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画家 13


「できました…」



静まり返った部屋の中で、ぽつりと呟く声が聞こえた。眠ることはせずに、ただ目を伏せていた俺は、声を聞いて目を開ける。


窓の外を見ると、既に夜は明けていて、空は明るくなっていた。「できたか」ソファから立ち上がり、アーラの隣に立つ。そして、完成した絵に視線を落とした。


短髪の、目付きが鋭い男が一人椅子に座っている。彼の前には、キャンバスが置いてあって、そのキャンバスには描きかけの空が描かれている。男は草原にいた。瑞々しい緑の草に覆われた地面と、空で完結された世界。草原の地面の上で、男は椅子を置き、キャンバスを置き、絵の具と道具を広げて、己の上にある空を描いている途中だった。そんな絵だった。



「男の肉体だけ描けば十分だったんだがな」



随分と空色を使うとは思っていたが、背景まで丁寧に仕上げてくれるとは。時間もないし、多少は雑な仕上がりになっても仕方がないと思っていたが…。いい意味で予想を裏切られたな。



「幽霊の人、画家なんでしょう?重たいもの動かすのが難しいなら、絵も描けないってことじゃないですか。じゃあ、せめて絵の中では描かせてあげたいな、と思いまして」



どうですか?結構、頑張ってたんですけど、とアーラが胸を張る。



「いい仕上がりだ。お前に頼んで正解だった」


「へ?!…あ、ありがとうございます。なんか照れますね。素直に褒められたことあんまりないんで」


「世辞ではないぞ。本当にそう思った」


「ふふ。ありがとう、ございます」



お前は気に入ったか?と幽霊に尋ねれば、"あ りが と う 本当 に。 描ける 嬉 しい "と返ってきた。「いえいえ、どういたしまして。描きたいのに描けないってしんどいですよねー」とアーラがにこやかに返事をする。


俺たちの話し声で起きたのか、アリスがもぞもぞと動いた。いつの間にか頭から被っていた毛布から顔を出す。まだ寝ぼけ眼で、髪には寝癖がついていた。




「…おはよう?」


「おはよう。いい時に目が覚めたな」



アリスの瞳が、俺からアーラ、そして絵と移る。パッと顔を輝かせ、毛布を放り投げて走ってきた。行儀が悪いな。毛布くらい畳め。



「アーラ、描いた?」


「そうですよ。僕作です」


「空が、ある。人だけじゃない。綺麗。綺麗な空色」


「鳥を描くことが多いんで、必然的に空を描く機会も多いんです。空と鳥だけはちょっとだけ自信があるんですよ。手記を読みましたけど、幽霊の方も空が好きみたいでしたから。張り切って描いちゃいました」


「私、この絵、好き。この絵だけじゃなくて、スケッチも、他のアーラの絵も、好き」


「…君とレオ君は嬉しいことを言ってくれますね」



よしよし、とアーラがアリスの頭を撫でる。



「アーラ、眠い?瞼が、くっつきそう」


「そうですね。睡魔は限界に近いです。頭の中に、ずっと羊が一匹、二匹って柵を飛び越える光景が浮かんでるんです。寝ろってことでしょうね。意味不明ですけど。でもまだ起きてます。僕も絵に人の命が宿るところ、見たいですし」



欠伸を噛み殺しながら、苦笑するアーラの目には、くっきりと隈ができている。夜に休憩を入れたとはいえ、それ以外はほとんどぶっ通しで筆を握ったいたので、疲労が溜まっているのだろう。


さて。宣言通り、徹夜で仕上げてくれた働き者の画家をこれ以上起こしておくのは申し訳ない。さっさと済ませてしまおう。



「幽霊。もう一度だけ聞く。最善は尽くすが、成功は保証できない。それでもやるのだな?」


"覚悟 あ る"


「よい返事だ」



意思が変わらないことを確認して、俺は杖を取り出した。アーラとアリスを部屋の端へと離れさせ、二人を除いて空間に結界を張る。これで失敗しても、アリスやアーラに被害は及ばないだろう。


魔法は数えきれぬほどに存在し、魔物なら幼児でもできる簡単なものから、どれだけ歳を重ね求めようと、多くの者が使うことが叶わない難しいものまで、多種多様だ。


その中でも、魂を扱う魔法は最高難度の魔法の一つ。


実験例は星の数ほどあるにも関わらず、成功例は極めて少ない。難易度が高くなればなるほどに、失敗した際の代償は大きい。


不死の呪いもその一つである。ただ死ぬだけならばいい方で、アリスに話したように、生きながら身が腐り落ちていく苦痛を味わわねばならない身体になった者もいる。


ある者は魂を壊され廃人となり。


ある者は魂の形を歪められ狂人となり。


そしてある者は…不死にはなったものの、身体はただの肉塊の集まりとなって、こんなこと自分は望んでいない、こんな醜い姿は嫌だ、と泣き叫んでいた。


それだけハイリスクなのだ。魂を扱うということは。


魔法について深く研究していた俺でも、魂を扱う魔法を行ったことは片手で数えられるほどしかない。前は自己回復能力が高い魔物だったからよかったが…この人の身ではどうなるだろうな。


まぁ、失敗した時はその時だ。特に気負うことなく、俺は緩く杖を持って絵に向けた。




ーーーーー決められた時間を終え、割れた砂時計。飛び散った硝子。飛び散った砂。朽ち果て、土となった肉体はもはや戻らぬ。硝子は割れた。肉体は戻らぬ。砂は飛び散った。命はどうか。運命の流れという川にたどり着かなかった砂は。




ピッ…と杖を持つ腕の皮膚が軽く裂けた。血が流れて床を汚す。大した傷でもなかったので、そのまま詠唱を続けた。




ーーーーーこの問いに答えを出そう。砂よ。逝く場所へ、逝かねばならない流れへ、逝けなかった砂よ。我がかき集めてやろう。偽りの生をやろう。真の砂時計の代わりに、偽りの入れ物を用意してやろう。偽りの時を、ここに刻め。




刹那、部屋が光に包まれた。身体から転移魔法の比にならない量の、大量の魔力が流れ出る。


ドクンッ、と心臓が大きく脈打った。己の魂が悲鳴を上げ、震える感覚がする。やはり人間の身には負担が大きすぎたのかもしれない。


だが、魂に亀裂は入っていない。壊れていない。己の意識を保つことができているのならば、大したことではない。


予想よりも安い代償だったな、と思いながら、床に崩れ落ちる。足に力が入らなくなったのだ。



「レオ!」アリスの焦った声が聞こえたが、返事をするために口を動かす気力はなかった。それでも眼球は動かせたので、成功したかどうかを確認しようと絵に目を向ける。


…成功か。かなりギリギリだったが。


草原で座っていた男が、立ち上がっていた。自分の手を見つめて、信じられないと言いたげな顔をしていた。


絵の具で描かれた人物が、動き、表情を浮かべ、絵の外にいる俺たちを見つめている。無事に幽霊の魂が絵に封じ込められたのだ。



「…本当に、絵に、入れるなんて」



絵の中の男から、震えた声が発せられた。きちんと声も聞こえる。


上手くいったようだ、と満足した途端、意識が遠退いていく。自分で自覚していたよりも身体に負担がかかっていたのか。


まぁ、少しくらい寝ても構わないだろう。


俺はそのまま気を失った。



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