誕生祭 19
日に日に暑くなってきましたね。皆様、お身体に気を付けてお過ごしください。
それから数日が経ち、そして誕生祭当日となった。
「僕はできる。僕はできる。僕はできるできるできるできる…」
俺は、緊張が極限まで高まった父様を眺めていた。
顔色は最悪。目元には濃い隈。できる、と何度も唱えて自己暗示をかけるその姿は完全に狂人である。
それが今現在、妻から見放されそうになっているアレク・アクイラという男だ。
「父様。もうすぐ朝食ですし…母様もすぐにいらっしゃいます。そろそろ自己暗示は心の中だけで唱えた方がいいと思いますよ」
「僕はできる。上手くいく。仲直り。そう、ちゃんとやれば。仲直りできる。やれば、きっと。そう、きっと…」
「父様。今の姿を母様に見られれば、かなりの高確率で引かれます」
「できるできるできるできる…」
「聞いてませんね」
俺は諦めて、手元にある紅茶に口をつける。夫婦の形は色々とあるけれど、アクイラ家に関してはきっちりと上下関係が決まっている。
母様が上、父様が下。これはまぁ…惚れた弱みというやつだろう。
仲がよく、相思相愛の夫婦ではあるけれども、見れば分かる通り、父様が母様に向ける情の方が深い。
よって母様の機嫌を損ねてしまった父様は、全力で媚びへつらい、機嫌をよくしてもらえるように努力しなければならないのである。
この数日。二人はそれはもう、すれ違っていた。
父様はオロオロとし、母様はつれない態度を取り続け。機嫌を取ろうと父様は最高級の菓子を取り寄せ、それを聞いた母様は激怒する。食事制限をしている者に、高カロリーのものを送りつけるのは、迷惑以外の何物でもないからだ。
簡単に言えば、父様は…追い詰められていた。
「ねぇ…レオ」
「はい」
「ずっと、このままだったらどうしよう…。アンドレにね…夫婦ってさ、そういう、ちょっとしたことで別れ話に発展する場合もあるとかって…」
「人間関係は複雑らしいですからね。第三者から見ればしょうもないと思うようなことで、時には取り返しのつかないことになるとか」
「……………………嫌だぁ」
「そうならないよう頑張ってください。健闘を祈ります」
顔を両手で覆い隠して、じめじめとした空気を作り出す父様から、俺は本へと視線を落とす。
やはり貯蔵根彩花についての記述は少ないな。一応、根の一部分を使って色々と作ってはみたが、まだ効果がどれほどまでなのかは分かっていない。やはり…他の意見も欲しいところだ。
そんなことを考えていた時、部屋の扉が開いた。
俺と父様が入り口への目を向ける。父様が驚いた気配がした。
目の覚めるような鮮やかな赤。普段よりも着飾った母様がアリスと共に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます、母様。今日は一段とお美しいですね」
「まぁ。お世辞でも嬉しいわ。ありがとう」
なるほど。最近、食事制限に気を付けているなと思っていたが、着飾って惚れ直させる作戦だったようだ。
父様のために着飾るということは、母様にも仲を直す意思があるということ。これなら父様の心配は杞憂に終わりそうだな。
俺は、父様の方をちらりと見る。彼は驚いて固まっている。
「あなた、どうかしら? 似合う?」
母様が父様に笑いかける。よし、ここで適切な言葉をかければ…。
「あっ、あ、えっと、その…うん、すごく似合う…と思う。ほんと。あ、髪、セットしたんだ。いつもはボサボサな時もある…んぐっ!!」
最初はよかったのに、どうしてそうなる。俺は先にテーブルに置かれていたパンを、彼の口へと投げて、物理的に口を閉じさせた。
分かっているのか。そんなことを言えば、更に仲がこじれるぞ。
「………ボサボサ?」
「あっ、違う! そんなことが言いたいんじゃなくて! えっと、深紅毒虫蜘蛛みたいな赤がすっごくよく似合って…んぐっっ!!」
更に大きめのパンを彼の口にねじ込む。
猛毒を持つ毒蜘蛛だぞ。そんなものに例えられて、嬉しがる女性はかなり少数派だ。
駄目だ。この男、女性の扱いがまるでなってない。恋愛の一つもしたことがない子供でもあるまいし、焦っているとはいえ、どうして上手い言葉の一つもかけてやれないのか。
この後も父様は頭が真っ白になっているのか、褒めているのか貶しているのか分からない言葉を続け、聞くに耐えないと思った俺は、その度に彼の口に食べ物を放り込んだ。
そんなことを何回か繰り返して、母様は諦めたように溜め息をつき…そして思わずといった風に笑った。
「……もう。仕方のない人なんだから」
「ア、アメリア」
「ふふ。貴方がそういうのに鈍いってことは分かってるわ。若い時なんて異性にさっぱり興味がない人だったものね。そんなところも可愛いのだけれど」
「許してくれるのかい…?」
「ええ。喧嘩はお仕舞い。怒り続けるのも疲れちゃったわ」
「アメリア…」
「あなた…」
父様と母様は、互いの手を取り合って見つめ合う。
嘘だろう。これで仲直りできるのか。完全に二人の世界に浸っている夫婦を眺めながら、俺は、夫婦喧嘩は犬も食わないという言葉を思い出していた。
「レオ。父様、たち、仲直り」
「砂糖水に蜂蜜を山ほど溶かした、甘ったるいものを飲まされた気分だ。何か苦いものか辛いものを食べたい」
「? 仲がいいの、いいこと」
「仲睦まじいのは結構だが、他所でやってくれ」
二人が互いしか見なくなったので、俺とアリスは勝手に食事を始めることにした。
「レオ。褒める、の、上手だね」
「言っておくが、父様のものを基準にするのは間違っているからな。子供の方がもっと上手く言えるんじゃないか。社交辞令は、前に立場上言わなくてはならない時があったから、言い慣れてはいる。あとは…『女心が分かってない』と昔、しごかれたことがあってな」
「そうなんだ」
「パーティーは面倒だった。社交辞令と、腹の探り合い、水面下の駆け引き。会議がある日の夜にパーティーがある時が一番ストレスが溜まった。会議は踊る、されど進まずとはよく言ったものだ」
「大変、そう」
「踊る時間があるのなら、一つでも議題を進めればいいものを。時間を有効活用するという考えがない者たちばかりだからな」
「…じゃあ、今の生活、楽しい?」
「ストレスは少ないな。責任も義務もほとんどないから、やりたいことをやれていい。それがどうかしたか?」
「…ううん、何でも」
「?」
和やかな食事を終えると、父様は一度席を外して、おもむろにラッピングされた袋を箱を二つ持ってきた。
母様とアリスのために、エヴィと共に選んだものだ。共に悩んでくれた彼女のことを、彼はもう覚えてはいないだろうがな。
「プレゼント?」
「うん。気に入ってもらえるといいんだけど」
母様には耳飾り、アリスには帽子。耳飾りは花そのもののようなデザインで、色は丁度、母様が今着ているドレスに合う赤。帽子の方は、白に明るい青のリボンが巻かれているものだ。
「あら、この花…」
「うん。昔、君に贈った花だよ。…喜んでもらえたかな?」
「ええ! とても素敵! 何だか懐かしいわね」
アリスの方は比較的早くに決まったのだけれど、母様へのプレゼント選びはかなり難航した。
いっそのこと定番の花束にでもするか…という話になった時、エヴィが言ったのだ。
「『何か思い入れのある花をあげた方が、喜んでもらえると思う』って言ってもらったんだ。その時に、これを見つけたものだから思わず買ってしまって。『いいものが見つかってよかった』と、その子も自分のことみたいに喜んでくれたよ」
俺は、驚いて父様を見上げる。
それは彼が忘れているはずのあの日、エヴィが言っていた言葉だったからだ。
「言われた? 誰から?」
「えっと…あれ? 誰だったかな…。アンドレ…ではないと思うんだけど」
「まぁ…覚えてないの? こんなに素敵なものを探してくれた人を?」
「う…ん? 分からない。…でも、その子は一生懸命探してくれてた…気がする。ありがとう、ってどこかで言えたらいいんだけど」
まさか今、一部分だけでも思い出したのだろうか。
あの日以降どれだけ試しても、一向に思い出す素振りを見せなかったというのに。
眉を下げ悲しそうな顔をする父様に、母様は笑いかけた。
「きっと大丈夫よ。人の縁は見えていなくても、どこで繋がっているものですもの。きっとどこかで会えるわ。その時にお礼を言いましょう」
そうだね、と父様も笑って返した。
「…」
「レオ?」
「…あぁ、そうだ。忘れるところだった」
アリスに声をかけられ、俺はポケットから小さな袋を取り出す。最低限のラッピングだけ施した簡素なものだ。そしてそれをアリスに手渡した。
「やる。好きに使え」
「…くれるの? プレゼント?」
「一応、プレゼントという形ではあるな」
アリスが恐る恐る袋を開ける。失礼なやつだな。まるで爆発物でも入れているみたいに。
乳白色の液体が入った小瓶を取り出し、アリスは首を横に傾げた。
「クリーム?」
「お前と母様は家事で、水仕事をすることが多いだろう。あかぎれとヒビできている。毎度治癒魔法をかけるのも面倒だろうから、貯蔵根彩花で薬を作っている時に、材料の余り物で用意した」
「対価…」
「捨てる予定のものばかりで作った。そこまで手間もかかっていないし、特に必要ない。…いや、待てよ」
俺は、顎に手を当てて暫しの間考える。そう言えばこちらの世界には、こういった簡単な薬は少ないな。
「これもアンドレ殿の店で売れるか? アリス、モニターになってくれ。使い心地を教えてくれると助かる。それが対価でいい」
「そういう、ことなら。ありがとう」
「あぁ。母様の分も用意したから、お前から渡しておいてくれ」
「直接、渡さないの?」
「…今、あの二人の間に割って入りたくはないな。甘ったるくて仕方がない」
未だに新婚のような空気を醸し出している父様と母様を指差し、俺は苦笑しながら言った。




