薬屋の母親 4 (三人称)
"妖精さん"がまた不思議な助言を残していった後日。マリーは買い物籠を抱えて、外に食材を買いに出掛けた。
ルーカスは昨夜遅くまで仕事をしていたようで、作業机に顔を突っ伏し、自分の両腕を枕にして眠っていた。お昼まで寝かせてあげようと、眠る夫に労りの言葉をかけて、そっ…と家を出てきたのだ。
その日は雲一つない晴天で、マリーは晴れやかな気持ちになりながら、てくてくと歩を進める。そして、ふといつもよりも人の行き来が多いことに気がついた。
よくよく見ると、多くの人が同じ方向へと進んでいる。何かあるのかしらと興味を引かれ、マリーは少しばかり道草をすることにした。
インクと紙の独特な匂いがする。町の広場近くで、古本市が開かれていた。本好きの人たちが集まり、わいわいと賑わっていて、ちょっとした祭のようだ。大きい木箱やら小さい木箱やらが、そこかしこに並べられ、その中にはぎっしりと本が詰められている。
新品のように綺麗な古本もあれば、古くて黄ばんだ紙の本もある。ジャンルも違う多種多様な本が入り乱れていた。
「あら、この本」
へぇ、と感心しながら回っていると、夫がずっと欲しいと言っていた古書を見つけた。既に絶版になっていて、今では書店に行っても手に入らないのだそうだ。
有名な植物学者が著した標本で、珍しい植物について詳細な説明と、学者本人が丁寧に観察して描いたスケッチが載せられているらしい。
ルーカスにお土産として買っていってあげようと、マリーはその本に手を伸ばす。しかし、運悪く、同じ本に伸ばされた手がもう一本あった。
隣を見れば、真っ白のマントを着た子供が立っている。色こそ違うけれど、そのマントには見覚えがあった。"妖精さん"のものだ。
マリーは驚いて、「ようせ…」とまで言いかけ、慌てて手で口をふさぐ。危ない、危ない。ルーカスの前では"妖精さん"といつも呼んでいるから慣れてしまっていたけれど、彼はその呼び名を知らないのだ。
「その本、買うの?」
可憐な女の子の声だった。どうやらマリーの知る"妖精さん"とは別人物のようだ。
「そうしようと思っていたんだけれど…貴方もなのかしら?」
「うん。探してた」
「そうなの…」
小さな子が欲しがるものを取り上げるのは忍びない。残念だが諦めようかと思っていると、「でも、譲る」と唐突にその子は本を取って、マリーに差し出した。本とその子を交互に見て「いいの?」と尋ねる。
「いい。同じの探す」
「でも、この本もう普通の書店では売ってないわ。同じのを見つけるのは難しいでしょう」
「大丈夫。私が欲しい、わけ、じゃないから。それに、貴方の方が、きっと必要だと思う」
「必要?」
「そんな気がする」
女の子は遠慮するマリーの手に本を置き、とととっ…と軽い足取りで走り去っていく。瞬きをして、次に目を開けた時には彼女の姿は、もう人波の中に消えていた。
突然現れ、不思議な言葉を残して静かに消える。現れ方から消え方、神秘的な雰囲気まで"妖精さん"にそっくりだ。
「親戚だったり…?」
本と共に取り残されたマリーは、そう呟いた。
白い子供との出会いの後も、マリーは古本市を楽しんでいた。あちらこちらと歩き回り、目についた本を読む。
「懐かしいわね」
その中で、ある絵本が見つけた。誰もが小さい頃に一度は読んだことがある民話だ。
ずっと望んでいたにも関わらず、長年子供に恵まれなかった、国王と王妃の間に生まれた姫の話。姫の誕生の際に、夫婦は妖精を何人も呼び、赤子に祝福をもらった。しかし、その招待してもらえなかった妖精が腹を立てて、赤子に呪いをかけてしまう。そして、姫は長い眠りについてしまうのだが、最後は王子と結ばれてハッピーエンドで終わる。
幼い頃のマリーはこの話が特にお気に入りで、寝る前は母親にいつも読み聞かせをねだっていたものだ。
意外に思われるかもしれないけれど、マリーは主人公である姫よりも、姫に祝福を与えた妖精たちが好きだった。妖精の贈り物なんて素敵。恥ずかしいことだが、妖精の友だちを作ることが夢だったりしたのだ。
だから、"妖精さん"が店に来た時は、子供の頃の夢を思い出してドキドキした。残念ながら、彼は妖精ではないと否定していたけれど。
マリーは迷った末に、その絵本も買うことにした。これから生まれてくるであろう自分の子供のためにだ。自分に似た性格であればきっと気に入るだろうと、子供に読み聞かせる未来の自分を想像して、ふふふと笑う。
二冊を買い終えて、そろそろ本来の目的である食材を買いに戻らなくてはと考えながら歩いていた時だった。
「はな、して」
「いいから、こっちに来い!!」
建物の間にある小道に、二人の人間が立っているのが視界に映る。一人は先程マリーに本を譲ってくれた少女、そしてもう一人は柄の悪そうな大柄の男だった。男は少女の細い手を掴み、ぐいぐいと更に人気が少ないところへと引っ張ろうとしている。
不穏な状況に、マリーが割って入ろうかと足を踏み出そうとした瞬間。
嫌がっていた少女は、肩からかけていた小さなバッグから何やら小さなものを取り出して、男と自分の間にある空中へと投げた。目を凝らすとキラキラと光っている…小石だろうか。
「火をつけよ」と少女が言うと、ボウッと音が鳴って小石が火球へと変わったのだ。ギャッ、と顔の近くに火を当てられた男が悲鳴を上げて、手の力を弱めると、少女は掴んでいた男の手を振り払い駆け出した。
こちらへと走ってくる少女。男は火に気をとられている。でも火が消えてしまえば、彼は少女を追いかけるだろう。迷いはなかった。マリーは「こっちよ!」とその子に叫んだ。
驚きながらも駆け寄ってきてくれたその子を連れて、一番大きな人集りの中へと入る。ぎゅっ、と抱き締め、自分の身体でその子を隠すようにした。
すぐに小道から男から出てきた。「くそっ!アイツどこに行った?!」と叫び、マリーたちがいる方向とは逆へ走っていく。取り敢えず危機は去ったと、殺していた息を吐いた。
「ありがとう」
腕の中で大人しくしていた少女は、マリーを見上げて礼を口にした。
「あの人、貴方の知り合い…じゃないわよね?」
「知らない人」
「やっぱり…」
「悪い人、だと思う。嫌な気配。一緒に行っちゃ駄目、って、気がした」
でしょうね、と少女の言葉に頷く。十中八九、何か企みがあってこの子に近付いたのだろう。誘拐か。それとも他のことが目的か。どれにしても、嫌がる子供を無理矢理連れていこうとするなんて、とマリーは憤りを感じる。
「ねぇ、貴方の親はここにいる?」
「ううん。いない」
「一人でここに来たの?」
「違う。レ…兄も。でも、はぐれた。一時間くらい前」
兄と聞いて、カチリ、と頭の中で何かがはまる音がした。よく似ている雰囲気に、お揃いの服装。以前"妖精さん"は言っていたはずだ。双子の妹がいると。
「貴方のお兄さん、黒いマントを着てる子でしょう」
「知ってるの?」
「ええ。お客様よ。私の家、薬屋をしているの」
心当たりがあったのか、あぁ、と少女は納得した声を上げた。
「薬草の、本の。薦めてもらったって。あと、ビスケット。美味しかった」
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
「うん。ご馳走でした」
少女は律儀にペコリと頭を下げた。そして頭を上げようとした拍子に、深く被っていたフードが落ちる。輝くような銀髪が風に揺れる。
第一印象は、お人形さんみたい、だった。ぱっちりとした大きな銀色の目に、薔薇色の頬。ふっくらとした唇。非の打ちどころがないくらい整った顔。瞬きをしていなかったら、人形だと思ったかもしれない。
次に、ピンときた。この子が狙われた理由。
「追いかけてきた人の前で、フードをとった?」
「?うん。風で」
「なるほどね」
これだけ綺麗な子供だ。この町は比較的治安がいいとはいえ、人身売買を行う売人たちが子供を拐うという事件もあるらしい。もし先程の男がその売人だったならば、この子は高く売れると思って、拐おうとしたのだろう。
マリーはうーんと悩んだ。この子は兄とはぐれてしまったと言っている。しかし、このままこの子を一人にするのは危険だろうし、マリーと一緒でも、非力な女の力では無理矢理連れていかれた時に守ってあげられないかもしれない。
「…私の店に来ない?」
「店?」
「ここにずっといても危ないだけだわ。お兄さんが迎えに来るまで、私の店にいた方が安心じゃないかしら」
少女はマリーの手を握ってくれた。手を繋ぐということは信用してくれたということなのだろうか。
「貴方は、優しい、空気。母様と同じ」
子供らしい柔らかい手に、きゅっと力を入れて、嬉しそうに少女は言った。




