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画家 3


「今さら取り繕う意味はないか。アーラと呼ばせてもらうぞ。それで?この小鳥を描きたいと言っていたが、本当にそれだけなのか?」



演技であることは知られてしまったので、俺はアリスやサルトに言うような話し方に戻して、アーラを見る。睨み付けた訳でもないのに、彼はビクッと身体を震わせた。何だか獣に狙われている小動物のような動きだ。



「えっと、その…みみみみたこととととなっ」


「その喋り方を何とかしろ。疲れる」


「へぐっ!正論が容赦なく突き刺さるぅ…。ででででもっぼ僕、人と話す、のななな慣れてないっていううううか」


「知らん。直せ。今慣れろ」


「すげぇ暴論。いっそ清々しい」


「話せているじゃないか」



画家という職業柄、どうしても人との関わりは少なくなる。そのため他人と話すこと慣れていないようだ。彼のどもった話し方はそのせいらしい。


胸の前で手を絡ませて、目をあちらこちらに動かすアーラ。全く目が合わない。段々苛ついてきた。



「あーえっと、その。少しずつ慣れてきたんで…改めて。アーラ・リペラって言います。めっちゃ覚えにくい名前ですみません。言いにくい名前ですみません。息しててすみません。存在しててすみません。えっと、僕は鳥が好きデス。ていうか、愛しています。いや本当にこの世の何よりも、誰よりも深い愛情を持っているのそこだけは自信を持って言えて、その美しい翼を見ると絵が描きたくなるっていうか、描かなきゃ死ぬっていうか、心臓が止まるっていうか。あ、え、っとデス。はい。ここに来たのは町の人たちが見たことない鳥がいたっていうから、いても立ってもいられなくなって気付いたらここにいたっていうか」


「簡潔に。三文で」


「絵を描きにきた。偶然鳥見つけた。だから描こうとした」


「なるほど。とりあえず鳥をどうこうする気はないんだな。描くだけで」


「勿論。描く以上の不敬なことするはずがないじゃないですか」



何を当たり前のことを、とアーラは誤解されて不服そうな顔をする。



「では、小鳥の怪我は?」


「それは本当にすみません…。傷付けるつもりはなかったんですけど、網にかかった時に枝に当たったみたいで。本当に、捕まえて少し絵を描かせてもらったら帰すつもりだったんです。手当てしようと思っても暴れて、手がつけられなくて」



やっぱり飼い主の側は安心するんですね。嘘みたいにその子、静かになっています。アーラは俺の肩にのる小鳥を指差して微笑む。


不健康な印象を受ける彼の見た目だが、笑えば普通に見れる顔立ちをしていることが分かった。長すぎる前髪と、陰気臭い雰囲気で台無しになっているけれど。



「大体の事情は把握した。害意がないのなら、今のお前に俺は何もしない。今後は紛らわしい真似はしないように」


「…ちなみに先ほどのは冗談ってことはありませんかね?」


「試してみるか?指が折れる音を聞いたことはあるか?貴重な体験をさせてやろう」


「いいえっ!結構です!調子にのってすみません!僕みたいなモブがすみません。謝罪します。誠心誠意、謝罪致します」


「謝罪はもういらない。聞き飽きた」



どうやらアーラは謝るのが癖らしく、少し脅しただけで大袈裟に反応した。命乞いをされることには慣れているが、こんなにプライドも何もかもかなぐり捨ててできる奴はそうそういない。



「創作の邪魔をして悪かったな。俺たちはこれで」


「えっ…ま、待って!」



さっさと屋敷に戻ろうとした俺の肩をアーラは掴む。



「今度は何だ」


「か、かかか描かせてくれないんですか?!」


「何を?」


「そ、その小鳥ですよ。誤解が解けて、はい、仲直り、お礼に小鳥を描いてもいいですよって流れだったじゃないですか?!」



どんな流れだ。そんなものは知らない。



「お願いします。描きたいんです。その小鳥の愛らしさと気高さが両立した美しさを紙に表現しないと、僕は死にます。後悔で死にます。それは、もう、見るも無惨な死に方をします。それくらい死活問題なんです。素敵な鳥がいるのに描けないなんて。発作が起きます。ほら、もう手が震え始めてる」


「その指では描けないのでは?」


「筆を持ったら収まるので問題なく。でも、それ以外には全く使いものになりません。自分で食事をすることさえ満足にできません。僕は独り暮らしです。家族はいません。あと、ボッチなので、僕を手伝ってくれる神のようなお方はいません。友だちがいないので。そのため、食事ができない僕は餓死するでしょう」


「そうか。餓死はなかなか辛いぞ。生き絶えるまでに時間がかかるからな。その間、極度の空腹という苦しみに耐えなければならない。その前に自害することをお勧めする」


「そこは、『死なれたら困る』とか言って描かせてくれるパターンでしょう?!」



だから、どんなパターンだ。


俺はアーラに背を向けて歩き出す。アーラが俺の肩にしがみつく。俺は構わず歩く。アーラがズルズルと引きずられる。



「お願いします!お願いします!僕を助けると思って!時間はとらせません。頑張って、めっちゃ速く描きますから!死ぬ気で描きますから!!」


「…」


「少しだけですから!一時間、いや三十分、十五分でもいいです!スケッチだけでも!下書きだけでも!」


「…」


「ひっく…うぅ…お願いしますよぉ…」


「…」


「…」


「…」


「いや、これでも全く歩みを緩めないって鬼ですか?君の血は赤色ですか?心臓あります?」



重い。小さな子供の身体に大の大人が全体重をかけているのだ。足を引きずられて、引っ張って、まるで玩具を母親にねだる子供のようなことをこの男はしている。外見だけならば、まだ五歳の幼児に。鬱陶しい。本当に。


俺は遠い目で空を眺めた。ふわふわとした白い雲が、空に漂っている。太陽は暖かく土地を照らし、陽気な空気が流れている。


今日も空が美しいな、と思う。この男の存在を完全に無視しようとした。



「…あぁ、もう!!じゃあ何だったら絵を描かせてくれるんですか?!このままじゃ、僕ストーカーになりますからね?!小鳥を描かせてもらうまで、君に四六時中付きまといますから!」


「消されたいか?」


「ヒッ…急に返事しないでぇ…」



アーラは恐怖に震える。だが、肩を掴む手は離さない。



「はぁ…ストーカーは面倒だ。取引をしよう。俺は十五分お前に小鳥を貸してやろう。描くだけだ、触ることまでは許さないからな。それで?お前は俺に何を差し出せる?」


「差し出す…?」


「そうだ。正当な取引は両者に得がなければ成り立たない。小鳥をお前は喉から手が出るほど欲しているのだろう?なら、それに見合うものを提示してもらわねば」


「あ…僕、お金とかあんまりなくて…」


「金銭は一番手っ取り早い方法だが、別に金でなくとも構わない。俺が価値を見出だせるものなら文句はない」



サルトは石を差し出した。杖の材料として最適な石だ。交渉は下手だったが、差し出したものは釣り合うものだった。では、アーラは何を渡してくれると言うのか。


一応、この取引は俺にもデメリットはある。絵を描く作業は、対象を細部まで観察することから始まる。人形であり、本物の生物ではないことに気付かれる可能性がない訳ではないのだ。


まぁ、その時こそは、容赦なく忘却魔法を使うつもりだ。



「お金じゃなくて、価値がある…僕、高価なものとか持ってません。何せ本当にお金がなくて。絵の具さえ満足に揃えられないくらい」



自分の荷物と格好を見て、暗い声で言うアーラ。ふむ…と俺は彼の持ち物に視線を巡らせる。そして、手にあるスケッチブックに目が止まった。



「それは?」


「これですか?僕の練習用の絵ですけど…」


「見ても?」


「え?あ、はい。見るんですか?大したものじゃないですよ…?」



おずおずと差し出されたスケッチブックを受け取り、パラパラと目を通していく。絵の九割は鳥がモデルだった。屋敷にあった絵の画家は間違いなくアーラなのだろう。描き方の癖が一緒だ。翼を大きく、強調するように描いている。



「売れていないと言っていたな」


「へっ…は、はい。売れてないですね。というか、安くでしか買ってもらえません」


「安く?値段は?」


「えっと、材料費の合計くらいでしょうか」


「それは儲けが一切ないと言わないか…?」


「そ、そうですね。なので生活がヤバイです。正直」



まぁ描きたいものを描いてるだけなんで、自分の絵に価値があるとか自惚れてないんですけど…。でも、やっぱり一日パン一個はしんどいですねー。そんなことを苦笑しつつ言う彼は、本当に金目のものを持っていないのだろう。


俺は顎に手を当てて、スケッチブックの絵を眺めた。悪くない絵だ。高く売れるかどうかは分からないが、決して誰もが描けるものではないはずだ。俺が目を止めたのだ。本来ならば多少は金が入ってきてもいいはず。それなのに、画家には金が入っていない。


…何かありそうだな。



「アーラ。お前はこれまでに何枚絵を売った?」


「え?めっちゃ安くなら、まぁ結構な数は…?でもパン一個と同じくらいの端金で売ったやつもあるので、売れてるって言う訳じゃ…それに」


「なるほど。次の質問だ」


「僕の話最後まで聞いてくれませんか?」


「絵を売った人間は大体決まった相手にか?」



アーラは何で分かったんだ、という顔をした。



「ええ、その通りです。数ヶ月に一回くらいの頻度で、お情けで僕の絵を買ってくれる人がいるんですよ。定期的に買ってくれる人なんて彼一人くらいです。大部分はその人に買ってもらっています。まぁもらえるお金、少ないんですけど」


「ほう…それは面白い話だ。次。お前はよく自分の絵にサインを入れるか?」


「時たま入れますけど…九割方は入れてないです。何となくサイン入れたいなって気分だったら、入れるって感じなので」



アクイラ家の絵は、サインが入っていたから、その貴重な一割だったのだろう。



「鷲の絵は描いたことがあるか?その絵は誰が買った?」


「鷲…?あぁ!僕がまだ学生だった時に描いたやつですね!学園祭に急に身なりのいい紳士がやって来て、鳥を描くなら鷲を描いてくれって注文されまして。いやぁ、思い出しました。あの紳士の方は親切でしたね。お金めっちゃくれました。神かと思いました。両手を合わせて崇拝してた記憶があります。当時も貧乏だったんで、嬉々としてそのお金を握りしめて絵の具を買いに走りましたよ。いい思い出だなぁ…」


「その紳士の名前は?」


「え?知りません。もしかしたら聞いたのかもしれないですけど、忘れました。僕、鳥に関する知識ならいくらでも覚えられるんですが、それ以外はポンコツですからね。あ、でも妙に気品のある人だったので、貴族の人だったのかもしれません」



貴族風の男。もしかしたら、その男が父様が言っていた伯父だろうか。


俺の質問に疑いもしないで馬鹿正直に答えるアーラを見て、俺は確信した。コイツ、カモになりやすいタイプだ。興味の対象が狭く、世渡りが上手くない。そのため、知らずの内に他人に搾取される人間だろう。



「定期的に絵を買うと言っていた男と、その鷲の絵の男は同一人物か?」


「違いますよ。紳士の方と会ったのは、あれ一度きりです。お得意さんは貴族って感じじゃないですねぇ。どっちかっていうと、商人みたいな?」


「画商か?」


「さぁ?聞いたことがないので」


「…」



頻繁に取引を行う相手だろう。個人情報は死に物狂いで集めるものじゃないのか。アーラのポンコツぶりに俺は眉間に皺を寄せる。俺なら考えられないな。



「…ちなみにだが、お前がサインを入れた絵をその男は買ったことがあるか?」


「サイン?んー?んんー?あ、ないかもです!そう言えば買う時に、いつも絵の下を何度も確認してましたね。あれはサインがあるかどうかの確認だったんでしょうか?そんなに僕のサインが嫌ですか?僕の字って汚い…?」


「はぁ…」


「何故、溜め息?!というか、君、すごいですね?!何で分かったんですか?!僕だって言われるまで気付きませんでした!!」



エスパーですか?ひょっとして考えとか読めたりします?とはしゃぐアーラとは対照的に、俺はあまりの愚かさに呆れ疲労感さえ感じ始めていた。


予想が確信に変わっていく。



「情報を整理しよう。お前の絵は安く買われている。そのほとんどは一人の商人らしき男が買っていき、お前の手には毎回少ない額の金だけが残る。それも創作を続けられる最低限の金だけだ。男はサインが入った絵は買わない。お前は男のことを知らず、その後、自分の絵がどうなっているのかも分からないと。間違いはないな?」


「ええ、間違いありませんね」



確定だ。アーラ、お前はカモにされている。間違いなく。



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