マルクトの巫女とサンダルフォンの戦士
一羽の小鳥が澄んだ青い空を羽ばたいていく。その小鳥を見上げて、穏やかな日差しが降り注ぐ小道を歩き大通りに出る。
普段から多くの人々が行き交うこの通りは街の中心である。
しかし今日は様子が違った。
何故なら今日この街では、千年に一度の神聖な儀式が神殿で執り行われるからだ。
儀式は誰でも見に行く事が出来るが、その後に行われる城でのパーティーには限られた人物しか参加が出来ない。
そのパーティーの警備を任されるのは、マルクト王国の騎士団だ。ゆったりとした足取りで神殿に向かう黒の鎧に身を包んだ彼、マルシャル・ジギタリスもマルクト騎士団の一員である。
(昨日はあんまり眠れてないんだけどなぁ)
大きく口を開いてあくびをするマルシャルの目尻には、生理的な涙が滲んでいた。
マルシャルは騎士になってまだ二年目。若い騎士の中ではなかなか腕が立つ人物ではあるものの、遅刻やサボり癖が治らず先輩騎士達から怒りを通り越して呆れられている。
今日もマルシャルは寝坊をして、朝から神殿の警備に当たる予定だったのだが、時刻はもう昼過ぎ。彼を起こしてくれるような仲間は誰も居なかったらしい。
騎士団の寄宿舎から歩いて神殿まで向かう途中、マルシャルは伸びをしてぽつりと呟いた。
「今日の仕事、サボっちゃって良いかなぁ」
神殿の警備は夕方までで、城の警備にはマルシャルは参加しない予定になっている。
今から行ってもほんの二、三時間で儀式は終わる。
(めんどくさいし帰っちゃおうかな……)
そんなマルシャルの思考は近くを歩いていた若者達の言葉で一変した。
「ああもう! 早く行かないと良い場所なくなっちまうよ!」
「仕方ないだろ。あの仕事片付けなきゃマズかったんだから」
「今日の儀式は巫女様の姿が拝めるチャンスなんだぞ!」
(巫女様ねぇ……)
世界に点在する十カ所の神殿には、それぞれ神の声を聞く事が出来る巫女が生活している。
彼女達はその人生のほとんどを神殿の中で過ごしている為、神殿関係者でもない限り巫女の姿を見る機会はあまり無い。
それは騎士団であっても変わらなかった。今日は特別な儀式の為に普段は人の出入りを制限している神殿を開放する。
万が一の事態に備えて騎士団が配備されるわけなのだが、マルシャルを含め騎士団は今日まで誰一人神殿に足を踏み入れた事はなかったのだ。
「神殿の巫女……間近で見れる絶好の機会かもしれないねぇ」
巫女自体にそれほど興味は無いが、騎士であれば一般人より近付けるはず。誰もが敬い、その姿を一目でも見ようと大勢の人々が神殿に押し寄せている。
そんな注目を浴びる巫女を近くで見守る優越感を味わおうと、マルシャルは先程までとは打って変わった軽い足取りで神殿へ続く道を進んで行った。
マルクト王国は大陸の最南端に位置する大国であり、その規模は最北端のケテルと一、二を争うものである。
この日は全ての神殿で同じ時刻に儀式が始まる。
【選定の儀】と呼ばれるその儀式では、明日から巫女と共に世界中を巡る旅の供を決定する。マルクト神殿ではアドナイ・メレクへの信仰心を高める為に、国民の憧れの的である巫女と行動を共にするのだ。
十カ所の神殿の巫女とその従者の旅。その旅で一番信仰心を高めたと評価されると、その国には素晴らしい未来が待っていると言い伝えられている。
この話は小さな子供も知っているおとぎ話のようなもので、実際には信仰心を高めて治安を改善させるキャンペーンだとマルシャルは思っていた。
騎士は給金も良いし、羨まれる職業だ。マルシャルはそんな今の生活に満足しているし、さっき見掛けた若者達のように巫女に特別な思い入れがあるわけでもなかった。
隙を見計らって巫女からサインでも貰って酒場で自慢でもしてやろう。それぐらいの軽い気持ちでマルシャルは神殿に到着した。
石で造られた巨大な神殿の前では、街中の老若男女が巫女様はまだいらっしゃらないのかと期待と興奮が入り交じった表情で、扉の前から長い列を作っていた。
「うっわ、人多過ぎ……」
そんな行列を見て一気にげんなりとしたマルシャルの前に、同じ鎧を纏った中年の騎士が現れる。
「また遅刻かマルシャル! せめて今日ぐらいは遅刻するなと言っておいただろうが!」
「すみませんカルダさん」
「ったく……良いからさっさと来い! 不真面目なお前には立ってるだけの簡単な仕事しか任せないぞ」
(え、それラッキーじゃん)
反省する気の無いマルシャルの額を小突いて、カルダは溜め息を吐くとマルシャルを連れて神殿に入っていく。
長い通路にも列が出来ていて、他の騎士達が誘導しながら奥へと進んでいた。
マルシャルはそれを横目で見ながらスタスタとカルダの後に続いて行く。
暫くするとコロッセオのような巨大な空間に出た。早くから並んでいた人から順番に前の席に案内されていて、中央には祭壇らしきものが用意されている。
カルダはそこを指差して言う。
「お前はあそこに立ってろ」
「僕がですか?」
「あの場所で巫女様を警護するんだ。勿論お前以外にも大勢の騎士を配置するがな。立ってるだけならお前でも出来るだろ?」
「立ってるだけならカカシで事足りるじゃないですかめんどくさい……」
思わず本音を漏らしたマルシャルにカルダはもう一度、今度は強めに小突いてやるとマルシャルは額を押さえて顔を歪めた。
「いったぁ! 暴力反対!」
「騎士が何言ってんだ! カカシなんかじゃいざという時盾代わりになれないだろうが」
「僕ら盾代わりですかぁ?」
「巫女様はこの国の宝だからな」
宝だ何だと言っても、まだ一度も見た事が無い人間に命を投げ出す気にはなれそうにない。
「ほら行くぞ」
口をへの字に曲げたマルシャルは、さっさと先へ進んでいくカルダの背中を追って祭壇に着く。
カルダはそこまで案内すると、まだ他にやる事があると言ってどこかへ行った。
他の騎士達からはまた遅刻したのか、と軽蔑の眼差しを向けられたがマルシャルにとって自分より弱い相手にどう思われようが関係ない。
続々と埋まっていく座席をぐるりと眺めたり、またあくびをしたりぼーっと過ごしていると、赤い刺繍が施された黒の少しくたびれた法衣を着た女性達がやってきた。
あれは神殿の信徒達なのだろう。その中に同じような衣服を身に着けた、しかし新品らしいものを着ている少女が俯きがちに歩いていた。
祭壇の前に来ると少女は信徒と共に膝を付いて、深く深く頭を下げて両手を合わせて祈りを捧げる。
彼女の登場にざわついていた人々も静かに祈りを捧げ、騎士達はそれを見守った。
顔を上げ立ち上がった少女は、随分と緊張した様子で恐る恐る辺りを見回している。
きっとこれだけ大勢の人間を見るのは初めてだったのだろう。きょろきょろとする度に少女の鮮やかな長いピンク色の髪と、ラピスラズリのような深い青の瞳が揺れていた。
(へぇ……あんな若い女の子が巫女様だったんだ)
年齢は十五前後か。そんな少女は緊張を押し殺して、必死に声を絞り出す。
「え、えっと……わたしは、マルクト神殿の巫女、シャルリエ……シャルリエ・アドナイ・メレクです。これより……えっと、【選定の儀】を執り行い、サンダルフォンの戦士を……選びます」
つっかえながらだが何とか言葉に出来た。
サンダルフォンとはマルクトの守護天使である。神の声を聞く巫女を護る者がサンダルフォンの戦士という事らしい。
「【選定の儀】にて選ばれた戦士は……人種、性別、年齢を問わず、わたしと共に世界を旅します。わたしは、マルクトの巫女として……必ずこの国に素晴らしい未来をもたらす事を、お約束します」
巫女シャルリエの言葉に人々が喜びの声を上げた。
シャルリエは少しだけ微笑んで、声が静まるのを待ってから話を続ける。
「……わたしはまだまだ未熟な巫女です。ですが、この命にかけて……戦い抜く事を誓います」
(戦い、抜く……?)
巫女と従者は様々な街や村を回って、自分の神殿の神への信仰心を高める為に旅をする。
そう言い伝えられているはず。なのにシャルリエはまるで死を覚悟して旅をするのだとでも言うかのように、真剣な表情で言ったのだ。
マルシャルは何故か妙な胸騒ぎを感じていると、シャルリエは再び祭壇に向かって祈りを捧げ始めた。
すぐ側で警護するマルシャルや共に祈りを捧げる信徒達にしか聞こえないような小さな声で、シャルリエは囁いている。
「アドナイ・メレク様……王国の素晴らしき未来を切り開く、サンダルフォンの戦士の名を……」
どれだけ静寂が続いただろうか。
シャルリエはふと顔を上げ、立ち上がった。
「……ご神託がありました。わたしと共に旅立つ、サンダルフォンの戦士の名は……マルシャル・ジギタリスです」
「……は?」
「マルシャル・ジギタリスとおっしゃる方……この場にいらっしゃるでしょうか?」
聞き間違いかと思ったが、確かにシャルリエはマルシャルの名を口にしていた。
他の騎士達も、よりにもよってまさかお前が……と言いたげな目でマルシャルを見ている。
(嘘だろめんどくさい……!)
もしかしたら同名の別人を言っているのかもしれない。そうに違いないとシャルリエ本人に確認を取る為、前に出た。
「僕がマルシャル・ジギタリスですけど……多分人違いですよねぇ……?」
「あなたが……!」
「少々お待ち下さい。只今お名前を確認しております」
信徒の一人がどこから持って来たのか分からない大量の名簿から、マルシャル・ジギタリスという人間が他に居ないか確認していた。
「……マルシャル・ジギタリス様はマルクト騎士団の騎士の方、一名のみです」
「ぼ、僕だけ!?」
「はい。あなたは選ばれた戦士なのです」
人違いでもなく、マルシャル・ジギタリスは彼一人だけ。
見る見るうちにマルシャルの顔は青くなり、嫌な汗が頬を伝う。
(嫌だ……めんどくさい事に巻き込まれるなんて絶対嫌だぁ!)
頭を抱え込む騎士マルシャルと、心配そうにそれを眺める巫女シャルリエ。
(どうしたのでしょうか……マルシャル様の顔色が真っ青です)
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ!)
「……大丈夫ですか?」
「……あ、あんまり大丈夫じゃないです……」
人々からは激励の言葉が次々と掛けられ、騎士達からは心底残念なものを見る目を向けられる。
マルシャルとシャルリエはそのまま奥の部屋に案内され、信徒達はこれから城で行われるパーティーに向けて準備を始めるのだった。




