画家 1
父様たちがまだ寝ている朝早い時間帯。俺はベッドから出て支度をし、アリスの部屋へと急いだ。寝惚けている彼女を叩き起こし「翼を触るんだろう。三秒以内に起きろ。さもなければ約束はなしだ」と脅せば、アリスは瞬時に飛び起きた。二人で階段を下りて庭へと出る。向かう先は前に行ったことがある池だ。
「大きさは?」
「フワフワに埋まりたい。大きく」
「色は前のものでも構わないな?」
「うん」
さっさと終わらせよう。リクエストを聞いて、呪文を唱える。
ーーーーー鳥よ、お前たちの翼を貸せ。
前よりも大きな翼を、という注文だったので、以前出したものよりも少し大きめのものを出した。ぽすん。アリスが翼に埋まる。至福の表情を浮かべていた。
「フワフワ…」
「良かったな」
「私もフワフワ生やせる?」
「フワフワではなく、翼だ。生やすこと自体無理ではないだろう。だが問題は飛べるかどうかだな」
「…?」
俺は自分の肩から生える翼を指差した。
「飛べと唱えて飛ぶものじゃないんだ。これは今俺の身体の一部のようなもの。動かすためには、腕や足の筋肉を動かすように、意識して使う必要がある。風の流れを読んで動きを合わせる。コツを掴めば大したことはないが、慣れないと急に落下したりする」
この魔法は特殊だ。普通、魔法というものは労力の代わりに魔力を用いて奇跡を起こす。しかし、これは言わば腕をもう一本生やすようなものだ。念じるのではなく、動かさなければならない。使わなくてはならない。
アリスはいまいち分からないようだった。元々は身体につけられてなかった翼が身体の一部になったと言われても、納得ができないのだろう。
「例えばな」
俺は翼から一本の羽を抜け取る。ちくり、と痛みが走った。髪の毛が抜けたような軽い痛みではあったが。
「まず、痛覚がある。触れた感触もする。この状態で翼を折られると、腕を折られたような感覚になる。分かるか?」
「なんとなく。最後の例え、物騒」
「分かりやすいだろう。つまりは腕か何かだと思え」
「フワフワなのに?」
「フワフワでも腕だ。動物でもそうだろう」
「そっか」
理解したらしいアリスは、真剣な顔で頷いて、恐る恐る翼を撫でる。どうした?と聞けば、力入れて折れたら痛いかも、と答えた。お前の力ごときで折れるか。
一時間ほど触って満足したらしいアリスと共に、翼をしまって屋敷へと戻る。父様に見つかったら外で何をしていたのか、と詰め寄られるかもしれない。アンドレ殿の店での事件以降、何だか父様に過保護になった気がするのだ。人がいないことを確認して、扉を開け、屋敷の中へと入る。
朝食の時間まではまだ余裕があるので、それぞれの自室で時間を潰そうということになった。アリスと分かれて、自分の部屋へと戻る途中、廊下に飾られた一枚の絵が目に止まった。
特別大きな絵という訳ではなかった。一羽だけの鷲が空へと舞い上がろうとしている一瞬をとらえた絵だった。獲物を狙う肉食の目。鋭い嘴と爪。それらが本物をそのまま張り付けたように、生き生きと描かれている。そして何よりも目を引くのはその鷲の翼だ。風の抵抗を受けて曲がった曲線、左右で線対称になっている訳でもないのに、バランスが素晴らしくとれていた。美しいラインだ。色を重ねるのではなく、逆光を浴びているように描き、形の美しさを重視している。
「…美しい絵だな」
ぽつり、とそんな感想が口から漏れた。
芸術に詳しくはないが、絵画が多く飾られた城に暮らしていたので、自然と目に入る機会は多かった。俺の趣味ではなく、前の魔王が集めたものだ。捨てる理由もなかったので城をもらうと共に、その絵画たちも俺のものになったのだった。ただ飾っていただけだったがな。
魔王の城に飾られる絵だったから、どれも名の知られた画家が描いたものだったのだろう。豪華な絵ばかりだった。目の前の絵はそれらに比べればあまりにも飾り気がなくて、一見、見劣りしてしまうように思えるが、その簡素さが俺にとっては新鮮だった。
絵の右下にサインがあった。小さなサインだ。目をこらさなければ気が付かなかっただろう。アーラ・リペラ。それが画家の名前だった。
「絵かい?」
「はい。鷲の絵です。廊下に飾られている」
「あぁ、あの躍動的な絵だね。僕も好きだよ。何というか、変に飾らずに、本物そのものの美しさを閉じ込めらたようなところが」
「あれは父様が買ったものなのですか?それとも母様?」
「ううん、どうだったかな。僕ではないと思うんだけどね。僕はあまり芸術に詳しくないから。もしかしたら、兄のものだったかも」
「兄?」
「そう。レオたちの伯父だね」
食事の際、話に出してみたら父様はそう言った。伯父がいたのか。初耳だ。
「あの人は絵とか彫刻が好きな人だから、僕にも色々と贈ってくれたんだ。絵もその中の一つかもしれない。レオはああいう絵が好きなのかい?」
「少し気になりまして。好み…かどうかは分かりません。綺麗だとは思いますが、芸術の奥深さはよく分からなくて」
「レオは僕に似て、芸術関連は弱いかもしれないね。僕も研究とかなら平気なんだけど…。有名な画家の作品を見ても、綺麗だなとしか思えなくてね。貴族の付き合いで絵画の話になってもついていけないことが多いよ。恥ずかしい限りだけど」
それは分かる。父様の話を聞いて、俺は頷きそうになった。前世でも貴族たちは何故か芸術作品をコレクションしたがっていた。それも一つで屋敷が買えるような値段の絵をほいほいと購入する。作品を集めることが一種のステータスらしい。意味が分からないが、そういう習性があるのだ。
そして、俺は前は貴族の生まれではない。
芸術を愛でる暇があるのなら、今日のパンをいかに上手く盗むかの算段をしていた。そのためか、魔王になって生活に困らなくなっても、腹を満たせないものにわざわざ金を使う意味が分からなかった。もらえるならもらうが、買おうとは思わない。見るには見るが、その魅力について語れと言われれば無理だと答える。交渉の際に必要な最低限の知識は頭に入れたが、芸術を愛でる感性とかいうものは身に付かなかった。
だから父様の気持ちはよく分かる。興味がない話を延々と聞き続ける。しんどいだろう、よく分かるとも。
「あぁ、鳥と言えば。レオは知っているかな?」
「何でしょう?」
「この前ね、見たことがない鳥が空を飛んでいたそうだよ。大きくて黒い鳥だったそうだ。森の方に飛んでいったらしい」
「…見たことがない鳥」
「そう。町の人たちが探し回っているらしいね。珍しい種類なら高く売れるから」
魔力を節約し過ぎたか。目眩ましの魔法をかけておくべきだったかもしれない。俺は父様の話を聞いて、数日前のことを思い出す。
翼を使って森に行った時のことだ。あの時は人間の身体にも慣れていなかったし、極力、魔力の消費は避けたかった。だからアンドレ殿の店で使った目眩ましの魔法を使わず、その代わりに高く飛ぶことで見つからないようにしたのだが…。
町の人間が見たと言う鳥は、翼を生やした自分だった可能性が高い。
「それは興味深いですね」と返しつつ、俺は内心で舌打ちをした。
(変に目立てば厄介事が増える。町の人間に忘却魔法でも…いや、魔力の無駄遣いだな。人数も多い。手間だ。ただの鳥だと思っているようだし、少しすれば落ち着くだろう。サルトには口止めをしておくか)
念のため、サルトには翼を生やす魔法について言わないように脅そう。俺はそう決めて、食事を再開した。




