薬屋の母親 2 (三人称)
店のドアにつけられた鈴が鳴って、誰かが入店したことを知らせる。鈴の音に、マリーは読書の手を止めて「いらっしゃいませ」と入口の方に顔を向ける。そして、たった今入ってきた人物を見て、あっ、と声を上げそうになった。
大人の半分ほどの背丈。黒いマントを着ていて、フードを深くかぶり顔を隠した男の子。夫から聞いていた"妖精さん"の特徴にぴったり当てはまる子供だったのだ。
まるで本物の妖精に出会ったかのように、マリーはドキドキした。どうにかソワソワとする自分を落ち着かせようと深呼吸をする。そんなマリーの考えを知ってか知らずか、"妖精さん"はマリーを方を向いて微笑み、軽く会釈をした。
わ、笑ったわ!ええっと、妖精の人への挨拶ってどうすればいいのかしら…。取り敢えず、人間式の挨拶でいいの?
子供とは思えぬ大人びた雰囲気に、本当に妖精ではないか、という考えがマリーの頭に浮かぶ。
妖精ならば挨拶も違うのかしら。声をかけたら逃げられちゃう?じゃあ挨拶は駄目かも。いえ、でも挨拶しないと感じが悪いわよね…?
そんな風に考えながら、慌てて「よ、ようこそいらっしゃいました!!」と再度大声で叫び、勢いよく頭を下げた。勢いよく下げすぎたせいで、自分の前にあってテーブルにゴンッ…と頭をぶつける。
「痛っ!」
悲鳴を上げながら、恐らくたんこぶができたであろうズキズキと痛む頭を押さえて、身体を丸くしてしゃがみ込む。
"妖精さん"は驚いた後に、クスクスと笑った。笑われたけれど、嫌みのない上品な笑い方だった。マリーは顔を真っ赤にさせた。挨拶さえまともにできなかった自分が恥ずかしくなったのだ。
ううう…と自分の失態を恥じていると、彼はマリーの方に近付いてきて、「失礼しました」と声をかけてきた。
「え?」
「笑われて気分を害されたでしょう。謝罪致します」
「あ、いえ、私が勝手に頭をぶつけただけですので…」
こちらに声をかけてきてくれた、ということは、普通に話してよいのだろう。マリーはしげしげと彼を見つめる。
やはり子供とは思えない子だ。物腰が柔らかく、礼儀正しい。
マリーの行動に対しての反応だって、もっと馬鹿にするように笑っていいところなのに、少しだけ笑って後、丁重に謝罪してくれた。子供というよりは大人と話している気分になる。
「これ、落とされましたよ」
"妖精さん"が手渡してきたのは、マリーがいつもつけている髪留めだった。驚いて後ろに纏めている髪に手を当てると、確かに固い感触がなくなっている。先ほど頭をぶつけた衝撃で落ちたのだろう。
「ありがとうございます」
「いいえ、大したことでは。この髪留めを大切に使われているんですね。古いもののようですが、手入れがちゃんとされている」
「夫がプレゼントしてくれたものなんです」
「そうでしたか。素敵な贈り物です」
夫からの贈られたものを褒められて、マリーは嬉しくなった。礼を言いながら髪留めを受け取り、自分の髪につけ直す。そして、「今日はどのようなものをお探しですか?」と彼に向き直って尋ねた。
「書物を買いたくて。以前薦めてもらった、薬草についての本がとても面白かったので、他にもよい本があれば売っていただきたいなと思って来たんです」
「でしたら、こちらはいかがでしょう。専門的な説明で難解なところはありますけど、夫が気に入っている本ですよ」
「見せていただきますね」
棚から重い辞書ほどの厚みがある、ずっしりとした本を取り出す。大人のマリーでも片手で持つのは疲れる重さだ。
子供の彼は両手でも難しいのでは…と思ったが、彼は軽々と持ってページをめくっていく。見かけによらず怪力なのね、とマリーはびっくりした。
一分くらいで目を通した後に「これでお願いします」と彼は購入を決めた。彼ほどの年齢の子が読んで分かる内容ではないのだが、マリーはもうそれくらいでは驚かなかった。
この子なら分かりそうよね、と妙に納得して、定価に何割引きかした金額を告げる。書かれているものよりも安い値段に、"妖精さん"は小首を傾げた。
「髪留めを拾ってくださったので、ちょっとおまけです。他のお客さんには内緒にしてくださいね?」
「なるほど。ありがとうございます」
汚れぬように商品を包装している間、彼はマリーを見て「子供を身籠られているんですか?」と質問してきた。そうですよ、と答える。
「…昔、起き上がれないほど、身体が弱かった時期はありませんでしたか?」
彼の質問にマリーは驚いて顔を上げた。今でこそ健康だが、確かに子供の頃は虚弱だった。ルーカスが教えたのだろうか。いや、もし最初から知っていたのならば、今、わざわざ尋ねたりしないはずだ。
どうしてそれを、と疑問に思ったが、マリーが聞く前に「いえ、すみません。忘れてください」と彼が言ったので、深く追及することはできなかった。
けれど、包装が終わった商品を受け取り、彼は店を出る前にマリーの方を振り返って言ったのだ。
「体調にお気をつけて。おまけしてくださったお礼に、僕からの助言です」
体調に気をつけて。子供を身籠ってからは色んな人に言われた、聞きなれた言葉だったのに、彼の声は何か特別な響きがあった。ちゃんとした根拠があって、その上でぼかした言い回しをしているような。
その言葉の真意は分からなかったけれど、彼の背中を見送り、マリーは一つ確信を得た。
知らないはずのことを言い当てたんだもの。彼はきっと本当の妖精なのだわ、と。
"妖精さん"は本物なんだわーーーー。そう確信したマリーは、夕食を食べながら早速、夫に自分の考えを伝えた。真面目腐って妻がそう言うものだから、ルーカスは吹き出した。
「本物の妖精なわけがないじゃないか!」
「だって、私の体質のことを言い当てたのよ。貴方はあの子に言ってないんでしょう?」
「昔の君を知ってたとかじゃない?」
「そうだとしてもおかしいわよ。まだあの子は十歳にもなっていないでしょう?私が子供の時なんて生まれていないはずだわ」
「ううん。町の人に聞いたとか?」
「わざわざ昔の私のことを教えるかしら。それに、最初から知ってたことを驚かすために言った、なんて風には見えなかったのよ」
「そう言われると、理由が分からないなぁ」
「でしょ?」
ルーカスも腕組みをして、どういうことかと唸る。彼とは話したことがあるし、もっと言うのならば今日始めて会ったマリーよりもルーカスの方が知り合ったのは先だ。
だからこそ、本当に妖精だとは思わないが、妖精のように謎の多い子供だということはよく知っていた。
「それで?僕の奥さんは"妖精さん"が妖精だとして、どうしたいんだい?」
「もっと話してみたいわ!だから、交流を深めるためのアイディアを募集中よ。ねぇ、ダーリン。愛しい妻のためにとっても素敵なアイディアをくれないかしら」
「おやおや、旦那の前で堂々と浮気かい?ハニー。妬けるなぁ」
「失礼ね。そういうんじゃないわ」
「冗談さ。僕のお姫様は不思議な友だちをご所望なわけだね。うーん、じゃあ好物でも作ってみたら?」
「好物?」
「あの子の好物は知らないけど、どうせなら、妖精の好物でもあげてみたらいいんじゃない?ほら、昔から言うだろう?妖精へのお礼には、ミルクやビスケットを部屋の隅に置くといいって。君のお菓子は絶品だし、ビスケットでも作ってみたら?」
ルーカスの案にマリーは目を輝かせる。
「それよ!ビスケットを作ってみるわ!」
「君が楽しそうで何より。でも、はしゃぎすぎて無理しないようにね」
"妖精さん"との仲を深めるための作戦の方向性が決まり、マリーは心を弾ませた。




