画家 22
「僕たちの両親、君の祖父母の話を聞いたことは?」
「ありません。詳しいことは何も」
「そうか。じゃあ、まずは僕たちの幼少期の話からだね。アクイラ家は"貴族社会の変わり種"なんて呼ばれている。これは癖のある子供が生まれることが多いからなんだよね。理由は知らないけど。でも、父さんが当主であった頃は普通の、そこら辺の貴族の家と変わらなかった」
貴族社会の変わり種…。父様や母様の趣味、向かいに座り話している伯父様の行動を振り返ると、そう呼ばれるのも納得するところがある。普通の貴族の家、つまりは今の比較的自由な家風はなく、厳格で規則に厳しい家だったのだろう。
俺の生まれるタイミングはよかったな、と話を聞きながら思った。そんな家、俺が毛嫌いしている貴族の家そのもの。あと数十年生まれるのが早かったらと思うとぞっとする。
「僕が生まれ、二年後にアレクが生まれた。赤ん坊の頃から能力に差異が出ることはそうないから、最初はよかったんだ。僕とアレクは同じように扱われた。けれど、アレクが言葉を話し、書物を読むようになった頃、僕たちの違いは浮き彫りになった」
「違い?」
「才能の有無。アレクは間違いなく"天才"の部類に入る人間であり、僕は小器用ではあるけれど弟に比べれば、明らかに持っていない側、つまりは"凡人"だ。アレクは覚えが早かったよ。僕よりも早くに文字を書けるようになって、魔法学も習得した。僕が最初にアレクの才能に気付いたが、父さんたちも次第に、弟の非凡さを理解するようになっていった」
「妬みましたか?」
俺の質問は予想外だったのが、一瞬だけ伯父様は息を呑む。しかし、すぐに「そうだね」と目を伏せた。
「父さんはアレクの才能が金になると知った途端に、僕たちの扱いに優劣をつけ始めた。アレクの教育には湯水のように金をつぎ込むのに、僕には金の無駄だなんて言うくらいだ。子供の時は妬んだよ。なんで弟ばっかりって。でも、僕と同じくらい、ううん、僕以上にアレクは苦しんでいた。孤独で寂しいんだと目の前で泣かれた時から、僕はもう弟のことを妬ましいなんて思えなくなった」
「苦しんでいた?高い教育も与えられていた。虐待もされていない。恵まれていたのでは?」
伯父様は悲しげに微笑み、首を横に振る。
「天才って孤独らしいよ。少なくとも小さい頃のアレクはそうだった。君には覚えはないかい?」
「ありませんね」
「おや。じゃあ、恵まれているのかな」
「さぁ、どうでしょう」
俺は自分の幼少期を思い出し、言葉を濁した。
寂しさなど覚えている暇はなかった。あのごみ溜めでは。記憶力がいいに越したことはない。覚えが早いに越したことはない。能力が他よりも高いのなら、それだけ生きる可能性が高くなるのだから。そんな風にしか考えたことがない。
そもそも昔は、生きることに精一杯で、自分に才能があるなど考えたことさえなかったのだ。必死に字を覚えた。死に物狂いで知識を身につけた。学があれば、できることが増えたから。
魔物であることを考えても、早熟した子供であったことは自覚している。周りの大人たちも、自分たちより知識がある俺を気味悪がったが、それを辛いと思ったことはなかった。
「父様は孤独でしたか」
「出来のいい弟を持つと苦労するなと理解されていた僕とは違って、アレクは周りの人間に理解してもらえなかった。普通の子供のように甘えたくとも、変に大人になってしまった部分があって、それを周りの人間も承知しているから甘えさせてあげられない。母さんはね、父さんと違って僕ばかり可愛がっていた。"異常"であるアレクではなく、"普通"の僕を。僕は幸せなんだろう。少し歪だとしても母からの無条件の愛を受けられたのだから。今のアレクは、そんな素振りを見せないけどね。父からは道具のように扱われ、母からは天才というだけで異常だと冷たく接されて、寂しがっていたんだ。いつも。だから、僕が純粋に好いてあげることにした」
「義務感からですか?それとも同情?優越感に浸りたかったから?」
「いいや、僕が兄だったからさ。兄は弟を可愛がり、守るものだからね」
伯父様の言葉に、今度は俺が息を詰める番だった。表情を取り繕い、そうですか、と素っ気なく返すと、うん、そうだよ、と伯父様はにこにこと笑った。
「こうして兄としての自覚がやっと芽生えた僕は、アレクを猫可愛がりして、時には甘えさせ、時には我が儘を言う弟を窘め、時には弟に兄としての権限を最大限利用して言うことを聞かせたりした。例えばペンのインクが切れたら、代わりに買いに行かせたりね」
「最後のは、兄としてどうかと思います」
「弟は兄の言うことを聞くものさ。アレクも何だかんだと文句を言いながら買いに行ってくれたし。こうして、アメリアとアンドレと出会うまで、孤独なあの子の相手をしてあげた。二人とは学校で知り合ったんだけど、友だちができたと楽しそうだったなぁ。今思うとすごく青春してるね。あれ、学生時代を眩しく思うって、これが年をとったってことかな」
頬杖をつきながら、伯父様は遠くを見るように目を細める。過去を思い返しているのだろう。
「僕も旅をして、視野が広がった。アレクと比べられてばかりいたから、どうしても自分は駄目だって思っている節があったんだ。でも、旅をしていたら、天才とか凡人とかで括れないくらい、沢山の人がいて、皆が違うんだってことが知れた。世界は自分が思っているよりも広いんだと。目から鱗が落ちる思いだった」
「親から認められないのは、辛いことでしたか?」
「うん。すべての子供がそうだとは言い切れないけれど、僕は、父さんに認めてもらいたかったかな」
そういうものなのか、と俺は頷いた。
前は、父という存在などいなかったし、母からは…そもそも生まれることを望まれていなかった。死んですぐに母も失ったから、彼女たちに認めてもらいたいという承認欲求は薄かったが、世間ではやはりそういう欲求を持つものなのだろう。
「だから、アレクは子を持つことになった時、不安がっていたんだ。ちゃんと愛してあげられるかなって。今の激愛ぶりを見れば杞憂であることは分かるけどね。…レオ君はもうその歳で魔法道具を作っていると聞いたよ。初めての発明品をアレクに見せた時、どうだった?」
「喜ばれましたね」
「うん。それは勿論、息子と魔法道具について熱く語り合いたいとかいう魔法馬鹿もいいところの考えもあるんだろう。でも一番は親として、子供のことを思い、自分がして欲しかったことをしてるんじゃないかな。金儲けの道具としてじゃなくて、純粋に才能を喜んで欲しかった。才能がなくとも、ちゃんと愛されていると思わせて欲しかった。だからその分、自分の子供にはあげたいんだよ。無条件の愛情っていうものを」
伯父様の話は、人の機敏に疎いところがある俺には理解が難しいところが多かった。しかし、自分に与えられなかったものを与えようとする父様の覚悟は誰もができるものではないのだろうと、素直に尊敬の念は抱く。
「教えてくださり、ありがとうございました」
「暗い話になってしまったね。大丈夫だった?」
「はい。いい勉強になりました」
「それはよかった。あ、話は変わるんだけど」
「はい?」
「レオ君って何か好きなものある?できればアリスちゃんの好みも教えて欲しい。お土産を結構買ってきてるんだけど、子供が何を気に入るのかよく分からなくて、渡しそびれていたんだ」
あぁ、土産か。アリスの好きなものな…と考えて、町で蜂蜜を見ていたことを思い出した。そう言えば礼だと食わせた菓子にも蜂蜜が使われていて、美味しいと目を輝かせていたような…。
「アリスは蜂蜜が好きだと思いますよ。蜂蜜がなくとも、甘い菓子は嫌いではないと思います」
「ふむふむ、なるほど。お菓子はあるね。蜂蜜は次に来た時のお土産にするよ。レオ君は?」
「俺は書物か魔法道具を作る材料を。あ、それとハンバーグを作る際に上手く焼ける料理器具があるなら、それも」
「本とかは予想してたけど、ハンバーグ?好きなのかい?」
「…はい。え、何ですか、その目」
「何だろう、ギャップ萌え?というやつかな?大人びていたものだから、ハンバーグっていう子供が好きな定番料理が好物って聞いてほっとしたというか、キュンとしたというか…」
「………………頭、大丈夫ですか?」
「酷いよ、レオ君!でも、そっかぁ。芸術とかには二人とも興味ないのかな。綺麗な空の絵を持って帰ってきたんだけどなぁ。買った当初は知らなかったんだけどね、シエルって呼ばれてて、今では結構有名になってるらしいんだけど…」
「………………はい?」
聞き間違いだろうか。今、伯父様の口から、聞き覚えのある名前が聞こえた気がしたんだが。
伯父様はシエルの作品をもう一つ買っていたらしい。今度は画家から直接買ったのではのではなく、画商から購入していた。つまり、画商と接触したということだ。
何か手がかりになるかもしれない、と俺は伯父様の部屋でその絵を見せてもらうことにした。
「鳥が描かれていない…?」
ただ空だけが広がっている作品。アーラの特徴とも言える鳥が描かれていなかった。たまたま他のものがモデルだった作品だったのか?いや、何か引っ掛かる…。俺は塗られたオレンジ色を撫でる。
「夕焼け…」
小声で呟いた後に、手記に書かれていた内容を思い出した。確か画商が幽霊から初めに買っていた作品も夕焼けの空ではなかったか?
「伯父様。これは本当にシエルという画家のものですか?他の画家の作品ではなく」
「え?多分そうだと思うよ。最近は見てなかったけど、数年前に他のシエルの作品も見たことがあったから。全部空の絵で、同じ描き方だったし」
全部、空の作品。アーラは学生時代から鳥ばかりを練習していたと聞いているから、他のモデルをそれだけ描くのは変だ。
もしかすると…。俺は一つの可能性にたどり着き、不思議そうな顔をしている伯父様を振り返って頼みごとをした。「廊下に飾っている絵を見てくださいませんか」と。
アクイラ家に飾られている鷲の絵を目にした彼は、「この絵…僕が昔に買った…?でも、空が夕焼けのものに似て…」と驚いていた。
「芸術を見慣れている伯父様から見ても、この作品の空とシエルの空、やはり似ていますか」
「同一人物じゃないのかい?」
「ええ。恐らく。二人の画家の作品を、同じシエルという画家の作品として売っているのでしょう。昔は幽霊の作品を、幽霊を殺した後はアーラを代わりに」
「え…?殺した…って」
「シエルの作品を扱っている画商は、既に少なくとも一人を自殺に追いやっています。それが一人目の、最初のシエル。そしてつい先日、二人目のシエルである、この鷲の画家アーラ・リペラが殺されかけました」
絵が見えるよう掲げていたランプを伯父様に向けると、彼は殺人という言葉に身体を強張らせていた。俺は彼の目を見つめて尋ねる。
「何か、些細なことで構いません。その画商に関する情報を知っていますか?」
「レオ君…?」
「夕焼けの絵を買ったのなら、貴方は画商に会ったはずだ。彼の様子は?人柄は?住所は?名前は?」
「…それを知って、君はどうするの?」
俺はうっそりと微笑んで、口先だけの綺麗事を並べた。
「止めます。彼がこのままだと、他にも被害者が出てくるでしょう。アーラの殺害は食い止めました。けれど、次の被害者は検討がついていません。一人目の画家はただの自殺と処理され、画商は嫌疑にかかっていず、殺人の証拠はありません。法で裁けないのであれば、捕まえて、もう悪さができないようにしなければ」
「子供の君に、何ができるって言うんだ…?」
「できることはありますよ。それで、伯父様。何か知っていることはございませんか?この一分、一秒が惜しい」
催促すると、伯父様は迷う素振りを見せる。反応に何かを知っていると踏んだ俺は、一歩彼に近付き、彼の手をとった。
「信じてください、どうか」
そう言うと同時に、俺は彼の手に自分の魔力を流した。魔力操作。魔力を操作するという行為には、大きく分けて二つの使い道がある。
一つ目は、魔法を使う際に使用する。俺の火魔法や幻覚魔法、アリスの治癒魔法も魔力操作によって、身体に流れる魔力を操り、魔力を他のエネルギーに変換して奇跡を起こす。魔法道具に魔力を込めるのもそうだ。
二つ目は、身体に巡る魔力の流れを調整する。これは血行を調節するようなものだ。魔力の流れが滞ると、魔力を持つ者は体調を崩したり、精神状態が悪化したりし、逆流すれば死に至る場合もある。しかし逆に、正しい方向へ魔力が流れることを促すと、緊張の緩和や傷の治りを早めるといったよい影響が現れる。
大抵の魔物ができるのは精々、自分の魔力の流れを操れるまでだが、俺は自分の魔力を流すことで、他者の魔力の流れを変えることができる。
魔法を使えない人間の中にも魔力を持つ人間は存在し、父様と伯父様は魔力を持つ人間。だから、俺は伯父様の魔力を操作した。順方向へ。こうすることで、緊張や恐怖を薄れさせることができるからだ。
実際に俺に向けていた怯えた目が、安心したものに変わった。アルコールを接種していたのもあってか、眠気も襲ってきたらしく、瞼を重たげに動かし瞬きをしている。
そのまま俺は優しく語りかけた。
「怖がることはありません。少し聞きたいことがあるだけです。貴方はそれに正直に答えるだけ。ね?難しいことではないでしょう」
「う…ん…?」
「聞かせてください。ゆっくりで構いません」
「空の絵を…買って…彼の目が、昔の…僕にそっくりだったんだ…。アレクと比べられて…自分が嫌になっていた、頃…の…」
「なるほど。自分に劣等感を感じていると」
「そう…だね。だから…外を見てみるといいと…言って。それから、彼とは…会ってない…」
「…そうですか。画商の居場所に心当たりは?」
「…あ…そう、言えば…僕の知人が…一週間、後に、シエルの…絵を…買うと」
「その知人の方が住む、国と町の名前を教えてください」
一週間後に画商が現れる場所を聞き出した俺は、半分意識が夢の中へと沈み、バランスを崩した彼の身体を支え、目を片手で覆った。
「感謝致します。よい夢を」
完全に伯父様が眠ったことを確認し、懐から杖を取り出した。そして、今夜の俺との会話を忘れるように、彼に忘却魔法をかけた。
ーーーーー苦痛は。憎しみは。怒りは。記憶は。時と共に風化する。ならば、我は一陣の風となろう。其方の苦しみが薄れるよう。我は一つの箱となろう。其方の辛い記憶を閉じ込める箱に。其方がもう泣かずともいいように。
魔法をかけ終わった俺は、立ち上がって、口角を上げた。
「見つけた」




