11.この世界のこと②
わたしは撫でていた手を止めて、ゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、背の高い、しっかりとした体つきの紫色の髪をした男の人だった。顔には眼鏡をかけていて、その奥からこちらを見る目は少し鋭い。
それよりも特徴的なのは、髪の間から覗く大きな狼の耳と、後ろに生えた大きな尻尾だ。わたしの手は、まだその尻尾を掴んだままだった。
「そろそろ撫でるの、止めてもいいんじゃないか?」
「えへへ、ごめんなさい」
名残惜しいけど手を離す。すると、男の人は尻尾を自分のほうへ引き寄せた。
この人はロレンスさん。このお屋敷に住んでいる人の一人で、人狼――狼男だ。
ちょっと怖そうに見えるけれど、怒ってはいないみたいだ。
それよりも何よりも、ロレンスさんで紹介したいポイントはやっぱり尻尾だ。
わたしがさっきまで触っていた尻尾は、見た目通り、本当にふわふわだった。その手触りの良さったら。
毛がたっぷりしていて、指を入れるとふわりと沈み込む。許されるならずっと撫でていたくなるような気持ちよさなのだ。
「会う度毎回触るけど、そんなに気に入ったのか? この尻尾」
「うん! すごくふわふわしてる! 最高だよ!」
「そ、そうか」
わたしが力いっぱい頷くと、ロレンスさんは少しだけ身を引いた。
なんだか、若干引かれている気がする。でも、これは仕方ないと思う。本当に手触りが心地よいのだ。このふわふわ具合は、もっと誇っていいと思う。
むしろ、こんなに最高の尻尾を持っているんだから、もっと自慢して回っていい。わたしだったら毎日会う人みんなに自慢する。
「そんなに気に入ったなら……まあ、好きにすればいいけど」
ロレンスさんは少し困ったように言った。でも、嫌ではないらしい。
よかった。もし触らせてもらえなくなったらと思うと、悲しくて泣いてしまう自信がある。
「いやあ、おいらと話してる間中、ずっと文句も言わず触らせておくんですもんね。旦那、さすが忠犬ですね」
「犬じゃなくて狼だ」
「そうそう、狼でしたね」
ロレンスさんが不満そうに言い返すと、レイさんはけらけらと笑った。
ロレンスさんは呆れたようにため息をついたけど、やっぱり怒っているようには見えなかった。
「そうそう、おいらみたいな、人間が死んで化け物になったやつは外から迷い込んできたやつばっかだけど……」
レイさんがロレンスさんを見る。
「旦那みたいな魔物は、元からこっちの世界に住んでるんですよね?」
「ああ。俺は人狼の村で暮らしてた」
「そうなんだ」
魔女さんが世界を分ける前から、こっちの世界で暮らしている人たち。ロレンスさんは、その一人なんだ。
「まあ、俺はいろいろあって家を出てな。それで主様に拾われた」
「アレクさんに?」
「ああ」
ロレンスさんは短く答えてから、少し遠くを見るような目をした。
「子どもの頃から世話になってるから、俺にとっては親みたいなものだな」
「そうなんだ!」
アレクさんが親代わり。なんだか少し意外だった。
アレクさんとロレンスさんが一緒にいるところを見るのは何回かあったから、仲がいいのは知っていたけど、そんなに昔からの付き合いだったんだ。
「じゃあ、アレクさんとずっとここにいるんだね」
「……まあ、長い付き合いではあるな」
そう言ったロレンスさんの顔は、少しだけ懐かしそうだった。
「……そうだ。さっきの魔女の話だけど、気になるんなら、書庫に本があると思う」
「書庫……っていうと、リリアさんのところ?」
「ああ。確か、昔読んだ記憶があるから」
言って、ロレンスさんは書庫のあるほうをちらりと見た。
リリアさんはこのお屋敷の住人の一人だ。普段は書庫にいることが多いため、多分、今日もいると思うけど。
「リリアちゃんのとこ行くなら、おいらも行く!」
すると、さっきまでのんびりしていたレイさんが、急に生き生きし始めた。それを見ていたロレンスさんが顔をしかめる。
「……俺も行く」
「ロレンスさんも?」
「やだなあ。おいら、何もしませんよ?」
「信用ならん、お前は」
「心外だなぁ」
レイさんが大げさに肩を落とす。ロレンスさんはそんなレイさんを見て、呆れたように息を吐いた。
「ほら、行くぞ」
「へいへい」
こうして、三人で書庫へ向かうことになった。
この世界のこと。人間の世界との違い。そして、わたしがどこから来たのか。もしかしたら何かわかるかもしれない。
そんなことを考えて歩きながら、目の前を揺れるふわふわを見る。
わたしはこっそり手を伸ばして、ロレンスさんの尻尾をもう一度だけ撫でる。
「……ベル」
「えへへ」
「……少しだけだからな」
ロレンスさんは呆れたように言った。でも、尻尾は逃げなかった。
やっぱり、ロレンスさんの尻尾はふわふわだ。誇っていい。




