↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/205

誕生祭 7


「言い訳はあるか?」


「スンマセンでしたッ…!!」



俺はある椅子にゆったりと腰掛け、足を組み、足元に額を擦り付けて謝る男を見下ろしていた。その男の名はアーラ・リペラという。髪がボサボサで、身体はガリガリヒョロヒョロの男である。


そして、俺の知る限り、最も頭の弱い男である。何故かというと、俺が以前、親切にも食える雑草を教えてやったというのに、その日の内に不注意でその草全てを火で燃やしちゃった、とか言っているからである。


この男は阿呆である。間違いなく阿呆の子である。


…と、茶番はこれくらいにして。



「…お前、今までよく生きてこられたな?」


「運がよかったなと自分でも思う時がありますね…」


「力もない。知恵もない。運だけで生きているようなものだぞ。ここまでくると」


「やったー…?」


「喜ぶところか迷うな」



アーラにいらない菓子を持ってきたのは正解であったらしい。包んだ菓子を手に、アリスと俺が彼の家へ訪れた時、「マジで!本当に!脳味噌を誰かのと入れ換えた方がいいよ?!」と叫ぶセオドアと、いつかのように地面で寝落ちしているアーラがいた。


しかも、アトリエには新しく描かれ始めた絵はない。代わりにあるのは、更に製作が進んだ俺の絵だけだった。俺が一時的にでもいいからそれの製作を中断して他の作れと言ったはずなのに。


つまり、この馬鹿は金を作るための絵の製作をせず、ずっと売れない絵を描き続けていたのだ。ガリガリの身体で。極度の空腹に絶えながら。正気の沙汰ではない。


頬袋を膨らませ小動物のように、もちゃもちゃとクッキーを食べているアーラを眺めながら、何でコイツは生きてるんだろうな、普通はどこかで野垂れ死にそうなのに意外と生き延びているんだよな、と世界七不思議の一つに入りそうなことを俺は考える。



「アーラ。もう諦めて普通に働け。短期間でいい。それで食い繋いで絵を描け」


「無理ですって!僕、計算とか苦手ですし。流石に字は書けますけど」


「三足す五は?」


「…九?」


「…二百四十八羽の鳥の群れがある。性比は丁度半分。全員が繁殖に参加するとし、一組につき三羽の子供が生まれるとする。死産といった状況は除かれ、確実に親子共に無事であるとする。子供が全員生まれた時、群れは何羽になるか?」


「六百二十羽ですね」


「計算できてるな。今すぐ職を探しに行ってこい」


「鳥以外を数えるのは苦手なんですよ…」



そうはいっても、庭にはもう草はないし、他といえば野良猫や小鳥くらいである。感染症への恐れと良心の訴えを無視すれば食えなくもない。捌き方を教えてやろうかと言うと、絶対に止めときます、と即座に拒否された。


嫌だ嫌だと言うアーラ。俺は溜め息を一つついて、真剣な声色に変えた。



「アーラ。真面目な話をしよう」


「はい」


「俺は画商からお前を守る、そして俺はお前から絵をもらう。それが取引内容だ。間違いないな?」


「そうですね」


「お前から絵をもらう頻度は予め決めてはいなかった。けれど、ずっとこの調子ならばお前は契約違反をしているになるかもしれない。一度俺はお前の身を危険に晒した。だからこそ今まで埋め合わせをするように、知恵を貸してきたし、絵を描くのが遅れても目を瞑った。だが、いつまでも甘やかしてやれる訳じゃない。…契約違反は、お前が相手でも容赦はしないぞ。俺は違反に近い行為で自分の腕を切り落とそうとした。俺の場合は生活が不便になる程度だけれど、お前の場合はそうじゃないだろう。その指、大切にしたいんだろう?」


「…」


「この言葉の重みは、理解ができるな?」


「…ええ。分かってます。レオ君は取引とか契約だけは、いつも真剣で、冗談を言いませんからね。好きなことを続けたいのなら、ちゃんとやれってことですよね」


「その通りだ」



俺の様子が変わったことに気付いたアーラも、居住まいを正し、俺の話を真剣な顔で聞く。


この男は疑いようもなく馬鹿ではあるけれども、救いようがない馬鹿という種類の馬鹿ではない。真剣な場面ではそれなりにちゃんとしていて、気は弱いけれど、自分の頭で考えられないという訳でもない。


俺は意外とコイツのこういうところが気に入っている。


なんというか、小動物は小動物なりにちゃんとやれるんだな、と成人した大人に対して思うのだ。自分でも訳が分からないけれど。


新しい作品に取りかかるように念を押し、俺たちはあと少しだけ残った菓子を持って、アーラの家を後にした。残った菓子は一人分くらいなので、アリスが食べるのだろう。



「無駄に、ならなくて、よかった。全部、駄目になったら、母様も、悲しい」


「菓子に命を救われたな。運がいい男だ」


「うん。町、ちょっと、見ていい?」


「構わない。俺も少し見ておきたい本がある。ただ父様もこちらに来ているらしいから、鉢合わせることだけは避けろよ」


「分かった」



用事を終えて町をぶらつく。アリスが雑貨を見たいと言って店の外で待っている間、建物の影に一人の子供が立っているのが見えた。



「あれは…」



エヴィだった。彼女の見ている方向は、アンドレ殿の店がある方だ。まるで誰かがそこから出てくるのを待っているような様子を見て、俺は何かが起こる予感がした。何か、面倒そうなものが。


そして、店から二人の男が出てきた。父様とアンドレ殿だ。二人の姿を目視すると、エヴィは駆け出した。


あ、面倒なことになる、と俺は思った。


エヴィたちの会話は、こちらにもかろうじて聞こえていた。


最初にエヴィが「あの!」と父様を呼び掛けた。父様たちは突然呼び止められたことに目を丸くして、しかし相手が普通の町娘であることに気付くと、感じのよい笑みを浮かべて「何かな?」と彼女の視線に合わせるようにしゃがむ。エヴィは嬉そうに笑い、そして言った。



「この前は、ありがとう!」



父様たちは、顔を見合わせた。知り合いか、と互いに確認し合い、そして二人とも否定し合っている仕草だった。



「…えっと、君は誰かな?」



父様が口を開いて、申し訳ないと思っている顔で尋ねた。えっ、とエヴィが声を漏らす。そして「…覚えて、ないの?」と失望や悲しみが滲んだ声で尋ね返した。


父様は躊躇しながらも、頷いて肯定し、覚えていない、と言った。


当たり前だ。彼は彼女と話した日のほぼ全てのことを忘れ去ってしまっているのだから。だから、父様の言葉には悪意は一欠片もなく、それでも初対面であるはずの彼女を気遣いながら言った言葉だった。


エヴィは、一歩、二歩、と後退りして、逃げるように走り去る。「あ!君!」と父様が声をかけたが、彼女が振り返ることはなかった。


…これが、俺が見た一部始終だった。



「運が悪い娘だな。こうも悲惨な方向に物事が進むとは」



ああでもない、こうでもないと、共に悩みながら買い物をしていく内に、エヴィは父様を慕うようになっていた。父を亡くしたから、父様と自分の父を重ねていたのかもしれない。


その慕っていた相手が、数日も経たぬ内に自分のことを忘れていたのだ。自分とは相手にとって、記憶にも残してくれないほどちっぽけな存在なのか、とでも勘違いしたのだろう。


彼女は泣いていた。走り去る時に、目を拭う仕草をしていたから間違いはないだろう。


取り残された父様たちは、心配そうに彼女が走っていた方向を見ながらも、追うことはせずにそのまま家へと帰ろうとしている。



「『取引とか復讐とか、痛め付けなきゃいけないところで相手が泣いてるなら、ざまぁみろって笑って蹴飛ばすけど。でもそれ以外で、自分のせいで泣いてるなら、できるだけ慰める義務があるよ。責任を持って涙を止めなきゃいけない』…だったか。不完全な忘却魔法をかけたせいで、ああなっている訳だから…これもその内に…入…るか…?」



空を見上げた。ぷかぷかと自由気儘に浮かぶ雲を見ながら、心底面倒臭いな、と思う。


本当に面倒臭い。どうでもいい。アリスが相手ならばともかく、どうして俺があの生意気な娘の機嫌を取らねばならぬのか。



ーーーーーねぇ、約束だよ。



「…」



俺は寄りかかっていた壁から背中を離し、エヴィがいるであろう方向へと歩き始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。