画家 21
アリスは人差し指を俺に…俺の首に添えられたナイフに向けた。そして、「それ、止めて。危ない」と注意する。
ナイフと皮膚がぴったりと接触している状態では、少し動かすだけで出血するだろう。確かに彼女の言う通り、安全とは言えない。俺は肩をすくめて素直にナイフを下ろした。
「それで?」
「…レオは、殺さない」
「では画商のことは見殺しに?俺が言えたことではないが、構わないのか?」
俺は意外な発言に驚愕を覚えて、アリスにもう一度尋ね返した。彼女はこくりと首を縦に振って肯定する。
ふぅん、と目を細めた後に、「こちらとしては嬉しい限りだ。しかし、予想が外れたな。お前の性格を考えると激怒するかと思っていた」と俺は言った。
「…うん。前の私、なら、反対した、と思う」
「今は違うと?」
「レオに言われて、考えたの。人を殺すのは悪いこと。それは今でもそう思う。じゃあ、レオも私も、画商の人も悪い人。人を殺したこと、殺しかけたことがあるから。アーラはいい人。優しい人。悪い人がいい人を殺すのは悪いこと。…でも、悪い人が悪い人を殺すのは悪いこと?」
「…お前の結論は?」
「分からない。だから、分からない私は、レオがやろうとしている、ことを、止める権利はない、と思う」
「なるほど」と俺は笑みを浮かべた。纏めると、彼女の価値観で善人となる者は救うに値するけれど、悪人となる者は見殺しにするということになるか。
善人、まだ罪を犯していない者を殺すのは"許されないこと"に当たり、自爆魔法を使ってでも止めるが、それ以外は好きにしろということだ。俺としては分かりやすくて都合がいい。
アーラと交流、画商によってアーラが殺されかける現場を見たという体験が、アリスの考えに影響を与えたのだろう。
「どう?レオは、嫌いな人、見殺しにしていい、って言った。嫌いな人…とは違う、けど、悪い人は守らない」
「俺の言葉を信じていいのか?お前を洗脳している可能性もあるぞ?」
「レオは、洗脳、とか、あんまりしないと思うから」
「まぁ、好きではないな。必要に迫られればやるが」
「うん。レオなら、そう言うと思った」
アリスは少し強張った顔で笑った。考えが纏まったとは言っても、元々のお人好しは直っていず、感情までは割りきれていないのだろう。見殺しにするとはいいながらも、罪悪感は覚えているに違いない。
「レオはどうして、言ってくれたの?」
「どうせ遅かれ早かれお前には知られるかと思ったのでな。それならばさっさと話しておいた方が楽かと」
「楽…」
「判断は間違ってはいなかっただろう?これでお前の目を気にせず、暗殺に集中できる。俺の正体を知っているのがお前だけである以上、寝首を掻けるのはお前だけだ」
「次も、一緒に死んでくれる?」
「それはアリス次第だ。一応抵抗させてもらうつもりではある。俺を心中に誘うなら、もっと上手く口説くんだな」
「口説く…?」
「アリスにこの冗談は早いか」
アリスの許可を得たところで、俺は情報を集めることにした。暗殺自体は難しいことではない。転移魔法を使って画商の元へ行き、ナイフで首を掻ききって終わり。多少抵抗はされるだろうが対処できるだろう。
「問題は、転移魔法を使うための、画商の正確な位置の把握をどうするか。あとは、死んでもなおアーラに害を及ぼす可能性をどうなくすか…」
「一つ目は、分かる。けど、二つ目。人って死んだら、終わり。誰も傷つけられない。違う?」
「幽霊という前例があるだろう」
「あ」
「万が一にでも、ああなったら厄介だ。ポルターガイストでナイフを操られれば人も殺せるからな。だが、そもそも心霊現象を引き起こせる幽霊なんて滅多にいないから、大丈夫だとは思うが…。可能性もゼロというわけじゃない。できる限り、未練なく死んで、綺麗さっぱり成仏して欲しいところだ」
「暗殺で、未練なく?無茶だと思う」
「俺もそう思う」
さて、どうするかな…と俺は顎に手を当てた。
深夜。ベッドに入る直前まで思考を巡らしていた俺はどうにも寝付けず、気分転換に風にでも当たるかと外に出ることにした。長居はする気はないので、寝巻きの上に上着を羽織り、手持ちは杖だけだ。ドアを閉めて、自室を後にした。
「アレク。飲み過ぎなんじゃないかい?」
「もうちょっとだけ…兄さんと飲めるのも次は…数年後かも…しれないし…」
途中にあった部屋のドアが半開きになっていて、まだ人が起きているのか光が漏れ出ている。声からして、伯父様と父様が酒を飲んでいるのだろう。
父様が酔っているのは珍しいなと足を止める。酒に強い人ではないが、普段は滅多に酒を口にしないため、酔っている姿を見るのはほとんどないと言っていい。久しぶりに兄と会って気が抜けたのだろうか。
「ねぇ、兄さん…。僕はちゃんと…"父親"になれているかい?」
「おや、随分と弱気じゃないか。お前は泣き上戸だったかな?」
「違うよ。…ちょっとだけ、不安だったんだ。父さんのように、ならない…ようにって。アリスとレオね…とってもいい子なんだ…僕には…勿体ないくらい」
「アレク、眠いなら眠るといいよ」
「答えてよ…僕は、ちゃんと…父さんとは違う…レオたちを…ちゃんと…愛し…」
「なれているさ。君は立派な"父親"だよ」
暫くして声が聞こえなくなる。二人の関係を深くは知らないけれど、貴族の家族関係というものは複雑であるのが普通。前世で王座についた時には、嫌というほどに貴族社会の闇を見せられた俺としては、ここの人たちが異常すぎると感じるくらいだ。
父様たちにもそれなりに事情はあるのだろうと、俺はそのまま庭へと向かった。
雲一つない空に浮かぶ月は明るく辺りを照らし、よい明かりとなってくれるため、庭はほどよい暗闇が広がっている。涼しい風があれこれと思案したせいで熱を持った顔を冷ましてくれた。
息を吐いて、俺は後ろにいた人物に声をかける。
「こんばんは。酔いを覚ましに?」
「…驚いた。背中が偶然見えたから、こっそりつけてきたつもりだったんだけど。いつから気付いてたんだい?」
「伯父様が、酔った父様を放置して部屋から出てきたくらいでしょうか」
「尾行は最初からバレバレだったわけだね」
それはそうだろう。伯父様の尾行の仕方は初心者もいいところで、気配に敏い俺には子供のお遊び程度のものだ。流石に分かる、と笑いながら「屋敷の外には出ないつもりです。十分ほどしたら、部屋に戻りますよ」と言った。そうかぁ、と伯父様は笑って、庭にある椅子の側まで行って手招きした。
「眠れないのなら、少しお喋りでもしようか」
いいですよ、と俺は向かいの椅子に座った。
「僕たちの会話を聞いちゃった?」
席につくと同時に、伯父様は眉を下げなから聞いてきた。今さら隠すのも変かと思って肯定した。
「聞いてはいけないことだったのでしたら、忘れるよう努力致します」
「そんな大したことじゃないよ。ただ、アレクは君たちに隠しておきたかったんじゃないかなって思って」
慌てて否定するように手のひらを広げ、左右に動かす彼に「隠しておきたかった?」と言葉を繰り返す。別に父様たちの関係を知ったところでどうとも思わないけれど。
「うーん、言っていいものかな。僕としてはいいと思うんだけどね、アレクが知ったらなぁ」
「秘密にすると約束しますよ。口は軽くありませんから」
「そっか。じゃあ、もう一つ約束してもらっていい?」
「どうぞ」
「もし僕たちの過去について知っても、態度を変えないでいて欲しい。アレクは君たちのこと本当に深く愛しているからね。嫌われたなんてことになったら、酷く落ち込むよ。きっと」
「父様を嫌いになるような話なのですか?」
「いや、違うね」
「では、何も心配はないと思います」
「それもそうか。じゃあ、僕の昔話に少し付き合ってもらってもいいかな?」
「ええ。そこまで言われると興味が湧いてきますね。夜は長いですから、ゆっくり聞かせてください」




