誕生祭 2
手持ちを菓子を全てやり、水を飲ませてやると、やっとアーラは立ち上がれるまでに回復した。よろよろと立ち上がり「死ぬかと思いました…」と、死人のように青い顔で呟く。
「それで、そろそろ餓死寸前までいった経緯を聞いても構わないか?」
アーラは叱られる前の子供のように、ちらっと俺の顔色を伺った。
「…怒りません?」
「渡した金はあくまでもお前の金だ。俺がどうこう言う権利はないだろう。何だ、博打にでも使ったか?」
「賭け事はしてないんですけど…そんな度胸もないですし…。あのですね…」
そう言ったきり、アーラはもごもごと口を動かすばかりで、いつまで経っても説明しようとしない。
口にするのも憚られるような使い方をしたのだろうか。あまり酒に依存している風でもないし、遊び呆けている印象もなかったんだがな。他に、大金を一瞬にして空にする使い方と言えば。
俺はアーラを見下ろして、からかう口調で尋ねた。
「好い人でも?」
「いいひと?」
「恋人、愛人、そういう意味だ。金が絡んだ恋愛はお勧めしないぞ。大体、破産して、最後は愛想を尽かされて終わるからな。残るのは多額の借金と、失恋で傷心した心のみだ」
いいひと…こいびと…あいじん…と噛み砕くように何度も言い、漸く意味を理解したアーラは、顔を真っ赤にさせた。
「僕が?!恋人?!いやいやいや、天地がひっくり返ってもあり得ませんってっ!ぼっちですよ?!学生時代、女子からの僕の嫌われようすごかったんですからね?!立てば悲鳴、座れば悲鳴、歩く姿は亡霊の如しと逃げられる。僕の恋愛するくらいなら、そこら辺の雑草と恋愛した方がよっぽど有意義な時間を過ごせるに決まってます!」
「…そこまで言わせるつもりはなかったんだが。自己評価が低すぎるのも考えものだな」
この反応からして外れだったのだろう。高価なものを欲しがる恋人に貢いでいるという訳でもない。
「では、結局何なんだ?」
ええっと…とまだ躊躇いを見せるアーラ。
「見知らぬ子供にほとんどの金をあげたんだってさ」
だんまりを決め込む彼の代わりに、声高に話したのはセオドアだった。彼は絵画の中にある椅子にドカリと座って、腕を組み、呆れ返っているという顔を作っている。
「あげた?生活費を?」
「そうらしいよ。それもとびっきり可哀想な子にね。町中で偶然ぶつかった子が今日の食べ物も買えない生活をしている子供で、しかも気まぐれで家庭事情を話し始めたんだ。両親は死んでて、唯一の家族である祖父は、病で寝床から起き上がれない日々を送っているっていう子」
「…偶然にしてはできすぎた話だ。おそらく狙ったものだな。同情を誘って、金を巻き上げるなんて手口はいくらでもあるぞ」
俺とセオドアは、同時にアーラを見つめた。
「お前、飽きもせず、また騙されたのか?」
六、七ヶ月前のことだ。このアーラ・リペラという男は、画商に騙されて、本当は価値があるとされていた自分の作品を二束三文で売っていたのである。生活は困窮しており、絵の具さえ買うのに渋る毎日だった。
俺と取引をして、ちゃんとした収入源が確保できたというのに、また性懲りもなく詐欺の被害に遭ったらしい。
何なのだろうか。誰しも多少は失敗から学び、次は同じ過ちを犯さぬと心に誓うはずであるのに、彼には失敗から学ぶという能力が欠けているということなのだろうか。
そうならば致命的な欠陥だ。医者に診せるべきかもしれない。医者も「こりゃ駄目だ」と匙を投げてしまいそうな気がするけども。
「だって、可哀想な子だったんですよぉ…」
終いは恥も外聞もなく、アーラはえぐえぐと泣き始めた。そんな彼を呆れてものも言えないという顔で眺めるのが俺とセオドアだ。ここまで来ると、もはや怒る気力さえ湧かぬというか、一周回って感心するというか。
「自分が餓死するのも気にせず、相手を思いやる…。感動的な話だね、泣けてくるよ」と、セオドアはわざとらしく目元を拭う仕草をする。明らかに皮肉だろう。「本音は?」と俺が聞くと、すぐに「馬っ鹿じゃねぇの。阿呆だよ、阿呆」と本音が漏れた。
「アーラが金に困っているのは分かった。セオドアはどうして、布で巻かれていたんだ?」
「この阿呆の仕業だよ。この阿呆はね、途中から何を血迷ったか『すごい…絵を描いてたらお腹が空かない…』とか言い出して、食事もろくにせずに、絵を描くことに没頭してたんだ。で、『流石に死ぬよ』って俺が親切心で忠告してあげたら、この馬鹿はなんて言ったと思う?『五月蝿い』だよ。『五月蝿い』。そんで、俺を布で巻いて黙らしたって訳。彼、絵を描いている時は本当に人が変わるよね。二重人格だよ、もはや」
セオドアは阿呆だの、馬鹿だのとアーラを呼ぶ。その度にアーラは肩をびくつかせる。
「だって…僕も直そうとは思ってるんですけど、絵、描いてる時、なんか気が強くなる癖があるっていうか…僕にはどうしようもないっていうか…」
「へぇ…どうしようもないねぇ…自分の失敗をねぇ」
「ごめんなさい。誠に申し訳ございません」
「セオドア。からかうのもそれくらいにしてやれ」と俺は窘めると、セオドアはくるりと俺の方を向いた。「あ、そうだ」と彼は言って、「アーラが描いてた絵、見た方がいいよ。本当は見ない方がいいんだろうけど、君も無関係じゃないから。この馬鹿は勝手に君の許可なく、作品を作り始めたからね」と言葉を続ける。
意味が分からず、俺が首を横に傾げると、視界に不自然に布が被せられた絵が映った。かなり大きさのある絵だ。アーラが描いている途中だというものだろうか。
「見てもいいか?」
「あっ、駄目です!」
布に手を掛けると、即座にアーラが制止の声をかける。しかし、数秒遅かった。ずるっ、と布が地面に落ちて、絵の全貌が明らかになる。
鳥の絵ではなかった。人だ。しかし、背中からは翼を生やし、顔は青空を見上げ、今からその空の中央へ、太陽へと向かおうとしている。ーーーーそう、そんな黒髪の少年だった。
「…」
俺だった。顔立ちは光の具合で上手く見えにくいようにしているものの、明らかにそれは見慣れた自分の姿だった。…まるで自分とは思えないような、優しげな微笑みを浮かべているが。
「うわ…」
「レオ君の口から、そんなドン引いた声初めて聞きましたけど?!え?!別に悪い出来じゃないですよね?ほら、前に見せてもらったじゃないですか。レオ君が折った翼。綺麗だなぁ…と思ってたんですよね。それでですね、ちょっだけ描きたいなぁ…なんて」
「よし、燃やそう」
「止めてください!!止めて、止めてぇぇ!!」
絵を薪のない暖炉の中へと放り投げ、杖の先に火を灯す。種類によるのかもしれないが、絵の具は油だし、絵は紙だ。よく燃えることだろう。この寒い室内の気温を数度上げることくらいは役立つかもしれない。
アーラは絵に抱きつき、いやいやと首を振る。自分の絵を抱き締められると思うと鳥肌が立った。一刻も早く、燃やそう。そうしよう。
「離れろ。火傷するぞ」
「お願いします!何でもしますから!自分でも気に入っている作品なんですよう。お願いします。僕、泣きますから。いいんですか?!二十の大人の本気の駄々なんて目も当てられないくらい見苦しいですからね?!気まずい雰囲気になるんですからね?!」
「それ、自分で言うことなのか…?」
「絵を焼きたいのなら、この僕を殺してからにしてください」
「何を言ってるんだ。正気か」
「絵を見殺しにするくらいのなら…うっ…いっそのこと、供に…うぅ…」
「お前の心中相手は絵でいいのか?」
取引をしたのにすぐに死なれては困る。離したがらないアーラに結局、俺が折れることになった。




