誕生祭 5
子供はエヴィと名乗った。一度爆発してしまった感情というのはなかなか収まらないもので、何が気に入らなかったのか知らないけれど、彼女は俺の文句を言いながら泣きわめいていた。
父様の長時間に及ぶ慰めによって、やっと落ち着きを取り戻したエヴィは、「…両親が死んじゃったっていうのは本当よ」と話し出した。
「病気で。死んじゃったの。最初はお父さん。次にお母さん。私はお祖父ちゃんと二人ぼっちで、お祖父ちゃんには隠してたけど借金があった。親のお金は全部取られちゃったの。お祖父ちゃんは働ける身体じゃないし、私は子供だし…。だから…『お金を恵んでもらってこい』ってお祖父ちゃんに言われて…」
「それで、レオに声をかけたんだね?僕たちのことをずっと見てたのかな?」
「…」
「大丈夫。怒らないから…ゆっくりと話して」
「…そうよ。ずっと見てたけど、色んなものを見て話してて、まるで何でも好きなものを買えるみたいな言い方をしてたから。…でも、貴方たちだけじゃないわ。他にも色んな人にお金をもらったり…時にはちょっとだけ話を盛って話したり泣いてみたりした。…騙すみたいなことをしてるっていう自覚はあるわ」
「でも、仕方がないじゃない」と拳を握りながら、悔しげに呟く。
「お金がないの。お祖父ちゃんがあの状態なんだから、私がしっかりするしかない。嫌でも、恥ずかしくても。お金をもらうためにそうするしかなかったのよ」
ま、そうだろうな。というのが、俺の感想だった。この国、少なくともこの町は比較的治安がいいけれど、子供一人が何不自由なく生きていけるほど甘くはない。
反応からして、盗みや殺人といった方法にはまだ手を染めていないのだろう。それ以外の方法で金を作るには働かなければならない、そして働くには能力がいる。
普通の仕事なんてできる訳がないと叫んでいたアーラも、"絵を上手く描く"という特別な能力があるから、どうにかなっているのだ。読み書きもできるか分からない子供をわざわざ雇おうとする者はいないだろう。
働けない、能力がない、となれば、後は人の善意にすがるしかなくなる。俺は好きな方法ではないがな。
「だから、お金を…恵んでください」
エヴィは、そう言って両手を父様へと差し出し、深く頭を下げた。父様が驚く気配がする。俺は何も言わずに二人の様子を眺めていた。
「ごめんね。あげることはできないよ」
エヴィがぱっと顔を上げた。「でも」と父様が付け足す。
「ただでお金をあげることはできないけど、働いてくれるなら、正当な報酬として払うよ」
「働く…?」
「君に僕の買い物を手伝って欲しい。妻と娘への贈り物を探すのに困っていたんだ。女の子の意見もあった方がいいだろうからね」
「手伝ったら、お金をくれるの?」
「"あげる"んじゃない、"報酬を払う"んだ。間違えちゃいけない。そのお金は、僕のお金じゃなくて、君自身が稼いだお金ということだよ」
「私の…お金…」
エヴィは、言われた言葉を繰り返した。
「どうかな?この仕事、受けてくれるかい?」
父様が問う。少しの間迷った後に、彼女は頷いた。
「何故、あのように言ったのですか?」
買い物を終え、屋敷へと戻る帰り道。本が数冊入った袋を抱えて俺は隣を歩く父様にそう尋ねた。彼の手には、母様とアリスに渡すプレゼントが入った袋が抱えられている。
あの後、エヴィの意見を聞きながら、父様が選んだものだ。買い物の後は約束通り、彼は彼女にお金を渡していた。施しとしてではなく、正当な報酬として。
「プレゼント選びの手伝いをさせたことです。それを仕事だと言って」
「…ただ"あげる"だけじゃ、駄目なんだろうなって思ったんだよ。お金を得る方法が、"誰かにもらう"以外にもあるってことを知って欲しかったんだ。…といっても、仕事だと言ったからには労働以上の報酬を渡すのもよくないのかと思ったから、大したお金は渡せていないんだけどね」
「成功体験を積ませる、ということが、効果的な教育方法の一つであることは理解しています。部下を育成する際にも有効な手段です。しかし、あの子供を教育したところで、父様には何一つとして利はないと考えますが…」
「…利がなかったら、誰かのために何かをしたいと思ってはいけないのかい?」
俺は首を横に傾げてから、「…なるほど。それが父様の考え方なのですね」と納得する。俺を見つめる父様は「レオは?」と尋ねてきた。
「レオだったら、どうしていた?」
「俺の意見など、大して面白くないと思いますが」
「いいんだ。聞いてみたい」
魔王であった頃よりも更に昔、エヴィのように何も待たなかった頃のことを、俺は思い返す。
「見捨てます。何かをくれるのであれば話は別ですけれど、現時点で、助ける理由もありませんから。世界は残酷です。保護してくれる親を失った子供が、次の日に死んでいることなど大して珍しくもない。大切だった人に似ている訳でもなく、好感を抱いた訳でもない、他人の彼女を特別に助けたいと思う感情も湧いていません」
「…次の日、その子が死んでしまったとしても?」
「当たり前でしょう。力か知恵、または運がなければ死ぬ。そんな世界では、自分自身のことで精一杯です。誰が好き好んで、毒にも薬にもならない子供を助けたいと思うのでしょうか」
「でも、あの子は助けを必要としていたよ」
「助けを求めても、希望通り手が差し伸べられるとは限りません。そんな不確実な方法に頼るよりも、自分自身の力で生き延びる方法を探す方が余程現実的だ。…あの子供は他に方法がないからお金を乞うと言っていましたけれど、他にも食べ物を得る手段はあります。その方法を見つけていないのは、ただの怠惰でしょう。生きることに必死になっていないのならば、死んだとしても自業自得です」
父様は足を止めた。隣に歩く人が急に立ち止まったので、俺も歩くことを止めて、彼の方を向いた。父様は眉を下げ、困ったような、しかし真剣な顔をしていた。
「…妙に、具体的だね?」
そこで俺は話しすぎたことを悟る。そうか。普通の子供は、記憶を失う前の"俺"ーーー"彼の子供"は、こういう風に物事を言ったりしないのか。ついアリスに話すように喋ってしまった。軽率だったな。
懐に手を入れて、気付かれないようにしながら、いつも持ち歩いている杖に触れる。長々と詠唱すると怪しまれるから…無詠唱でやるか。コントロールは難しくなるが。
「レオ。君は…」
「お喋りが過ぎましたね。忘れてください」
ゆっくりと歩いていって、彼の前に立つと俺は杖の先を向けた。彼には杖を見せたことはない。彼の目には、これはただの小さな枝にしか見えないだろう。だから、彼は逃げることもせず、ただ驚いて棒立ちになっていた。
魔力を流す。父様の身体から力が抜ける。地面へと倒れる前に俺は身体を受け止め、慎重に魔力を調節した。
無詠唱の忘却魔法はかなり危険だ。特に父様は学者で知識を使うことが多いだろうから、できれば後遺症が残らないようにしたい。
海馬など、記憶する脳の器官を弄りながら、今行われた俺との会話に関する記憶を薄れさせていく。
全て終えると父様の身体を、適当な木の下へ運び、彼が目覚めるのを待つことにした。
「…?」
「目が覚めたんですね。よかった。帰りの道中で急に倒れてしまわれたんですよ。気分は悪くありませんか?」
「…レオ?あれ?僕は何をしてたんだったかな…?」
「母様とアリスへのプレゼントを買って、家へ帰っているところです」
「プレゼント…?」
会話に問題はなし。俺の名前は言えている。母様とアリスのことも分かっているようだ。
父様に対して手荒に魔法をかけたなんて知られれば、絶対にアリスが五月蝿く言ってくるだろう。下手したら自爆魔法を使ってくるかもしれない。
しかし、バレなければいいのだ。バレなければ。知られなければ、なかったことと変わりはない。
失敗はしていないようだな、と一安心して父様を見ると、彼は不思議そうに、少し先に転がっている袋を眺めている。アリスたちに渡す予定のプレゼントが入った袋だ。
その様子を不可解に思って、「父様?どうされました?」と俺は尋ねた。
「ねぇ、レオ」
「はい」
「僕、プレゼントなんて買った覚えがないんだけど。あれ?いつ買ったんだったかな。レオと一緒に町へ行ったところまでは確かに覚えてるのに…もしかして、町でお酒でも飲んじゃってた?」
「買った覚えがない?…父様、『エヴィ』という名前に聞き覚えは?」
父様は首を横に傾げた。
「エヴィ?誰のことだい?」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。が、すぐに「いいえ。何でもありません」と笑みを浮かべて返した。




