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画家 15 (三人称)


空気が凍った気がした。「え…?」すぐには言葉を理解できなかったアーラが困惑したような声を出す。



「…本当?」



先に冷静になった幽霊が真剣な声色で、アリスに尋ねた。



「多分」


「根拠は?」


「勘」


「勘だって?」



幽霊は胡散臭そうな顔をする。当たり前だ。勘で誰がやって来たのか分かる、と言われても怪しく思うのが普通だから。


咄嗟に嘘をつけばよかったのかもしれない。レオに対する言い方が癖になっていた。勘で、と一言言えば、彼はアリスの言いたいことを察して汲んでくれる。


考えたものの、言葉にする際に省いてしまった考えや思いを理解するのが彼は上手かった。今までで会った中で彼ほど、アリスと穏やかに話を続けられる者はいないとさえ思う。


だから二人のコミュニケーションは静がだがスムーズなのだ。



「本当。嘘、じゃない。信じて」



こんな時レオがいてくれたら。もっと上手く対処できるだろうに。しかし、今、彼は深い眠りについている。


話すことに不慣れな自分が、二人を説得するしかなかった。二人の視線が集まって、あ、う、と意味もない言葉が漏れる。


コンコン。ドアが鳴る。待ち人がいることを知らせる音が、時間がないことを自覚させる。


どうしよう。アリスは激しい焦燥感に駆られた。


どうしよう。どうすればいい?本当に画商だったら。殺される?レオは。駄目。起きてくれない。どうしよう。無視する?駄目。アーラがもう返事をしてしまった。開けなくちゃ、怪しまれる。


軽いパニックになりかける。そんなアリスを見かねて、また空気を変えてくれたのは幽霊だった。



「まずドアの前でいるのが誰であれ、君たちと俺は隠れるべきだ。彼は血だらけだし、君も服に血がついてる。事情を知らない他人がみたら盛大な勘違いをされるだろう。俺は言わずもがな。喋る絵なんて怪しいところもいいところだからね」



ほら君も呼吸整えて、焦ってる暇なんてないよ、と言われる。


幽霊だけが三人の中で酷く落ち着いていた。



「もう死んだ身だから、殺されるという恐怖もないんだ。特に焦りとかも覚えないんだよ。それに死んだ方がマシだって思う目に遇ったから、これくらいどうってことない。さぁ、とっとと動く!」



どうしてこの状況で落ち着ついてられるんだろう、と疑問に思うと、幽霊はアリスの頭を覗いたかのように答えをくれた。


幽霊は急かして、パンパンッと家の外に聞こえぬ程度に手を叩く。はっとしてアーラとアリスも動き始めた。


まず、アーラがレオを抱き上げて風呂場に連れていった。アリスは昨日持ち込んだ自分たちの私物を片付け、この家に他人がいたという痕跡を消す。


台所には、料理を作り終わって余った食べ物や調味料が残っていたから、そういうものも、とにかく手当たり次第にバッグの中に入れて、手に抱えて、荷物全てを持ってレオがいる風呂場に駆け込んだ。


ぐったりとしているレオを「ごめんね。ちょっと固い、と思う、けど。我慢してね」と言って、風呂場の床に寝かせる。アリスは横に座り、手に幽霊の魂を閉じ込めた絵を抱き抱える。



「風呂場に入ってくることはないと思う。アトリエからは一番離れてるし。危なくなったら、その窓から逃げる。もし間に合わなくて画商が風呂場に来たら、水をぶっかけて、隙を作って、逃げる。オーケー?」



幽霊の声に、うん、とアリスは頷いた。アリスとレオ、幽霊は画商がいる間、この風呂場に隠れるという作戦だ。


コンコンコンッ。痺れを切らしたのか、ドアをノックする音が大きくなる。



「アーラ、大丈夫?真っ青」


「だいじょ、あ、やっぱり無理です。怖いです。心臓バクバクしてます。え、本当に画商の人だったらどうしましょう」


「どうもできない」


「ええ、そうですね!僕が返事しちゃいましたからね!開けなかったら、余計に怪しまれて後が怖いですよね!」



あぁぁ…とアーラは顔を手で覆い隠して、嘆くように膝をつく。声を出して、家にいると知らせてしまったことを後悔しているらしい。


アリスはじっ…と、目に隈のある、疲労感が隠しきれていない彼の顔を見つめた。アーラは徹夜で作品を仕上げていた。疲労もピークに達していることだろう。それに加えて、己を殺すかもしれない相手と会わなくてはならない。


迷って、口を開けて、閉じて、やっぱり迷ってからアリスは言った。



「…私もいようか?」



アーラは怖がりだ。多分、アリスよりも、痛みとか血とか死とかを恐ろしいと思う人だ。彼一人で画商の相手をさせるのは、あまりにも可哀想に思えた。



「何、言ってるんですか…。下手したら殺されるんですよ」


「でも、二人なら諦めてくれるかも。それに。ちょっと話して、私はアーラのこと、好きになったから。母様と父様の方が好きだけど。もし駄目でも、アーラが怖いなら、一緒に殺されて」



あげる、と言おうとした。


今の生活は何よりも大切だし、今の家族とはもっと一緒にいたいし、今の自分は、前と違って死にたくなんてないけれど。


だけど、目の前の怖がりな人を放っておけない。前世で自ら命を絶った身だ。殺されることへの恐怖心は薄かった。今、アーラを一人にして後悔するくらいなら、一緒にいてあげた方が…と思ったのだ。



「そんな悲しいことを言ってはいけませんよ」



しかし、アーラははっきりとした口調で断った。



「アーラ、でも」


「実は昨日ね、レオ君に人生相談にのってもらったんです」



人生相談?突然、脈絡がない話をふられる。


アリスは驚いて口をつぐんだ。



「それに温かいご飯もご馳走になりました。君も一緒に作ったそうですね。ご馳走様でした。とても美味しかったですよ。レオ君は泊まる場所を貸した礼だと言ってました。けど、僕はあんまり大したことやってないと思うんですよね。ちょっともらいすぎだと思うんです。だから僕もお礼をしたい気分でして」



今にも倒れそうな顔色の悪い顔で、必死に無理な笑みを張り付けて、アーラは言った。



「ご飯と人生相談のお礼です。できる限り守りますからね」



だから、君たちはここで待っていてくださいね。









「やぁ、アーラ君」


「…なっ、にかご用ですか?」


「あぁ、昨日忘れ物をしてしまったんだ。うっかりしていた。愛用のペンを落としたみたいでなぁ」


「ペン?」


「部屋に入っても構わないかね?」


「…特徴を言ってくれたら僕が取ってきますよ。どんなものです?」


「いや、わざわざ君に探させるのは申し訳ない。私が自分で探すとも」



画商の男と、アーラの話し声が玄関から聞こえてきた。


「…君の言う通りだったね」と幽霊がぽつりと言う。


忘れ物を取りに来たという画商は、アーラの遠回しな拒絶の言葉を無視し、家の中へと入ったようだった。随分と強引だ。ただ忘れ物を探しに来たにしては不自然。


アリスは風呂場のドアに小さな隙間を作る。そして、覗き込む。幽霊も見えるように絵を動かしてやった。


画商が、袋を持っているのが見えた。形を見るに…酒瓶だ。アーラも気付いているのだろう。ちらちら、と来客が持つ荷物にしきりに視線を送っている。



「あの、荷物」


「酒だ。もう一度同じ手口を使おうなんて、馬鹿にしてるのかな。…あぁ殺してやりたい。アイツのせいで、俺は絵が描けなくなったんだ」



外れて欲しかった嫌な予感が的中した。忘れ物をしたのは嘘か真か分からないが、本来の目的はアーラに酒を渡すこと。…かつて幽霊がされたことと同じように。


画商の手荷物を見た瞬間、絵から禍々しい気を感じた。



「殺して、俺と同じ目に遇わせてやりたい。身体に何百もの虫が這う感覚。脳が収縮するような頭痛。痛くて、気持ち悪くて、絵なんか描けやしない。空を描くのが得意だった。色を重ねていって、自然な空を描くのが得意だった。だけど酒を飲んでから。無秩序にぐちゃぐちゃに描かれた意味のないものしか作れなくなった。…君のお兄さんにもらったこの力を使えばいいのかな。これが魔法なのかな。アイツに復讐できるのかな」



この気配に覚えがあって、アリスは眠っている横の兄を見る。幽霊の憤怒と共に、絵から漏れ出しているのは魔力だ。それもレオの魔力。


魂を閉じ込める際、膨大な魔力を絵に流し込んだために、この作品はただの紙ではなくなっている。


アリスは勘で悟る。幽霊がその気になれば、絵に込められた魔力を用いて、魔法も使えるだろう、と。


ぎゅっ、と絵を抱き締める。



「抑えて。今は。その力は、簡単に扱えるものじゃない。練習もしていない人が、無闇に使うと、自分に跳ね返ってくる」



魔法は一見とても便利に見える。しかし、魔物はともかく、今まで一度も魔法を使ったことがない人間が簡単に扱えるほど単純なものではない。


アリスでさえ、初めて治癒魔法を覚える際は、血を吐くような苦労をした。魔力操作を誤れば、四肢が引っ張られて、内臓が潰される感覚がする。下手をすれば、死ぬ。


一度、感覚を掴んでしまえば、他の魔法を習得するのは早くなるが、その一度目が難しい。



「…分かってるよ。分かってる。今がその時じゃないってことくらい」



幽霊は悔しそうに、歯噛みした。





余談。


ちなみに。『画家 5』で出てくる会話。





「アーラ。紙とペンを貸してくれ」

「へ?あ、どうぞ…?」


それらを机の上に置き、俺は目に見えない相手に聞こえるように「ものを動かせるなら、意思表示もできるだろう。言いたいことがあるなら書け」と天井に向かって言ってやった。


「はぁ?!何言ってるんですか?!レオさん?!」

「言葉が通じない獣相手じゃないんだ。話し合いができるだけマシだろう」

「えぇ…そういう問題…?」




↑これが、画商のペンです。アーラは全く気付かずに、そこら辺にあったペンと紙を差し出しました。


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