画家 24
「色々あって、取り敢えず結論を言うと、画商のことは心配がなくなった」
「やったー!!レオ君がそういうなら大丈夫ですね!」
画商を殺害した翌朝。町へ訪れて、もう結界が張られた家に閉じこまらなくてもいい、と俺が告げると、アーラは歓声を上げた。
しゃっ…とカーテンを開け、あぁ久しぶりの日光!と大はしゃぎしている。前に画商が来てからというもの、念には念をと、外出の数は減り、カーテンはずっと閉めたままにしていたのだ。
鳥のこと以外は感心が薄く、基本的にどこでも創作が続けられる彼だが、やはり人間は日光に当たりたいと思うもの。仕方がないと我慢しつつも、薄暗い家に鬱々とした気持ちはあったのだろう。
「色々、ね。殺したの?」
無邪気に喜ぶアーラには聞こえぬ音量で、幽霊が尋ねてくる。
「あぁ。お前はあの者の死に心を痛めるほど、お人好しではなかろう」
「そりゃあね。殺したいほど憎んでたし。ねぇ、アイツは苦しんだ?」
「…まず足の関節を外し、次に両手の指を切断し、片腕を切断し、足を切断し、最後に頸動脈」
「そ。そこまで苦しんでくれたんなら俺としては嬉しい限りだ。欲を言えば自分で仕返しをしたかったけどね」
「性格が悪いな」
「悪いけど、彼みたいに純粋じゃないでね。アーラは画商が死んだなんて思いもしないんだろうな。そこら辺抜けてるし」
「アリスやアーラのような人間は、理解できないところがある」
「ちょっと同感。特にアーラなんてなさ、長い間いじめられてたんだろ?そんな環境で過ごしてひねくれてないなんて。絶滅危惧種じゃない?」
談笑しているアリスとアーラを眺めながら、紅茶をすする。
画商の殺害現場を見たせいかよく眠れなかったらしく、アリスの目元にはうっすら隈があり、そして少し腫れている。目も充血しているため泣いていたのだろう。他人の死にここまで感傷的になれるのは、感心するくらいだ。
意気消沈していた彼女だったが、アーラと話したことで気分は多少マシになったのか、家にいた時よりも表情は明るい。
「そう言えば、名前を聞いていなかった。幽霊と毎回呼ぶのもな。本名は?」
「確かに。ドタバタしてたしね。セオドア・ハリス。今更だけど宜しく」
「宜しく」
そこで会話は一端終わり、そして幽霊ーーセオドアは恐る恐るという風に尋ねてきた。
「君は、一度死んだことがあるの?」
「…どうしてそう思う?」
「俺も死を経験しているからかな。君と君の妹に、何か感じるんだよね。自分に似た何か。言葉には上手くできないけど、普通の子供じゃない。それだけは分かる」
まだ付き合いも浅いというのに、俺たちの異常性を言い当てたセオドア。しかし、普通の人間は変だと言っても、自分と同じように死を経験したことがあるのではないか、という発想まではいかないはずだ。やはり死者には生者には分からないものを感じるのだろうか。
俺は波打つ紅茶の水面を眺めながら、「…前世というものを信じるか」と聞いた。
「前世…今の生よりも、前の人生の記憶ってこと?君たちにはそれがあるって言うの?」
「そう考えると、辻褄が合うだろう?年齢にそぐわぬ言動。見知らぬ魔法の使用。それらは、ここではないどこかの世界で生きた記憶があるから。すべて説明がつく」
セオドアは目を見開いた後に、なるほど、と納得した。
「…信じがたいけど、俺みたいに幽霊がいるんなら、生まれ変わった奴がいてもおかしくはないよね」
「意外とあっさり受け入れるな」
「君は、意味のない嘘をつくタイプには見えないからね。そっか。こことは違う世界。じゃあ、君の記憶は前世のものになるかな?」
「記憶?何のことだ?」
「あれ、聞いてないの?君の妹には言ったんだけど。絵に入る前、君の魔力に触れて、君の記憶がちょっとだけ見えたんだよ。一面、血の海のところ」
血の海…と記憶を漁るが、心当たりが多すぎて絞りきれない。部屋中を血まみれにしたことなど、両手の数では数えられないくらいやったからな。
「はて、どの頃のだ?」
「うわ、怖い。それって何回も似た光景を見たってこと?」
「察しがいいな」
「感心するところじゃないよ」
そんな会話をしながら、紅茶に口をつける。
「顔の皮膚が剥がされた死体の山。場所は多分どこかの会場?で、あ、あとは見間違いだと思うんだけど、銀の…」
セオドアの話す内容に思わず動きを止めた。ピシッ。紅茶の水面が大きく波打つ。ティーカップから音が鳴り、カップの白い表面にヒビが入っていた。俺の様子が変わったことに気付いたのだろう、セオドアが慌てて口をつぐむ。
「その反応は、聞いちゃいけないことだったかな。ごめん」
「…いや、俺こそすまない。平静を失った」
「誰しも触れられたくないところはあるよ。俺の場合、薬物で見た幻覚のことね。どんな気分だった?って聞かれたら、ソイツのこと殺したくなるもの。君の記憶のこと、忘れた方がいいなら忘れる」
「そうしてくれると有り難い」
「オーケー」
セオドアは当たり障りのない話題を振り、もうその話題に触れてくることはなかった。俺は彼の話に相槌を打ちながら、ちょうどよい距離感を保つ彼の気遣いに感謝した。
一週間と少し、アクイラ家にいた伯父様はまた旅を始めるらしい。好きなように世界を回る、と言う彼に、俺は一つ頼みごとをすることにした。
「絵を売るの?」
「はい。場所を教えていただければ、他の作品を送りますので。知り合いの方に絵を薦めてくれませんか」
アーラの絵を売ることだ。作品を買い取れるようになったのはいいけれど、流石に魔法道具を発明していて多忙な俺が、世界各地を飛び回って絵を売るのは無理があった。それに作品の説明をしろと言われても、芸術に関してはからっきしだ。
ならば得意な人間に販売は任せた方がいいだろうと思い、伯父様を頼ることにしたのだ。
アーラの絵を見せて、できるかどうかを問うと、「うん。これなら、買いたいって人いるんじゃないかな。というか、この作風どこかで見た気がするような…」と言われる。忘却させた以前の会話を思い出される前に、俺はつらつらと用意していた説明を述べた。
「知り合いの画家が、どうにも交渉が不得意なようで。ずっと安い値段でしか買い取ってもらえなかったそうなんです。最近その画商とも連絡が取れず…。このままでは餓死してしまうと泣きつかれたんです。才能があるのに売れないのは可哀想だと思って…。つい『大丈夫。頼りになる伯父様がいるから、どうにかしてもらうよ』と言ってしまって…」
最後の方は声を小さくし、申し訳ないと思っている風に眉を下げる。目には涙を浮かべて、伯父様のシャツの裾をきゅっと握る。
「頼りになる…伯父様…僕が…」
「伯父様…。助けてくださいませんか。お願いします」
懇願するように上目遣いで見れば、伯父様はあっさりと陥落した。
「勿論いいよ!可愛い甥っ子の頼みごとだ!何だってやってあげるよ!!」
「本当ですか!大好きです!」
「大好き?!本当かい?!レオ君は可愛いねぇ!!」
堕ちたな、と内心せせら笑いながら、人懐っこい満面の笑みを浮かべて彼に抱きつく。彼が甥っ子と姪っ子に甘いことは既に知っている。
ジャングルの原住民とも交流するくらいだ、人脈は広く、そして恐らく雄弁で、画商としてもやっていけるだろうと踏んでの提案だった。
先にアーラから仕入れていた絵を彼に見せ、俺が買い取った値段よりも少しだけ上の値段で伯父様に買ってもらい、伯父様がまた更に自分の分の利益をつけて売る。これならば、何もせずとも俺の懐には金が入るし、伯父様も金が手に入る。いいことずくめだ。
無邪気な子供のふりは疲れるが、労力に見合うだけの価値はある。伯父様に気に入られるように俺は精一杯演じた。
そして、出立の日。
「レオ君…アリスちゃん…僕の養子にならないぃ…?」
参ったな。これは予想していなかった。
離れたくないと俺にしがみつく伯父様を見て、俺はそう思った。どうやら演技が効きすぎたらしく、俺やアリスと別れなくないと駄々をこね始めたのだ。成人している大人が。五歳の子供に。涙を流しながら離れたくないと叫ぶ。第三者から見れば、なかなかの絵面だろうな。
「リアム兄さん!許さないからね!それだけは!!兄さんには世話になったけど!レオとアリスは渡さないから!!」
「アレクのものは僕のもの。弟は兄に価値あるものを献上する義務があるんだよ」
「兄としての権限をこういう時に出すのは止めてくれないかな?!」
ぎゃいぎゃいと騒がしい。父様は伯父様を俺から引き剥がそうとして、伯父様はそうはいくかと更に抱き締める力を強める。朝からこの調子なので、既に俺は諦めてされるがままになり、アリスは傍観し、母様はにこにこと笑う。
なるほど。喧嘩するほど仲がいいとはこういうことを言うのか。勉強になった。混沌とした状況で俺はそう悟った。
やっと伯父様を説き伏せ、見送りの時間となると、俺は伯父様に用意していた袋を手渡した。
「これは?」
「中に『火力石』と『至聖水』をいくつか入れています。話を聞くに、波瀾万丈な旅をしているようでしたから、きっと役に立つと思いますよ。使い方のメモも入れてありますので、是非役立ててください」
火力石は火をつける際に便利だろうし、至聖水は水質が悪い場所で過ごす時にきっと使えるだろう。また、金がなくなった時に売れば、多少の金になるはずだ。
「いいのかい?確かレオ君の発明品って、売り物になっているんだろう?」
「ええ。土産と、頼みごとを聞いてもらったこと。そして情報提供のお礼です」
「最初の二つは分かるけど…情報提供?」
「お気になさらず。…気をつけて、いってらっしゃいませ」
そう言うと、伯父様は俺の頭に軽く手を置いた。
「うん。気をつけていってくるよ。その前に。レオ君、覚えておいてね。君の才能はきっと誰かを助けられる素晴らしいものだ。でも、才能があってもなくても、僕たちにとっては、君が毎日幸せに過ごしてくれるだけで十分に幸せだよ。無理だけはしないように」
「…善処します」
「あはは。随分大人な返しだね」
ひとしきり笑って、伯父様はくしゃりと俺の頭を撫でる。「君らしく、精一杯生きなさい。じゃあ皆またね」そう言い残して、また自由な旅を始めるべく彼は去っていった。




