もう買えるお金がない……」
サエグサは足を止めた。
というか、今の言葉、普通に日本語……というか、意味がストレートに脳に入ってきた。
(……ん? なんで言葉通じるんだ? 翻訳魔法? それとも実はここ、栃木のどっかのテーマパークか?)
一瞬の違和感。だが、サエグサはすぐに思考を切り替えた。
25万人のファンを抱える配信者にとって、細かい矛盾に首を傾げる時間は無駄だ。通じるなら話せばいい。
「お嬢さん、お困りかな? その感じだと、かなり詰んでるっぽいけど」
「……人間? あなた、旅人なの? 悪いことは言わないから、明かりがあるうちに引き返しなさい。一晩過ごすための『火』も『水』も、魔導士ギルドに金を払わなきゃ手に入らない。無一文の私たちに、夜を越す術はないわ」
彼女の名はエミリ。この世界の人間種「ヒュム」の少女だ。
彼女が持つのは『闇魔法』。影を操り、敵を穿つ攻撃特化の力。
だが、この世界では魔法は「1人1系統」が鉄則。彼女は闇を操れても、自力で火を起こすことも、水を浄化することもできない。
生活に必要な『火』『水』『光』はすべて特権階級に利権化され、法外な対価を払わなければ「生活すること」すら許されない――そんな世知辛い格差社会らしい。
「なるほどね。……まあ、仕事しに来ただけだから、とりあえず火でも起こそうか。タダで」
「え……? 何を言っているの? 詠唱も触媒もなしに火を灯すなんて、そんな不敬なこと……」
サエグサはバックパックを下ろし、手際よく周囲から枯れ枝を集めた。
エミリが呆然と見守る中、彼はメタルマッチを取り出す。ナイフの背で銀色の棒を強く擦ると、鮮烈な火花が散り、麻紐の束へと落ちた。
一筋の煙。そして、小さなオレンジ色の灯火。
パチッ、と乾燥した枝が爆ぜる心地よい音が響く。
「な……っ!? 火の魔導士じゃないのに、火を……!? それに、ギルドへの奉納金はどうしたの? 無許可で火を維持するなんて、あなたは禁忌を犯しているわ!」
「これはただの摩擦と化学反応だよ。ギルドだか何だか知らないけど、火くらい好きにさせてほしいね。……はい、次は水だ」
サエグサは川へ向かい、ボトルに水を汲んできた。
まず取り出したのは円筒形の携帯用浄水器だ。ゆっくりと圧力をかけ、泥や不純物を取り除いた水をチタン製のポットへ移していく。
「……『水の魔法』まで!? 嘘よ、1人1魔法の原則が崩れるわ」
「まだだよ。これだけじゃ腹を壊すかもしれないからね」
サエグサは五徳を組み、先ほどの焚き火の強火にかける。
やがてポットの中で水が激しく踊り、白い湯気が立ち上り始めた。ボコボコと沸騰する音が静かな夜に響く。
「……煮沸だよ。これで雑菌を殺す。キャンプの基本だ」
沸騰したてのアツアツの水を、サエグサはチタンマグに注いでエミリに差し出した。
「火と水、二つの権能を同時に操り、さらにそれを『熱い水』に変えるなんて……あなた、神の遣いか何かなの!?」
「いや。ただのキャンプ系YouTuber。登録者は25万人。……あ、エミリさん。これ、動画のネタにしてもいいかな? 君のその驚いた顔、すごく『映える』から」
サエグサは笑い、LEDランタンのスイッチを入れた。
カチッ、という軽い音と共に、昼間のような白い光が夜の闇を切り裂く。
火、水、そして光。
この世界の魔導士たちが富を独占するために管理している「魔法の恩恵」を、サエグサはただの「道具」で次々と再現してみせた。
「さて、エミリさん。言葉が通じる理由は謎だけど、それもまあ『異世界あるある』ってことで。まずは温かいもんでも食べて、落ち着こうか」
サエグサはカメラを自分に向け、不敵に微笑んだ。
「皆さん、聞こえますか。異世界最初のアウトドア。どうやらここは、知恵と道具さえあれば、利権まみれの魔法社会をハックできる最高のキャンプ場のようです」
魔法の独占によって支配された世界に、道具という知恵を携えた男が降り立った。
サエグサの「異世界ソロキャンプ」が、今、幕を開ける。




