第二話 謎
「ひゃあ!」
キッチンから香帆の悲鳴じみた声が響く。
「……おい、今度はなんだよ?」
俺は耐Gシートにどっしりと腰を落ち着け、目はメインディスプレイに向けたまま。
つまるところ、全く気にする素振りも見せず背後に問いかけた。
香帆が臨時の押しかけバイトクルーにおさまってから、ここ2、3日の間にあげた悲鳴の回数はすでに2ケタの大台に乗っている。
最初こそあわてて駆け付けたのだが、その理由が毎度毎度あまりにもどうしようもない。
もはやいちいち驚く気力も沸かなくなってきていた。
初日は無重力シュラフがベッドがら浮きあがってしまい、船が微少デブリ回避のためオートスラスターを吹かした途端に“壁に”落っこちた。
昨日は0Gトイレやシャワーの使い方がわからず、適当にボタンを押しまくってずぶ濡れになった。
本人からしたら重大事かもしれないが、何でそんな基本的なことも知らないんだとアホらしくなる。
考えてみれば、地球~サンライズコロニー間を往復する定期連絡フェリーが、軟弱な2G加速と1G減速の組み合わせで加速度と無重量状態を最小限に抑えるという快適、かつまことに不経済な航法を採り入れてもう10年以上になる。
若いコロニー移民者の中にも無重力トイレやシャワーを知らない人間が増えているのはまあ確かだ。
そもそも無重量状態を経験するチャンスがどこにもない。まあ多少可哀想ではある。
だが、現実問題として、宇宙開発の最前線人材育成を担う学校の、しかも船舶設計科に在籍していながら、それらの装備をこれまで見たことも使ったこともないと言う香帆の言い分にはどう考えても違和感が残る。
その辺が妙に気にかかった俺は、昨夜、彼女が寝静まった頃を見計らい、こっそり古巣でもあるサンライズ技工大の学生名簿にアクセスしてみた。
学生時代に使っていたアカウントがまだ生きているというズブズブのセキュリティにまず驚いたが、さすがに現役生向けの無制限アクセスキーを手に入れることはできなかった。
それでも、関係者向けに限定公開された在学生名簿上には、確かに高等部2年に“K/TOKUTOME”の記載がある。
学籍番号が今年入学の新入生よりさらに新しいところを見ると、ごくごく最近になってどこか他の学校から転入した可能性が高い。
だが、名簿からわかったのはただそれだけだった。
香帆はなにかを隠している。
それはまちがいないと俺は確信している。
だが、一体彼女がなんの目的でこの船に乗り込んできたのか。その本当の理由はまだ推測さえできない。
彼女は相変わらず自分自身のことはほとんど話題にしようとしないからだ。
「ねえ……」
そんな物思いにふけっていた俺は、背後から遠慮がちに呼びかけられてふと我に返った。
「えっ?」
「先輩、これ、飲んでみる?」
そう言いながら彼女は神妙な表情で背中に隠していたマグパックを差し出した。
中にはクリーム色のとろりとした液体が入っている。受け取ってみるとほどよく温かい。
「お、気が利くなあ、ホットミルクでも作ったのか?」
口をつけてみると、異様に甘ったるい粘り気のある液体がのどに流れ込んできた。しかもバニラの香りがする。
「ぐふぉっ!」
予想のななめ上を行く食感に思わず吹き出しそうになり、香帆の冷たい目線を受けてどうにか耐える。
「なんだよこれっ!」
「確かにジェラートだったのよ。ほんのさっきまでは」
香帆は肩をすくめてため息混じりに言った。
「食後のデザートにしよっかなってパーシャルに入れたはずだったんだけど、なんと驚くことにそれが実はレンジだったの」
「あー、お前これは『パルクフェルム』の限定品だぞ! うわー! あー、全部溶かしちゃったのか!」
俺は思わず色を失った。
「くっそー! 出航間際で切羽詰まってるところに2時間も並んだんだぞ」
「うん」
「しかも高いんだぞこれ」
「知ってる」
「うわ、なんちゅうもったいないことを。ふつうそんなミスするかよ?」
「だってぇ」
香帆は頬を膨らませる。
「レンジもフリーザーもパーシャルもみーんな同じ見た目なんだもの。並べて置いてあったらふつう間違えて当然だと思わない?」
「あれは業務用の規格品! 自由にレイアウトできるようにわざわざモジュール構造にしてあるんだって。積載スペースのきつい宇宙船に積むんだからあたりまえだろうがよ!」
香帆はわかってないなあと言うように首を振ってみせると「ちっちっち」と口で効果音をつけて人さし指を左右に振り、それをズバリと俺に向けた。
何気にむかつく動作にイラッと拳を握る俺に対し、
「その考えはおかしいよ、先輩」
そう、したり顔で指摘してみせる。
「使う人の立場に立って考えてないじゃない。こんなすごい船を設計できるくせにその程度の規格品で満足してるなんでがっかりね」
そう言い放つ。
「うっ」
俺は一瞬言葉に詰まった。
確かに、一度はシップビルダーを目指した人間としては配慮が足りないかも知れない、
だが、なぜ学生にそこまで言われなくてはならないのか。少々自分が情けなくなる。
「ま、いいわ。それよりこれ、どうしよう?」
香帆は再び小さく肩をすくめると、俺の手のマグパックを指さした。
「悪いけどこれじゃあ飲めないな。さすがにこれは甘すぎる。せめて水で薄めるか……いやいやせっかくのパルクフェルメがもったいない」
「ふーん、先輩って意外と甘党だったんだ。さっき並んだって言ってたよね」
ニヤニヤする香帆。
「んなことどうでもいいだろう! それよりもう一度フリーザーに入れたらなんとか元に戻らないか?」
「でも、それじゃジェラートじゃなくてシャーベットになっちゃうよ、多分」
「それってどこか違うのか?」
「えっ!」
香帆の目が点になった。そのまま芝居じみた動作でよよよと後ずさる。
「せ、先輩。もしかしてそんな基本的なことも知らずに今まで何十年も生きてきたんですか?」
離れた場所からまるで新発見の珍獣を見るような目で俺をにらみつける。
「そんなに深刻な話かよ? それにそこまでジジイでもない!」
「ふーん」
反論はあっさり無視される。
「それよりも、ねえ、かなり、いえこれって致命的よ。いい、そもそもジェラートていうのは適度に空気を含んだそのやわらかな舌触りこそが命なの。シャーベットとの最も大きな違いはそこにあって、そもそも十六世紀、地球の地域国家イタリアはフィレンツェでジェラートが最初に発明されたきっかけからして…」
俺は内心思わず舌打ちをした。なんだかつまんないスイッチを押してしまったらしい。
香帆は自分の正体については完全黙秘を貫くくせに、妙なところで雄弁になる。
「……ちょっと、先輩。話聞いてないでしょ」
そんな彼の考えを見透かすように香帆はまゆをつり上げだ。
「あ、いや、それより早くそいつをもう一度凍らせろって。たまにはシャーベットが食べたいなと思ってたんだ」
苦しい。苦しすぎる言い訳。
だが、香帆はその答を聞くとなぜかくすくす笑いながら講義を一方的に切り上げ、マグを持って上機嫌でキッチンに消えていった。
「こりゃ、当分退屈だけはしないわな」
俺はつぶやくと、思わず大きなため息をついた。このフライトで一体何度目のため息だっただろうか。
そんな船内の状況にはお構いなく、アローラムは最大速で矢のように飛び続ける。
それでも、目的の小惑星トロイスに向けての行程はまだ半分あまりを残していた。
---To be continued---